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―記念文倉庫―

そうして野上に連れて来られたのは、大手町の片隅にちまっと店を構えた串焼き屋だった。
外観と同様に中も狭く、内装に至っては作りかけなんじゃないかと思わせるような出来だ。下手なペンキを塗った空気ダクトの管が剥き出しにのたくっており、取って付けたような棚やら裸電球やらがぶら下がり、酷く粗末なものだった。
徹は物珍しそうに店内を見回してから「なんか意外」と言った。
「何がだ?」
メニューを眺めていた野上が応える。
「もっとシャレた所に連れてってもらえると思ってたから」
徹の返事に男は苦笑した。
「こういう所の方が外れがない」
店員を呼んで手慣れた様子で次から次へと頼んで行く。徹に何が食いたいかなど聞きもしない。
高校生が酒を飲むのを咎めもせずに野上はビールを早いピッチで空けて行った。
「な、一つ聞いていいか?」
「何だ」
「あんたのこれ」と言って徹は自分の左頬に人差し指を押し当てて見せる。
「どうしたの?」
男の左頬には大きな傷があった、一筋くっきりと。
グラスの向こうから凝っと野上が見返して来た。やっぱ聞いちゃマズかったか、と思いかけた所でグラスを置いて男は言った。
「自分でやった、俺のトレードマークだからな」
「は?」
「ナイフで、さくっと」
さくっとって…と絶句した徹を見やって野上は声もなく笑った。
「お前より若い頃だ、ぶっ飛んでたんだろうな」
「でも、そいつのお陰で色々損したろうよ?」
「別に―――」
串を一本平らげた野上は、おしぼりで指先を拭きつつ聞き返して来た。
「なら、お前の右目はどうした?」
「ああ―――」
徹は、前髪に半ば隠れた眼帯に何となく手をやった。
「生まれつきなかった」
「あ?」
「目ん玉が」
「………」
「な、俺の本当の父親、妖怪の目玉オヤジだったりしてな」
「バカ言ってろ…」
そう嘯いた男の表情が何かに耐えるようなものだったのを、徹は不思議な気分で眺めた。
他の現代っ子と同じように、おっとりと育てられて来た。妹が一人居て、優しさや思い遣りを呼吸するように学んで来た。男としての自覚が芽生えてからは人並に恋愛をして、経験もして来た。そうでありながら、生まれつき片方の眼球がない事に言いようのない喪失感が常に付き纏ってもいた。軽度の身障者認定を受けて、ちょっとした特別感に浮かれたりもしたが一人の時は溜息が漏れた。
あまり触れて欲しくもない事だが、気を遣われるのはもっと厭だった。さっさと聞いてもうその事はそれきり、と言う男の態度に酷く安堵した。

古くからの友人が何十年振りかに再会して、それでも時の隔たりをものともしない気軽さでお喋りをした―――、
野上との出会いはそんな感じだった。
厭らしい下心があるようには見えなかった。イマドキの高校生から話を聞いて小説のネタにでもするつもりだったのだろうか。徹が考えついた「まともな理由」はそのくらいだった。
自分だけ彼の住所を知っているのはフェアじゃないと言って野上に自宅のそれを教えたのは帰りがけの事だ。「別にいらん」と言われたのにちょっとカチンと来たのは内緒だ。
それから暫くして、野上から一通の手紙をもらった。
中にはアメフトリーグの観戦チケットが二枚入っており、素っ気ない便箋には「友達とでも行って来い」とだけ書かれていた。
徹はメールを打って「あんたは行かないの?」と尋ねてみた。
暫くして返事があり、それには「仕事だ」とだけあった。
なら遠慮なく、と言う事で土曜日、東京ドームに意気揚々と乗り込んで行った。
大学生による日本選手権の中の1ゲームであり、関東圏では生の観戦が滅多に出来ない事もあったので客席は満員だった。アメフトが盛んなのは何故か大阪や京都、神戸などの関西圏で、徹は初めてのライブに興奮していた。同行した友人も、初めは渋々だったのが試合中から徹に負けず劣らず大声を張り上げ熱い声援を送っていた。
試合の余韻に浸りながら帰途についた徹の携帯に野上からメールが入った。
「楽しかったか?」と尋ねる風のそれに、メールを打つのももどかしく「聞いてくれよ!超興奮した!!」と会って直接この興奮を伝えたいと返した。

串焼き屋の次は中華飯店に連れて行かれた。
飲茶や定食なんかが近隣に勤めるサラリーマンの懐にも優しいとあってそこそこ受けている。土曜ともなれば、近くの大型電気量販店に買い物に来た人々がなだれ込んで、相当な混みようだった。
騒がしい店内で徹は試合の様々なシーンを語って見せた。
じりじりと進むタッグ、徐々に侵されて行く陣地、攻守が入れ替わる瞬間、そしてトライ。
力のぶつかり合いだけでなく、策や掛け引きなどもこのスポーツの醍醐味だ。俺はああした方が良かったんじゃないかと思うと、徹は己の読みを野上相手に次から次へと語った。
そして野上は最後に「良かったな」とだけ応える。
「は〜、もうすっげ楽しかったよ!ありがとうな、野上さん」
「そんだけ喜んでもらえりゃ、本望だ」
「何かお礼がしたいんだけどなあ、売れっ子作家にしがない学生の俺が出来る事っつってもな…」
「子供がいらねえ気ぃ遣うな」
「うわ、ムカつく!何その言い方!!」
怒鳴ってみてから、ふーんと唸って冷めかけた小龍包をポイと口の中に放り込んだ。
「何か、欲しいもんはねえの?」
「間に合ってる」
「困ってる事とか」
「順風満帆だ」
「…人間ひとつぐらいままならねえ事あるだろーが!」
「………」
凝っと野上に見つめられた。
何だよ?と思って見返しているとふ、と鼻で笑われた。
「生憎、何もかも足りてるんでな」
「うわ〜厭味な大人だぜ〜」
そう言えば、徹は野上の私生活や交友関係を知らない。
売れっ子作家だと言うのは本や雑誌などでちょくちょくその名を見かける事があって分かるが、それは仕事の顔だ。そして、その世界で名を成した彼には足りないものなど何もないのだろう―――自分と違って。
「野上さんの趣味は?」
それでも徹は食い下がって来た。
「仕事が趣味だとかは抜かすなよ」箸の先を向けつつ、更に釘を刺す。
野上は片眉を上げて苦笑した。降参だ、と言う意味で両の掌を上げて見せる。
「観葉植物を集める事、かな」
「うっわ、地味!つか、何そのハイソな匂い!!」
「植木鉢ぐれえならしがない学生さんにも買えるだろ、そいつで許してやるよ」
「あーあー、さいですか!お金持ちは言う事が違えなあ!」

帰りの電車の中で徹は観葉植物の事を色々調べた。携帯のウェブサイトにはどんな情報も載っていた。その種類、特徴、価格帯、そしてそれを扱う都内各所のフラワーショップ。通販も出来るのか、なら直接野上の部屋に届けてもらう事も出来るな。値段もそんなに高くない…と言う事は分かってて野上はそれを口にしたのだろう。ちょっと納得行かない気もするが、本当の事なので仕方ない。
どんな見た目の観葉植物があるのか画像を検索していた。
―――あ、これ知ってる。
と思って手を止めたそれに、もう徹は決めていた。

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