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―記念文倉庫―
1●
その蒼白い影に包まれた開放的な空間で、蠢く影があった。
壁の一面が全て厚さ3センチ程もある複層ガラスで覆われており、そこからレインボーブリッジを含む東京湾が一望出来る。街はようやく起き始めるかどうかと言った頃合いで、ぽつぽつとビルの窓の明かりが灯り始めるのと同時に、屋上の赤い航空障害灯も未だゆっくりと点滅を繰り返していた。
と、そこへ、
青より青い紫紺の景色の前に、若い男の体がシルエットとなって仰け反った。長い溜め息と共に。
その呼吸はしかし、全力疾走の後のように乱れていて、仰け反ったかと思うと直ぐに踞る。
鋭利に切り取られた横顔からは透明な雫が滴った。
「…ま、だっ…ぁ、も…う…っ!」
その唇が意味を成さない言葉を紡ぎ出す。
「まだだ…」と低い男の声が応えた。
更にす、と下から無骨な手が伸びて来て青年の頬を覆う。かと思うと髪を掻き退けながら後頭部を抑えられ、出し抜けに下へ引き倒された。
何処までも沈み込んで行くようなシーツの海の中に放り込まれた青年はその肩口に、首筋に、胸元に、男の口付けを受けた。
ぐったりした体を力強く割り開いて、男は緩やかに動く。
「ンあっ!…ぁあ、あ、はぁ…!」
律動に合わせて声も途切れがちになる。
鎖骨から耳の下までをねっとりと舐め上げられ、息を呑んだ所に耳朶をしゃぶられる。もう、全身が汗なのか、男の唾液なのか分からないものに塗れてぐちゃぐちゃだった。
「はあ…ぁん、や…あっ」
裏返った声が女のように鳴きながら、もういい加減終わらせて欲しいと懇願する。
今や体中の何処もかしこもが性感帯となって、男が何をしても体は激しく反応する程だ。
「や…ぁ、も、や…っ」
揺さぶられて無我夢中で男の背に縋り付いた。ガリ、と青年の手が男の背に爪を立てて血を滲ませる。
「こ、じゅろ…っ」
最後に一言喚いた声に男は刹那、固まった。
その名を呼んだ口を塞ぐように男の唇が押し当てられて、青年は果てた。

清潔なシーツに取り替えられた同じベッドで、青年は斜めに差し込む朝日に顔を顰めた。
白熱の陽光色に照らし出されてもその空間だけは蒼に沈んだままで、濃紺を基調として設えられた家具は未だ夜の余韻に浸っていた。
彼の体も。
無理な体勢を取らされ、長時間強張っていた体のあちこちが悲鳴を上げている。
―――…加減ってもんを知らねえ…。
三つ程重ねられた枕に背を鎮めて心中で呟いてみる。
そこへ、身なりを整えた男がコップを片手にやって来て、ベッドの上の青年に差し出した。
「無理そうか?」と問われて、こくりと無言のまま頷く。
「学校には連絡しておく、今日は休め」
ニベもなく言い放って背を向けるのへ、
「野上さん!」と青年が声を放った。
「…あのさ、あんま休むと、単位取れなくなるんだけど」
「―――」
振り向いた男、野上幾久は冷ややかな視線を投げやって徐に口を開いた「なら、体を鍛えろ」と。
「んな!」
憤慨して文句を言い放とうとするのへ、野上はさっさと背を向けてしまった。
「ちょっと、又出掛けんのかよ!仕事は?!」
「…その仕事だ」
戸口でほんのちょっと立ち止まった時にそう返しただけで、やはり彼は出て行ってしまった。

ぐはあ、とか何とか言い放ちながら枕の上に仰け反った青年は、走った痛みに固まりながら思い出す。この体に覆い被さって来た男の肩の逞しさを。
文系とは思えない体つきだ。ゲイの中には男の肉体美に酔いしれる者が多くいると言う。野上もそんな一人なのだろうか。
それで、あんなに激しくしても終わった後はしれっとして仕事に出掛けられるのか。
あんなに、しつこくて―――。
そこまで考えて、思わず顔に血が登る。
枕を抱きかかえて、そこに顔を突っ伏せる。
あっという間に魅せられていた。恋に落ちたとはこの事を言うのだろう。青年自身には全くその「気」はなかったのに。

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