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―記念文倉庫―

学校へ行く途中の街路樹が、葉桜になっていた。
もう白い花弁は緑の葉の間に一割程ちらほら見えるばかりだ。
「政宗は部活何にするか決めたの?」
と成実が尋ねて来た。
気になるものが一つあった。だが決めかねていた。
何より。
黙って右目を覆う眼帯に手をやる政宗を見やって、成実は少し表情を曇らせた。身体的ハンデがある。その事が本当は成実が表の世界に出たくなかった理由なのだが、それを誰かに話した事はなかった。もう、出て来てしまったのだ、言っても仕方ない。
何はともあれ、部活を決めるその一つの山が越えられれば政宗の不安定さは納まる筈だ。
いや、政宗が迷っているのは身体的ハンデの為ではなかったろう。心の中で何かがブレーキを掛ける。その何かが分からないので苛々が募り、更に不安定に拍車を掛ける。傍らで見ている限り、成実にはそのように感じられた。
だが今日は違った。
「決めた」
「え?!何?何にしたの?!」
「あとのお楽しみだ」
言って、唇を噛もうとしてやめた。
小十郎の指を噛んでしまった昨夜を思い出したのだ。無意識にしていた行為を意図的にやめる。その事でどれだけ気が楽になるか、他人には分からないだろう。
人間は不思議な生き物だ。

放課後。
政宗は校内のとある扉を開けた。彼に続いて成実もその戸口を潜った。
「真田幸村」
唐突に呼ばれて、部室にいた数人の生徒たちが一斉に振り向いた。その中でも、最も印象的な眼差しを持った少年が凝っと政宗のそれを貫く。
政宗は剣立てから一本のレイピアを抜き取った。
「演台に上がれ」
授業の一環で一通りの部活内容を体験させてくれたのは、入学して一週間の体育の時だ。その際、この同じクラスの少年は眼帯をした政宗と演台に上がる事になった。しかし、ふざけた話に右利きの彼が左手で剣を取った。右で剣を構えたら政宗が見えないだろうと言う配慮ではあった。
その事がいたく政宗のプライドを傷つけた。
「右手を使え」と言っても戸惑うばかりで彼は言う事を聞かない。そんな幸村を、心の優しい少年だと思う者もいるだろう。だが政宗は「ふざけるな」と吐き捨てて、その時だけ授業をサボタージュした。

その幸村が部活にフェンシングを選んでいた、何の因果か。

二人は、30センチ程の高さのステージに登った。
部屋の奥で顧問の上杉がそれを眺めていて、だが彼は制止する素振りを見せなかった。
幸村はまたしても左で構えた。
入部して二、三日しか経っていない筈なのに、それはとても様になっていた。
対して、政宗は右に構えた。
非道くやりにくい、と互いが同じように思う対峙だった。
―――コイツをやり込められないぐらいだったら、俺は何も出来ないただのグズだ。
形式も何もあったものではない。政宗は下げていた切っ先を出し抜けに跳ね上げた。幸村は軽く仰け反ってそれを避けた。
見よう見真似の動きで数合、激しく打ち合った。
練習に励んでいた他の生徒たちも手を止めて、その鮮やかで大胆な試合に見入っていた。
部屋には二人の息遣いと、ステージを踏みならす足音と、鋼の刃がかみ合う音だけが響いた。
視野が極端に狭い己の右側を敵に向けて、無造作にレイピアをしならせる政宗。研ぎ澄まされた集中力は視野では捕らえきれない別のものを捕らえていた。
目の前の幸村の動き、その予備動作。足の運び、唸る剣刃、肌を刺す闘気。
眼で見るものには頼らず、そう言ったものが政宗が感じる世界を広げている。その中で対峙する少年の意図を読んだ。
生温い攻撃に対して、強烈な突きと払いを連続で食らわす。
審判がいればポイントを取って二人を一度引き離すだろうが、彼らは黙って打ち合いを続けた。
まるでどちらかが倒れた時こそ、終結の時だと言うように。
政宗の切っ先が幸村の眼の下の頬をかすった。
幸村は顔を歪める。
彼は、相対する片目の少年の本気を感じ取っただろう。
細かく足を踏み込みつつ、上下左右に変化する連続技を見舞い返した。相手が退いた機を掴んで、彼は終に剣を右手に持ち替えた。
その隙へ、鋭い突きが叩き込まれる。
幸村は体を一回転させてそれを間一髪で避けた。
「分かり申した、伊達政宗どの…!」
ギン、
と、幸村の両眼が輝いた。
腹の底から絞り上げるような雄叫びを上げて、幸村が利き手で打ち込んで来る。それは先程までの比ではない力強い攻撃だった。
「そうこなくちゃな!」
カッ、
と頭と胸に瞬時沸き上がるものがあった。
彼らが放つ闘気に周囲が圧倒される。近付くどころか気圧されて数歩後ずさる程に。
―――へえ。
と成実は口笛を吹いた。
こんなに熱くなっている政宗など、ずっと一緒だった成実ですら初めて見たのだ。しかも、対戦する相手も同じくらい、いやより以上に燃え滾っている。二人の間に火柱、あるいは火花が散っているのが見えそうだ。
―――良いライバルになりそうじゃないの。
二人の眼には互いの剣の切っ先と相手の目しか映っていない。

ガン、ガン、ガン

およそ有り得ない音を立てて、レイピアの刃は打ち合わされ続けた。
「そこまで!」
涼しげな喝破に我に返る。
そこにいた誰もが、彼が何時の間に壇上に上がったのか分からなかった。あれ程二人の試合に見入っていたと言うのに。
しかしそれ以上に愕然となったのは当の本人たちだ。しっかり握っていた筈の剣は二人の手から離れて、更にステージからも転がり落ちて、今は遠く離れた床の上だ。
ひゅん
レイピアの刃を一閃させて、顧問の上杉謙信は冷たい瞳を二人の生徒に当てた。
真剣勝負に水を差された二人は、未だ熱闘の余韻にあって呆然と荒い息を繰り返していた。その政宗を振り返って上杉は、切れ長の眼を政宗の制服の胸ポケットに当てながら言った。
「にゅうぶきぼうですか、だてくん」
典雅な話し方をする男だった。
ただしその腕は今見せた(いや、見えなかった)奇跡から計る事が出来た。政宗は尻ポケットから一枚の紙切れを取り出して、彼の目の前に突き出した。
「よろしく頼む」
「よろしく頼みますぞ、伊達政宗どの!!!」
上杉の向こう側から幸村が声を張り上げた。
「よろしく」上杉は静かに言って微かに笑んだ。「まず、ぼうぐというものがあることをまなんでいただかなければ、ならぬようですね」
「う」と唸ったのは幸村だ。
彼は白いフェンシングスーツを纏っているが、マスクやジャケットと言う防具までは身に着けていなかった。政宗に至ってはブレザーの制服姿のままだ。
バツの悪い思いで幸村の方を見やると、向こうもこちらを盗み見ていた。
目が合って、幼い顔の彼はその印象そのままの笑顔を見せた。
闘っている最中の真剣な表情と打って変わったそれに、政宗も破顔するしかなかった。


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