[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―

とりあえず領地売買の問題は棚上げにして、と言うか驚愕の中に霧散してしまった。
何処から来た、どうやって来た等の小十郎の質問攻めに幼い梵天丸はむっとして答えず、むしろ「お前こそだれだ?」と聞き返して来たものだ。
「私は片倉小十郎と申します。梵天丸様が八つになられる頃に、輝宗様より近侍を仰せつかる事になります」
未来の事として自分を語る奇妙さに眩暈を感じながらも、自分の声色が大層柔らかくなってしまうのは仕方ない事だ、と思った。
「じゃあ、梵のこと、ずっと見てたのだな?」
「はい、片時も離れず」
「…どうなのだ…?」
戸惑いがちな問いに、小十郎は首を捻った「どう、とは?」
「―――梵は…梵は立派な領主になれてるか?」
小十郎は思わず、子供の向こうの政宗を顧みた。
どうやらこの青年が自分の15年後の姿だとは露とも思っていないらしい。まあ確かに、一国一城の主とは到底言い難い軽装なので分からなくもない。
小十郎は我知らず笑みを漏らして答えた。
「名も元服してより政宗様と改められて、ご立派に勤めてらっしゃいますよ」
驚愕から冷めた政宗はこの様子を苦々しげに見ている。
「…そうか…」ぺたり、と座り込んで梵天丸は安堵の溜め息を吐いた。しかしすぐに必死の形相を持ち上げる。
「きっと、たいへんな苦労をするのであろうな、梵は?」
「………」
これにはすぐに返答できなかった。
梵天丸が右目を亡くす流行病に罹ったのはこの年頃の事だ。また、彼の父・輝宗が亡くなったいきさつもある。それを今この幼い主に語るのは余りに憚られた。
「どなたが領主になるにせよ、余人には計り知れない呻吟難苦を味わうものです。それは梵天丸様も同じ事」
「そうであろうな、なみなみならぬ苦労をこえてこその領主といえような」
必死に言い募る梵天丸の抱く不安が、ありありと見て取れる。小十郎は新鮮な想いを噛み締めつつ続けて言った。
「その通りにございます。そしてこの小十郎は常に貴方様を支えて参る所存なれば、梵天丸様におかれましては心置きなく人の上に立つ者としての心得を学んで頂きたく存じます」
「そうか…たのみにしてるぞ、小十郎」
そう言って、ようやく見せた笑顔には何処にも陰りがなくただただ眩しかった。小十郎もそれに釣られて実に穏やかに微笑んだ。
「I cannot keep company with you!!(付き合ってらんねえ)」
と叫んで立ち上がった政宗が、呆気に取られる小十郎と梵天丸をよそに足音高く部屋から出て行ってしまった。
「…小十郎、あれはだれだ?」
思いっきり訝しげにそう尋ねられて苦笑を禁じ得ない。小十郎は梵天丸の為にゆっくりと答えた。
「あの方こそ政宗様。梵天丸様の15年後のお姿です」
「え―――…」
幼い子の表情が固まった。
梵天丸は政宗が立ち去った孫廂の方へ首を伸ばした。再びその子が小十郎を振り向いた時、半ベソを掻いていたのに小十郎はぎょっとなって眼を見開いた。
「うそだ…。梵、あんな風になってしまうのか…?父上のようにはなれぬのか?」
うー、と言って泣き出してしまった子供を小十郎は慌てて抱き寄せた。自然、紅葉のような小さな手が、小十郎の着物をぎゅっと掴んで来る。
「輝宗様は輝宗様、梵天丸様はお父上とは違った道を歩んで行かれるのです。それが貴方様らしいのですから…」言いつつ、嗚咽を漏らして苦しそうに喘鳴する背を優しく撫でさすってやった。
「梵はだって…父上のようになりたいのだ…」
―――――ああ…。
と小十郎は胸の裡だけで嘆息した。
輝宗の激しさと優しさは威厳と言う形をとって結実していた。孤高の戦いを挑まれた時も、彼の側に回った者たちは皆、そんな彼に主君の才を見抜いていた筈だ。それを、この幼き主人はやがて己が手で―――。
言うべき言葉が見つからなくて、小十郎はその豊かな黒髪をゆっくり何度も何度も慰撫するだけだった。


「何やってんの?まさむー」
誰もいない回廊の途中で、襖に体を預けて突っ立ていた政宗にひょいと声がかけられた。
政宗はびくりと肩を震わせる。
ゆっくりと、ぎこちない程ゆっくりと振り向いた領主の表情に成実は思わず後退る。
「ま…筆頭…?」
史上最低に機嫌が悪い政宗を呆然と見つめる成実。
「Goddem…」喉の奥でぼそりと呟く政宗、パリパリとその体にまとわりつく雷電――――。
成実は逃げ出すタイミングを計りながら、それでも恐ろしさに彼に背を向ける勇気を持てなかった。非道く陰気な、執念深い視線に己がそれを絡め取られたまま、成実は乾いた笑いを引きつらせながら口元に刻んだ。

その日、城中に響き渡る誰かの悲鳴を家中の者全てが聞いたとか、聞かなかったとか―――――。

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!