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―記念文倉庫―
12
伸びやかな四肢、成人に限りなく近いが未だ若竹のしなやかさと柔軟さを秘めた体躯。そして、細面に整った目鼻立ちをくっきりと刻んでいるのに関わらず黒い眼帯で隠されたままの右目。―――あの幼い梵天丸と老長けた輝宗の面影をも持ち合わせながら、別種の奇跡的な造形を成された瑞々しさ。
「新玉の竜神降臨を言祝ぐぞ」と先ず、その青年に声を掛けたのは天神だ。
アルケーの見た目年の変わらない古狸に、親しげに肩を叩かれ招き寄せられた若い竜神が、衝撃から目覚めた体で今歩み寄って行く先にいた男を視界に入れた。
その唯一の左目が細められる。
竜は、その代替わりの時に先代の竜神を喰らう、と言われている。
実際は、その能力の源であるアルケーを一身に注ぎ込まれて竜神の長に相応しい器を手に入れるに過ぎないが、今、目の前にいる新しい長は明らかに父輝宗のアルケーも姿も与えられてここに在った。
「名は」
沈黙を破って天神が明るく問うた。
「政宗」と竜神が応えた。
応えてから、今初めてその存在に気が付いたように天神を振り返る。
「あんたは…天神…」
「家康だ。ま、過去積もる話も色々あるだろうが先ずは祝着至極。…儂は昔の事など拘っておらんから後でゆっくり考えると良い。だからホラ、今は今とこれからの事だ」
そう言って促されたのは、床に跪いたまま固まっている男の前だ。
促されるままに歩いた竜神の長は、鬼小十郎の前に膝を折った。そうしては、男の顔をまじまじと見つめて来るものだから、小十郎は目のやり場に困って視線を落とした。
正直、反則だ、と思った。
つい先程までは、己の両腕で抱え上げられる程の小さな蛇体であったのに、いきなり成獣の、しかも"長"として現れた。その上アルケーの姿もいたいけな子供だったものが、当然の如く麗しい青年に成長している。
記憶の中の"梵天丸"と目の前の"政宗"とがなかなか重ならない―――目眩がしそうだった。
小生意気で負けん気の強い跳ねっ返りに、僅かなりとも心が傾きかけていた男の庇護欲、のようなものが、行き場を無くして彷徨っていた。
それも知らぬげに尚も男を凝視していた青年が、終に破顔した。
「良いぜ、小十郎。俺が太陽を落っことしかけたらお前が拾ってくれんだろ?」
「………」
彼の上機嫌な台詞に小十郎は問うような眼差しを投げた。
「ついでに、夜の月も俺が運んでやる。お前は俺に付いて来い」
男の眼差しに向かってニヤリ、と不適に微笑みながら竜神はそう言った。そして「おい家康」と天神を軽々しく呼ぶ。
「そう言う訳だから、こいつを蔵王山から解放しろ。常に俺の横に置いて蔵王山より厳しく拘束してやるからよ」
この竜神の台詞に天神は呵々大笑した。
「それは良い!絆の力程強い拘束力はないからな。小十郎どのももう過去の戒めから解放されても良いだろう」
「そいつはこれから俺がゆっくり絆してやるさ」
「言ってくれるなあ…。それなら独眼竜、お前に取られた儂の"宝珠"も返してはくれんか?」
「そいつはダメだ。手前みてえな腹黒い狸に表に出て来てもらっちゃ困る」
「…え、あ〜そうか、まだ暫くは地下暮らしかあ」
「もう少し待ってろ。待つのは得意だろ」
「まあなあ…」
すっかり打ち解けた竜神と天神の様は、年の近い青年の姿をしている事もあって、長年気の置けない友人同士のようにすら見えた。そうして交わされる会話が己に関わりのある事のようでいて、自分だけが覚えていないと言う不条理に、何かしら苛立ちを覚える。
「おっと、ムクれんなよ小十郎。とっとと上に戻ろうぜ」とすぐ様青年が小十郎に向かって言い放って来たのには、思わず息を呑んだ。
自分の気持ちを顔に出したつもりはなかったのに。
「すっかり手綱を握られてしまったようだな、小十郎どの。地上の事は政宗を支えて2人でしっかり治めてくれよ?」
色々納得が行かないまま、竜神に腕を掴まれ、天神に背を押されて七色のカーテンから放り出された。
忘れていたが、そこではアルケーの身体を蝕む空間が男を包み込む。
『おっと』と言う声は、忽ち巨大な蛇体に姿を変えた竜神の、凶暴そうな口から溢れたものだ。
それと同時に、ごつごつした木の幹のような竜の掌の中にがっしと閉じ込められる。そこが蒼白い瑞雲で満たされれば、男の苦痛は遠退いた。
『お前たちも来てたのか』
嬉しそうな台詞が飛ばされた先にいたのは、ここまで主のアルケーを連れて来た小鬼たちだ。小十郎が七色のカーテンの中に引き込まれた後、心配でじっとしていられずその周囲をぐるぐる回っていたのだ。それを見つけた竜神が、面白そうに爪先で突つく。
唐突に現れた竜神に逃げを打っていた小鬼たちは、その声と、その眼差し、左側しかないそれにはたと我に返った。
『ぼ、梵天丸様?!』
『良かった!生きていなすったんですね!!』
『…てゆーか、ちょっと見ない間にまたずいぶんと……』
ちょろちょろと何もない空間を飛び跳ねる小鬼らが口々に喚く。それを皆まで聞かず、大雑把に振るった前脚に小鬼らを掴めるだけ掴んだ竜神は、地上を目指してざっと駆け上がった。
『残りの奴らは自力で上がって来い!雲海も通れるようにしてやる』
そうした力強い宣言と、小気味良い笑い声を残して。

常に黄昏色した雲海を突き抜け、一気に天空の高みまで昇った竜神は、日没時刻間近の大地を満遍なく見て回った。
傷ついた大地、傷ついた人々。
そう言った表現が相応しい疲弊し切った有様が、陽のない闇を透かして見て取れた。特に竜神の勘気を買ったのは、戦場の跡だ。無為な屍体がゴロゴロ転がる山野に、飢えた鴉や肉食の獣たちが群がる。
『あーあぁ、ひでえなぁ…』
『仲間同士でこんなに殺し合うのは人間くらいのもんだぜ〜』
『何もこんな時に戦なんかしなくてもいいのになぁ』
竜神の掌にしがみついていた小鬼たちが口々に零す。
それを聞いているのかいないのか、宝玉で出来たような竜の顔面は動かない。だが、
『ちったあ、おしおきしてやんなきゃならねえみてえだな…』
そう呟くなり竜神は、暗雲の中で一閃、身を翻らせた。
すると、竜巻を生んでいたスーパーセル内部を雷電が奔り、その中から一筋二筋が地上へと溢れる。

ドン、ドン、

とそれは狙い過たず、最上・茂庭両家の本拠地、特にその城の天守閣に真っ直ぐ落ちて、それを瞬時に破壊してしまった。
「…ま、政宗様…!何て無茶な事を…!!!」と小十郎が堪らず悲鳴を上げれば、
『は!俺は親父みたいに甘かねえんだ!』と悪びれもせず竜神が返す。
ひゃっほー!と気勢を上げたのは小鬼どもだ。思わず小十郎は己が手下どもを睨みつけてやったのだが、それにも気付かない程小鬼たちは興奮していた。
確かに竜神は個体によってその性質を異にすると聞いていたが、と男は閉口するばかりだった。
徐々に消えつつあるスーパーセルから飛び出した竜神は、そんな人の気も知らずに、今度は蔵王山へと向かった。
その僅かな沈黙の間に若い竜神の胸中をどのような思いが去来したのか―――。
やがて、青年は言った。
『小十郎、立て直すぞ。俺の大地を』
「………」
竜神の鬣にしがみついて、其の首筋に跨がっていた男から返る言葉はなかった。
『そして、もっと広げて行く』
「……広げて…?」
『天空から見て端から端まで見通せねえぐらいでっかく、な。どうやらこの広い空の中には、ここ以外に別の大地もあるって話だ。そいつらとも協力して』
「―――…」
『バカな話だって笑うか?』
「いや……」と言い掛けた男は「いいえ」と言い直した。
「政宗様が目指される天地を、俺も見たい、と思います」
男が口調を改めたのは、彼が己の分を弁えたからだったが、竜神はそんな様に少しの間口を噤んだ。
そうして、やがては強がりに鼻先で笑ってみせる。
『他人事みたいに言うな。お前も手伝え―――当然だろ?』
「―――は…」
『まだお前から色々教えてもらわなきゃならねえ』
「政宗様…」
『蔵王山だ。そろそろ月を運ぶだろ、行くぜ』
するり、とひと呼吸する間に、蔵王山の筆を立てたような威容が眼前に迫った。
そうすると、"それ"は彼らの視界に飛び込んで来た。蔵王山の麓で跪き、無様な形で崩れかかった鬼小十郎のエーテルであった座像だ。
その傍らに立つ百姓屋を、二柱の神と小鬼どもは見た。
無理やり動けない筈のエーテルを動かした果てに、躓いた座像が辛うじて、それの上に崩壊を齎すのを避けたのだ。
「政宗様」と男は長い黒い鬣に指を埋め、額を押し当て呟いた。
「最後に一度だけ、俺に月を運ばせて貰えませんか…?」
『……いいぜ』
応えるなり竜神は、直下の座像に向かって急降下した。
背を丸めて踞った小山よりも大きな岩の塊にぶつかる、と思った直後、男の視界は見慣れたものを捉えた。
鬼小十郎のエーテル、その恐るべき高所から眺め下ろす大地の灯火、山の稜線、薄く棚引く雲、雲海との領海線。それに天空を漂う金や銀の絹糸のような神気だ。
足下を見下ろせば、蚤の如く小さな小鬼らが、嬉しげにぴょんぴょん飛び跳ねていて。
エーテルの身体の中をしかしその時、見知らぬ力が溢れ返っていた。熱く熱く、燃え上がる程のそれは、電光石火の如く鬼小十郎の中を走り回る。
ああそれが、若い竜神の長が持つ情熱なのだ、と気付くと、己を内側から焼き焦がしてしまいそうな程のそれをしも、愛おしく感じた。
竜神のエーテルと混じり合った感覚に酔い痴れながら、その夜、小十郎は鬼小十郎としての最後の勤めを果たした。



半月連続した天災の挙げ句、最上・茂庭両家の天守閣に落雷があって後、月日の運行が正常化した。
この事から、竜神を怒らせた事実を身を以て味わった両家は、慌てて同盟を結び、再び戦をする事はなくなったと言う。
蔵王山そのものは、急峻な山容が人の立ち入りを拒んでいたが、鬼の住処として畏れられていた周辺の森は解放され、その恵みを近くの集落に暮らす人々に齎すようになった。
ただ、特に蔵王山の麓、もと鬼小十郎の座像があった辺りは、人間たち自らが禁足地と定めて滅多な事では踏み入れない。
何となれば、そこには小ぢんまりとした百姓屋の他に、何時の間にか立派な屋敷が建ち、人の姿をした竜神と鬼神、そしてその手下の小鬼どもが仲睦まじく暮らしている、と言われていたからだ。

小さな箱庭が、天空から見下ろしてもその端が見極められない程の規模になったかどうかは未だ、人々が知る由もない。
何時か人類が天空を越え、宇宙に飛び出した時に分かる事だった。
そしてこれは、そうして神々が人の傍らから消える前の、お話―――。



          FIN.

20130508
  SSSSpecial Thanks!!


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