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―記念文倉庫―
11
崩れる太陽と、粉微塵に飛び散る子竜の影を、小十郎たちは蔵王山の中腹で見ていた。
『こ、小十郎…様……』
『小十郎様……梵天丸様、が』
『あの子竜が…神、去っ…』
3匹の小鬼が言い終える前に、男の姿は不意に消えた。
風が舞う。
下界では嵐を呼び起こす暗雲が再び巻き起こっていた。
呆気に取られて固まった小鬼らの足下から、今度は地響きが突き上げて来た。
月を担いで鬼小十郎が立ち上がる―――蔵王山の麓に封じられ、昼間である今は座像の姿で沈黙している筈のそれが。
鳴動はしかし、強堅な岩盤で出来た巨像が崩壊を始める音だった。
強堅なもの程実は脆い。
指先が落ち、その腕が崩れ、両足が身体を支え切れぬ程にビシビシとひび割れる。
小十郎は、クソの役にも立たないエーテルを放棄した。
卑小な人間と似たアルケーの姿に戻ると、無様な形で跪いた己が本体を捨て置き、一目散にある場所を目掛けて駆けた。
小鬼らがそれを追う。
蔵王山の森の各所に散っていた他の小鬼らも、人里に出て人間たちの様子を見ていたものも、次々と己が主に続いて1つの目的の為に、駆けた。
彼らが雲海に達した時には群雲のような一軍となっていた。
一方、雲海には当然のように鬼たちの眼前に立ちはだかる竜神族の、小山のような巨体の数々があった。
鬼小十郎は、背に負うていた竜神を唯一殺せる剣を抜き放つ。
男は至極冷静だった。
人間の子供の魂が飛び去るのを見送り、子竜の壮絶な最期を見届け、我を忘れたようでいてその実、冷静だった。

ただ一つ―――、何もかもを失う覚悟は出来ていた。










大地の裏側には、獣の牙のような山脈が垂れ下がっていた。
生き物の姿も気配もないと思われたそこに小さく見えるのは、今はもう地上から消え失せた絶滅種たちの影と名残だけだ。それが、垂れ下がる峨々たる山の連なりの間に見え隠れしながら、漂いながら、不意と現れ、不意と消える。
餓えと怒りを示す雄叫びは木霊のように遠く頼りない。
そして、垂れ下がる山並みの真下には、七色のカーテンを揺らめかせるものがあった。
オーロラのような形のそれは、天神の姿を覆い隠す帳であり、その周囲をぐるりと取り囲んで竜神の長、輝宗の姿はあった。
彼らは微動だにせず、ただ空間の揺らぎのままに漂うだけだった。当然のように会話がないのも、人間が意思疎通をするような形で言葉と言うものをやり取りする必要がないからだろう。
神々の大長考は長い。
数百年でも数千年でも瞑想に耽る。
だが、その時の静寂は禅問答のような深遠なる会話の為ではなかった。その証拠に、小鬼らに支えられ、守られながら小十郎のアルケーがそこに至った時、止まっていた流れが再び動き出した。
『おお〜、来た来た。遅かったな、小十郎』などと、神の威厳も何もあったものではない輝宗の声が出迎えた。
『ボロボロではないか、小十郎どの。ま、こちらへ参られよ』
続く明るい声は七色のカーテンの中からして、そのカーテンがゆらゆら揺れながら開かれた。
小十郎は霞と消え失せそうな肉体と意識を総動員してそちらを睨みつけてやった。
天神の姿を見たものは滅多にない。人間が語る神話伝説の類いでは、銀色の狐だとか、白い狼だとか言われていたが、今、七色の帳の中に見えたものは、ちんまりした普通の狸、だった。
「―――手前らがぼやぼやしてる間に地上で何が起こってたか知ってんだろうが…」と男は食い縛った歯の間から唸り声を零した。
小十郎のその台詞に竜神と天神は意味ありげに視線を見交わした。
やがて『その事で話があるんだ、小十郎どの』と、ちんまりした狸が何処か苦笑混じりに告げた。
『ともあれ、竜神一族をぶちのめして来てアルケーのままでこの空間に在るのは辛いだろう。中に入れ』
天神の鷹揚な申し出を鬼小十郎は聞こえない振りで頑なに拒んだ。が、身動きもままならないそのアルケーを勝手に運んで、そっと七色のカーテンの内に押し入れたのは、手下の小鬼どもだった。
雲海に乗り込んで来た時、群雲のように集まった彼らも数十匹を残すだけになってしまった。その彼らは最後の最後まで己が主とその身を第一に考えて行動した。
小鬼の手を振り払えもしない小十郎は、如何にも仕方ない風を装って下ろされたその場に何とか腰を落ち着けた。油断すると意識もアルケーも霧散してしまいそうだった。
見た目を裏切り、カーテンの中は寝殿造りの豪奢な様相を呈していて、広々としていた。それを見渡した小十郎は、砂のように崩れかかったアルケーの身体を庇って床に手を突き、何度か深呼吸を繰り返した。
「大丈夫か、小十郎どの」と声を掛けつつ、男の目の前にさっと腰を下ろしたのは、闊達な瞳をした精悍な若者だった。
大地の色、黄金の衣を軽く羽織っただけの肉体は、眩いぐらいものの見事に鍛えられていた。それが、天神のアルケーなのだと気付くと同時に、男の左手にも同様に腰を下ろしたアルケーがあった。
紫紺の直垂を優雅に纏った偉丈夫の姿を持ったその男が、あの子竜の父親に当たる竜神の長、輝宗だった。
輝宗は、鬼神と目が合ったのを確認して微かに微笑んだ。
「…いろいろ私に言いたい事はあるだろうが、先ずは礼を言うぞ」
にっこりと、それは邪気のない笑顔であっけらかんと告げるその様が憎い、と男は思った。
「何年振りだろうか、こうして三柱の神が顔を合わせるのは。輝宗どのは代替わりされて久しいが、記憶は竜神の長の中で引き継がれるとか。小十郎どのとの闘争はそれこそ懐かしいだろう!」
更には、久しい友人を招いて座談会を開いたかのような天神のはしゃぎぶりだ。小十郎は己の意識がはっきりして来ると共に、渋面を刻んで二柱の神と対峙する腹を括った。
「その小十郎は私たちと果たし合いでもしたさそうな面持ちだがな。小十郎、私は長の地位を梵天丸に譲る事にしたぞ」
「―――は?」と言った途端に張り詰めた息が抜ける。
「賢しいそなたならすでに気付いているだろうが、梵天丸の病は人間たちが諸々の禁忌を犯した事によるものだ。本来なら、禁を犯した人間に対して長たる私が神去って彼らを困らせるのが定石なんだがな。…何故か梵天丸の方に"しるし"が出た。だから私は自ら"隠れた"」
古来から"見るな"などの禁忌を犯した人間は、せっかく手に入れた瑞祥や宝玉を取り逃がし、後に1人残される孤独に甘んじなければならなかった。一方、瑞祥や宝玉に象徴される神の恵み(あるいは神そのもの)は消え失せてなくなる。
昔語りに語られる、浦島太郎の玉手箱しかり、鶴の恩返しの鶴しかり。
神去る事はすなわち、死だ。
後継である梵天丸が成獣となる前に輝宗が神去っていたら、いずれにせよ今現在と同じように陽のある昼に太陽は昇らず、人間と動植物を天災が襲った事だろう。戦で生命を落とそうと、自然災害で苦難に喘ごうと、生け贄と雲海への侵犯と言う禁を犯した人間たちにとっては自業自得以外の何ものでもなかった。
竜神は、自分の告げた言葉が男の中に滲み渡って行くのを見届けて、続けた。
「私たち竜神が何故一族を持ち、雲海を泳いでいるかは、そなたも知っているだろう。雲海は太陽の苗床、それを常に撹拌して日々新たな太陽を造らねばならない。それには手数がいるからな。月が蔵王山の山塊を元に精製されるのとは違って」
「…しかし、梵天丸様はついさっき、無理に太陽を背負って…!」
「さて、その事よ」
小十郎の声を遮った輝宗は、懐から扇子を取り出し、むしろ上機嫌に言い放った。
「のう、天神の!私の予想通りだったであろう?」
「そうだ、小十郎どの!儂も輝宗どのから相談を受けてな、考えた」
応じる天神も至って明るい笑顔だ。作り物のように完璧だ。
「―――何を?」と小十郎はそんな胡散臭い二柱の神を視界に入れて問い返した。
応えたのは輝宗だった。
「梵天、独眼の竜と成りて天翔けよ」
「………」
「それともこのまま、天災を齎し続けて地上から人間を一掃するか、梵天丸どのに決めさせようではないか、とな」と輝宗の言葉を受けて、天神の太々しい笑顔が迫る。
「なあ、梵天の見事な飛翔を見たか、小十郎!」と嬉しそうににこにこ微笑みながら、こちらもまた詰め寄って来る竜神に、男は思わず身を引いていた。
「我が子なれど、あの幼さで晴れ晴れしいものだった!初めて太陽を精製する竜は他の者に手伝ってもらうものだが、梵天は1人で天空にまで持ち上げた!!私はあのひたむきな姿に感動したぞ!そう、人間たちの為に我が身を省みなかったあの子の願いに!」
「梵天丸どのが人間を許し、太陽の運行を担う事に躊躇いがないのは、儂も良く分かった!」と天神も続ける。
「"しるし"は我が子梵天に選ばせよ、と言う意味だと天神は言ったのだ」
「うん、梵天丸どのは人間たちを見捨てても救い上げても神去る定めだったからな。なら、どうするかをここで竜神どのと共に見届けようと言う事になったんだ」
小十郎は二柱の語る"運命"を我が耳を疑いながら聞いていた。何故このような試練を与えるのか、と言う疑問なら答えは分かっている。
言葉は嘘を吐く、だが、究極追い詰められた時に掴み取る選択肢は嘘を吐かない。
そう言う事だ。
呆然としたまま言葉を失った男に対して、輝宗がそれまでとは違った眼差しを寄越して来た。
「そなたが神との約束よりも他に大事なものを見つけた事を、私は同じように嬉しく思う」
「―――…」
「本当に…岩のような小十郎どのがあれだけ優しくなるとはなあ」と、天神がそれを受ける。
「………っ!!」
狸と蛇とに挟まれて、鬼小十郎に返す言葉はない。
地上や天空で起こった事共は、この地下にいて何でもお見通しと言うのも我慢ならなかった。その上で、こうして目の前でニヤニヤされては口角をひくつかせて忍辱するしかなかった。
そうやって一頻り、鬼小十郎の反応を楽しんだタチの悪い竜神は姿勢を正しつつ軽く息を吐いた。
「長の地位を譲るにしても梵天はまだまだ幼い、このままそなたに任せたぞ」
「は?!」
今度こそ絶句した。
そのまま時が止まったように、見つめ合った。小十郎は顔の筋肉が弛緩したように間抜け面で、輝宗は、非道く優しげな表情で。
その顔が瞬時に精悍なものとなる。
「竜神は代替わりする」
輝宗の凛とした宣言と同時に、空間を圧して鋭い光輝が満ちた。
思わず目を閉じ、押し飛ばされそうな身体を支えて床に手を突いていると、その輝きはふと落ちた。
長押に掛けられた青々とした御簾がはためき、几帳や壁代がふわりと翻れば、その光の断片がちらちら瞬きながら消えて行った。
その後に静寂の帳が落ちる。
はっと気付いて男が竜神の長を振り返れば、しかしそこに見知った姿はなく、代わりに、同じ紫紺の直垂をしっとりと纏った若々しい青年が呆然と突っ立っていた。
その様を口をあんぐり開けて見つめる間に、じわじわと驚愕が広がって行く。




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