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―記念文倉庫―

学校から帰って来た政宗は、先ず成実の部屋に直行した。
ちょうどその時、従兄弟は眠っていたので寝顔を見るだけだった。でも、その様子もうなされている訳でもないし、安らかな息遣いだったので一先ず安心した。
また、風が強くなっている。
都内のどこもかしこも桜の花は満開だ。その美しい花弁が無惨に散らされているのを、今日も学校で見た。残酷な筈なのにその様は胸を打たれる程儚く、夢見心地に美しかった。
咲いても散っても、その花は美しい。
殊に、風に流されくるくる回りながら路傍に舞い落ちるのは、死を予感させるだけに禍々しさと相まって幽玄の趣があった。
それを見ていると、訳の分からない不安に胸が締め付けられる。
散る花弁に自分が吸い込まれて行くようだった。
もう二、三日の間に花は散り終えるだろう。それを引き止めたいような、いやむしろ早く散ってしまえと言うようなもどかしさが鬱積して行く。

深夜、小十郎の部屋の扉の前でふと我に返った。
―――自分は何をしていたんだろう、と思い、そうかベッドの中で寝付こうとしていたのだったと気付く。
そこへ人の気配を察したのか、中から小十郎が扉を開けた。
「寒いでしょう、中へ」
静かな声で言われて、何となく気まずい思いもしながら扉を潜った。
「小十郎、成実は」
「今日は良く休みましたから、明日には学校に行けますよ」
「そ、か―――良かった」
ベッドに腰掛けた政宗の前に、小十郎は立った。
「お休みになられますか?」尋ねながら膝を折って、政宗を見上げる。
尋ねられて、唯一の片目が揺れた。
「…風がうるさくて眠れねえ」
「ああ、桜が散ってしまいますな、短い命だ」
顔を窓の方に向けて耳を澄ます小十郎、少年は何となくその左頬の傷を眼で追った。蘇る忌まわしい、記憶。
振り向いた小十郎の視線がふと落ちて、政宗の足の指に気付いた。小十郎はベッドサイドのチェストから小物を取り出して、政宗の足下の床に腰を降ろした。
「いいよそんなの、自分でやる」
「いけません、適当に切り過ぎですよ」
ゴミ箱を引き寄せて、パチン、パチンと少しく爪切りの音が室内に響いた。嵐は逆に遠ざかった気がする。
小十郎の膝の上に足裏を置いて、右手で柔らかい指を一本一本支えられながら左手の爪切りで几帳面に爪の形を切り揃えて行く。足の位置を変える時にくすぐったい所を掴まれて、それを表に出さないよう堪えたりする。
この男といると不思議と安らぐ。
桜が散るのも風流じゃないかと思えて来る。
伸びた爪を切った後、爪切りに付属したヤスリで切った断面を丁寧に研いで行く。
欠伸が出た。
この男は慎重すぎる。
「寝ましょう、明日も学校ですから」
タイミングを見計らって小十郎は声を掛けた。そうして促される先が小十郎のベッドだったので、政宗は少し慌てた。
「いや―――もう俺と一緒なんて邪魔だろ?今までフザけ過ぎた。成実と一緒だったから、何となくノリで」
「小十郎は嬉しかったですよ、幼い頃はお二人とも背伸びしてらしたから」
言う割にちょっと辛そうなのは何故だろう、と政宗は思った。
「―――迷惑、だろ?」
「全く」
「みっともねえって思わないのか?高校生にもなって」
「…不安、なのでしょう?」
「………」
「いずれ時が来たら納まります。それまで政宗様の不安はこの小十郎が貰い受けましょう。ですから―――」
小十郎が捲った布団を、政宗は逡巡しながら眺めていた。
風が荒れていた。
小十郎の顔を見る事もなく、政宗はそこへ足を滑り込ませた。続いて小十郎も彼の隣に横たわる。三人で寝るより多少はまともだった。
リモコンで明かりを消した。
すると早速首っ玉に抱きつかれた、そうしていれば不安は小十郎に移って行くとでも言うように。
小十郎はただその肩に腕を回した。
「―――畜生…」
と政宗は微かに呟いた。
そんな様子に、小十郎はチクリと胸が痛む。
「…何だろうな、俺。…自分が訳分かんねえ……」
首に縋る手に力が籠った。
「俺こんなに弱かったか?…本当にガキみてえ…」
「ご自分をお責めになるな」
「……畜生…」
小十郎は、少年の肩を抱く手に力を込めるのではなく優しく撫で摩った。
政宗は寄り添うと言うより体半分を小十郎のそれに乗せているような形だ。彼の腰骨が脇腹に当たって少し痛いくらいだ。片足も小十郎のそれに絡んでいて、こんな状況でなかったら非道く艶かしい。
「…政宗様」
促すように言って小十郎は自由な方の手を伸ばした。その親指で彼の俯いた顎を上げさせる。
「唇を噛む癖が」シルエットになって分からないが、息遣いで何となく知れた。不自然に乱れている。
指の腹でそのまま探ると、意外に肉厚な下唇の内側がぷくりと膨れていた。やはり切れている。それを何度も繰り返して、治りにくい傷になっているようだ。痛々しい。
唇の中の粘膜をそのまま撫でていたら、歯で指先を緩く噛まれた。生温い息がかかる。
「いいですよ」
何が、とは言わずにそう告げると、戸惑いながら徐々に力が加わって来る。
がり、と痛い程に歯を立てられ、しかしそれでも小十郎は手を引っ込めなかった。
がりり
容赦のない圧迫。肉が破れそうだ。
痛みと言うよりそれはビリビリとした痺れで、熱いのか冷たいのかも分からなくなって来る。
ぎゅう、と暫く力は加えられ続け、それがさっと離れるとぶわと感覚が戻って来た。熱さと痛みとが同時に蘇る。じんじんと痛んだ。
その指先を濡れたものが舐って、かと思えば酷く柔らかいものに包み込まれた。
「―――!」
支えるように広げられた舌が唇の中で指の腹をゆるゆるとなぞった。皮膚が破れた訳ではないが、その痛みを労るように―――小十郎を誘う媚態のように?
男がおかしな行動に出る前に唇は指先から離れて行った。その口が動いて「小十郎」と言った。
「何でお前はそんなに俺を甘やかすんだ?」
囁くような声は、再び小十郎の肩に伏せた顔の下から聞こえた。
流れる艶やかな黒髪を梳こうとしてやめた腕は、自分の腹の上に落ちた。


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あきゅろす。
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