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―記念文倉庫―

蔵王山の天を突く程の山容の、中腹辺りに男の姿はあった。
そこからなら仙台と山形両方の地勢が見渡せる。本来なら陽のある天にはその影も形もなく、漆黒の空に墨を流したかのような暗雲が覆い被さり、ひっきりなしに雪を降らせている。
僅かに明るい灰色の影は、それ1つ1つはほんのささやかなものだった。だが、丸一昼夜降り続けば小さな集落1つ飲み込むのに足りた。
―――文七郎の奴がアルケーに姿を変えて、あの子供たちがいた村を尋ねたんでさぁ…。
小鬼の何時になく深刻な表情を眺めながらその話を聞いた。
雲海に船で乗り出すのに、数百人にも上る若い男女を生け贄として捧げた。例えば打ち壊した天竜神社の跡地に生き埋めにしたり、造船した後に雲海へ乗り入れた最上川の河口に、人柱として石に括りつけ生きたまま沈めた、そう言う話だ。
人間と言うのはどうやら、自分の力と手の届かない存在を見るとそうした不文律を作るものらしい、と言うのは人と最も近い所で暮らして来た鬼小十郎だからこそ理解できるものだ。
―――だが、気に食わねえな…。
人間の生死は今でも地下で大地を支える天神が掌管している筈だ。生け贄などと言う形で運命を定められているのなら、その死は、天神の成せる業だとでも言うのか。天神が人間に働きかけて、竜神の領域である雲海に乗り出す事に手を貸したのか。
最悪な想定の1つとしては、竜神と天神が敵対し、今の立場が強制的に入れ替わるのではないか、と言うものだ。
そうすると、竜神を唯一斬れる剣を持つ己を味方に取り込んでおきたいと思うのは自然の理だ。その為に我が子梵天丸を人質に差し出した、とも見て取れる。また、鬼小十郎を蔵王山に封じたのは天神だ。それを解放してやるから天神側に付け、と誘われたら鬼がそちらに靡くかも知れないと危惧を抱くのも頷ける。
神々が互いに不可侵を貫き通し、この小さな箱庭で安定した平穏な歳月を送って来たと言うのに、何ともキナ臭い話だ。
ふと、意識の端に神気を捉えた小十郎は、最上領の方角に目を凝らした。
寒河江盆地の辺りから山を越えてふらふらと飛び来る蛇影があった。雪幕を縫って何やら惑いつつ、徐々に近付いて来る子竜の姿は、世界に比して未だ頼りない。
それへ向かって男は指笛を放った。
何十キロと距離のある中でそれを聞き分けた梵天丸が、真っ直ぐ蔵王山中腹に向かって飛翔して来た。そして、ハイマツだけが生い茂る狭い足場にアルケーに変じながら降り立つ。
その高貴な姿をした少年が、今自分がやって来た方角を憧憬に満ちた左目だけの眼差しで顧みた。
標高2000メートルを超えるそこで、鬼神の庇護による穏やかな風が吹く。高く結い上げた黒髪が緩やかに踊り、少年の薔薇色の頬をくすぐった。
それを少し離れた所から見ていた小十郎はやがて、同じように下界へ視線を投げやりながら尋ねた。
「人間の子供たちはどうした?」
その問いに、少年はぎゅっと唇を噛んでから応えた。
「親戚がいるっていう町につれてった…」
「まあ…それで十分だろうな」
男自身もそのように行動しただろう。褒めたつもりで返したら、さっと振り向いた少年が流れる前髪の下から男を睨みつけて来た。
一体なんだ、何か気に障る事を言ったか?と内心息を呑んでいると、少年が言った。
「家を作るぞ、小十郎」
「……は?」
「お前のエーテルの足下にまずはひとつだ。小鬼たちにてつだってもらう」
「ちょっと待て、何で家なんか…!」
必要ないだろう、と言い掛けた所で梵天丸は崖に向かって走り出した。
「もう決めた!反対するならいれてやんないからな!!!」
その言葉を残して、斜面の途中で地面を蹴ると一気に下降しながら少年の姿は竜のそれへと転じた。
ざっと空を切って蔵王山の周囲を旋回しつつ遠離って行く蛇影を、男は呆然としながらただ見送るだけだった。

下界では静かに静かに白い凶器が降り続ける中、鬼小十郎のエーテル、座像のある狭い足場に、小鬼たちが切り出して来た木材がせっせと運ばれて来ていた。
決して平坦ではない凹凸な岩場に、蔦や羊歯が生い茂っているのを刈り払い、大きな岩を協力し合って退けては運んで来た土を流し込む。それを、自分の身体より大きな木槌で突いて、固めて平坦に均す小鬼の姿もある。竜神の子供は、蛇体を利用して体を巻き付けて木材を運んだり岩を移動させたりと、自ら率先して働いた。小鬼の中でも特に、佐馬助、文七郎、孫兵衛と言う名の者たちと何時の間にか親睦を深め、楽しげに会話を交わしながら、だ。
小十郎は蔵王山の中腹から降りて来て、自らの座像の足下に腰を下ろしてそれを眺めていた。
一体どんな家を作るつもりなのか、傍観者の体だった。
だが、拓かれて行く土地がどんどん広がり、そこへ集められる木材が見る見る幾つもの山を作るのに至って、冷や汗を感じながら小鬼の一匹を呼び寄せてみた。
「…おい文七…、家って武家屋敷が御殿でも作るつもりか?」
男の問いに小鬼はへらり、と笑って応えた。
『まさか!そこらの百姓が住んでるようなあばら屋ですぜ、小十郎様。どうやらあの人間の兄弟から話を聞いて、梵天丸様もそこで暮らしてみたいって思ったらしいんでさぁ』
「…………」
小十郎は両手で頭を抱えた。
そんな様子を、文七郎は真っ黒な顔の中のギョロ目をくりくり動かしながら眺めている。
「…だったら、今の木材の半分で立派なもんが出来上がる。土地も、百姓屋の他に小せえ畑が拓けるくらい、十分だ」
『え?!本当ですかい?!!!』
バカが、と呟いて小十郎は、その小鬼の顔面を鷲掴みぐらぐらと揺らした。それを押し退け、懐から紙と筆を取り出す。
主が紙面に何事かを素早く書き付けて行くのを、文七郎は興味津々と言った様子で見守っていた。男が顔を上げた時、小鬼どもの姿はあっという間に増え、周囲を取り囲まれていた。その中には竜の子供もその蛇体を伸び上がらせて覗き込んでいる。
それへ、幾枚もの紙片を差し出しつつ男は言った。
「必要な木材と加工法、組立法だ…。手先の器用な奴が鑿や小斧を使って組木を作れ。力仕事が得意な奴は先ず、基礎を固めて深く杭を打ち込め。―――土地も木材ももう十分だ」
わっと歓声が上がって、主人の手から紙片を放ったりくりつつ小鬼と子竜は喜び躍り上がった。
一体何の為にわざわざ百姓屋を作るのか、あの人間の子供たちがどんな事を語って聞かせて、子竜がその中の何処に魅力を感じたのか。
男はさっぱり理解出来なかったが、まあ、こうした雰囲気もたまには悪くない、と思った。

夜になって雪は止んだ。
鬼小十郎がエーテルの巨大な体で下界を練り歩くと、本来の季節、本来の気温が戻って来るので、積もった雪が溶け始める。
それがポタポタ雫を滴らせるのを横目に、のしのし歩く鬼神の肩の上で、子竜は大口を開けて大欠伸をかました。むにゃむにゃ口の中で何事か呟いた後に『小十郎、おなかすいた』と当然のように呟く。
昼間の内にはしゃぐだけはしゃいで、すっかり疲れ切ってしまったようだ。
切り出した木材を建材に使用出来るように四面を削ぎ落とし、角材にする所までやったら時間が来た。少しの小鬼が残って作業を続け、梵天丸は月を運ぶ男に付いて下界の様子を眺めた。
と言うか、人間の打つ大太鼓より大きな肩にべろんと伸び切った体をしなだれかけて、長い髭と尾の先だけをふらふら揺らしているだけだが。
そんな様を横目で見ながら小十郎は、常のように眉間に皺を寄せたが、口元は奇妙な形に歪んだ。
そんな己を誤摩化すかのように、そこら辺に漂っていた金糸を殊更ぶっきら棒に掴み取り、子竜の目の前に放ってやった。金糸は竜神の食餌の中でも最も好物になるものだ。梵天丸は、そのむっちりとした短い前脚を必死に伸ばして、掴み取ったそれを思い切り吸い込んだ。
はふん、と言うような至極満足げな溜息が漏れて、子竜は再び鬼神の肩に長々と伸びた。
『眠いなら蔵王山に寝床を用意させてやったのに』
子竜から眼を反らして何気なく呟かれた台詞に、梵天丸は少しだけ頭を擡げた。
『……昼間だとゆっくり下界をみれないから…。ホラ、あそこで人間たちがお前に頭さげてる』
言われた方へ視線をやれば、確かに、山の頂きでわざわざ待ち構えていたらしい年配の男女が、雪の上に身を投げ出すようにして平伏している姿が見えた。
人間全てが月や日を運ぶ神々を見る事が出来る訳ではない。だが、勘の良い人間は比較的多く存在し、10人のうち3、4人は太陽を額の上に捧げ持って空を飛ぶ竜や、月を肩に担いで山の端を音もなく歩き渡る鬼の姿を目撃した。
ああした人間を見ると、どうも自分たちは人間の前に姿を現すべきではないのではないか、とも思う。いないのであれば、生け贄を捧げようとも思うまいに。
見渡せば、そこここの村や町で昼の間に積もった雪を掻き退け、屋根の上から掻き下ろし、何とか雪害を逃れようとしている人々の姿が見られた。また、穏やかな夜の内に松明を持った村の男たちが森に入り、木を切り出して薪にする為に己の村に運んでいるようだ。炎の灯りが村落や畑の周囲の浅い森の中を彷徨うのが、雪に反射して幻のように美しく浮かび上がる。
『…明日は、何がおこるんだろうな…』
今にも眠りに入り込みそうになりながら、子竜は最後にそう呟いた。
『…………』
返事をせずにいると、間もなく寝息を立て始めたようだ。
その胴体を摘まみ上げた鬼神は、それをそっと己の懐の中に仕舞った。

鬼小十郎が月を担いで蔵王山の麓に戻った頃、最上川の河口の町、酒田から人間が作った"天神の船"が雲海へと出航した。
地上は、大雨と暴風で大荒れの空模様だったが、ひとたび雲海へ乗り出せば、そこは七色に輝く絹糸のような雲がゆったりと漂う竜神たちの巣だ。太陽などなくとも黄昏のような不思議な光に満ち、麝香のような香りに包まれ、温かく、また涼しげな風が緩やかに吹き渡る。
帆に風を受けて、と言うより、乗組員が掛け声を掛け合いながら櫂を回すのに合わせて、天神の船は雲海を掻き退け進んだ。丸い大地の南方を経巡り、東側の仙台へ向かって。
それも1隻だけではない。旗艦船である特大の豪華船舶を中心に、小回りの効く小型の巡視船5隻、武器や武人を満載した貨物船舶が4隻、その他に海上から砲撃を行なえる戦艦が3隻、の立派な船団だった。
それを、雲海を漂っていた竜神族らが遠巻きに眺めていた。
己らの領域に踏み込まれたからと言って人間を即刻討ち滅ぼすでもなく、好奇心に駆られて船団に近付くでもなく。
感情を窺えない黒曜石のような瞳で、見送っていた。




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