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―記念文倉庫―
14
「お疲れ」
そう言う声に振り向くと、ビルのエントランス影に立つ傘を持った青年が、それをくるりと回して顔を覗かせた。
「佐助、お前もご苦労だったな」
さやか、いや孫一の労いの言葉に佐助は何とも微妙な困り顔を浮かべた。
「いや〜ちょっとは本気で落ちると思ってたんだけどね、残念〜」
「カラスが。詐欺師のクセに余計な色気を出すな」
「ごめんごめんて。でも、黒幕の孫一サンとしては上々の仕上がりでしょ?マジであの2人がくっつくとは俺様でも思わなかったけどさ〜」
「…政宗と何年付き合ってると思う。アニキと呼ばれて付き纏われた子供の頃から」
「へ?……アネキじゃなく?」
「私は男として育てられた」
言いつつ、傘を広げて雨の街へ踏み出した彼女の手から放られた一通の封書を、佐助は慌てて拾い上げた。
中には一枚の小切手。
差出人は雑賀探偵事務所代表、雑賀孫一、とあった。








エピローグ

政宗が本来通っている大学は都内のそれではなく、静岡県にある情報学部が充実した所だ。コンピュータシステムやソフトウェアサイエンスなどの方向で将来、働く事を視野に入れている。
父がそれに合わせてIT企業を設立するのを目論んでいる事は知っているが、出来るなら既存の大手会社で己を研磨する事を望んでいた。大学も父の知り合いのいる筑波ではなく静岡を選んだのも、その為だ。
男と同棲した8ヶ月、都内の大学に通っていた間に休学していたそれを復学して、ひと月経った。ふと、6月初めにイギリスで開催された地球サミットで経済学国際会議シンポジウムが行なわれたばかりだ、と言う淡い考えが脳裏を過った。
だが、毎日の講義と自主研究とに忙しい日々を送っていた政宗は、余り深くそれを掘り返す事もなかった。
さして多いとは言えないが心置きない友人に恵まれ、親切な教授らに後押しされて自分の道を突き進んで行く。子供っぽさが消えなかったり、自分に正直な所や、大人になりたがっている若者たちの群れの中で、別の空気を呼吸しながら、でもだ。
山の中を切り拓いて広大なキャンパス空間を設置された政宗の大学は、今が新緑の盛りの時期だった。梅雨の降雨も山の緑を日々鮮やかにさせる。
緑の光、緑の風、それらに包まれ二十歳前後の若者たちが笑顔で闊歩するそこここに、夏の気配は濃厚だった。

山間を渡る風が吹き抜ける。

それに頬を撫でられながら、政宗はふと顔を上げた。
キャンパスの校舎と校舎とを繋ぐ道往きの途中だ。政宗と同じように行き交う生徒や教授の姿も少なくない。
その中で彼の姿を見つけたのは、ただシルエットだけではない、顔かたちだけでもない。見て触れて感じた、彼の全てを覚えていたからだ。
彼は両手に大きな段ボール箱を抱えてキャンパス中央方面に向かっているようだった。
ふ、と通り過ぎる時に風が香った。
懐かしい香りだ。
すれ違い様、目が合った。
彼は政宗に微笑みかけた。翳りのない、嘘偽りのない瞳で。
「後で図書館に来てくれ」とそう、囁きも残して。
なけなしの人脈を使って大学の人事に手を出したのは自分の父だった、と言う事実を政宗が知るのは暫く後だ。今は立ち去る男の後ろ姿を見送って、自分の胸の中にも吹き渡った風を感じていた。

それは、ゆっくりと降り積もりながら過去の傷を塞いで、新しいものを招き寄せるものだった。
狭い舞台小屋は取り壊された。
台本を捨て、その風に身を任せよう。

『月が奇麗だ―I Love You―』

"I Love You."―――この異国の言葉を"我君を愛す"ではなく、"月が奇麗だ"と訳すようにと学生に教えたのは、夏目漱石だと言われている。日本人の感性ならそれで伝わるだろう、と。
小十郎は、それをそのままストレートに言えないだけの過去を持つ、と自身を戒めていた。
そしてあの時、政宗にもそれが分かった。
それで良いのだと思っていた。



          FIN.

20130413
  SSSSpecial Thanks!!


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あきゅろす。
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