[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―
7●
伊達政宗の父親、伊達輝宗はその昔、大手の証券会社を営む社長だった。
昭和初期には生命保険や銀行などの業務で東北地方随一の規模を誇る大会社だったのが、昭和20年代に投資信託業務の認可を受けて正式に証券会社になり、更に東京証券取引所の正会員となった。そこから大阪名古屋など各大都市の証券取引所に上場。その後、輝宗の代には国際化への発展を著しく遂げていたと言う。
一方、政宗が生まれるのと前後して父輝宗は養子を取っている。これが片倉小十郎だったそうだ。
小十郎の養父、茂庭良直と輝宗は、その証券会社の中で役員同士であり、支え支えられる無二の親友だったが、これが亡くなった為に引き取ったのだそうだ。
しかし政宗が3歳、その小十郎が13歳の時、飛んでもないことが起こった。
証券会社が倒産する、と言う事態だ。
原因は株の暴落や債券市場の混乱と言ったものではない。
証券会社の業務の主なものは、株式や債券などの有価証券の発行体と投資家を結び付けて手数料を取る事だ。この場合、もし証券会社が倒産しても投資家には殆ど影響はない。売買される株券は、株式会社証券振替機構(通称ほふり)と言う別の機関に預けられており、株券が強制執行の対象となる事はないからだ。
証券会社のもう1つの業務として、会社の資金で株式や債券を売買する「自己売買」と言うのがある。実際の資金の何十倍、何百倍と言った高額の信用取引きだ。こうした取引きは社内のプロ中のプロが行なうので大抵利益が出るようになっている筈だった。
これを、輝宗の会社は失敗して大損失を出した。
「犯人は片倉小十郎だった」と父輝宗は政宗に説明したそうだ。
彼が「自己売買」の専属ディーラーを何らかの方法で操作し、無謀な買いをした為に伊達証券は倒産、自己廃業に追い込まれた。
そしてその直後、小十郎は姿を消した。
もともと小十郎は養父から英才教育を受けていて、その才能は13歳と言う若さにして茂庭良直も輝宗も目を見張るものがあったそうだ。輝宗はそんな小十郎の未来を嘱望して、彼を養子として自分の手元に引き取ったと言うのもある。
世間体を憚って事実は隠された。
大失態を犯した輝宗は、幼い息子と妻を連れて隠れるようにして東京に移り住んだ。そこで自主廃業の事務処理をしつつ、株主の損害賠償を求めた訴訟からずるずると続く裁判に関わり、およそ10年もの歳月を経てようやく、会社は完全に消滅した。
たった3つの幼な子だった政宗に当時の記憶はないが、自主廃業してからの両親や、重役たちの苦労は目にして来た。犯人が小十郎だと知って仕返しを決意したのは政宗が小学校に上がった6歳の頃で、年々その思いは募り続けた。そして、自分の力で小十郎の消息を追い駆け、その素行調査を終えたのが現在、21歳の大学生となったこの時期だった。
勿論、幼馴染みの雑賀孫一の協力なしには得られなかった結果だ。彼女の父もまた、輝宗とは懇意にしていた取引先の銀行家であり、投資家であり、友人だったのもある。
手堅い仕事をして来た輝宗がそんなミスをする訳がないと信じていた、と孫一は語った。その孫一の父も今は亡き人だ。
この協力者の事を政樹は半兵衛に匂わせる程度に表現しておいた。自分の背後にもっと別の大きな存在がある事を示しておくのは、この際保身の為に必要だった。
それともう1つ、片倉小十郎と言う男が、投資詐欺師を詐欺に掛けるクロサギだと言う事も伏せておいた。これも別の機会に使えるカードだったからだ。
神経を磨り減らすゲームの展開が政樹の脳裏を過った。この緊張感を常に感じながら詐欺師は仕事をこなすのか、と思うと目眩がしそうだった。

「成る程、復讐、ね…」
話を聞き終えた半兵衛は、そう呟いた。
「納得した…君が自分の身体を投げ打ってでも、こんな手の込んだ事を仕掛けた理由がね」
そうしてにっこり微笑んでは紅茶を啜る。
政樹も1つ肩の荷を降ろした気分になってほっと一息吐いた。
だが、そんな青年に対して半兵衛は刹那、鋭利に切れる眼差しをちらと寄越しやった。
「…存分にやってやると良いよ。彼の心を惹き付けておくだけ惹き付けて、ズタズタに切り裂いてやると良い…」
そう続けて言う若い助教授を、思わず政樹は顧みた。
2つの視線が絡み合う。
「その失意の内に僕から良い話を持って行けば、案外、簡単に彼を手に入れられるかも知れないから」
見つめ返す半兵衛の艶やかな笑顔は、しかし、その目だけが笑っていなかった。

竹中半兵衛の研究室を出た政樹は、何処をどう通ったのか記憶も定かではないまま、小十郎が勤める大学図書館に至った。
そこはコンクリート打ちっ放しの壁とアーチ型にくり抜かれた柱の連続が美しい、シックモダンなデザインを成されている。
政樹が小十郎の部屋で同棲するようになってから気付くのだが、それは彼の部屋と同じデザイナーの手による特徴的な空間だった。男がこの静謐として広々としたデザインを気に入っているのは明らかだった。
そこで思い思いの本を広げる学生たちの間を縫って歩いて、政樹は司書官が詰めている受付に至った。
手にしていた本が重い。
文学部であると言う設定の政樹が、ここで前回借り受けたものだ。福沢諭吉全集の一冊で、著名な「倫敦塔」などと共に随筆なども納められている。
福沢諭吉と言えば、万札の顔として有名だ。
経済と言う得体の知れない世界で、目に見えない数字を操る魔術師たちの幻想が青年を捉えた。
マネーゲーム、などと言う言葉もあるくらいだが、それを高度に論理的な解析で法則性や社会性と言ったソースにまで落とし込む経済学は、正にそんな魔術師たちの巣窟のように思えた。
投資詐欺師を詐欺に掛けるあの男は言うなれば、その上前をはねるシーフ、と言った所か。それが今、魔術師に魅入られ、捕われようとしている。
ガラス張りの受付の向こうから政樹を見つけた男が顔を上げて、それは嬉しそうに微笑んだ。
彼は普段、黒縁の眼鏡を掛けていて、外している事の方が珍しいのだとは、付き合い出してから分かった。
その顔が、心が、悲しみと痛みと口惜しさで歪む様を思い浮かべて、政樹は不意に胸に沸き上がって来るものを感じた。
人を騙すと言う事は、人の心を踏みにじると言う事は、何と酷い行為なのだろう、と。
それは全くの今更で、他ならぬ目の前でぎょっとしたように顔を強張らせ、慌てて受付から出て来た男が、過去政宗の家族にした仕打ちだった。
政樹は、受付のカウンターに思わず突っ伏していた。
―――ああ、だとしたらやり遂げなければ、と思う。
復讐と言う目を覆いたくなる動機だとしても、男にもこの気持ちを知る義務がある、とそう自分に言い聞かせつつ。

その決意は、佐助の言葉に対して抱いた意地より強かったと見える。
週に1回か2回会って食事をしたり何処かに出掛けたり、月に2度3度、体の関係を持つような"清い交際"を始めてから4ヶ月、年越しと初詣を彼と過ごした時に同棲する事を提案されて、1週間後に承諾した。
そして今現在、桜が咲いて早くも散ってしまった4月半ばまでそれは続いている。
佐助の言った"スパイスを効かせる"タイミングを計る日々だった。
「新鮮さが色褪せるって…どうやって分かるんだよ」と定期的な状況報告で政宗は佐助に尋ねた。
同棲を始めてから既に3ヶ月経った頃の事だ。
佐助は答える。
「そうね〜…例えば、恋人のちょっとした変化に気付かなくなった時かな」
女性だったらちょっと髪型を変えた、化粧やネイルを変えた、服装のテイストを変えた、などに当たるだろうが男である"政樹"にそんな演出は出来ない。
「じゃあ、シャンプーとか入浴剤なんかを変えてみたら?それか、シェービングローションとかね。下着のブランドでも良いよ」
言われた通りやってみた所、小十郎は直ぐに気付いた。
風呂上がりの政樹を捕まえて両腕に抱き込み、「今夜はシトラスっぽい香りか?お前の汗と混じるとどんな風になるんだろうな?」とか囁かれて男のベッドに連れ込まれた。その後は、香りの事なんかどうでも良くなるような激しい愛撫の連続だった。
また、朝の寝起きに政樹が夕飯の残りで小十郎の弁当を用意していた時の事だ。背後からのしかかって来た男がおはようの挨拶を囁いて、その後直ぐに「前のは肌に合わなかったのか?今朝は奇麗に仕上がってるな」と顎の下と腰とを撫で回して来た。これはさすがに出勤前だったので邪険に突き退けたが、出掛け際のキスは何時もより深く長いものになった。
「…何ソレ、逆効果みたいじゃない…」とさすがの佐助も呆れた程だ。
男は恋人の微妙な変化にすぐ様気付くどころか、その事で政樹が自分の為に身だしなみを整えている、と思うらしかった。そして、その事が愛しさに拍車を掛ける。
政宗は口を歪めて腕を組んだ。
それが如何にも可笑しかったのか、傍らでブレンドコーヒーを啜っていた孫一などはひっそりと苦笑を零していた程だ。
それでも政樹は忘れた(と思われる)頃に、何かを変えてみる事を試みた。

「政樹、もう昼過ぎたぞ」
そう言って揺り起こされた政樹は、枕元にあったデジタル時計を視線だけで探した。見れば、12時40分。寝入ったのは朝方、いやもう8時を過ぎていたのだから、4時間しか寝ていない。
日曜の朝は、同棲を始めてからと言うもの起床するのが昼過ぎになってしまう事が続いたが、今日、と言うか昨夜は常にも増して寝るのが遅くなった。
他でもない、小十郎が寝かせてくれなかったからだ。
「……まだ眠ぃ…」と毛布の中でもそもそと言う政樹。
先にベッドから抜け出して着替えを始めていた小十郎が苦笑を零し、ベッドの縁に腰をかけるとその毛布の膨らみの中に両手を突っ込んだ。そうやって、暫く何やらの応酬が繰り広げられる。
「だーっ!!もうっ、エロジジイ!!!!!」
とやがて政樹が毛布を撥ね除けつつ身を飛び起こした。
くつくつくつ、と男は声を出して笑う。
毛布の下の青年は相変わらず素っ裸で、男の手に何をされていたかは一目瞭然だった。
「悪ィ…勝負下着まで用意して、まだヤリ足りねえのかと思った…」
「もう良いよ!仕事あんだろっ!とっとと出て行け!!」
尚も喚けば、笑いを堪え切れなくなるようだ。
ベッド下に放られた政樹の寝間着に紛れてしわくちゃになっているのは、股上の浅いビキニパンツだった。それまで何の特徴もないグレーや黒のトランクスしか使った事のなかった青年が、下肢の毛の生え際すれすれのそれを身に付けていると見るや否や、この男は非常にタチの悪いケダモノと化した。
激しさよりも継続的なしたたかさで、自分の欲を満たすよりも青年が見せる痴態を楽しむ為に、そして何よりも政樹の方からいやらしい言葉を引き出す為に、あの手この手で苛んだ。
政樹の"勝負下着"に応えてやろう、と言う男の主旨なのだ。
散々喘がされた後に身体を掻き回されれば、政樹は乱れに乱れた。
それがまた男を煽る。
欲望の加速はエンドレスだった。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!