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―記念文倉庫―

ガタガタと窓が鳴る。
街路樹が激しく揺さぶられて長い長いざわめきとなる。
車のタイヤがアスファルトを削る音か、雨の音か、はたまた木の葉のこすれ合う音かわからぬ混沌としたものが、部屋の中を満たしていた。
「………」
子供たちの不安がどういったものか、小十郎には正直言って分からなかった。こんな風に甘えて来る事なんて、出会った当初の頃ですらなかった。
七つ八つの子供のくせに、二人は他人に対して壁を作っていた。壁と言うより、二人の子供の中にある何よりも強烈な絆が他の侵入を拒んでいたのだろう。大人の眼のない所で二人は良くいろいろな事を話し、考えた。小十郎はその中へ比較的上手く入り込んだ方だ。
そう言う環境だったと言うのもある。
伊達の屋敷には一種独特な雰囲気があり、ハメを外してはならないような気にさせた。それが伊達家頭首の自宅であると言う無言のプレッシャーだったのだろう。
母親の陰を思い出させる契機、と言うのもあった。
そこで結びついた幼い子らの絆だ、ヤワなものであろう筈もなかった。
それが、ここでは話が違った。
何処かしら感じさせる開放感。
「伊達」の名を知らない人々の集まりである学校。
思い切り羽を伸ばしても良い、と思われる所だった。だが、と小十郎は考える。未知の世界が突然目の前に広がったら人間はどう思うだろうか。先ず警戒し用心し、様子を見るだろう。自分の踏み出した足の下が踏んで良いものなのかどうなのか。
二人の状態は今、そんな感じなのだろう。多分。
小十郎と言うホーム(あるいは足場)を基に、外へ出て行くタイミングを今か今かと計っている。
だから、縋り付きたくなる。
―――そう言うもんなのかも知れんが…。

小十郎は二人を起こさないよう、そろそろと息を吐いた。
すると成実が身じろぎした。そのまま頭を小十郎の上げた二の腕に乗せて来る。ついでに脇腹辺りの寝着を掴まれた。
続いて政宗も。
ぎょっとしてそちらを見ると闇の中、目が合った。―――気がした。
明かりもなく、窓には分厚いカーテンがかかっていて物の輪郭こそ仄かに見分けられても顔の造作までは分からない。そんな中であり得ない感覚を小十郎はこの時雷のように感じていた。
政宗は鼻から息を吐いて成実と同じように、小十郎の肩に頭を乗せた。それからその腕がするりと伸びて来て小十郎の胸の上を這い、反対側の首筋に指先が引っかかる。
首の下から伸びたもう片方の手が、邪魔だとばかりに小十郎の枕を掻き退けて、首に引っかかった指先と組み合わされる。
完全に抱きつかれた。
―――あり得ねえ…。
子犬のように、子猫のように、団子になって身をすり寄せて来る子供たちに小十郎は身動きとれなくなっていた。こんな状態では眼がギンギンに冴えて眠れる筈もなかった。

二人が学校に出掛けた後、小十郎は片付け物をしながらついうとうととしてしまった。そこへ、下の階から若い者がやって来て来客を告げた。
客は虎哉だった。
小十郎たちの部屋と同じフロアにある客間に通された虎哉は、手にしたバッグを傍らに置いて小十郎の差し出した茶を一口、含んだ。男の様子は旅行と言うより、仕事のついでにちょっと立ち寄ったと言う感じだった。
「何ですか、眼の下に隈なんか作って」
彼は揶揄するように口火を切った。小十郎は苦い表情を刻んだまま一言もない。
そんな彼をつくづくと眺めやってから虎哉はゆっくりと口を開いた。
「高校が始まりましたね」
「え?ええ…」
「6ヶ月前の事、覚えてますか?」
「?そりゃあ…忘れる筈もないでしょう」
半年前、政宗はとある外国人に他数名の高校生と共に誘拐された。それを小十郎と綱元とで命からがら救出したのだ。小十郎自身も瀕死の重傷を負って、それはあらゆる意味で大変な事件だった。
「その後のもう一つの事件も含めて、の話なんですがね…」
男のいつもの年齢不詳な顔から、いつもの薄ら笑いが消え失せている。小十郎は何故か不吉な予感に駆られた。
「受験勉強や、そのあとの中学卒業やら引っ越しやらで忙しかったし、近くで見ている限り安定してらっしゃるようでしたので何も言わなかったんですが。ちょっと心配になって様子を見に来たんです」
「…心配って、何がです?」
「気付いてないんですか、本当に?」
「………」
綱元は環境のせいだと言った。
小十郎もそう思う。
誘拐されていない成実も揃ってのあの甘え振りだ、そうだと思いたくもなるだろう。
「あの事件の直後…と言っても彼の快復を待ってからの事ですから、ひと月遅れての事ですが。あの船内で何があったのかを聞き出しました」
「慎吾、からですか」
慎吾は政宗と成実の身辺警護にと付けた、鬼庭良直自身の懐刀の一人だ。彼だけが、船舶と言う巨大な密室で行われた事の一部始終を知っている。
「何があったんです」
「………」
虎哉が言葉を口にするのを躊躇った。
この男がそのような躊躇いを見せるとは、初めてだった。不吉な予感は虎哉の言葉となって形を取った。聞かされた内容に小十郎は愕然となった。
政宗はそんな事をおくびにも出さなかった。いや、むしろ「出せなかった」のか。
続いて、訳の分からぬ怒りが腹の中でとぐろを巻いた。もはや何処にぶつけて良いのか分からぬ怒りだ。
「普通、誘拐されると何日間も、あるいは何ヶ月もそういう緊張状態が続き、救出された後に酷い後遺症を残したりするもんです。政宗様は本当に運が良かった…いえ、優秀な人々に愛されて幸運だった、と言えるでしょう」
「今、政宗様は」
「分かりません。それが政宗様の中にどれだけ陰を落としているのか」
一度視線を落とした虎哉が再び小十郎を顧みた時、その瞳には小十郎がたじろぐ程の強い光が宿っていた。
「貴方が揺らげば、あの方は崩れる」
「―――…」
長い沈黙が場を満たした。
だがそれは、小十郎の中でのみの感覚だったようだ。ふと虎哉の表情から堅い物が流れ落ちると、軽く笑われた。
「何て表情してるんです。もうとっくに覚悟は出来てたのじゃありませんか?」
「…覚悟って…」
「政宗様の右目を切り落とした時にあなた方は繋がったでしょう。そうまるで、母親と赤ん坊が臍の緒で繋がっているように」
ぐ、と小十郎は言葉を飲み込んだ。
―――違う。
とは言えなかった。
そんな神聖で祝福されるようなものではない。
少なくとも自分の方は、もっと汚くて邪なものだ。政宗を貶め、卑しめるものだ。だから、もっともっと鍵が欲しい。心の中の獰猛な獣が暴れ出さないように、もっと頑丈な鍵が欲しい。
「おや、まるで貴方の方がカウンセリングが必要みたいな顔をしてらっしゃる。私で宜しければお話を伺いますよ?」
「け、結構です!」
張り上げた小十郎の即答に男はふふふ、と笑んだ。
「まあ、その愚直さと生真面目さがある意味、政宗様を救ってらっしゃるんでしょうが…。ともかく、気をつけて下さいよ」
「…わかりました」
虎哉の台詞の節々に納得の行かないものがあったが、ここは素直に頷いておくしかなかった。


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