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―記念文倉庫―
5●
頑是無い子供のように喚いている事に気付いていない、青年のその様子を暫く眺めていた男が、手の動きを緩めたのは少し経ってからだ。
最後の悲鳴を呑み込んだ政樹は、両腕で自分の顔を覆って息を落ち着かせようと努めた。右目の眼帯は何時の間にか何処かに失っていた。だから、顔をぐちゃぐちゃにするぐらい自分が大泣きしているのに気付いて、慌てて袖で拭った。
情けない、これでどうやってこの男を陥れるって?
片倉小十郎と言う男の性癖を手玉に取って騙す、それが言葉の上での話で、自分ではない誰かが実行するのだとすれば、至って単純でありきたりな詐欺行為だと思えたのに。
いざ自分がその立場になってみればこのザマだ。
「…政樹」
嗚咽を噛み殺していたら、体にのしかかる重さがふと消えた。
「こんな事、出来るような人間じゃないよな、お前」
「…………」
「俺も馬鹿な事をした…謝る、すまん」
「―――あ、」
声を出すより早く、小十郎はさっさと身を起こした。
「お互い、忘れようか…。俺は世間体が気になってコソコソ隠してるが、お前の若さならちゃんと人を好きになって、カミングアウトして、祝福してもらう事だって出来る筈だ」
まるきり冷静にそう語りながら男は、鏡台の上のティッシュを何枚か毟り取って手を拭った。そしてその箱を、ベッドに身を起こした政樹の傍らに置いてやる。
「そっちの方がお前には似合う」
背を向けたままのその台詞に、政樹は何故か尽きる事のない悲壮を感じた。それは先程、佐助相手に垣間見せた凶暴さとは裏腹に、猛獣を飼う男の孤独な面を不意に見せつけられたようにさえ思われた。
「待てよ!」
呼び掛けた声は、凛、と一本筋の入ったものになった。
小十郎は鞄と上着を片腕に引っ掛けたままゆっくりと振り返った。
「……俺を…このままにしてくつもりかよ…」
そう言って、ベッドの上で恥ずかしげにスラックスの前を広げる青年の様は、男の目にどう映ったのか。などと問うまでもなかっただろう。彼はその場に荷物を捨て去ると、足早にベッドに歩み寄り、ざっとばかりに政樹を押し倒した。
「………」
「―――…」
見つめ合ったまま、数呼吸。
先に折れたように溜め息を吐き出したのは、小十郎の方だ。
「…まったく…自覚がねえってのは、恐ろしいもんだな…」
「な…何の事だよ…?」
「いいか…」と言って新たに息を吸い込み、何やら説教でも始めようとした男が口を閉ざした。
そして、涙で瞼や鼻の頭を真っ赤に腫らした青年の顔を、フットライトの僅かな灯りの中で確かめるようにまじまじと眺める。相手は喧嘩でも売るつもりのように、目を見開き眉間の皺を深めて小十郎を凝視していた。
「いや…いい……」
結局は、再び溜め息混じりの台詞が落ちた。
その双眸がギラリ、と輝いて青年の左目を貫けば、それまでの常識的な好青年の素振りが消えて獣性が、目覚める。
「今度はどんなに泣き喚いても止めてやらねえからな…」
「………だ」
自分が何を言い掛けたのか分からないまま、歯がぶつかるぐらいの勢いで唇を塞がれた。その傍らで青年の身体を弄る手があれよあれよと言う間に制服を脱がして行き、己もまた邪魔だと言わんばかりにシャツやスラックスを剥ぎ取って行った。
そうして重なった素肌の思ったよりも熱さに、柔らかさに、政樹の矜持も吹っ飛んだのは言うまでもない。
息が止まる程強く抱き締められて、上ずった声が更に詰まるくらい強く肌を吸われて、正しく翻弄された。
知識では知っていたものの、男同士の交わりがどう言ったものなのか体に教え込まれて、やはりあられもない拒絶の言葉と必死の抵抗を試みた。
無駄な抵抗だった、と言える。
ぶるぶると震える体を包み込んだ男の腕と体と、浮いた腰を支える膝とは、どんなトレーニングをすればこんな万力のように抑え込めるのかと言う程で、苦痛と混乱が青年を圧した。
それもやがて慣れる程に時間が経てば、主導権を握っている男の思う通りに身体の中を掻き回される。その時に感じたものを何だと言えば良いのか、政樹は当てはまる言葉を思い付かなかった。
頭の中も、目の前も、真っ白になった。
そして男の宣言通り、どれだけ泣き喚こうと許しを請おうと、果てる事のない快楽に叩き落とされた。
政樹が初めての行為だとしても、途中一度ストップした上での破壊的な誘い文句だ。青年が顔を歪め身を捩らせ「このエロジジイ、死ね、タコ」と連発しようと、その手を男が緩める事はなかった。
むしろ、小十郎は後半その抵抗を楽しんでいた節がある。
最終的に文句も出なくなって、やけに湿った喘ぎ声の中に青年が溺れてしまうと、こんな事を政樹の耳に吹き込んで来たのだ。
「このまま、俺のものになっちまいな」と。
政樹は、体を揺らされながらそれにコクコクと頷いたり、イヤイヤと首を振ったり、男の言葉の意味を捉える事も出来なかった。

ホテルの一室に差し込む陽射しにピリ、と目が痛むのを感じて政樹が目を覚ますと、室内を満たす真夏の眩しさに眼が眩んだ。その割りに体感温度はひんやりとしていて、上身を起こして納得する。クーラーの効いた部屋に自分は全裸で毛布にくるまっていたのだ。
―――全裸?!
はたと我に返って、暢気に現状把握していた自分を殴りつけてやりたくなった。
そうだ、昨夜はあの男を引っ掛けるために文字通り体を張って。
バサリ、
そう言う音にびくりと肩を跳ね上げ背後を顧みると、身支度を整えた小十郎が眼鏡を掛けて読んでいた新聞を畳んだ所だった。
何故こいつはとっとと部屋を出て帰らなかったのか、といたたまれなさと同時に腹立たしい思いが一瞬腹を満たした。だが、それは何とか抑え込んだ。
この後が佐助の筋書きの勝負の1つだった。
「あ、あの…すみません。俺、眠りこけてて……」
しおらしい態度を何とか取り繕ってそう声を掛ける。
男は、その相好を崩す事なく眼鏡を取り去り、鏡台前の椅子から立ち上がった。そうして、ベッドに腰掛けて左手を伸ばして来る。思わず政樹が身を引いたら、手はそのままに凝っと見つめられた。
何とも対処の仕様がなく、政樹は大人しく体を戻した。
「怠くないか?」
そう尋ねて来たのは青年の額に手をやって熱を計るような仕草をしながらの事だ。
怠い、と言えば体のあちこちがギシギシ言っているが、発熱から来るようなものでもない。だから政樹はただ黙って首を振った。
「バイト、サボらせちまったな。俺から店の人間には話をつけておく。…今日は入ってるのか?」
「いや、入ってない…です」
「…………」
ぎこちなく応える青年を小十郎は再び見つめた。
それが落ち着かないのは自分が服を着てないせいだ、と思って政樹は視線だけを泳がせて自分の制服を探した。鏡台の上、先程男が折り畳んだ新聞の脇にきちんと折り畳まれて置かれていた。
「なあ……」
不意に、そんな風に呼び掛けておいて彼は言葉を切る。
政樹は、相手の男の顔を顧みた。
「お前の中ではこれは、一度の遊びか?興味本位の」
ドクン、と心臓が跳ね上がった気がした。この展開は自分の方から申し出る予定だったのだ。それが、片倉小十郎の方から切り出して来るとは。
「…片倉さんの方こそ、どうなんですか」と返した声はちょっと不貞腐れた風になってしまった。
「俺ってやっぱり身代わり、ですか…」
声が震えそうになるのは嘘を吐いている、と言う後ろめたさからだ。決してこれが世にごまんとある恋愛の始まりの儀式だからではない。
「…そう言う顔されると、堪んねえな…」と男は何故か嬉しそうに応えた。
「は?」
「身代わりかって拗ねてる様だ。こっちは胸がチクチク痛くなる」
「……………」
そこにつけ込む計画なのだ。政樹はばつが悪そうに眼を反らした。それを照れだと勘違いしたのだろう、小十郎はごくごく自然に破顔一笑すると再び手を伸ばして来て、するり、と青年の頬を包んだ。
「始まりの状況は確かにそうだったが……俺のもんになる気はあるか?」
「―――…」
「結構お前とは年離れてるようだし、親御さんにも申し訳なくは思うが、俺はお前がいい…政樹」

"首藤政樹"、それはコン・ゲームの始まりの合図。
身分も家族構成も過去の経歴も全て偽りの人間が1人、行動を開始する。

「…俺も…あんたがいい……片く…小十郎、さん…」
半ば呆然としつつ、そう応えていた。
男はそうか、と言ってくしゃりと笑った。それは混じり気のない笑顔で、政樹の中にその分どでかい空洞を作った。

コン・ゲーム―――それは何と残酷で優しいゲーム。


「ねー?!俺様の言った通りだったでしょ!!やっぱりね、思った通り!」
そうやって奇声を上げたのは他ならぬ猿飛佐助で、場所は政宗の幼馴染みの雑賀孫一が持つ六本木オフィス。相変わらず彼女以外の社員の姿が見当たらない素っ気ない空間だ。
片倉小十郎と正式に"付き合い"を始める事を約束したあの日の、翌日の事だ。
政宗こと"首藤政樹"は現在は都内に両親と暮らしている大学生。小十郎が司書官として勤める大学とは都心と郊外と離れていて、2人の住いと言えばそれこそ東京を端から端まで横断しなければならない程遠い、と言う設定になっている。たまにしか会えないが、小十郎の大学図書館は他大学にも公開されているので遊びに来い、と言われている。
そうした状況を報告した上での先の佐助の台詞だ。何となく、政宗は面白くなかった。
面白くはなかったが、確かに佐助の書いた筋書き通り、いやそれ以上に事は巧く運んだのだ。
「浮かれるな佐助、まだ始まったばかりなんだぞ」
そう言う孫一の諌言がなければそのままむくれていただろう。政宗は自分の目的を再度腹の底に据えて目の前のアイスティーを飲み干した。
「分かってますって。これから最後の仕上げまで、でしょー」
ケラケラと笑い、佐助は彼女の仏頂面をさらりと受け流した。その上で、オフィスの応接用テーブルに身を乗り出す。


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