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―記念文倉庫―

日暮れて、鬼首の深い雪の谷間と尾根の間に点々と松明の炎が揺らめいた。一里や二里の距離を置いて互いの明かりが見通せる程、密な状態での山狩りだった。
手近な沢に下った信勝が山狩りの一行と落ち合って、今夜は討伐を継続するように申し渡した成果だ。
東の方角から鬼首の中央付近に当たる荒雄岳まで、そうやって白刃を右手に松明を左手に、辺りの闇に注意を払う武者たちと杣人たちとが黙々と歩き回った。
杣人が邪気祓いにリンリンと打ち鳴らすのは仏教法具の1つである金剛鈴だ。宗教的な意味よりも、山中で出会す熊避けに彼らは持ち歩いているのだと言う。それが、森閑とした闇夜に響き、一種の別世界を象るかのようだった。
その鈴の音が風に乗って、片山地獄の片隅で様子を窺う伊達主従の耳にも届いて来た。
山狩りに追い立てられて、死人憑きたちがなるべく多くここに集まって来るのを彼らは待っていた。そして、本体である彗星が小十郎の雷にも動じなかった事について、政宗は何か考えがあるようだった。
雪原と乾いた白い地獄谷の境目、薄の枯れ穂がカサカサと揺れる薮の中だ。
しかし、不意にガヤガヤと数人の人間の足音がしてそちらに目を向ければ、鬼首温泉から追っ付け駆け付けたらしい佐馬助の姿と、案内役の杣人が2人、無防備に片山地獄の谷間へと降りて行くではないか。
「あのバカ…!」と呻いて政宗は立ち上がった。
「佐馬!!」
政宗の声に、彼らが手にしていた松明の炎が揺れる。
「筆頭!!片倉様も!ご無事でしたか!」
満面に喜色を浮かべて走り寄って来たツンツン頭を、政宗は容赦なく叩いた。
「バカヤロウ!!こんなにガヤガヤ目立ちやがって!」
「すっすんませんっっ!!!」
何が何だか分からないまま頭を下げる鼻眼鏡の若者を政宗はただ睨みつけた。しかし、後から走り寄って来た小十郎は、辺りの空気が更に塗り替えられた気配を感じ取っていた。顔を上げて辺りを見回し、低く呟く。
「いや、ちょうど奴らを連れて来てくれたようですよ、政宗様」と。
「…や、奴ら…?」
小十郎の言に佐馬助は慌てて左右と背後を見渡した。道案内に付いて来た杣人らもつられて首をきょろきょろさせる。
風向きが変わって、片山地獄の奥から白い湯気がこちらへと流れて来た。
それがあっという間に彼らを押し包む。
政宗は腰の六爪を抜いた。
それに倣って小十郎も己が愛刀・黒龍を抜き放つ。遅れて佐馬助も己の脇差しを抜いた。杣人は猟銃だ、それを抱えて不安げに辺りを見渡す。
「おいでなすった…」
それは、言葉とも声とすらも似つかぬ騒めきから始まった。
死して後にこの世に歪んだ形で呼び戻されたものたちが、その苦しみに呻き、引き裂かれた親族との縁に哭き、生者への怨みに身悶える。その時に掻き起こす風の叫び声に似た、騒めき。
辺りを押し包んだ蒸気に乗って、ゆらゆらと覚束ない足取りで近付く屍の群れ。
この鬼首に前年の夏、流行病が席巻し死者が多数出たのは自然の理であったろうが、そこを狙って邪悪な意志を持った彗星が衝突したのには恣意的なものを感じる。
放置された屍体を嗅ぎ付けて、鬼首の地を目掛けて"やって来た"―――。
それは政宗にとっては正に侵略、と呼ぶに相応しいものだった。奥州王となった彼にとって、彼のものである領地への侵略は決して看過すべきものではない。相手が何者であっても、だ。
「Come on, come on…, come here…. 手前らの親玉を守りてえんだろ…?」
ウキウキと呟きながら政宗は、片山地獄の谷間へ小石を蹴散らしつつ降りて行った。それを小十郎と佐馬助が追う。
「鬼の声だ…」と一言呻いた杣人らは、それ以上踏み出せずじまい。白煙を巻いて駆け去る伊達の兵(つわもの)どもを見送るしかなかった。

ざわり、ざわり、

湯煙の間に見え隠れする、蒼白い死人憑きの顔ぶれ。
その間を縫って政宗は駆けた。
伸ばす手の青黒く腫れ上がった指先を避け、掻い潜り、断ち落とし、だが決定打は与えない。
戯れるように舞った。
死人憑きがこの場に招かれ、群れ集うのを優雅に誘った。
小十郎や佐馬助は気が気じゃない。政宗が討ち漏らし、その毒牙に掛けんと政宗の死角から迫るものを薙ぎ倒し、首を掻き切る。
辺りに硫黄由来のものではない、鼻が曲がる程の腐臭が充満し始めた。
政宗が一体何を考えて死人憑きを招いているのか正直分からない。小十郎などは、集めるだけ集めておいて自分がやったようにイカヅチで火山ガスを爆発させて一気に片をつけるつもりか、とは考えてみるが、それでは問題の根本である彗星を破壊する事など不可能だと言う事は、政宗とて百も承知の筈だ。
「小十郎!!」
騒めきを切り裂いて呼ばれた声に顔を上げれば、政宗は既に数メートルも先を行っていて、その姿の判別も付きにくい。小十郎は慌てて煙の幕を突き抜けてそれに駆け寄り、はたと足を止めた。
凄まじい蒸気に包まれたそこは、彗星が落ちて出来たと見られるクレーターの縁だったからだ。もうもうたる煙に囲まれて、夜の闇の中、ぐつぐつと煮え滾る硫黄泉の呟きが聞こえて来る。
後から追い付いた佐馬助も、松明を翳して見たそこには逃げ場がない事を悟ったようだ。彼らの周囲に、腐った体に湯気を纏わせつつ死人憑きたちが迫る。
佐馬助は青い顔をして己が筆頭を顧みた。すると、この奥州王は両手に携えた六爪をつい、と下げて、己が腹臣の眼前に立ちはだかった。その独眼がきらりと輝く。
「小十郎、死人憑きたちをお前の炎で焼け」
言われた言葉の意味が分からぬ、と言った風に男は主の顔を見たまま固まった。
「そこに落ちてる彗星もだ。そして―――俺も」
「政宗様…」
「お前の炎の性質は俺が一番良く知っている。"冷たい"炎だ…この雪に阻まれる事なく、いや、むしろ親和性があって広がりやすいだろう。だから、この雪山で、この地獄谷でこそ相応しいんじゃねえか…。俺に遠慮する事はねえ、派手にやれ。余さず全て燃やし尽くせ」
「―――しかし…」
「お前のイカヅチ浴びながら分かったんだよ。この体に巣食ってる業病の天敵―――それはお前の"炎"の方だって」
「…………」
「何でかって?死人を死人憑きにしたもんはその冷たい体に寄生するのを好むからだ。俺の中に巣食ったものは俺の体温を奪おうと躍起になってた。凍った屍体が大好物だからだが、お前の炎は雪や氷に熱を奪われる事もない。熱さにあいつらが逃げる事もしない」
「…………」
この意味深な会話を傍らの佐馬助はきょとんとした表情のまま聞いていた。
伊達の主とその腹臣、二つ名で双竜と呼ばれる主従が内外に隠す所なく同じ雷属性であるのは周知の事実だ―――それが、炎などと。
「……真でございましょうな?」と男が刃を下ろし、やけに低めた声で問い返す。
これに政宗は己を見ろ、と言う風に六爪を持った両手を広げて見せた。
「お前に担がれて山小屋の中で丸一日に寝てたらすっかり鳴りを潜めちまった。俺がぴんぴんしてるのは何故だと思う?だが、まだ消えてねえ…だから」

お前の炎に焼かれたい。

そう政宗は告げて唇を閉ざした。
「山へ入っている者たちはどうなるのです…佐馬や良直たち、それに岩出山から狩り出して来た兵どもや信勝…、この鬼首で立ち枯れた木々や巣ごもりしている生き物たちも…」
「そいつはお前が炎をコントロールしてやんな。雪にだけ炎を這わせてな。出来るだろ、それぐらい」
「しかし!貴方を焼くなどと」
「Shut up.」
喚く口を閉ざす為に政宗は指先ではなく、右手の刃を3本悉く己の右目に向けた。そして、兜の目庇の下から鋭い眼光で相手のそれを貫く。
「俺は死なねえ…一度手に入れたもんは二度とは手放さねえからな」
その台詞に、小十郎は左手の掌中にある己が愛刀を黙って握り締めた。
彼の方が生まれて初めて欲しがったもの、彼の生命。
確かに、"異能者"には"異能者"同志の属性に対する耐性がある。同属性なら言うまでもなく、異なる属性同士でも普通の人間に比べたら与えられるダメージは半分以下と見て良い。
しかし、それでも男は逡巡から逃れ得なかった。
こうしている間にも死人憑きたちの包囲網は狭まり、その数は増して行く。昨夏、どれだけの村人が流行病に倒れたと言うのだ。
「…小十郎、この俺が許す」と政宗は囁くように言った。
「そして祈れ、こいつらが成仏する事を…」
「―――煉獄」
思わず口を突いて出た一言に、政宗はそれは嬉しそうに破顔した。
青年はそして微かに頷いたかと思うと、ひらりと身を翻すなりクレーターの縁から一気に飛び降りた。その足が踏んだのは黒い彗星の上。彼のすぐ足下では煮え滾る湧き水が激しく水泡を吹き零し、もうもうと白煙を沸き立たせている。政宗が少しでもバランスを崩して沸騰する熱湯の中に落ちれば、さしもの彼でもひとたまりもない筈だ。
それを見やった男は手にしていた黒龍をゆっくりと構え直した。
「…か、片…倉……様…」とその脇にいた佐馬助が呻く。
この場から逃げるべきなのか、それとも筆頭を守って傍らに駆け寄るべきなのか、目の前の男を止めるべきなのか―――いや、誰が味方で誰が敵なのか、さっぱり分からなくなった。そこまで混乱させる程、目の前の男には見覚えがなくて。
小十郎はそんな家臣に一瞥をくれてやった。
「死にたくなかったらそこにいろ…目の届かない場所じゃ巧く操れる自信がねえ…」

そう低く嘯いた男の声は、

共に数多の戦場を駆け巡って来た中で幾度も目撃し、心酔する輩が続出した時のそれと似ているようで全く異なったもので。
慣れ親しみ、憧れすら抱いていた剣の達人にして、伊達にこの人有りと歌われた智将の箍を外した様でもない。あるいは、それの更なる裏に潜んでいたものがあったと言うのか。
言われるまでもなく、佐馬助は男の一瞥で動けなくなった。
その姿から目を離せなくなった。
横顔は静か。
下段に構えた立ち姿の何処にも力は入っていず。
あと数歩で手が届きそうな死人憑きに背を向けて、クレーターの中央に仁王立ちする主を主と認めて。

めらり、

蒼白い炎が立ち昇った。




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