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―記念文倉庫―

―――火山ガスか…。長時間ここには居られねえな…。
喉をヒリヒリと焼く刺激に尚も咳を続けながら、小十郎は敵と距離を取った。
何も知らない者が温泉だ何だと言って1時間以上火山ガスが充満した中にいて、動けなくなった挙げ句に急性中毒死した。そんな事例を知っていた小十郎は、動き続ける自分がこの場にいられるのは四半刻ほど、と思い定めて一気にクレーターの底へと駆けた。
その途路で身辺に雷電を纏い付かせ、黒い塊の全貌が白煙の中から見えた所で解き放った。
火山ガス、特に硫黄のそれが可燃性のもので、空気より重く谷底に溜まりやすいと言う性質を持つ事は、男が軍師として戦略を練る上で地の利を得る為に地方誌などを読んで得た知識だった。
岩のような見てくれの彗星がどの程度の堅さを持つものなのか分からないが、イカヅチの衝撃とそれに続く火山ガスへの引火で先ずは様子を見るつもりだった。
雷光が空気中を走った。
そしてそれは小十郎の意図するよりも早く、見えないガスに乗って爆発的に四方八方へ広がった。
空気に火花が散った。
そこここで炎の玉が燃え上がった。それが燃え広がり、方々で繋がり合って一際巨大な爆炎と化した。
彗星は、周りで煮え滾る湧き水と共にそれの中に呑み込まれた。
急激な空気の流れが白茶けた砂利やそこら辺に転がっていた死人憑きらをうねるように吹っ飛ばした。一度は炎の中央へ向かって吸い寄せられ、次の刹那には弾き飛ばされる、と言う異様な動きを見せて。
小十郎はそれより早く、クレーターの縁から縁を駆け抜け、そこにあった薮の中に飛び込んでいた。その枝を焼き焦がしながら頭上を熱風が通り過ぎて行く。乾いた枯れ草に火が燃え広がりそうだったので、そこから更に杉林の奥へと這うように逃げ伸びた。
炎は辺りのガスと空気とを貪欲に吸い込みながら燃え続けていた。
それでも固形の燃料がない分、鎮火も速やかだった。
小十郎は、薮を埋める雪でヒリヒリと痛む顔を二度三度拭って、辺りが静かになるのを待った。
その後、クレーターの元へと戻ると、どうやら倒した死人憑きも、残っていたそれも炎に巻かれて炭化してしまったようだった。相変わらずもうもうと湯気が漂うその場に動くものはなかった。
ただし、クレーターの中央で沸騰する水の中に鎮座する彗星だけは変わらずそこにあった。
政宗がこの場にいれば、大気との摩擦で何千度もの熱に晒され、それでも燃え尽きずに地上に降って来たそれが普通の炎でどうこうできるものではない、と言えただろうが、生憎小十郎は洋書にはとんと疎かった。
歯噛みして、対策を練るためにも火山ガスが充満するそこから一度は撤退するしかなかった。


佐馬助が岩出山城・氏家氏を説得(恐喝?)して兵を巻き上げ鬼首温泉に戻って来たのは、政宗たちが山王森の山小屋に辿り着いた明くる朝、小十郎と信勝が荒雄岳に向かって発った頃だった。
自らの到着を知らせる為、狼煙を焚き続けた。雪の中で三角錐の樹容を見せる青臭い杉の葉をありったけ火に焼べる。それと同時に山狩りも開始させた。
最初、死人憑きについて難色を示していた氏家を黙らせたのは、佐馬助が持ち来たったその首級を目の前に転がしてやった時だ。それが新しいものではなく、腐った上で凍り付いていながら、首の切断面にこびりついた血液だけは鮮やかな真紅を見せている事に文字通り、氏家は言葉を失った。
「死人が歩いた…。あんた、自分の庭でそんなことが起こっているのに放っとくつもりか?」
ただでさえ、近在の鬼首に彗星が落ちて民草が動揺していると言うのに、その上死人憑きまでもが広がったら目も当てられない。そうした危機感が氏家を動かしたようだ。奥州筆頭に恩を売っておくのも損にはならないだろう、そうした打算も働いた。
従って、要望通り200の腕に覚えのある兵と、小泉の臣・熊谷信勝の指示して来た杣人らを道案内に佐馬助に託した。
山狩りは鬼首温泉を拠点にして羽後街道を北上し、政宗たちの辿った道に沿って広げられた。
その日の内に、荒雄岳西方各所の沢で山狩りの小隊が雪原をふらふらと彷徨する死人を見つけて追撃を始めた。
夜の闇でこそ視界の効かない恐怖に身を縛られる所だったが、昼日中、小気味良く晴れ渡った空の下で見るそれは余りに現実離れしていた。その上、何とも言えない虚しさのようなものを感じずにはいられなかった。
心細さ、虚しさ。
死後を安らかに眠れない彼ら素朴な百姓や杣人の、その眼を反らしたくなる醜悪さ。
彼らが一体どんな禁忌を犯したと言うのか。そしてそれが己に降り掛かる事のないよう、荒雄岳の頂きで見守る神々に祈らずにはいられない。そうでありながら、彼らを容赦なく炎で追い立て、10人程の武者で取り囲んで凍った首を断った。
死人憑きたちの白濁した眼球、崩れ落ちた顔面、血塗れの口腔内、それらが蹴散らされた真っ白な雪の上に落ちる。

その日の夕刻。
軍沢口で、山狩りの小隊の1つが山王森から上がる応えの狼煙を見つけた。彼らがその山小屋に到着した時、既にそこに政宗たちの姿はなく、一通の書き置きだけが残されていた。
佐馬助は伝令が齎したそれを鬼首温泉で受け取った。
―――地獄谷の片山地獄…?
政宗も小十郎もそこに向かっていると言う。そして、死人憑きの原因となったと見られる彗星もそこに落ちたと。
これはエラい事になった、と佐馬助は書状を懐に突っ込むなり道案内の杣人を大声で呼んだ。


政宗は荒雄岳山頂を通過するルートではなく、その西側の尾根を真っ直ぐ突っ切る道を信勝に案内させた。
山頂には近寄り難いオーラのようなものが未だ漂っていたし、それは政宗の中に蔓延る悪疫たちに拒否反応を起こさせていたからだ。
道を急ぐ政宗は、死人憑きたちの襲撃に合った小十郎よりも猛々しく、支離滅裂な様で尾根から尾根を駆け抜けた。雪崩れを起こしてはそれに乗って山を駆け下る事を厭わなかったし、怒濤のような雪崩れに巻き込まれて転がる己が家臣らを落雷の1つ2つで救い出したりもする。
ただただ翻弄され、這々の体でそれに追い縋る信勝は、彼ら伊達主従には閉ざされた雪山すら物の数ではないのだ、と痛感せずにはいられなかった。それが火・氷・風・光・闇そして雷などの属性を持った"異能者"の、神仏をも恐れぬ有様なのだ。
息切れが激しく、奥州筆頭が切り拓いた雪道の途中で立ち止まった信勝は、辺りの山容を見渡してツクシ森の東の果て辺りに自身の現在位置を割り出した。
夜が明けて、折り重なる東方の尾根の向こうに奇麗な三角形をした荒雄岳の山容がうららかな日差しに照らされて浮かび上がっている。
そして、西の軍沢口を顧みれば、自分たちが辿って来た山王森の麓に当たる上芦沢から半時計回りに森子芦沢、草木沢、河倉沢、宮沢、そして鬼首温泉各所に新たな狼煙が立ち登る。
山狩りが始まっている事をそれは示していた。
「お誂え向きだな」
頭上から降る声に顔を振り上げてみれば、折れそうに細い枯れ木の上に登って、同じように軍沢口方面を眺めやる政宗の蒼い陣羽織が翻って見えた。
ざ、と身軽な様で雪上に降り立ったその人が、信勝より更に遅れてやって来る良直たちを振り返る。孫兵衛の巨体がやはり足手纏いになっているようだった。
「信勝、山狩りの連中と合流して、死人憑きどもを地獄谷に追い立てるように指示して来い」
「は……政宗様は…?それに彼らは…」
「Ah? 奴らは這ってでも俺の後を追って来るだろうさ。だが俺は先に行く。この体に傷をつけられたオトシマエは付けなきゃならねえ」
彼の腹臣である片倉小十郎の身が心配だ、などとは口が避けても言えないのだろう。そして彼は、共に戦場を駆け抜けて来た心安い重臣たちを信じている。
「承知致しました。…この先南東に一里程で地獄谷の片山地獄に到着致します。高日向山と言う、なだからでまろい形の山があって、その麓が地獄谷となっておりますので直ぐにお分かりになるでしょう。…それに政宗様のその足なら夜が訪れる前に辿り着けるかと」
「I see. ご苦労だった」
「御武運を」
信勝の真面目腐った一言に、政宗は口の端を歪めただけで応えなかった。
「良直、孫、文七!俺は先に行く、手前らは佐馬たちと合流出来そうならそうしろよ!!」
政宗がそう声を飛ばせば、良直が孫兵衛を片腕に抱えながら、もう片方の手を振って応える。
「了解致しやしたーっ!すんません、直ぐに追い付きますんで!!」
「筆頭、お気をつけて!」
「すんませ〜ん!」
続く文七郎と孫兵衛の声には軽く手を上げ、政宗は信勝に背を向けた。
「政宗様!」と思わず呼び止めたのは不安からではない。
僭越とは分かっていながら確かめたい事があった。いや、確かめたいのとはまた違う。こうであって欲しい、と言う望みを叶えてもらいたかった。
「政宗様…もし、そのお体が元に戻らなかったら如何なさいますか?」
「…Ah〜?」
不躾な質問に若い頭首は剣呑な気配を纏わせた。だが、比較的に聡明な家臣である信勝が眼を反らさない所を見ると、は、と呼気を笑い捨てた。
「"もし"なんてもんにゃ興味はねえが…別にどうもしねえな?俺の体だ、飼い馴らして一生付き合ってやるよ」
言葉の余韻だけを残して政宗は、その場から駆け去った。
ああはやり、と信勝は思った。
片倉小十郎と言う男が傳くに足る主であると、確かに認めた。そして、あの無謀とも取れるような主でなければ御し得ない破格の臣であると―――。

片山地獄からいっとき荒雄岳に引き返していた小十郎は、暮れなずむ山並みの間から上がった時ならぬ雷光に目を剥き出して固まった。
荒雄岳の手前、八ツ森の枯れ果てた尾根から見下ろした沢森の直中だ。
直ぐに我が主のものだと気付いたから、天へ向かって自らの雷電を放った。
狼煙か鏑矢のように意志を伝達し合えば相手からも一筋の雷光が上がって、そしてそれは小十郎の方を指し示していた。
思った通り、四半刻程待っていると、鎧陣羽織姿の政宗が木立と雪並みを掻き分けて駆け寄って来た。
「政宗様!まさかお一人で?!」
出会い頭に小言を始めそうなその勢いを、政宗は何時の間にか掴んでいた雪塊を投げつけて封じてやった。
喉元で弾けたそれを、小十郎は苦々しい思いで拭った。
「…どうやら大物忌神の石碑を破壊した彗星が死人を蘇らせたみてえじゃねえか…。石碑にぶつかったのもわざとかも知れねえ」
「…それは、この小十郎も考えておりました」
「ふん、怨霊だの厄災を齎す凶星だの、京の都の軟弱貴族どもの世迷い言だと思ってたがな。案外、実際にそう言う存在が天にはあるのかも知れねえ。ホラ、この間教えてやったろ。この地面が動いて天は不動だって。…動き回ってる地面が俺たちの知るもの以外にあるのなら、そう言う奴がこの世にいてもおかしくはないよな」
「そのような…途方もない考えは小十郎には理解致しかねます…」
「Ah〜?だが、彗星が死人憑きを操ってるかも知れねえとは考えてんだろ?」
「無論」
「なら問題ねえ」
不適に笑み、呟いた政宗はそこからは未だ見えない片山地獄のある方角へ、唯一の眼差しを投げやった。




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