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―記念文倉庫―

       *
この若い主が疱瘡と言う業病に罹り、米沢の城下を業火が襲ったその時、小十郎は"何故か"この火災を鎮めた功績を買われて伊達の、それも頭首である輝宗の小姓にと取り上げられた。
武家屋敷町を襲った火事の現場に立ち尽くしていた少年を、輝宗に近い家臣が目撃し、それを輝宗本人かその重臣に奏上したのだろう。それは大袈裟に、城にまで燃え移りそうになった火を鎮めたのは片倉小十郎に違いない、と言う風に。
値踏みをするような輝宗や、その側近の眼差しが鬱陶しくなかったかと言えば嘘になる。彼らは明らかに己の使い道のついての計算を頭の中で張り巡らせていたと言える。世の中には自然現象を操る"異能者"が散在している事が知られていたからだ。
武家屋敷を何軒か灼き尽くした炎が鎮火した後に見つかった小十郎は、炎を操れる、いわゆる炎属性の"異能者"ではないかと疑われていた訳だ。
それに対して小十郎は「狂犬のような剣の腕前を持つが、それ以外は昼行灯に等しい無用者」と言うレッテルを貼られるままにしておいた。"異能者"ではないのかと問われても、そんな覚えはない、と貫き通した。
その頃の小十郎はと言えば、剣の道で達人と雌雄を決する事にしか興味がなかったし、ましてや伊達家中の勢力争いや領地拡大などと言った政策には一切食指が動かされなかった。
生きる事の実感。
それが、死の淵に立った時だけ得られる。
その不思議に少年であった小十郎は見せられていた。藤田のような末端の家にあってはそうそう味わえない大戦に狩り出されるチャンスが、伊達家に仕える事で何時か巡り巡って来るかも知れない。その初陣の時を夢見て日々鍛錬に明け暮れていた。家老に咎められるのも面倒だったので、城下のゴロツキと群れるのも止めて、だ。
そうすれば望み通り、その時の秋口の戦で見事初陣を果たした。
ただし、布陣する伊達軍の後方、本陣で采配を振るう輝宗の傍らにあって、一度も野を駆けずる事もないままの勝ち戦となった初陣だったが。
様子を窺い見るような周囲の目が本当に鬱陶しかった。その期待するような、化け物を見るような冷たい視線。
"異能者"は戦力として見れば千人の兵に匹敵するものではあったが、それを持たない普通の人間にしてみれば、脅威以外のなにものでもなかった。
―――知った事か…。
そう思って悉く無視して来た4年後のある日、今度は輝宗の嫡男である政宗の傳役を申し付けられた。
片方の目にサラシを巻いた頼りない子供だった。
8歳と言う割に同じ年頃の子よりも小さく細く、伊達家の跡継ぎとしては相当不安にならざるを得ない子供で。
しかし、
梵天丸と呼ばれていたその子が、あの4年前の流行病で疱瘡に罹り九死に一生を得たと知って。
そしてまた、この小さな身の内に雷を操る力を秘めた"異能者"である事を聞かされて―――。
もう立派な青年に成長した筈の小十郎が如何程に動揺したか、誰も知らない。
大人の機嫌をそっと探るように見上げて来るその唯一の黒瞳。疱瘡の為に焼け爛れた体内の臓腑と右目とを抱え、苦痛に耐えていた昼と夜。常に孤独で、1人なにものかと戦っているようだった儚い生命。
―――ああ、あの地獄を生き残ってしまったのか、この子供は…。
そう繰り返し思っては、10代の頃の小十郎は能面のような表情の下で懊悩した。
―――痛みと熱と、尽きる事のない責め苦、救いなどないあの地獄を…。
生き残った所で実の母に疎まれ、家督を継ぐのですらままならぬのではないかと言う危うい立場で。その上、その右目は膿み爛れていて病巣は引き続きか細い身体を犯し。その上、"異能者"となると普通の人間たちはどう扱って良いのかすら、戸惑う。
だから、"異能者かも知れない"己がこの貧乏くじを引かされたのだろう。
いっその事、その折れそうに細い首をへし折ってやった方が救いではないのか。そう何度思った事だろう。少しずつ新しい傳役に心を許し、無防備な後ろ姿や寝姿を眼前に晒される度に。
―――貴方は4年前のあの時、既に死んでいる筈だった。
そう言って、今の間違った状況を正してやった方がこの子の為になるのではないか、と。

そうそして、いじけた心を更に撓めてしまう根源だった右の眼球を切り取ってやったその時。

あの子供は、悲鳴を上げなかった。
たった9つだ。
9歳の子供が、まだ神経の繋がった右目を傳役の手で切り取られた時に、手拭いを噛みしめていたとは言え、低く細く唸るばかりで小さな声1つ上げなかったのだ。
ただ見つめ合った。
いや、あれは1つの真剣勝負だったと言えるだろう。
決して声を上げまいとして歯を食い縛り、残った左目でその所行を成した傳役を睨みつける。その子供を小十郎もまた、右目からの出血をサラシで抑え、震える身体を抱き寄せながら見つめ返した。
あの時の、ぴいんと張り詰めた緊張の糸。
どちらかが先に眼を反らしたその刹那、相手に食われる、と言う埒もない妄想が過る。
小十郎はもし、手の中の子供が救いを求め泣き叫んだら、そっとその手を伸ばして片手にも余るその首筋に指を絡め、ゆっくりと優しく―――殺してやろうと思っていた。
それが、この先も延々と続くこの子の地獄を終わらせる事に他ならないのだ。
武士の子?それがどうした。
奥州で15代続いた伊達の血?家督なら凡庸な弟に譲ってしまえば良い。
痛みもなく、苦しみも感じさせない素早さで自分なら送ってやれる。
そう、思っていたのに―――。
梵天丸は気を失うその瞬間まで己が傳役の冷淡な眼差しから眼を反らす事はなかった。
終に力なくしなだれた小さな身体を抱き締めて、小十郎は溢れる慟哭の声を押し殺した。涙など、流す事は許されなかった。

右目からの出血が納まって、褥の上で目を覚ました梵天丸は当然のように隣室に控えていた己の賦役を呼んだ。
枕元に従順に侍り、深々と頭を足れる青年の静かな佇まいを、小さな子供は晒しに覆われていない方の片目で凝っと追っていた。そして面を上げた傳役が社交辞令を吐き出す前に、言った。
「梵は死なない」
「―――は」
意味も分からず頷いていた。
言わんとする所を汲み取れていなかったのだろう、幼な子はむっとしたように唇を尖らせると、更に声を張り上げながら続けた。
「梵が生まれてはじめてほしがったもの、なんだと思う?」
「はあ…、孫氏の兵書、でしょうか…?」
「バカ!」
一喝されて小首を傾げれば、むっつりとしたまま幼な子は続けた。
「……自分のいのちだ」と。
「―――…」
「いっかい手に入れたら梵はにどと手ばなさないぞ」
「…はい」
会話が途切れる。
はて、あの時外の庭は一体どんな季節を刻んでいただろうか。思い出そうとしても青い簾の下げられたその小さな室は、そこだけで完結してしまっているようで小十郎は思い出せなかった。
「…煉獄、というのを知っているか?」と不意にその子供が問い掛ける。
「さいきん読みはじめた海のむこうの国の書物に書いてあった。…地獄でも天国でもない、そのどちらにも行けない者が落とされる炎の世界、なんだそうだ…。そこで生前おかした罪ごとからだを燃やされつづけて、苦しみつづける……」
「それと、地獄とどう違うのです…?」
「ほかの誰かがその者のために祈ってやれば天国に行ける。地獄にはそんなすくいなんかない」
「―――成る程」
このいたいけな小さな子供は、隣の大国の書物では飽き足らず、最近では京の都や九州から遠く離れた南蛮の書を取り寄せるまでになっていた。
この話が何処に落ち着くのか分からぬまま何となく頷くと、梵天丸は小さく溜め息を吐いた。
そして、夜着の下で小さく身じろぎする。
「祈れ、梵のために。…梵も小十郎のために祈ってやる…」
この言葉に小十郎は思わず声もなく嗤っていた。幼な子の拙い願いをいとけないと思ったのではない。祈りに何の力があるのだ、と嘲るつもりでもなかった。ただそれは、

青々しい簾に囲まれた小室にただ2人。
赫々と燃え盛る炎に包まれた煉獄にただ2人―――。

小十郎はそのまま、幼な子の枕元に叩頭した。
       *

夜明けを迎えた山王森の山小屋から出立した小十郎は、一度だけそちらを振り返ったが直ぐに先を行く信勝を追って歩き出した。
陽が差して青空に包まれてみれば、雪に覆われた山王森は立ち枯れた山毛欅の原生林を抱えて、うねうねとしたまろい尾根を連ねるうららかな眺望を見せた。
そこを眺めた信勝が、周囲の眺望で現在の位置確認をすると、ある時は尾根沿いに、ある時は杉林の傾斜をジグを切ってぐんぐん登って行った。
今日は小十郎のイカヅチも不要だ。
人力のみで急登を幾つも繰り返し、午過ぎには東西に長い頂稜を持つ山王森の頂きを越えた。そこからもう1つツクシ森を渡れば、鬼首の主格である荒雄岳に入る。
幾つものピーク、幾つもの谷底、雪化粧をごってりと施された景色を見やれば、鬼首を取り巻く外輪山の中でも最高峰に当たる禿山の1260メートルの威容が遠く望めた。単峰ではなくアルペン風の岩屏風だ。鬼首の西側を行き来する地元民はその姿を頼りに自身の位置を知るのだ、と信勝は言った。
そうして、荒雄岳山頂近くに辿り着いたのは、釣瓶落としの夕陽が西側の神室連峰の狭間に落ちようかと言う頃合いだった。
それも山毛欅林の巨木が辺りを静謐と神秘で押し包み、冷気と共になってそこに踏み入れた人間たちを縛り上げて行くようだ。ちょうど白い霧も出て来た。
視界はあっという間に失われる。
だが、白い雪原が闇に包まれてしまう前に、小十郎と信勝はしっかりとそれを見た。
荒雄岳の南東頂上付近から、八ツ森を掠めて地獄谷まで続く巨大な亀裂だ。いやそれは亀裂と言うより、小十郎がイカヅチを放って積もった雪塊に穿った切り通しと同じで、しかも荒雄岳の複雑な尾根道を無視してほぼ真っ直ぐ穿たれていた。
"切り通し"と言えば、軍事都市だった鎌倉の七切り通しが有名だが、その幅も長さも比べ物にならない規模だと言う事は断言出来た。
2人は、陽が沈んで空っ風が吹き始めても暫くその残像を眺め続けた。
「郡上の予想通りだったな」
やがて小十郎は独り言のようにそう呟くと、枯れた薮の突き出た斜面を雪を散らしつつ移動した。切り通しが始まっていると見られる地点は、その左手の灌木の影に入っている。そちらへ確かめに行こうと言うのだ。
彼が全身から放つ雷光が今唯一の明かりだった。信勝も戸惑いつつ彼の後に続いた。

「…こ、これは…っ!」
ちらちら瞬く蒼白い光に照らし出されたものを発見して、信勝が言葉を失った。
成る程、それではこのちっぽけな岩が大物忌神の石碑と言う訳か、と小十郎は納得した。
それは、赤ん坊を襁褓(むつき)で包んだ程の大きさで、それよりも更に小振りな銅製の鳥居と共にあった。本来なら膝まで来る雪に埋もれて発見できなかっただろうが、その雪を吹っ飛ばした何ものかのお陰で、剥き出しになった地面の中央に転がっているの見つかった。
粉々に砕かれて。
「彗星(ほうきぼし)はここを直撃した」と冷静な軍師が分析を始めた。
「石碑を破壊した後、この山の斜面を駆け下って行って地獄谷へ衝突。その時に地面に穴を穿って荒雄河と繋がっていた湧き水を噴出させ、その水がこうやってここまで漂う濃霧を作り上げた。……これだけ山を削り取った力だ、何度か跳ね上がったりもしたんだろう。下じゃかなり巨大な穴を開けた筈だ」
「何と言う罰当たりな…」
「空から降って来るもんに目も信仰心もありはしねえだろ…。ともあれ」
少し言葉を切って男は信勝を振り向いた。
「川の水が半減した原因も、彗星の落下した地点も分かった訳だ。山狩りに呼び寄せてる連中を増員して後始末に回しゃ良い」
「し、しかし…死人憑きは…」
「そいつは分からねえ。政宗様はこの石碑が死人憑きに対して致命的な打撃を与えるもののように仰ったが、こうも粉々に砕かれちゃあな…。それに、死人憑きたちが神社を避けるのはまた別の話だろう。神の宿る宮…信じられねえが、奴らが苦手とするのは本当に神がそこにいるからなのかも知れねえ。そうとあっちゃ、俺たち人間には手出しの出来ない領域だな。すぐそこに荒雄河神社の奥宮もあるんだろ?」
「ええ…それは、そうですが……」
「俺はこのまま地獄谷まで行って落下した彗星を確認して来る。お前は一度戻って政宗様にこの事を報告しろ。山狩りの連中は彗星の落下跡の始末と、死人憑きの殲滅の両方に回せるだけの人数を揃えて伊達から送る事になるだろう。政宗様の指示に従え」
直ぐには返事が返って来なかった。小十郎が1人で行動する事に不安を覚えたのと同時に、己がたった1人でもし死人憑きの襲撃に合ったら、と言う気弱な発想に苛まれたのだ。
ありきたりな人間の情動に気付いた小十郎がふと、その右手を伸ばして来た。
「痛っ!!」と信勝が声を上げたのは、雷を纏った男の指に一瞬感電したからだ。
「しっかりしろ、死人憑きが尾根まで登って来ないのは今日の往路ではっきりしただろうが。夜明けを待つぐれえ、山に慣れてるお前なら訳ねえだろう?」
「は…申し訳ありません―――」
苦笑いを浮かべた男の横顔は、纏い付く雷電さえ無ければ至って温厚そうな面持ちだ。鬼気迫る眼光を振り向けられた時とは同一人物とは思われなくて、信勝は、不安な心持ちのまま今暫く目の前の男と語りたいと思った。
「…その前に腹ごしらえでも致しませんか…?干飯と味噌の残りがございます」
この信勝の言に小十郎はえらく男臭い笑みを浮かべた。




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