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―記念文倉庫―

米沢の田園地帯と打って変わって、城下町は家屋の密集地帯だ。
平城である本丸を中心に壕と武家屋敷町が何重にも取り囲み、その片隅に町人たちが細々とした長屋を構え、神社仏閣があり、大勢の人間が暮らしている。火の手が上がったのはそんな中でも、領主伊達家に仕える家臣が屋敷を構える三手組と五十騎町の辺りで、大変な騒ぎになっているようだった。そこが数軒、既に炎に包まれ、今尚燃え広がろうとしていた。
火消し組の制度が整えられた江戸時代の"定火消"が発生するまでは、非常備での隣保共助としての働きや、戦時の城下焼き払いに対抗する手段としての戦術ぐらいしかなかった。それは水をやって火を消す、と言うものではなく、火が燃え移る事を出来る限り抑制する為の隣棟の取り壊しと言った事だ。
今も少年を含む野次馬の前で、まだ無事な屋敷が近隣住民によって打ち壊されようとしていた。
侍・町人含めた男たちが諸肌脱ぎになって傍らの濠の水を浴び、その姿で家屋に飛び込んで行っては、鉤棒や鉈などを持って家の大黒柱をへし折ろうとする。外からは大槌などで壁を打ち壊し、木材を安全な場所まで運び出す。
少年は、そんな大人たちの間を縫って火事場に飛び込み、真っ赤な炎を吹き上げる家屋の脇の路地を駆けた。
火を、止めに入ったのではない。
好奇心に駆られての無謀でもない。
生命が生きながら燃やされている、その光景に魅入られた、とでも言うべきか。
少年がそこで何を見たのか、を知る者はいない。
元より、撃ち壊しと滾る火勢の熱風とに混乱を来した現場で、1人の名もない少年が火事に飛び込んだ事に気付いた者とてありはしなかった。
ただその時、ごうごうと雄叫びを上げながら家屋を舐め尽くさんとしていた炎の柱が、生き物のように、すう、とその手を縮めて見る見る内に消え失せた、と言う現実があるだけだった。
木材を燃やし尽くした訳ではない。凄惨な現場の直中に煤けた雁首を並べた男たちは、とても火勢が納まる気配ではなかった事を肌で感じていた筈だ。
ただ、
炎が消えた後に、何故かずぶ濡れの若衆姿の少年が1人、その家屋の寝所らしき発火元に呆然と立ち尽くしていた。

それが、片倉小十郎景綱14歳当時の、流行病に関わる唯一の記憶だった。
       *

翌朝、ぐっすり眠ったらしい政宗は、昨夜と打って変わって怠さも取れ、すっきりした面持ちだった。
膿みかけていた手の傷の手当をしたのが良かったのだろう、と政宗は郡上の手厚いもてなしに礼を述べた。
しかし、小十郎だけは知っている。
己が主が、病や毒薬の類いに尋常ならざる耐性を持っているのは、その雷属性を利用しての上の事なのだと。
幼い頃から毒殺の危機を幾度も潜り抜けて来た。その傍らに常にあったのだから気付かぬ筈がない。
何と危うい生命なのだろう、と小十郎は幼い主の傳役に付いた頃、そんな事ばかりを思っていたものだ。

軍沢口の大森だいらを出る時に、信勝が又しても1つの神社を見つけ、それに参拝するのを伊達の面々は鳥居の前から少し離れた所で待った。
荒雄河流域に点々と取り囲むようにして建てられた三十六箇所明神の1つだ。鬼首(おにこうべ)をぐるりと一回り経巡る川を捕り縄に見立てて、文字通り悪路王の首を戒めたつもりなのだろうか。
裏寂れた拝殿から戻り「参りましょうか」と告げる信勝に1つ頷いて、政宗は歩を進めた。
これより先は街道もなくなり、昨日丸一日降り続いた雪にすっかり埋もれた細々とした林道を行く事になる。今日はその雪も一旦止んだが、上空には分厚い雲が垂れ込め、日差しも弱い。
何時なんどき再び降り出してもおかしくはなかったので、雪を蹴るカンジキを急がせた。
「信勝…三十六ってのは…」
と政宗が、道案内役に前を行く若侍に声を掛けたのは、息も詰まるような深い杉林の中を行く途中だった。
「は」
「三十六、そいつは一年を10日一旬で数えた数字だろ?荒雄河神社はそれより多いってあんた言ってたな。そんなにこの地には必要か?」
「…悪路王の首が暴れ出すのを防ぐ為、と言う訳ではありませんよ」
信勝は振り返りもせず、足下の雪を踏み分けるのに集中しながら応えた。
「村の古老などが語る昔話では、荒雄河の氾濫を一年漏らさず抑える為、と言うのは良く耳にします。あるいは、この川に囲まれた鬼首の地が神代の頃は火山だったとかで、暴れやすい地勢を鎮める為だとも。それから、荒雄河神社とは別に荒雄岳そのものに祀られた大物忌神と言う一風変わった神があるのですが、これが穢れを浄めるものだと言うので外の世界から内を守る役割を持っていた、と言う説もあります。…しかし、何故ですか?」
「ん?…いや、やけに熱心に拝んでるからよ」
政宗は言葉を濁し、その場の会話はそれきりとなった。
右手の、死人憑きに噛まれた辺りを人知れず意識する。
政宗は、信勝に続いて荒雄河神社の鳥居に近付いて行った時、何とも表現しようのない寒気のような、嫌悪感のような、はたまた抗い難い畏れのようなものを感じてそれを潜るのをやめたのだった。
―――Damn it…. 俺は悪霊か何かかよ…。
心中で毒づきながら、己が身の内に巣食ってその領土を広げようとしているものに対して、政宗は微細なイカヅチを放ち続けた。

山の天気は変わりやすいと言うが、その日は午過ぎから吹雪になった。
軍沢口から出て4時間が過ぎ、進んだのはたった3キロ程。杉の森沢と上芹沢の辺りで殆ど立ち往生となる。この近くに高剥・高剥向の両集落がある筈だと歩き回ったが、舞い上がった雪が分厚い幕になって視界ゼロとはこの事だった。行けども行けども人の住む気配を見つけられない。むしろ、数メートル先の立ち木ですら吹き上がった雪煙に隠され、前後して歩く互いの姿も見失いそうになった。
これ以上動いては危険だと言う事で、平らな所へ出て、そこの雪を掘って風雪を避ける事にした。
手近な所にあった細い木の枝を切り取り、息も出来なくなるような烈風の中、雪塊を掘り進んだ。政宗たち5人が踞り十分風を避けられる程の深さになるまでには、あっと言う間に日が翳り、既に黄昏の様相を呈して来た。
吹雪が止む気配はない。
今夜はこんな何もない所で野宿か、と言う事で、鬼首温泉から持って来た松明を井桁に組んで焚き火を焚いた。穴蔵の中で、蓑笠を纏った侍たちがそれをガサつかせつつ身を寄せ合う様は、どう贔屓目に見ても情けない事この上ない。
食事は干飯と甘納豆に味噌、これを孫兵衛が松明と共に背負って来た陣笠で煮込んで雑炊にした。それに、良直が隠し持っていた酒をちびちびとやって寒さしのぎとする。
しかし、じっとしていると雪穴の上から降り掛かる雪に埋め尽くされてしまいそうになるので、定期的に掻き出さなくてはならない。
彼らは主も従もなくひっきりなしに働いた。

視界と音とで世界が塞がれた中で、政宗が異変に気付いたのはやはり、死人憑きに噛まれた体の反応だったろうか。
彼は穴の中で立ち上がり、その縁に身を乗り出して雪幕の向こうに目を凝らした。
「…政宗様?」と小十郎が同じく立ち上がりながら声を掛けた。
「穴から出た方が良いかも知れねえぜ…このままじゃ一網打尽だ」
「ひ、筆頭!この間の奴がまた?!」
叫びながら良直が腰を浮かす。
「ああ、来たっぽいな…。俺と小十郎とで定期的に雷を放つ。そっから離れんじゃねえぞ―――小十郎」
「は、承知致しました」
確かに雷鳴と雷光なら、この爆風と雪幕を貫いて目印とする事が出来るだろう。
「信勝、この辺りに雪崩れは」と念のため、雷の轟音による雪崩れの可能性を質したのは小十郎だ。
これに信勝ははっきりと首を振った。
「大丈夫です、森や沢に雪崩れを起こす程の傾斜はありません。ただ、雪庇が崩れる事はあるでしょうから、崖のようになっている地形にはお気をつけ下さい」
「そら、松明を取れ」
蓑笠を脱ぎ捨てつつ雪穴から飛び出した政宗に急かされ、信勝、良直、文七郎、孫兵衛らも焚き火から一本ずつそれを取り上げた。

彼らはそれぞれ雪穴の縁から這い上がった。
眼前に翳した松明が強風に掻き消されそうになる。それを袖を回して庇いながら、叩き付ける雪の向こうに気配を探した。
雪の壁の中からぬっと蒼白い手が伸びて来たのは、本当に唐突だった。
気配に悲鳴を上げて飛び退いた良直は、膝まで埋まる雪の為にその場に尻餅を突いていた。
そのお陰で狙いが付けやすくなった、と言って政宗は振り向き様、そちらへイカヅチを放った。
3メートル程の距離をざっと眩い輝きが奔った。
相手の動きは鈍く、輝く蛇体のように伸びた雷光に絡め取られて棒のように立ち尽くした。と同時に体中の水分が瞬時に沸騰したと見え、その体は小さな爆発を起こして四散してしまった。
あちこちに飛び散って落ちた手足が、湯気を上げて雪を溶かして行く。
燃え落ちる以上の威力に、味方である筈の信勝があんぐり口を開けて固まった。伊達軍と共闘した事のない大崎配下の彼にとっては、初めて間近に見る雷属性と言っても過言ではなかった。
―――独眼竜政宗…噂には聞いていたが…。
固唾を呑んだその傍らを、今度は小十郎が駆け抜けた。
扇状に広がっていた一角で、今度は孫兵衛の背後に現れた死人憑きが数体襲い掛かって来た所だ。それを、孫兵衛の巨体を間に挟んだまま、流れるような男の斬激が斬り刻んでいた。速攻、と言う言葉が相応しい手練ではあったが、その様は流麗と言うより他ない。無駄な動きが一切ない、剣の達人レベルに至るとその動きは剣舞になると言われるが、正にそれだった。
―――この主にしてこの臣あり、か…。
独眼竜と、竜の右目と呼び習わされる双璧の竜を目の当たりにした信勝は、何故か歯を食い縛って辺りの風の中へ松明を翳して睨みを利かせた。
「さすが筆頭!!さすが片倉様!」
喚く良直や文七郎たちの声と影とを、伊達主従の放つ雷光の中に捉える。
これは高揚か、と思った。
この主従の快進撃を前にしては萎縮と言う言葉は有り得なかった。
気付けば、雪の幕を突き破って不格好な死人憑きたちがぐるりと彼らを取り囲んでいた。
「うじゃうじゃ湧いて来やがったな…」呟きつつ、政宗がその両腰の六爪を抜き放った。
「OK, Let's party! Ya-ha!!!!!」
敵の出現に快哉を上げる政宗の声に乗って、支離滅裂にイカヅチが飛び交った。
信勝は悲鳴を上げて思わず逃げ回っていた。
他人事のように伊達軍の働きを眺めている余裕もない。死人憑きが爆発した様を見ては、飛び交う雷光が純粋な恐怖を呼んだ。
だが、デタラメかと見えたその電撃は、尻込みする信勝を避けてその横から飛び掛かろうとした一体を弾き飛ばした。更には、奔る雷光に照らされたお陰で狙いが定めやすくなった良直たちが、槍や太刀を振り回して雪の上を飛んで跳ねれば、よちよち歩きの死人憑きは敵ではなかった。
「信勝、ボサっとしてるんじゃねえ!」
呆然としていたら小十郎の檄が飛び、これが伊達軍の、特に伊達政宗側近たちの戦い方なのだと我に返った。
政宗の雷電に打ちのめされるなどと心配したりせずに、むしろそれに乗って踊るぐらいの心意気で戦え、と。
―――無茶苦茶だ…!
吹雪に晒され凍える程寒いと言うのに、背筋や脇にじりじりと汗を掻く。それでも信勝も、にじり寄って来る死人憑きを追い払うべく己の刃を振るった。


     To Be Continued.




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