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―記念文倉庫―

午前の早い内に、蓑笠を纏った佐馬助は岩出山城に向かって1人道を引き返した。
一度通って来た道だ。曇天にかなり強い風雪が降り出していたが、佐馬助に不安はなかった。
岩出山城城主の氏家氏は大崎氏家臣の1人で、信勝の主小泉と同じように、大崎氏の統治力の弱体化に憤懣やるかたなく、自治力を強めている領主だった。伊達の奥州支配を歓迎した地頭の1人でもあるので、政宗の令書を持てば動かないと言う事はないだろう。
一方、政宗たちも鬼首温泉地を発って、次の宿泊地として定めている軍沢口へと向かっていた。
宿を出る際、そこの老夫婦から松脂を纏わせた松明を一抱え譲り受けて、文七郎と孫兵衛が背負った。宿屋には、その表と裏とに篝火を焚いて、これを夜間は欠かさぬようにするか、集落の方へ降りて行って騒動が収まるまで世話になるよう言いつけた。
あの老夫婦がどう言った結論を下すのか、それを見届ける時間はなかった。
空模様は荒れ始め、道中で立ち往生しかねない。仕方なく政宗も蓑と笠を纏って、叩き付ける冷たい針のような風雪を避けなければならない程だった。
細く頼りなく、雪に埋もれた街道を彼らは急ぎ歩き、定期的に手分けして沢まで降りて行った。
水の枯れ果てた沢の流れは幾つも見つけたが、山が崩れて土砂となってそれを塞いでいるような現場はなかなか見つけられなかった。

政宗は陽が昇った頃から己の体調が優れないのを意識していた。
あの動く死人、死人憑きに咬み付かれた右手の付け根がじんじんと熱を持っているのに対し、前身が怠さを含んで凍えて冷たい。まるで、凍った屍体の息吹を傷口を通して体内に吹き込まれたかのようだった。
小十郎が我が身を心配して駆け寄って来た時に、とっさにその怪我を隠したのは何時もの強がりだった。死人憑きの話を聞いた時に、その憑依が人から人へ伝播するのか、と問おうとして止めたのは、いらぬ心配をかけさせたくないが為だったが、雪道の強行軍を続行させたのは自分の状況の原因を探らなくてはならないと言う、焦りにも似た思いからだ。
例えば、憑き物によって死人が蘇るだけであるのなら、20体にも登る死人を動かしたのはそれだけの数の怪異が存在するからなのか、それとも大勢の死人を同時に操れるだけの強大な能力を持つ化け物がこの山中に潜んでいるからなのか、見極めなくてはならないだろう。
ましてや、これが疫病のように死者から死者へ、はたまた死者から生者へ移り広がって行くのであれば、これの根源を突き止め、殲滅しなければならない。
―――絶対に、だ。
疫病の恐ろしさは己が身が厭と言う程味わっている。
村落の1つ2つ、あるいは城下町を丸ごと焼き滅ぼさなければその蔓延を食い止める事が出来なかった例もある程なのだから。
政宗は、生まれ持った雷属性を操る事によって、体内を犯す毒素を死滅させる術を何時しか身に付けていた。
他ならぬ、4つの頃に流行った疱瘡に罹り、九死に一生を得た後に気付いた属性の一面だ。それをする事で病気などの他に、服毒してしまった時、毒薬を意図的に調和する事すら出来るようになった。
彼は、毒だけでなく薬までもが効きにくい体質になった訳だ。
分厚く積もった羽後街道の雪を蹴散らして進みながら、政宗は己の体内で暴れる不可思議なものと人知れず戦っていた。

軍沢口(いくさざわぐち)は江合川(荒雄河)の支流の1つである軍沢川添いに杣人が林業を営んでいる土地だ。森で切り出して来た木材をその川に乗せて下流の大崎まで運ぶ。また、近くにある大森の入り口に土地を切り拓いて作った大森だいらでは、農業を営む百姓が山深い土地に細々と暮らしている場所でもあった。
その中で、信勝の顔見知りだと言う百姓屋にその夜は泊めて貰う事になった。
風雪が叩き付ける中を丸一日、殆ど口もきかずに歩きづめだった彼らは、疲労困憊と言った有様だ。余計な肉が人一倍付いている孫兵衛などは、松明の束を背負っての道往きに何度も音を上げ、その度に良直や文七郎に尻をひっぱたかれて進んだ。だから、今日の宿だと言う庄屋の立派な農家に辿り着いた時には、殆どへたり込むようにして腰を落ち着けた。
その庄屋は、信勝の主である小泉好継の下で年貢の代理徴収を行なったり、農民兵や輜重兵などの希望者を募って戦に参加させたりなど、政の末端の手伝いをして来た者だと言う。政宗たちを出迎えた50過ぎの豪農はだから、肝っ玉の据わった荒武者並みに恰幅の良い男だった。
「何と、先日の彗星が落ちた先を調べに参られたのですか!それは儂らも心配していたんで有難い事じゃ」
そう人一倍大音声で言い放ち、にっこりと相好を崩せば、荒々しいが見る者を何処かほっこりさせる円空仏のような顔つきになる。
政宗たちは囲炉裏を囲んで夜遅い夕餉を馳走になっていた。
「儂は、彗星が落ちた時はすっかり眠りこけておりましたが、地揺れの凄まじさに飛び起きたもんじゃ。とっさに表に出て、家が崩れて来やせんかとハラハラしておったが、見ればちょうど荒雄岳の辺りに煙が立っておってのう。山火事なるかと思って村の者を集めておいたが、さすがにこの雪ではそれはなかったようじゃ」
「郡上はどの辺りで山崩れが起こっているのだと思う?」
信勝があつあつの鍋物を掻き込んでから、勢いづいてそう尋ねた。しかし、これには郡上、と呼ばれた豪農は難しい表情を刻んで即答を避けた。
「実はのう信勝どの…儂は川の水が半減しておるのは、山崩れが原因ではないんじゃないか、と思っとるのじゃ」
「何だと…?」
他の、特に鳴子御殿湯や更に川下の岩出山辺りでは、どの庄屋も地侍も、彗星による衝突と山崩れが原因だと口々に言っていた。彗星の落下はそれこそ、荒雄岳から10キロ20キロも離れた村々にも地響きを伝え、その峰峯から夜空に立ち登る仄明るい煤煙を垣間見せた程だ。
鬼首の地名の謂れもあるから、悪路王の生首が川の水を呑み干しているのだ、と囁く声もあったぐらいだ。
「それでは、郡上は何だと思っているのだ?」
「………」ううむ、と唸って郡上は黙り込んでしまった。
不意に何を思ったか、目の前の囲炉裏で煮立てている鉄鍋の中に、郡上は自分の椀に盛られていた粟飯をポンと言って空けた。
信勝だけでなく、政宗も小十郎も何事かとそれを見守る。良直たちは、郡上の箸が付いた飯がそうやって無造作に鍋の中に広げられて行くのを苦い顔して睨みつけた。
「まあ、今この飯の周りに溢れとる汁が江合川だとしますわな。で、この粟飯が荒雄岳などを中心にした鬼首の山々…南東の際は高日向山ですじゃ。そしてここら辺が地獄谷」
そう言って持っていた箸を突き刺しぐい、と穴を空けたのは、高日向山の西、真冬でも雪が積もる事がない荒涼とした土地である荒湯地獄などがある地獄谷の中央だ。粟飯の塊の一箇所に穴を開ける事によって、そこから鍋の汁は吹き出し、粟飯を侵蝕し始めた。
これを眺めて信勝も郡上の言わんとする所に気が付いた。
「…この荒雄河の流れは実は地面の下で繋がっとるんじゃないか、と昔からのもっぱらの噂じゃ。無論、山上からの雪解け水や湧き水もあるにはあるがのう。ほれ、八ツ森から荒雄岳一体に霧が掛かってなかなか晴れんと聞いとるが、それは地獄谷から何時も以上の水が吹き出しとるからじゃないかね?」
「―――確かに」と信勝は深々と頷いた。
「成る程、そこでは溢れた川の水が忽ち水蒸気になってしまうから他所に流れて行ってしまう事がない。だから人々も気付きにくい、と言う事だな?」
信勝に続いて、郡上の説明に納得した小十郎が問えば、頷く。
「…ですが、繋がっとる所を見た訳ではないので確かとは言えませんがのう」
「いや…土地の者の見る目は時折真理を突く事がある…。迷信や伝説の内容も侮り難い」と小十郎は続いて唸った。
「山崩れの線も否定し難いですぞ」
そう言って郡上は、鍋の中を"おたま"で掻き混ぜて結局雑炊にしてしまった。これが結構旨かったので、信勝も良直たちももはや頓着せずに、次々と胃の中に掻き込んで行った。
その中で、政宗の箸が進んでいないのに気付いたのは小十郎だった。
「政宗様…御気分が優れませんか?」
「いや…That doesn't matter. 何ともない」
言って、さり気ない風を装って箸を持った右手を膝の上に乗せた時に、ようやく篭手に包まれたそこに未だ癒えていない傷があるのに気付いた。
「政宗様、そちらの御手は」
「何ともないって…薮に引っ掛けただけだ」
「何ともなくはありません。篭手が破れる程の薮が何処にありますか」
一頻り、悶着があって終に小十郎に右手が取り上げられると、政宗は嘆息した。
その間に、郡上が家人に申し付けて傷薬や軟膏などを用意させていた。
この豪農の屋敷に上がってから、兜は取り去っても具足を解いていなかった政宗は、皆の前で小十郎によって篭手を解かれた。その下から現れた醜い傷口に、思わず腹臣の表情が痛々しいものに歪んだ。
それを目撃して政宗は顔を反らさずにはいられなかった。そんな、己が受けた傷よりも酷い苦痛を露わにしなくても良いじゃないか、と無体な憤りが胸を満たす。
「政宗様…もしやそれは昨夜の死人憑きに」と思わず口を滑らせたのは、信勝だ。
死人憑き、その単語を聞き逃さなかった郡上が、白いものが混じった太い眉を上げる。
「死人憑きですと?」
「これは内密の話だ」と小十郎がすかさず釘を刺す。
だから口を出すな、と侍に低く恫喝されれば普通の百姓は平伏して身を引く。だが、この付近の百姓を束ねる郡上は頑として引かなかった。
「死人が蘇るとか言う、死人憑きですか…?それがこの鬼首に現れたと?」
臆しもせず己を見返して来る肝っ玉の太い豪農の問いに小十郎は仕方ない、と言った風に溜め息を吐いた。そして、郡上の顔を真正面から見据えながら説明してやった。
「…鬼首温泉の宿屋に泊まった夜、死人としか思われないような集団に襲われた。全身腐り爛れていて、しかも凍ってな。火を嫌い、首を落とす事でようやく倒せた。…すぐ様、兵を呼んで山狩りを行なわせる手筈だ。郡上、余計な事を吹聴して村人の不安を煽るんじゃねえぞ」
伊達の軍師の静かな恫喝に、豪農は臆しもせず深く頷いた。
「お侍さんが動いて下さるんなら、儂らは黙って従いますじゃ…」
そうして、小十郎は盥に用意された奇麗な水で主の手の傷を丁寧に洗って行った。
「去年の夏…」と、その光景を見やりながら郡上が呟いた。
「この山野一帯を流行病が蔓延しましたなぁ、信勝どの…。相当の死者を出して、埋葬も追っつかなかった…」
この郡上の言に、小十郎は怒りも露わな視線を信勝に投げやった。
小十郎に睨まれた方は、それを見返す事も出来ずに面を伏せるばかりだ。
「その流行病ってのは?」と小十郎は代わりに郡上に問うた。
「はあ…高熱を出して、ものを吐き返したり、腹を下したり。罹った者の体に赤い斑点のようなものが現れて、罹って数日と経たない内に動けなくなってそのままぽっくりじゃ。恐ろしい病が流行って戦々恐々としておりましたが、秋口になって涼しくなると、自然と治まりましたじゃ」
「その死人が村の外れや山中に打ち捨てられたままだと言うんだな?」
「その通りで。何と言っても足の速い病じゃ。次々と倒れるものだから、焼くのも埋めるのも人手が足りん。どうしようもなかった…」
「………」
郡上の話を聞き終えた小十郎は、静かに歯を食い縛ったまま固まった。
「Ha…. 大概の流行病はそうやって収束して跡形もなくなる…」
治療を受ける政宗はそう呟いた。
「まさか今になってその流行病に罹った者がわざわざ蘇ったなんて言うなよ、小十郎」
「しかし…原因が何であれ"死人憑き"になりそうな屍体が近隣の山中に転がったまま…と言うのはぞっとしません」
「確かにな」
「…お休みになられますか?」
「ああ…」
気怠げな主の様子に小十郎は素早く治療を済ませ、傷口にサラシを巻き付けた。そして、青年が立ち上がるのに手を貸し、与えられた大座敷へと下がって行った。




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