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―記念文倉庫―

東京の伊達事務所に越して来てからと言うもの、小十郎には幾つか困った事があった。

先ず、野菜の値段がバカ高い。
伊達屋敷に残して来た畑は、女中たちにそれは事細かく世話の仕方をノートにまとめて頼んで来た。土地の狭い東京ではさすがに畑など無理だろうと思って諦めていたのだが、こうなっては作るしかない。
小十郎は屋上に畑を「作った
」。
ガーデニングの要領で囲いを築いてから、ビニールシートを敷いて土を盛った。水はけが出来るようにビニールシートには所々穴を開けてある。
綱元には笑われたが、構うものか。先ずは実験として、余り土や水に贅沢を言わないものから育て始める事にした。
次に、事務所の若い連中が政宗の事を「筆頭」と呼び始めた事だ。
言い出しっぺがいるが、そいつは小十郎に厭と言う程しぼられた。だが一度浸透したものは拭い去り難く、小十郎が何度も「政宗様と呼べ!」と怒鳴りつけても直らなかった。
最初に折れたのは綱元で「政宗様には政宗様の魅力があるって事だろ」と笑って済ませられた。それだけでなく、綱元までもが時折「筆頭」と呼ぶ。
どうすればそれらを矯正できるか、それが小十郎の今の懸案事項だった。
そして、最後の問題が一番厄介だった。

昼過ぎには入学式を終えて一旦帰って来た政宗たち。これからまた何処かへ出掛けるような様子で、二人は政宗の部屋で何やらやっていたようだった。
それがガチャ、と小十郎の部屋の戸がノックもなしに開かれる。
ぎくりとして本を読んでいた小十郎が振り向くと、黒いGパンに上半身裸の政宗が何食わぬ顔で入って来ていた。彼は「ちょっと服借りるぞ」と言って小十郎のクローゼットを開けて中を物色し始める。
どうやら、元々政宗と成実はお互いの私服をしょっちゅう交換していたらしい。体格がほぼ一緒だし、年齢も一つ違いだからそれは分かる。
だが小十郎は、サイズから服の趣味まで全く違う。
だから中学生までは小十郎がその仲間に入る事がなかったのだが、高校生になって東京に来てから何らかの意識の変化が起こったか、小十郎のかなり大きめの大人っぽい服を着たがるようになった。
「…買ったらどうですか」
と言う小十郎の戸惑いがちの提言に、政宗も成実も当然のように返した。
「もうあるのに買うなんて、勿体ないだろ」
いや、確かに、金持ちの家に産まれて当然のように何でも物が買い与えられるなどと言う非常識な考えが根付かないように躾けたのは小十郎本人だったが。
上着だけでなくパンツ系も借りようとした事もあったが、こちらはウエストがぶかぶかな上に裾を折らねばならなかったため断念したようだ。
政宗はどうやら今日のお気に入りを見つけたようだ。
黒いカットソーを頭から被って袖を通し、クローゼット脇の鏡の前でそれを確かめた。まあ、ゆったりサイズなのは仕方がない。けれど、ストレートデニムのぴったり感と、カットソーのルーズさが今流行りっぽく見えて実に様になっている。
「………」
小十郎は政宗が部屋を出て行くまで固まっていた。
何だか胸の辺りがむずむずする、思わず本の上に上体を突っ伏してしまった。背中がこそばゆい。―――これがどういう感情なのか、彼にはもう自覚があった。
その証拠に、続いて成実が部屋に飛び込んで来た時には「じゃま臭えぞ、成実」とその頭を小突いてやった。
「なんだよ、かたくー!政宗には良い服貸して、俺にはないのかよ!!」
どうやら政宗がカッコ良く決めて来たのを見て敵愾心を煽られたらしい。何かないかとクローゼットの中を漁る。しかも汚い、ごちゃごちゃにしてくれる。このバカが、と思いつつ笑えて来た。
「服のせいじゃなく中身の問題じゃないのか?お前ももっと男を磨け」
「がーっ!!ムカつく!何その言い草!!俺だってイイ男だもんね!」
何とか服を見繕って成実も出て行った。
乱れたクローゼットを片付けながらふ、と溜息が漏れる。
そう、これだけならまだしも、なのだ。

例えば、風呂上がり。
短パン一ちょで部屋に乗り込んで来た成実が「小十郎!勝負だ!!」などと言ってボクシングをけしかけて来るのは、まあいい。
タイミングを外して、政宗は腰にタオルを巻き付けたままの格好で小十郎の部屋に入って来ると本棚を物色、その場でパラパラとページをめくり始める。
「政宗様…寝間儀を着て下さい。風邪を引きます」
「ああ…」
半ば本に夢中になっていた政宗は「小十郎の」クローゼットからTシャツを取り出して着た。多分もう何処に何があるのか覚えているのだろう。しかし、だからって―――裸にTシャツって…。
小十郎は机に向かったままピクリとも動けなくなった。
そこへ、やはりノックもせずに成実が飛び込んで来て「あ、いたいた」と言って、床に座り込んで本を読みふける政宗の傍らに腰を降ろした。そうして大人しく本を覗き込む。
これでは何の為にそれぞれの個室を用意してもらったのか分からぬ。小十郎は書き物をしていた手帳を閉じて、黙って部屋を出て行った。向かうのは綱元の入るオフィスだ。
大仰な溜め息を吐きつつやって来た小十郎をチラリと見やって、綱元は指示を出していた若者から離れた。
「どうした、小十郎」
「政宗様が―――いや、何でもない」
今の状態を綱元相手に言う訳には行かなかった。
いや、誰が相手でも言えよう筈がない。
そんな袋小路に迷う小十郎を何と思ったか、綱元はちょっとだけ口角を上げた。
「多分、慣れない環境だからな。不安定にもなろうさ」
「慣れない環境?」
「街だけでなくこのビル内にも24時間人の気配がある。仙台市ならちょっと都心を離れりゃ山に囲まれた景色が見えるが、こっちじゃなかなかビルも民家も途切れん。何処まで行っても町中だ。夜中でも車の走る音が途絶えた試しがないし、近所の道すらまだ良く分からん。お前、忘れてるようだがあの二人は中学になって初めて外に出たばかりなんだ。ちっとはナイーブになるだろう。ガキの頃から家を飛び出してた自分と一緒にするな」
室内犬のようなものか、とちょっと不敬ながらも小十郎は思った。
「高校に通い出してからも暫くは続くだろうが、お二人ともまだ若い。すぐ慣れるさ。それまで不安に付き合ってやれ」
そう言いつつ笑って「小十郎父さん」と付け加えて来た。
聞き捨てならない台詞を聞いたと柳眉をいからせる小十郎に向かって、綱元は今度こそ声を立てて笑いながら背を向けた。
「折り菓子がある、紅茶と一緒に持って行って差し上げろ」
「ああ、ありがとうございます…」
それらを盆に乗せて自分の部屋に戻ると、二人はまだいた。
その足下に黙って盆を置いてやると「ありがと」と言って成実が菓子に手を出した。
しばらくして政宗も「Thanks」と呟いた。


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