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―記念文倉庫―

政宗たちはその日の内に仙台を出て、羽後街道に乗ると一気に北上して玉造郡・鬼首を目指した。
大崎の城下町には寄らず、鳴瀬川を渡って愛宕山を越え、岩出山の城下町で寂れた宿屋に一泊。翌早朝には春入りのボタ雪が降りしきる中を出立すると、人の気配も絶えた細い街道を更に馬を急がせ、午過ぎには鳴子御殿湯の宿場町へ入った。
道中は真冬の様相を呈していて、大崎の地元の田畑は一面の銀世界だ。そして、その縁を囲う山々は、葉の落ち切った木々を雪の地肌にまばらに突き立て枯木寒岩とした眺めを見せた。
途中から街道と並んで蛇行する荒雄河は山裾に、あるいは田畑の向こうに、あるいは民百姓の家屋の間を縫って黒々とした帯を走らせていた。
確かにこの流れが溢れれば防波堤もない周辺は水浸しになってしまうだろう。若い種籾は押し流され、人々は住処を無くす。4月や5月でもこの地方は雪も降る。そこから立ち直るには途方もない時間と資源が必要になるのだ。
早馬を走らせて来た熊谷信勝の主小泉好継とは地頭の任に就いてから大きな戦もなかった為、正月の祝賀の際にしか会った事がなかったが、それ相応に己が領地を巧く治めようと勤めているようだ。
その家臣の信勝も早馬を飛ばせて来ただけあって、政宗以下、小十郎たち特攻部隊の駆る爆走に遅れも取らずに良く付いて来た。良直たちの荒技に音を上げる騎馬隊は大概、後々の猛特訓が待っているものだった。

5月6月の山開きになれば、標高1000メートルにも満たない荒雄岳の踏破には1時間ちょっとで事足りる。
だが今、鳴子御殿湯の宿場町から見るそちら方面は、赤沢の雑木林が立ち並んだ幹木に淡い雪衣を纏って、1メートル近い積雪の中にうっそりと横たわっていた。あの中にこの時期踏み込むのは、地元民でも自殺行為と思われただろう。
それを眺めて人通りのない街道の端で待っていたら、下馬して宿屋の1つに入って行った信勝が戻って来て政宗の馬の傍らに立った。
「馴染みの宿屋の亭主に山入りの設えを用意させております。こちらへ」
政宗は黙って馬を下り、それを良直に預けて信勝に付いて行った。
小十郎らも後に続く形でそれぞれに馬を下りた。そこへ、彼らが主の僅かに戸惑いがちな声が風に乗って流れて来る。
「今日はもう午を回ってるから出立は明日早朝、とかって言わねえのか?」と。
すると、政宗の前を歩いて案内に立つ青年が応える。
「無理にお止めすると強硬手段に打って出かねないでしょう、貴方様は」
笑い含みのその台詞に、政宗はぐ、と片眉を上げるに留めた。
「登山口は南の八ツ森の東西に1つずつあるのですが、片倉様のお察しの通り、雪に埋もれて立ち入る事すら出来ません。それに、地獄谷からと見られる濃霧で視界も効きません。今は、川の様子を探ってこのまま荒雄河を遡って行く事に致しましょう。彗星(ほうきぼし)が落下して山崩れを起こしている箇所を見つけて、人足を入れる道を確保できるように」
「Hu-m, 良いぜ、あんたに任せる」
「は」
どうやら信勝の聡明さは政宗に気に入られたようだ。
何処か親密ささえ感じられる2人の後ろ姿を睨みつつ、主の馬と己のそれの口縄を取った良直が、タラコ唇を尖らせて低く唸った。
「…片倉様…何だかあいつムカつきますね…」
「何でだ」と良直の半歩手前を歩く小十郎が問い返す。
「何でだ…って。筆頭に巧く取り入りやがって…」
「しかも態度がデカ過ぎますよ!」と後ろから付け加えたのは佐馬助だ。
「そうっすよ!片倉様を差し置いて筆頭の隣に侍りやがって」
「きっと伊達軍に入りてえって魂胆に違いねえ!」
続けて小声で喚くのは、文七郎と孫兵衛だった。聞こえよがしに大声を張り上げないのはそれでも、伊達の配下にある大崎の家臣が相手だ、と言う気遣いが働いているのだろう。
小十郎は背後の彼らを顧みる事なしに、ほんの僅か口元を苦笑の形に歪めて言った。
「お前ら、間違ってもそんな事政宗様の前で口にするんじゃねえぞ」
「……何故です?」
4人を代表して良直が不服げに問う。
「政宗様が下した奥州の地にある全ては、政宗様のものだ。それを悪し様に罵られちゃ雷が落ちる…」
その言葉に良直たちは顔を見合わせた。この寒いのに背筋に冷や汗が流れ落ちる感覚を味わったようだ。
そうとは言っても、政宗のものであるのは何も大崎氏家臣だけではない。良直ら端近くで共にに馬を駆る者どもも、ましてや、広い背を見せてゆったりと歩くこの"竜の右目"と呼び習わされる男も例外ではないのだ。
ごくり、と音を鳴らして生唾を呑み込んだ。
「さ、さすが筆頭だぜ!すけーるがデケエ!!!」
口々に叫んだのは一拍置いてからだ。その声はさすがに政宗の耳に届いたか、彼は訝しげな表情を振り向けて良直たちを睨めつけた。
「小十郎」とそのついでのように呼びつける声が飛ぶ。
広く雪を掻き退けられた宿の間口から中へ入る主に続いて、呼ばれた小十郎も小走りにそこへ足を踏み込んだ。
寒さ避けの戸を潜ればそこは広い土間になっていた。それは奥の裏庭まで続いているようで、途中の上がり框にカンジキや蓑笠などが用意されていた。
今、土間に降り立った宿の主人と見られる腰の曲がった翁が、小十郎を振り向いて深々と頭を下げた。
「小十郎、この爺さんが地図を持って来てくれたぜ。信勝から説明聞いといてくれ」
「承知致しました」
そうやって2人に周囲の地理に関する知識を深めさせている傍らで、政宗は脚絆の上から使い古されたカンジキを自ら履き始めた。
良直たちは、宿から出て来た丁稚と見られる小僧に案内されて宿の裏手に馬を繋いで来た。裏庭から続く土間を通ってその場に現れた彼らが、その様子を数瞬眺める。
小十郎は先程ああ言ったが、伊達内部の結束と、その中でも"独眼竜"政宗と"竜の右目"の絆の強さ深さは、奥州覇者たる政宗の立場すら飛び越えてあるものだ、と思いたい彼らだ。そして小十郎が立場上、自分たちの前では何事もない風を装っていても、やはり心中穏やかではないのじゃないかと勘繰りたくもなる。
何故だか不貞腐れた風にしながら身支度を始めた良直たちを、政宗はちらりとだけ見やった。その手は慣れた様子でカンジキの藁縄を括ってその足に結び、やがて身支度を終えて立ち上がった政宗は1人、蓑笠も持たずに宿の外に出た。
青空を所々覗かせる曇り模様の天空の下に、しんと横たわる雪景色が広がっている。
宿屋がぽつりぽつりと軒を連ねる街道を、押し包むように迫る雑木林の暗がりと、その向こうに見える深い森の連なりと、遠い山。強風が雪を巻き上げ、その山腹から吹き飛ばされる様が静止画像のようにくっきりと見分けられる。
ふと視線を転ずれば、街道の端に侘しげな神社の鳥居が見て取れた。
ここに至るまでの道程でも何度も目にして来たものだ。短い距離なのに存外数が多い。何と言う神を祀る社なのかと思ってカンジキを履いた足を踏み出しかけた時に、小十郎たちも宿から出て来た。
「参りましょうか、政宗様」
そう静かに告げる己が腹臣は、鎧具足と陣羽織の上にきっちりと蓑笠を纏って、ついでに政宗の分のそれも小脇に抱えていた。もっさりしてガサゴソと煩いそれを、政宗が身につけるのを嫌う事が分かっていたから無理に付けろとは言わないが、いずれ必要になるからとわざわざ持って出たのだ。几帳面な彼らしい。
「…そいつは佐馬か文七辺りに持たせろ」と政宗は苦笑しながら言った。
「しかし」
「副将がいざって時に刀抜けなかったら様になんねーだろうが」
言いながら政宗は有無も言わさず男の手から蓑笠をひったくり、その後ろに立っていた佐馬助に突き出した。受け取る佐馬助や良直たちは嬉しそうだ。他ならぬ、彼らが副将が政宗に常の通り頼りにされている事が。

そうして政宗たちは午過ぎに鳴子御殿湯を発った。
荒雄河は岩渕山の南西をぐるりと回り込んで北上を始める。そこら辺りは後年ダムの底に沈む事になるが、今、細々と羽後街道は続き、山に分け入って杉や山毛欅を切り出す木樵たちの集落がぽつりぽつりと、雪に埋め尽くされた山の斜面に散見される。
陽の下で見る鬼首の土地は、信勝の主小泉が納める大柴山と小柴山、そして花立峠を越えて禿岳や須金岳などの1100〜1200メートル級の外輪山に取り囲まれた環状盆地であるのが見て取れた。
道の左右に迫る山々、深い切れ込みを見せながら立ちはだかる山容、その袂で人々の営みは如何にも卑小だ。
川の水量が減っている、と言う信勝の話だったが、山の斜面に切られた街道からでは、立ち並ぶ雑木林の群れと薮とで崖下を流れる沢の様子は見て取れなかった。風の中に微かに混じってさわさわと水の流れる音が届いて来るだけだ。
それを、時折立ち止まった信勝が沢まで降りて行って様子を見て来る、と言った事を繰り返した。
「山崩れの様子は見受けられませんが、明らかに川は痩せていますね…小さな沢など水が流れていませんでした」
そう言って崖を登って来た若侍は白い息を引っ切りなしに履き零す。
「もっと上流だって事だろ。速く行こうぜ」と政宗がそれを急かした。
途中、街道を反れて鬱蒼とした林道へと信勝は一行を導いた。
「荒雄河神社がこの先にあります。川を遡り、荒雄岳の山懐に入るのですから是非とも参拝して頂きたく存じます」
それを先に言え、と政宗はがなりたかった所だろうが、ふと首を傾げた。
「ここに来るまでに社を腐る程見掛けたな。温泉の出る所にゃどうも神社を建てたがるもんだが、何か謂れがあんのか?」
そうして無邪気に問う国主を、信勝はちょっと困ったように微笑みつつ見返した。
「応徳3年(1086)頃には源義家が征東の御旅の際、戦勝を祈願して黄金の剣を奉納されたと伝えられています。また、嘉応2年(1170)に藤原秀衝が鎮守府将軍になった時に奥州一の宮としてこの神社を特定され、大崎義隆が奥州探題だった頃(室町時代)には、大崎五郡の一の宮として崇拝を受けて参りました。そうした長い来歴を持つ社なので、この荒雄河沿いには他に36箇所の荒雄河神社があると言われております。実際、その里宮は36以上ございますが、里宮に対する奥宮は荒雄岳山頂にあるただ一社。これも里宮も、決して絢爛豪華なものではなくとも考え得る限りの昔から当地に鎮座まします社に参拝するのを、我々は習わしとしております」
信勝の長説明の間に、彼らの眼前には朱塗りの鳥居が白雪の中に赤い炎のように立ち上がった。
政宗の無知を嘲笑う(信勝にそのつもりはないのだが)他国の臣の言葉を、良直たちは苛々しながら聞いていた。源氏だの藤原氏だの、前時代の華々しい武将の名を並べ立てられたからって、目の前にあるみすぼらしい社を有難くも何とも思わなかった。
境内に立ち入っても同じ事だ。
人の足跡が全くない白雪を苦労して踏み分け踏み分け、参道を通り、急な階段を上って神門を潜ってみれば、これまた新雪が幾重にも降り積もった中に今にも屋根庇の下まで埋もれてしまいそうな小さな社がある。
それは小ぢんまりとして、良直たちに言わせれば"冴えない"ものだった。
「祭神は」と政宗は拝殿に歩み寄りながら信勝に尋ねた。
「須佐之男命、誉田別命、迦具土命、大山祇神、日本武命ですね。これを含め、川端の36箇所の神社を健立したのは葛西城主・葛西監物の時代と言われておりますから、建長5年(1253)ごろにはこの地にあったものでしょう」
この信勝の台詞を聞きながら、風雪に耐える陰鬱な拝殿を眺め上げた政宗は白い息を吐き出した。
東北のこの地は、大和朝廷に与しない叛徒らが住まう異界の地だった。これを平らげる為に始まった坂上田村麻呂の征夷大将軍の裔たる源氏・藤原氏が鎌倉を本拠地として、また海上進出の拠点として房総木更津に軍港を築き、軍団や兵糧を集結させる兵站基地として香取神社のある佐原付近を制圧して、やがては中央政権へと矛を返したのもやはり、この奥州だった。
その頃、大和政権の支配が及ぶ北限として次々と神社を建てて行ったのも彼らだ。
神社とは、その土地神や自然を崇め奉っている体でいて、実は人間たちの勢力争いの版図を示す記念碑的役割を果たしているものだった。
少なくとも、政宗はそう思っている。
それに手を合わせ、頭を下げなくてはならない謂れはなかった。だから政宗は拝殿をじろじろ眺め回した挙げ句、さっさと踵を返してしまった。
その後ろ姿を信勝は長々と溜め息を吐きながら見送った。
政宗の腹臣たちも同じだ。彼らが頭を垂れるのは奥州筆頭以外には有り得ないのだ、そう言った態度も露わに。




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