[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―

『煉獄―Rest in Peace.―』

      *序*
小さな宇宙で、小さな星で、蒼白い草原が広がっていた。
見渡す限り蒼い草原だ。それが仄かに湾曲しながら360度全ての視界を置い尽くしている。
空は全き闇だ。
宇宙と言うのは広がりであり、虚空である。後に"ユニバース"と呼ばれるものとは打って変わって、星々や月などが見える訳でもない。
文字通りの"虚空"だった。
足下へ目を転ずれば、それが植物の草ではない事は一目瞭然だった。
風もないのに揺れているそれは"炎"だ。掌程の大きさのそれが無数に、際限なく瞬き、身をくねらせ、逃れ得る場所もない程大地を埋め尽くしている。
その炎はしかし、熱いと言う感覚を与えては来なかった。
むしろ冷んやりと素足に感じられて、蒼白い精霊のように踊る。そして足の皮膚を、小さな爪先を包んで舐めて、どす黒く焦がして行く。
痛みはないのに確かに生身の身体を焼いているようだった。
いや、それは焼くと言うより滅ぼす、と言った言葉の方が相応しい。
どす黒く染まった表皮がぽろぽろと剥がれ、脚の指の小さな爪先からぽろぽろと形を崩して行く。
この炎は死そのものだ、と思った。
生きとし生けるもの全てが避け得ないもの。形を崩して失わせて、もう元には戻らないもの。そして、熱さも冷たさも大した違いがなく意味もないもの―――。
ふと足下から目を上げると、真っ平らな草原に一本の眩い火柱が立っているのに気付いた。それは遥か彼方にあるように思えて一度は足を止めた。だが、分かっている。そこへ辿り着かなくてはならない。
寸毫とも永遠とも取れる時間の経過はやはり、ここでは意味を成していなかった。目の前に見上げた蒼白い火柱はふと気付いたらそこに在ったのだし、元からここにいたのかも知れない。
美しいヒトだ、と思った。
蒼白い炎を纏って佇むその女性は、生まれた時からそれを持っていたかのように静かに眩く照らされていた。炎の中の光のように造作の細部がはっきりしない代わりに、まるで炎そのものが彼女自身であるかのようにそこにある、美しいヒト。
そして彼女は、その腕に小さな子供を抱えていた。
自分よりずっと小さい、恐らく嬰児からさして成長していなさそうな、未だ自分の指を口寂しくてしゃぶっているような子供だ。
彼女はその子供を黙って下ろそうとした。
完全なる依存の状態、癒着した母性から切り離されるのを誰もが嫌がるように、その子供も彼女の手から下ろされるのを拒んだ。けれども、誰しも時間と共に母性からは卒業して行くように、その子も眩い火柱から離される運命にあった。そして、それで役目は終えたと言うように美しい女の炎は闇に、虚空に溶けて行った。音も立てずに。
寂しさに母性を追って駆け出しそうな子供を抱きかかえて、少年はその場に留めた。
『もう、そっちへはいけない』
それは自分が一番良く分かっている事だ。
そちらへはもう行けない、後戻りは出来ないのだった。
子供の気を紛らわせる為に、右手を掌を上に向けて前方に差し伸べた。見ててご覧、そう言う風に一度幼な子の目を覗き込んでから、少年は掌の上に神経を集中させた。すると、そこにポン、と言って蒼白い光が生まれた。それは辺りを草原のように埋め尽くす炎に似て、しかし揺らめく風のようには穏やかではなかった。
バチバチッ、と言って火花を散らし、細い糸のようなものを絶え間なく生み出すそれは、雷の玉だ。
それを見つめる幼な子の黒瞳が興味深そうに見開かれてキラキラと輝いた。
雷の玉が掌を離れ、同時に大きくなって行って、

ボン、

と弾けた。

その時、それは、長い長い身体に鱗のように雷光を纏った巨大な竜となり、小さな宇宙で、小さなその星を、七巻きに取り囲んで身の内に抱きかかえた。
蒼白い炎に包まれたその星は雷電を帯びて、虚空の中で竜が手中に収める宝珠となった。




[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!