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―記念文倉庫―
12
ラパスからコルキリ鉱山まではおよそ車で4時間の道のりだった。
コルキリでの会談を終えて帰途に就く頃には、ブッシュしか生えない荒野に陽が傾き、日暮れを迎えていた。標高4000メートルのアルティプラーノは細い一本道を白く浮き立たせるだけで、山の端に掛かる真っ赤な夕陽の前で漆黒の中に沈んで行った。
当初の予定通り、鉱山からオルーロの街まで2時間弱、代り映えのしない道をひた走った。
荒野に路上灯などない。
手に掴めそうな暗闇の中、ヘッドライトに照らし出される道だけを頼りに走るのは、ボリビアの道と国とに慣れた輝宗でも神経を磨り減らす旅程だった。
途中、廃墟のような町を横切って来たが、それは輝宗の話によると「泥棒の町」と呼ばれているそうだ。中古車輸入でチリなど近隣諸国の港町に到着した外国車を窃盗し、そのまま乗って帰るのだと言う。町全体が窃盗者団の強い結束で協力し合っている為、警察も立ち入れない。
そんなのに襲われたら車だけでなく、身包み剥がされて荒野に放っぽり出されそうだ。

オルーロに到着すれば、その鉱山都市の夜景もまた見事だった。
山並みに添って灯る街灯や家の明かりが、軒並みオレンジ色に滲んで炎の温かさを思わせるものだ。そしてそれは、陽が落ちた事で急激に下がった気温の中、クリスマスのイルミネーションを連想させた。
柔らかくて温かい、ささやかな幸せ、だ。
ホテルに入ると思ったよりも小綺麗な長い廊下と、突き当たりにレストランがあった。受付はフロントではなくそこでするらしい。
輝宗がレストランの奥から出て来た原住民と話をしているのを待っていると、彼らの傍らに人影が立った。
小十郎だった。
「あ…」と言って言葉をなくしていたら、脇から母が愛想良く話し掛けた。
「お仕事終わったの?ご苦労様ね」
「ええ。すみません、鉱山の方にいらしていたそうなのに、顔も出せず」
「いいのよ。それにしても、あんな何もないような所で毎日大変ねぇ。力仕事してれば身体も立派になるわよね。今は勉強は?大学には行かなかったの?」
何時ものペースで世間話をし始める義乃に、小十郎は懇切丁寧に付き合った。
次から次へと話題が飛び出し、しかもそれが前後の脈絡がないまま進むものだから、政宗と政道は母の長話から逃げ出すスキルを身に付けているぐらいだ。
やがて父が戻って来ると、小十郎を見つけて相好を崩した。
「よう、何だ。夜の観光にでも連れてってくれるのか?」などと軽い冗談を嘯きつつ。
これに対して小十郎は慣れた風に「奥さんのいる前でそんな事出来ませんよ」と応える。
政宗の知らない所で、父はこの現地出身の日本人とずいぶん懇意にしていたらしい。
小十郎も、父の会社が共同出資会社連盟としてボリビアの金属資源の活用に関わるとなれば、協力を惜しまなかったのだろう。先程の母との会話によれば、ラパス市にあるサン・アンドレス大学で経済・金融学部に彼が在籍していた頃、輝宗に幾ばくかの援助をされていたとも言う。
それが、こんな台詞が小十郎から飛び出したものだから、思わず固まってしまった。
「政宗さんを今夜一晩、お借り出来ますか?」と。
顔から火が吹き出るかと思った。
政宗の頭の中には、車中で彼にされた事が蘇って収拾がつかなくなっていた。何なの、こいつ、一体、世間知らずの日本人をからかって楽しんでるのかよ、と。
「あ〜、行っちまえ行っちまえ。俺の誘いは断ったクセに、まだ学生の政宗にお熱なんざ、お前も大概物好きだ。
「政宗さんを売り込んで来たのは社長の方です、今更でしょう」
「息子を自慢して何が悪い」
「お陰で、政宗さんしか見えなくなりました」
この会話から取り残された3人は、ぽかんと口を開けたきり、口を差し挟む事も出来なかった。政宗など"気がする"だけではなく、レストラン内の暗めの照明でも分かるくらい、頬から耳から真っ赤に茹で上がっている。
「それじゃ行きましょうか、政宗さん」と言われて目線で促された時も、ともかくその場から逃げ出したい気持ちで一杯だった。
「何あれ」
呆然と政道が呟いたのは、2人がホテルのレストランから姿を消してからだ。輝宗は不機嫌そのもの、と言った風に口をへの字に結んだままだった。そうして、取った部屋へと足音高く立ち去って行く。
それを慌てて追い駆けながら義乃が問うた。
「あなた、まーくんを小十郎さんにお嫁に出すつもりですか?」
「ねえよ!そんなの有り得ねえ!!」と傍らから政道が激しく突っ込んだ。
しかし、階段を上る途中で振り向いた輝宗は、その頭上の照明のせいか凄まじい忿怒の形相で、それがくしゃり、と歪んだ。
「小十郎の押し掛け女房だ」と言った声は泣きそうに震えていた。
「あら…」
最愛の息子を取られて泣く夫の背を、義乃はぼんやり見送った。その隣の政道に至っては開いた口が塞がらない。

ホテルの駐車場に小十郎は見慣れた中古の日本車を停めてあった。それへ乗り込みつつ、先程の会話などなかったかのように言う。
「夕飯、まだですよね。俺の部屋に用意してあるのでご馳走しますよ」
「お、お前の部屋…?!」
「レストランの駐車場に車を停めておくと最近盗まれるんです。日本車なら尚の事」
「いや…でも、何?その…」
小十郎は運転席から助手席の戸口に突っ立ったままの政宗を顧みた。
「……お前、親父と何て話してるんだよ…」
未だ頬を染めて睨んで来る政宗が、何を言わんとしているのか思い当たったのか、小十郎は普段は厳めらしい表情をこの時ばかりは崩して笑んだ。
「だって、本当の事ですから」
「……………」
言い返す言葉もなく青年は渋々と車内に乗り込んだ。
政宗が黙り込んだのをどう見たのか、小十郎はそれ以上何も言わず車を発進させた。

ホテルのある辺りはオルーロの中心街で、美しいカテドラルに代表されるヨーロッパのような街並だった。そこを離れて行くと途端に侘しい通りに囲まれるが、車通りはそこそこあり、バーや某かのショップなどもあって、道往く人々も至って平和そうだ。
小十郎の部屋と言うのもそんな通りに面していて、道の上に立てば、近くの山の斜面にへばりついて立つ家々の明かりが、天に伸びる橋のように見上げられた。
室内は素っ気ない石壁にボリビア独特の織物やクッションを置いて、殺風景な有様を何とか相殺していた。この建物に雑居する他の者たちもコルキリ鉱山で働く労働者とかで、家族のある者がそうした織物を編んでくれたりするのだそうだ。
リャマの毛織りの、色とりどりなクッションで埋め尽くされたソファに腰掛け、「少し待って下さい」と言ってキッチンに消えた男の背を見送る。
何事にも動じない、滅法肝の据わった、と言われる伊達政宗は何処へ行った?と情けなくなる程、落ち着かない気分だった。
一晩政宗を借りてあの男は一体どうするつもりだ、と怪しげな予感に戦く。そんな生娘じゃあるまいに、と思いつつも、じゃあでんと構えていられるのかと問われれば、男の手を拒む理由が見当たらないのだ、と言う自分の考えに増々のぼせて来る。
じっとしていられなくてソファから立ち上がり、何となく窓際にあった棚の前に立った。そこを端から端まで眺めて、植木鉢や小さなもの入れや小物をしげしげ見つめていると、ふと、籠に詰まった民族衣装を着た人形の奥に本のようなものを見つけた。
いや、本ではなく、分厚いアルバムだった。
それを1冊引っ張り出して広げて見た―――特に悪い事をしていると言う自覚もなく。
そこには何処かで見た事のある写真が次から次へと、ページを捲る度に出て来た。
去年末に母と弟とで行ったスキー旅行やら、自宅でささやかに開いたクリスマスパーティやら。夏には大学のサークル仲間と登山にも行ったし、大学で行なわれたオープンキャンパスで、受験を予定している高校生の前で講演しているものもあった。
これらを誰が撮影したのか、あるいは誰に渡したのか、政宗は知っている。
奥からは他にもアルバムが何冊も出て来た。
もしかしてと思って、一番下の引き出しを引っ張り出してみれば、もっと古くて大きくて大量のそれがどさどさ出て来た。更には今年の正月、初詣に浅草寺に行った時の写真が、お洒落な額に入れられてその隅っこから出て来た。政宗も弟も母に請われて袷の着物に羽織をひっかけ、正月らしい装いで出掛けたが、その写真には政宗しか映っていない。
棚がその大きさに比して閑散とした有様なのは、こうして引き出しに仕舞われていたアルバムやフォトスタンドを飾っていたからだ、と政宗は思い至った。
物音にはっと気付いて振り返ると、骨付きチキンなどの乗った大皿を手にした小十郎がそれをテーブルに置いた所だった。
「あ…その、ゴメ―――って言うか、何だよこれ。母さんが親父宛に送った奴じゃねえか…しかも俺ばっかり……」
「………」
手にしたものを置き切った小十郎は、何故か片手で顔を覆いながらソファに座り込んでしまった。
それを見て、詰る勢いも削がれた政宗は言葉を取り零す。
―――もしかしなくても、ムッチャ照れてる…?
「……ずっと昔から…?」と問うた声は我ながら情けない事に掠れていた。
立ち上がった政宗が片手にしていたのは、それこそ陽に焼けて黄ばんだ、ボロボロのアルバムだ。政宗の小学生の頃の折りに触れ、季節に触れて母が撮って来た細やかな記録が一杯詰まっている。
「…俺たちがサンファンに来た時から…」
「その話はまた今度…。今夜は政宗さんの卒業祝いをしてさしあげたかった…」
「またこんど、じゃねえよ、すげえ重要な事じゃねえか!」
「……勘弁して下さい…。女々しい事をした、と言う自覚はあるので―――」
「俺の追っかけしてたって…?」
「………」
「…15年間も?」
「―――…」
男は軽く溜め息を吐き、観念したかのようにソファにふんぞり返った。




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