―記念文倉庫― 11 幼稚園児と小学生とでは、いじめの深刻さが格段に違っていた。 上級生がいる事によって幼児は忽ち残酷さを知るようになり、片目の潰れた政宗を苛む。具体的な事を上げて行ったらキリがないが、政宗は小学1年生にして登校拒否をするようになっていた。 事態を重く見た―――と言うより、長男が可愛くて仕方なかった輝宗は、誰も知らない土地へ行こうか、と政宗にぼそりと呟いた事があった。 色々調べて、ペルーでもブラジルでもアルゼンチンでもなくボリビアを選んだのは恐らく、後進的な社会の有様と観光地としても余り魅力のなかった土地柄故だったろう。そこに、日本人移住地があると知って新天地を求めた。 しかし、政宗はそこを嫌がった。 いや、怖がった、と言って良いかも知れない。 荒れ果てたジャングルを切り拓き、ぬかるんだ道とも言えないような場所で馬を呑まれながらも物資を運び、近くのヤパカニ川が氾濫する度に多くの人命が呑み込まれた。そうして作られた日本人移住地は「棄民」たちの土地だった。 1950年当時、エネルギー資源が石炭から石油にシフトし出すと炭坑が次々と廃山となり、大量の失業者が溢れた。その率15%。日本政府はそれらを国外へ放逐するようにして移住させた。ボリビアのその土地がどんなに悲惨で、開墾の為に苦渋を味わう事になるか、それを身を以て経験した者たちが「もう日本人を送り込まないでくれ」と嘆願したぐらいなのに、政府は移住をやめさせなかった。 自然の猛威だけでなく、経済的にも困窮していた彼らは、東京オリンピックが終わった年にも掘建て小屋に住み、貧相な土地を何とか使えるようにする為日々戦っていた。そこにようやく電気が通ったのは、東京ディズニーランドが開園する前年だった。 今でこそ、日本人の作る米や大豆・小麦・鶏卵などの農産物でボリビア経済に貢献しているとは言え、移住して来た女性が精神に異常をきたし、行方不明になってその後白骨屍体で発見されたなどと言うエピソードもあり、心の余裕を失った移住者同士の殺人まで起こっている。 そうした事が時代遅れの農村と言ったサンファンの町に感じられたのか、その当時の政宗は怖くて切なくて仕方なかったのだ。これだったらいじめられていても見慣れた日本の方が良い、と父に告げたと思う。 ただ、小十郎らしい日本人少年と関わった記憶はないのだけれども。 移住を取りやめた輝宗はそこで政宗に告げたのだった。 ―――安全地帯に逃げ込むな、と。 いじめが大した問題じゃないなどとは言わないが、過酷な環境で生きる事すら難しい中を、文字通り己の手で切り拓いて来た人々は他にもいるのだから、お前も今の学校で戦え、と。 そして輝宗はこうも言った―――お前だけに戦わせないぞ、父さんも戦う。 それが多分、それまでの平凡なサラリーマンを辞めて自ら起業して、ボリビアの地下資源を元に鉄鋼業を営む会社を立ち上げるきっかけとなったのだろう。 自分は父の期待に応えられる程に成長したのだろうか。 輝宗の会社を継ぐ為、今回実際ボリビアに入りその現状を視察・勉強しに来たのだが、他ならぬ鉱山労働者たちのデモにぶち当たり、それで結局何も出来なかったではないか。 たまたま小十郎が昔からの知り合いで、組合員の暴走の中を影ながら助けてくれたからこそ、ポロッと命を落としてしまわずに済んだ。 自分は無力だった。 それに、そうだ、彼が―――。 人に頼る事を知ってしまったら。 さっき小十郎が家を出て行く時も、次会えるかどうか聞きたかったなんて、口が裂けても言えない。 ―――昔とちっとも変わってねえじゃん…俺……。 胸をシクシクと痛めつける思いに、政宗は何度も深い溜め息を吐いた。 溜め息が全て砂岩となって部屋を満たし、家から溢れ、この谷底の街ラパスを、沈黙の中に沈めてしまえば良いのに。 そう思った。 翌日は帰国の為に飛行機のチケットを取り直さなくては、と思って朝食の席に臨んだら父輝宗が「コルキリ鉱山に行くぞ」と言い出した。 「は?何言ってんだ親父。もう2週間近くここにいんだぞ。政道の学校だって…」 政宗がそう異論を唱えたが、ボリビア人の楽観主義と長い事付き合って来た為か、輝宗は独断専行で言い放ったものだ。 「そんなの、ボリビアの状況をニュースで見れば、ああまだ帰れないんだなって思うに決まってる。気にするな!」 戦って強くなったのは良いが、どうも別方向に伸び切ってしまったらしい。 政宗は文句の代わりに溜め息を吐いてその話を終わらせた。 ―――また会えるんじゃねえかって期待しちまうだろ…。 そう言う心中は一切見せずに。 ラパスから南へ250キロの地点にあるコルキリ鉱山は作業場しかないので、近郊にあるオルーロの街に一泊する予定で、輝宗の運転する日本車はラパスを発った。 こちらは標高3700メートルの高原にあると言うオルーロは、ウルス地方の銀採掘の拠点として設立されて以来、近隣に拓かれた各鉱山で働く労働者たちのベッドタウンとして栄えた。そこで2月末頃に行なわれるカーニバルは南米三大祭りの1つとして数えられ有名だ。 普段はゴミゴミした労働者街で閑散としており、そこから南下して行くウユニ塩湖などへの中継点として旅行者が行き過ぎるばかりだった。 その手前のコルキリ鉱山で伊達家の面々を乗せた車は停まった。 作業場は、山の斜面にカマボコ型の建物が階段状に並んでいて正に工場と言った有様だが、採鉱は人々が人力で、シャベルやツルハシを持って細々と地面を掘り返しているような有様だ。 車から降り立つと、男たちが炎天下、草木の一本も生えない鉱山の袂で黙々と作業を行っている様が遠く見えた。 彼らの到着を何処からか見ていたのか、事務所らしい白い建物から複数人の人影が出て来て、輝宗の姿を見つけると両手を広げて歓迎の意を示した。 その事務所には国営労働者側に放火されダイナマイトで破壊された痕跡がそこここに残っていた。1階部分などは壁が丸焦げだ。 政宗たちを迎え入れたのは、アフリカ系のボリビア人と見られる漆黒の肌を持った年配の男2人と、秘書か事務員のようにファイルを小脇に抱えてくっ付いて回る原住民の男だ。 輝宗は彼らと訛りの酷いスペイン語、原住民語ごちゃ混ぜの会話を交わしながら、政宗たちを作業場の中へ案内して行った。 「こちらは鉛の濃縮タンクです」 そう言われて覗き込んだのは、直径20メートルはありそうな貯水槽のようなものだ。黒々とした水が満々と張られ、更にそこに水が惜しげもなく注がれている。金属の精製には大量の水がいるのだと言う事を目の当たりにした気分だった。この水を巡って近隣の原住民と諍いを何度も起こしている。 その水の中の遠心分離によって、鉛や亜鉛などの鉱物に分けられる訳だ。 そうして分けられたものは無造作に作業場の最下層まで流されて行って、そこからトラックに積み込み、あるいは製鉄工場へ、あるいはコンテナに積まれて海外へ輸出されるのだそうだ。 その後、事務所に入って彼らと雑談をした。 ここも騒動の余韻を窺わせた。 窓際に防御壁として積み重ねた机が鉄くず同然で寄せられているし、辺りには炎がここまで迫ったらしく、黒く煤けた壁や天井が目についた。 父と鉱山の労働者との会談の中で「キレーション」と言う聞き慣れない言葉を耳にした。 鉛中毒を治療する為に開発された医療行為だ。キレート剤を点滴する事により、身体の中に溜まった有害重金属や活性酸素、動脈壁に溜まったカルシウムなどを体外へ排出する。 そのキレーションが定期的に労働者たちに受けさせられないか、と言った事を輝宗に相談しているようだ。輝宗も、主にアメリカで実施されている狭心症や動脈硬化、糖尿病による血液障害、高脂血症などに対するキレーション治療について調べて来ており、その実情について説明した。 治療の前の毛髪や血液検査が必須で、実際の治療は複数回必要な事、治療後にはビタミン・ミネラルの補給をしなければならない事などだ。 治療がまたかなり値が張るので、日本の共同出資会社連盟で資金が集えないかどうかも検討してみる、と輝宗は告げた。 設備の投資には莫大な金額が掛かる。だとしたら、労働者たちの健康面を医療行為で保護したいと願うのは組合としても当然だろう。 本来なら国がそうした福祉を整えるものだが、ボリビアはそうした所も後進的だった。 「退屈だったろ」と輝宗は、事務所を出てから自分の家族らにそう声を掛けた。 まあねぇ〜と間延びした声で応えた政道が、父の隣に並んだ。 「でもさ、労働者はやっぱり国営の方を望んでる人が多いんだよね?」 「そうだなぁ、やっぱ欧米のやり方じゃ駄目だって事だろうな」 父と弟の何時になく真面目な会話を眺めながら、オルーロに行くため 駐車場へ向かう途中だ。採掘現場がこの作業場から見える範囲以外にあるのかどうかも分からないままだ。現場監督の小十郎は今頃そちらで汗水垂らして力仕事をしているのだろう。 そんな益体もない事を薄ぼんやりと考えていたら、ジャケットの裾を引かれた。隣を歩く母だった。 何となく振り向いた先で義乃は、政宗に微笑みかけた。 「ミチね、お父さんの会社に勤めるかも知れないって」 「え…?」 「勿論、大学卒業した後ね。…俺にだって会社を継ぐ権利はあるだろう、兄貴をそのうち追い越してやる、って息巻いてた、今朝」 そうして、くすり、と声を立てて笑う。 「何時まで続くかしらね、飽きっぽいあの子が…」 「ああ…」 政宗は曖昧に頷いて、弟の背を振り向いた。 ―――負けないから、そう告げたのはこの事だったのかと気付く。 政道もまた自分なりに強くなろうとしているのだろう。政宗は焦るよりも呆れるよりも弟を頼もしく、また、誇らしく思った。別に輝宗の後を継ぐのは政道でも良いだろう、そんな風に思ってしまう程には―――。 [*前へ][次へ#] [戻る] |