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―記念文倉庫―
10●
やがて、青年は泣きながら言った。

「…俺は、あんたを好きになる…それが、わかる…」
「―――…」
「あんたしか見えなくなる」
「……政宗」
「…そんなの、ダメなのに…」
「何故、ダメなんです」
「―――ん…」

何かを言い掛け、多分小十郎の名を呼ぼうとした所を男は唇で塞いでしまった。
ただ吐息が鼻から抜けて行って甘い喘ぎとなった。
それに誘われるように髪を梳いていた男の左手が、青年の身体のラインを辿って、下肢へと伸びた。兆していた政宗の雄芯がその大きな掌にすっぽりと包まれ、緩やかな筒の中で扱かれると、忽ち堅さと大きさと熱を帯びた。
男の背に縋り付く政宗の両手が節くれ立ち、そのジャケットに凄まじい皺を作った。
人を愛する予感に慄きながら高められ、激しい衝動に突き動かされ、火花を散らして燃え上がり消えて行く官能の内に、政宗は果てた。
弱く脆い己を晒せるのは、この男の前だけなのだと、強く感じながら。

翌日、落ち着いたと言うラパス市内に戻ると、やはりあちこちに騒動の爪痕が痛々しく残っていた。
ビラを蒔き散らしたらしく、同じような内容がエキセントリックに書かれた紙クズが国道の端に堆く吐き溜められ、そこを車が走り抜けると吹雪のように空中に舞い上がる。バリケードや検問の痕跡も未だ片付けられないままで、一部を切り開いて辛うじて交通を確保している有様だ。
そして、ビルやマンションの外壁に残った弾痕は数え切れず。空薬莢が道端に幾つも転がっている。そんな中で一際大きな痛手を見せるのは、国会議事堂前の広場やその周辺の建物を破壊したダイナマイトの痕跡だ。鉱山で道を切り開く為のものが、美しい街並を、その建物を瓦礫と化しているのを見るのは、正直辛かった。
けれど広場には何も知らぬげに野鳩がエサを求めて相変わらず群がり、ちらほらとだが騒動の名残を窺うかのように人々が散策している姿も見受けられた。
日産の4WDは伊達家の人々と小十郎、そしてホセとを乗せて、議事堂最寄りのホテルへと至った。
そこで待っていたのは各国の報道陣と、日本の外務政務官ら日本政府関係者、そして在ボリビアのNPO団体の人々などだった。
輝宗は家族に対応は自分に任せておけ、と言ってそれらの人々と握手を交わし、ジャーナリストの質問に卒なく答えて行った。彼のスペイン語はさすがに板に付いたものだった。
遅れてやって来たのは、ボリビア国の大統領と副大統領、他数人の上下院の責任者と、国営労働者側の代表ロパスと言う人物だった。
大統領は政府関係者に続いて輝宗とも握手をし、次いで、共にやって来たホセの手を取りロパスのそれとがっしり握手させた。
政治的パフォーマンスだとしても、その絵柄はボリビアの歴史の中でも意味深い象徴である事には間違いなかった。
報道陣の中から数多くのフラッシュが上がったのがそれを証している。
一朝一夕に物事の白黒が付く訳でもないだろうが、そして過去幾つもの争いがあった事実は消せないだろうが、"今"と言う瞬間は確実に存在している。そして、これからも存在するだろう。

「大統領はこんな時にペルーやらパラグアイに外遊だと!」
自宅に帰り着くなり憤ろしくそう告げて、どっかとソファに腰を下ろしたのは輝宗だ。その事について大統領本人に食って掛かっていたが、相手は海千山千の政治屋だ。にこにことした相好も崩さず「それではこれで」と言ってあっさりホテルを引き上げて行った。
後を追おうにも護衛官がその前に立ち塞がって、腰に帯びた銃に手をやるものだから、輝宗も泣き寝入りするしかない。
ラパスや、エル・アルトから引き上げて行った労働者は、日常に戻りつつあると言う。
花火のように盛り上がり、死者や負傷者を出して鎮圧されればあっさり引き下がるのも、これまた国民性と言うべきだろうか。ラテン・アメリカの血は共同体を守る為には生命を顧みないが、執念深く根に持つものでもなく、その日暮らしで食う事の方が余程重要だった。
「ああ、ご苦労だったな、小十郎」
そう言って、4WDから家族の荷物―――あの寒村で貰った山のようなジャガイモと着替えだ―――を運び入れて来た小十郎を労う。
「ホセをホテルに送り届けて参ります」と小十郎は何事もないように応えた。
「国際会議はお流れか」
「仕方ありませんね。組合と国営とが協議出来るかどうかの問題の方が大きいので」
「あれ?三者協議、出来るようになったんじゃないの?」
ソファにだらけ切っていた政道が身を乗り出して来た。
それに対して小十郎は肩を竦めるだけ、代わりに応えたのはやはり輝宗だ。
「やるやる詐欺だ」
「へ?」
「大統領が外遊に行っちまうんだぞ。議員が労働者の訴えをまともに聞き入れると思うか?」
「何それ…国が詐欺?」
「日本人は日和見主義だって言われるけどな、南米の方がよっぽどいい加減なんだ。デモだって半分お祭騒ぎのノリだ」
「うっわ、ヒデェ…こっちはめっちゃ怖い目に合ったってのに…」
「人種が違うと考え方も180度違うんだよ、気長にやってくしかない」
父と弟の会話を聞いていて、政宗は思わず吹き出していた。
「ラテンの血は超楽観主義って訳だ」
「その通り!暴れ出したら手に負えないのもな!!」
名言を吐いた、と1人悦に入っている輝宗に、義乃が日本茶を出して来た。
政宗と政道にはコーヒーだ。小十郎にもそれを差し出そうとして、やんわりと断られる。
「もうお暇しますので…」
「あらそう?今度来る時はゆっくりして行ってね、お話も窺いたいし…。あ、でももうお別れなのかしら?」
「ご帰国する際はお見送りに参ります。…それでは、私はこれで」
「おう、有り難うな。また鉱山の方で会おう」
「ええ、よろしく願いします」
小十郎はリビングを出て行った、政宗個人には一言もなく。

「見違えたわねぇ…昔はあんなにか弱そうな子だったのに」
リビングの窓から走り去る4WDを見送りながら、義乃がつくづくと言った風に呟いた台詞を聞いて、政宗は「……え?」と間の抜けた声を出した。
「母さん、小十郎の事知ってるの?」
「知ってるって言うか…」
母は、輝宗の隣のソファに座り込みながら呟いた。
妻に見つめられた輝宗は、少し視線を泳がせたが、カップに口を付けるだけで何も言わない。その代わりと言った風に彼女は小首を傾げ、何かを思い出し出し話し始めた。
「ずうっと昔に家族でこの国に来た事があるのよ。…お父さんが新しい事業を始めたいって言い出してね。サンファンにある日本人移住地に移り住もうか!なーんて言うものだから…」
「マジで?!そしたら俺たちボリビア人になってたかも知んないの?!」
何が嬉しいのか知らないが、政道はウキウキした声を張り上げて身を乗り出した。末っ子の大袈裟な声に義乃は苦笑を浮かべるだけだ。
「でもね…まーくんがすごいホームシックにかかっちゃって、泣いて泣いて仕方なかったのよ。母さんもあの土地の虫とかおっかなくて。大きいのよ〜熱帯地方だから蚊もヤブも蛭も…うう…思い出すだけでぞっとするわ……」
「で、その日本人移住地に小十郎がいた訳だ」と政宗は話を促した。
「そうそう。まだこじゅくん、中学生だったかな。ひょろっとした感じの勉強虫だったわね〜。その村じゃ農業が主な仕事なんだけど、勉強して良い大学入って会社興して、もっと豊かな生活が出来るようにするのが夢だって」
「………」
「でも、まーくんが大泣きしてるの見て、ちょっと哀しそうだったわ。自分の住んでる村が嫌われちゃったって思ったのかもね」
「兄貴が大泣きするとかって、想像出来ねえ…」
「あら〜、しょうがないわよ、小学校上がりたてよ。その頃まーくん、よくいじめられて泣いて帰って来たんだから」
「え、マジで?!」
目玉を真ん丸に見開いて自分を振り返る弟を、政宗は睨みつけた。
4つ年下の弟が物心付く頃には「影の黒幕」と呼ばれていたのだ。それ以前のいじめられっ子だった兄を知る筈もない。
「あ、そうそう。そんな事が合って日本に帰ってからね。あなたがまーくんにスパルタ教育始めたのって。あなたもそれまでのお仕事辞めて鉄鋼業の会社立ち上げて、生活も凄い厳しくって大変だったんだから」
迂闊な事を思い出されて輝宗はカップに口を付けたまま、やけに不機嫌そうな表情を明後日の方角に向けていた。
「あれからだよ」と、その父がぼそりと零した。
「何が?」
「小十郎の奴が鉱山で働き出したの」
「あらそうなの!その頃からあなたのお仕事手伝いたかったのね!」
「…さあな」
そんな夫婦の会話を他所に、父が敢えて言わなかった所を政宗は思い出していた。
会話が途切れ、1ブロック離れた先で高速道路を過る車の騒音が微かに届いて来る。街の灯りは騒動の前も後も明るく路地を照らし出していて、ふと、しんしんと凍える空気が身に滲みて来た。
「俺もう寝るわ」
そう言って政宗が席を立つと、弟も続いて自分の部屋に戻ると言い出した。
2階の各々の部屋へ入る直前、その弟が兄を呼び止めた。
「何?」と迷惑そうに問い返す兄の、冷淡そうな顔を少し下から見上げるようにして凝視していた政道が、唇を尖らせ、言った。
「兄貴に負けないからな、俺」
「は?」
問い返そうとするのを振り切るように政道は踵を返し、自分の部屋に引っ込んだ。
政宗は訳が分からない。
負けないって、何か勝負でもしてたか?と首を傾げつつ彼もまた部屋の扉を開いた。

久々のラパスの自分の部屋は、電気を付けても変わらず素っ気なくそこに横たわっていた。毛織りのカーテンにマットレス。それとベッドカバーは独特の民族模様が織り込まれていて、どれも派手な色合いだ。
埃が積もっていない所を見ると、彼らが留守中もアイリュが日々掃除を欠かさなかったのだろう。
チチカカ湖近くの農村を出た時に普段着に着替えてある。それを寝間着に換える事もしないでベッドの上に座り込んだ。開けっ放しのカーテンから外の街並が見える。周辺は似たような一軒家が連なっており、大概は海外からの移住者か、ボリビア人の特に豊かな人々が住む。その家屋が重なり合った屋根の向こうは、明るい灯火を点々と浮かべた、すり鉢の街。
この街ではなかったが、やはり自分はボリビアに来ていたのだ、と思った。
確かにこの街並には見覚えはない。だとしても、ふとした瞬間に懐かしさを覚えたのは、この国の大地の空気を体が覚えていたと言う事か。




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