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―記念文倉庫―

四駆は市内の中級レベルのホテルの手前で停まり、小十郎が車から降り立って中へと消えた。
ドアが明けっ放しになっている車中に、ここでも冷気と銃声が忍び込んで来た。それが絶え間ないものであったとしても、未だ遠くにある事だけが唯一の救いだった。
明かりの落ちたホテルのフロントから母を連れ立って男が出て来た。その左手には、入って行く時にはなかった機関銃のようなものが提げられていて。
2人の傍らのホテルの壁が、見えない弾丸を受けて弾け飛んだ。
「伏せて!」と小十郎が義乃に指示する。
銃声は遅れてやって来た。
何処からか狙撃されている、と瞬時政宗は思い至ったが、パニックに陥った政道が、開いた扉から転がり出して母の元へと駆け寄ろうとした。
そこへ降り注ぐ弾丸の雨が、政宗の血の気を引かせる。
「政道!!」
叫んで政宗も車内から出ようとした。
それよりも早く、小十郎は思わず立ち竦んだ義乃をしゃがみ込ませ、政道を庇って前へと進み出た。運転席から飛び出した原住民がその隙に義乃を抱え上げ、助手席へと押し込む。
政道は足下に散る火花と瓦礫にその場にへたり込んだまま、悲鳴を上げていた。それを、何処からかの狙撃に応戦しながら男は片手のみで引っ立て、後部座席に押し込んだ。
銃声が止んだ。
「小十郎!」
弟の震える身体を引っ張り込んだ政宗が未だ外にいる男に呼び掛けると、続いて小十郎もその隣に転がり込んだ。
「車を出せ!」男が叫ぶと四駆は素早く発進した。
その後を尚も銃声が追って来たが、タイヤをパンクさせる事もなくその場を離れる事が出来た。
「奴らは何なんだ、何故狙われた…!」
政宗が低い声で問えば、乱れた息を整えながら小十郎が応える。
「…あのホテルに協同組合労働者の重要人物が潜伏していたのです。それを嗅ぎ付けた国営労働者側が見張っていたらしい。私たちは協同組合側の人間と取られたのでしょう…」
「あんた、ただの現場監督じゃねえんだな…」
「…組合の役員の1人、ではありますが…」
「俺たちを誘拐して政府との交渉に使おうとしたのも協同組合の意志なんだな。鉱山の国有化よりも外資の参入を歓迎してた筈が…こんな事して、ただで済むと思ったのか?」
「鉱山会社の内部も二分されていたのです…。国営労働者としてもただ国営一辺倒だけでは、そこの労働者に掛かる負担やリスクは目を覆うばかりのものになると分かっていました。亜鉛や錫の加工に伴う人的被害は、それを防ぐ為の技術がどうしても必要なのです。亜鉛粉を含んだ空気を毎日吸い込んだ鉱夫がどうなるか、ご存知ですか?」
「―――…」
「鉱窟は、落盤や、溢れ出る水や充満するガスで地獄の有様。それを今の政府が何とか出来るとは思い難い者たちが協同組合に与する訳ですが、そうしたらそうしたで海外資本は資金や技術を傘に労働者たちに苦境を強いて来る……。協同組合の人間が次には国営側へと傾くのは当然です。正直、その時その場で労働者は国営と民営との間を揺れ動かざるを得ないのです」
「………」
言い返す言葉が見つからなかった。明確な主義主張があって立場を決めている訳ではない労働者の、不安定な様に思い至るのが精一杯だ。
四駆は街灯の灯る国道を滑るように走り抜けていた。
後を追って来る影はない。
その車中で、未だ息を乱した小十郎が言葉を継いだ。
「…私は自分の祖国である日本にその交渉の余地がある、と見て望みをかけていました。ですが、このような結果になってとても残念に思っております…」
「……他の日本の会社との協同出資だから、親父だって利益が上がらなきゃ撤退を余儀なくされるよな、そりゃ…。もう、話し合いする余地もねえのか…」
今度は小十郎が黙り込む番だった。日本人家族を誘拐したのは協同組合の労働者なのだ。日本側がそれを良しとはしないだろう事はあから様だった。
まだ、男の息は乱れたままだ。
その時になって、ようやく政宗はその事に気付いた。
「おい…小十郎、あんた撃たれて―――」
「まーくん、これで傷口縛ってあげて」
不意に助手席から母義乃が声を張り上げて、アルパカの毛織りのマフラーを投げて寄越した。これは確か輝宗用にお土産として買ったものではないか、と戸惑う政宗に対して義乃は重ねて「早く!」と促した。
仕方なく、政宗は間に座っていた政道を押し退けて、小十郎の隣にすり寄ると、撃たれたと言う箇所を探した。どうやら左大腿部を撃ち抜かれたらしい。そこにマフラーを縛り付けていると、男が低い唸り声を漏らした。
見上げれば、オレンジ色の街灯に照らされて辛うじて判別の付く男の表情が痛みに微かに歪んでいて。
何故かぎくり、と体が強張った。
それを無視して傷口を縛り終えれば、母の様子の変化に気付いた。
「母さん、もしかしてあのホテルで協同組合の人間と話した?」
「話したわよ。あっちもこっちもガチャガチャの英語でね」
政宗の問いに、義乃ははきはきと応えて来た。それまで恐怖に打ちのめされていた様と打って変わって、何かが吹っ切れて、いたく清々しい様子だ。
「最初に何度も謝られてね。若い人たちが無茶して悪かったって…。小十郎さん、あなたも少しは弁解しなきゃ。協同組合で私たちの誘拐話が持ち上がった時、あなた反対したんでしょ?ホセさんが言ってた」
「……ホセ、って?」
「協同組合の代表者よ、ホテルにいた。ホセさんも止めようとしたのだけど、過激派って言うのかしらねえ。血の気の多い人たちが先走ってしまったんだって。統率がなってない事に本当に済まない事をしたと仰ってた…。残念ね、せっかくの話し合いの場がこんな事になってしまって…」
「………」
事情を知って義乃は、単純に労働者たちへの同情を抱いたようだ。何の衒いもなく語る母の後ろ姿を見て、それから黙り込んでしまった小十郎を振り返る。
男の無表情には変わりがなかったが、視線だけを寄越す様は何とも気まずそうだった。
それから小十郎はそっと身を乗り出し、助手席の義乃に向かって静かに語りかけた。
「義乃さん、後ろへ…前方の席は危険です」
「あら、平気よ。何かあったら座席の下に潜り込むから。…俄然、労働者の味方になっちゃったわ。早くホントに発展出来たら良いわね、この国も」
「お気遣いは有難いのですが…」
「もう、若い人は年上の言う事聞いてなさい!」
そんな押し問答をしている間に、四駆はラパスの中心街を抜けて北西の方角に向かって走り続けた。
高級住宅街である東南のカラコト地区を離れ、もう1つの新興住宅街セントロ地区を縫う。急な坂を登って行く斜面には、富裕層が住む新品の高層マンションや邸宅が隙間なくみっしりと立ち並んで、今現在もラパスと言う都市が活性化し、拡大を見せている事を窺わせた。
そうした新興住宅街の側の高台には展望台が設置され、子供たちが遊び回れる無料の遊園地にカラフルな遊具を整えられているものだ。政宗たちを乗せた四駆は、そんな遊園地らしい広場の傍らを足早に駆け抜けた。
遠離るラパス市内を惜しんで、政宗は、リアウインドウからその街並を臨んだ。
黄金色の宝石をちりばめた谷底の街が視界の及ぶ限り広がり、それが見晴るかす限りの小麦畑のように見える。
―――ああ、やっぱり俺は昔、ここに来た事がある…。
景色の中に郷愁を覚え、政宗はその思いを新たに強くした。
しかし、その街の中央で立て続けに上がった真っ赤な炎の玉に、思わず口を開けたまま固まった。
大地を揺るがす轟音は遅れて四駆の車体も揺さぶった。
半円形の炎のドームが住宅やビルを呑み込む。
それは、ラパス市内の主要地域を破壊する為に次々と生み出され、続いて黒煙と瓦礫を辺りに蒔き散らすのだ。
美しい小麦畑の夜景が、どす黒く塗り潰されて行く。
「…まあ、酷い…」
バックミラーでそれに気付いた義乃が、振り返って第一に声を上げた。
夜を照らす明かりは人類の叡智の結晶であり、文明の象徴でもある。それを暴力と火器は破壊し、無に帰し、呑み込んでしまう。
「労働者たちがダイナマイトを投げ込んだのでしょう…明朝にも軍の投入が行なわれる……」
小十郎もまた、それを口惜しげに見返しながら低く呟いた。
運転席では原住民の男が何やら気勢を上げていたが、彼ら労働者が自身の手で何を破壊したのか知りもしない。
ただ彼らは戦っている。
己の利権の為に、家族の為に、そして共同体の為に。
伊達家の面々とそして小十郎は、街を焼く炎が見えなくなるまでそれを見送っていた。

ラパス市内を抜け出し、ルート・ナショナル2号線を北西に進んで行くと2時間程でアチャカチと言う、チチカカ湖近くにある村に至った。
ここにはJICA(国際協力機構)の支援が入っていて、村の規模は大きく、農業のレベルアップやヨーグルトの製造販売、または縫製技術やコンピュータスキルの教育に力を入れて取り組んでいる。
村に入った時は既に夜となっていたが、フォルクローレの聞こえ出す村唯一のパブは、赤いポンチョの男たちで賑わっていた。
そこへ顔を出した運転手が風呂敷に包まれた大荷物を持って戻って来た。それに着替えろ、と言うので、政宗たちは冷え込む車外で、義乃は窓をその風呂敷で覆った車内で着替えた。
地元民がごく普通に身に纏う衣装一式だった。
母が念願のチョリータに身を包んで、少女のように喜んだのは言うまでもない。
男の衣装は貧相だ。シャツとズボンとチョッキにジャケット。
女は山高帽を被るが、男は中折れ帽。チョリータの衣装はふわりとしたスカートに華やかな柄のポンチョやスカーフで着飾り、本当に人形のようだった。
皆が車に乗り直すと、小十郎が言った。
「騒動が収まるまで、この近くの農村でしばらく潜伏して頂きます。今は全ての人間が興奮状態にありますから、何の関わりもない市民も、観光客も、見境なく巻き添えになる可能性がある。…大使館や警察が安全であるとも限らないので」
「…あんたたちは?」と政宗はエンジンがかかる前の車中で尋ねた。
着替えたのは伊達家の人間だけだった。小十郎も運転手も元のまま、ジャケットやジャンパーと言った出で立ちだった。
「…私たちは協同組合員としてやらなければならない事があります」
「ダイナマイトをぶっ放して?」
この青年の言には男も溜め息を禁じ得なかった。
「インディヘナの男たちは元々、自身の共同体を自らの力で守る戦士たちですから」
「勇猛なるインディアンの最後、か…」
「最期にするつもりはありません」
小十郎は静かにそう告げ、運転手に車を出すよう促した。




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