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―記念文倉庫―

「俺たちは解放されるんだろうな?」
と、政宗は尋ねた。
「いえ、まだ」
「何で?!」と叫び声を上げたのは政道だ。
「もう俺たちを人質に取っとく意味なんてないだろ?!これ以上どんな利用価値があるってんだよ?!!!」
ブチ切れた弟は半ば涙声になってそう怒鳴り散らした。
高山病による目眩・頭痛・吐き気に襲われながら監禁生活を味わった、その身も心も、限界が近いようだった。
「輝宗社長の会社に対するコルキリ鉱山の不満、と言うのが無視しがたいからです。この騒動は全体で見れば国営・民営どちらを支持するのかと言う労働者間の衝突でもありますが、個々の邦人への不満や鬱憤が下地になっているのは明らかです。他にもターゲットとされる日本の会社もありますが、今回は折よくあなた方を人質に取ることが出来た」
「ふざけんなよ!親父の会社がしでかした事に何で俺らが巻き込まれなきゃいけないんだ、直接親父に掛け合えよ!!!!!」
後部座席から身を乗り出して唾を吐き散らしつつ怒鳴る政道に対し、小十郎は静かに目をやった。それと、その左手の小型の拳銃を。
「あなたの日本での暮らしを支える金品が、何によって得られているか考えた事はありますか?」
男のその痛恨の一言より銃口を向けられる、と言う異常事態に、普通の高校生の政道は口を開けたまま固まった。
小十郎の言う事はもっともな内容だった。
政宗は弟のジャンパーの裾を掴んで座席に座らせた。それを母が力一杯抱き締める。彼女は先程から震えが止まらないまま、一言も口をきけずにいた。
「借りがあるんなら返すべきだろうな、親父も…」
政宗が車窓を流れる荒野を見やって呟いた台詞に対し、男は、バックミラーの中でちらと視線を寄越すに留めた。

エル・アルト市からパルコパタ地区を通って、紛争からは隔たれたピアチャ市へ向かっていたアメ車は途中、ノイズ混じりの無線を受けてUターンを余儀なくされた。
高速道路上にボリビア軍による検問が設置された為だ。
そこでエル・アルト市内へ戻り、そこを突っ切ってラパスからチチカカ湖まで逃げ延びるルートを辿る事になった。そちらにも検問は張られているだろうが、ピアチャよりも大きな街があり、観光名所としても名高いチチカカ湖周辺ならば潜伏するのに適当だったからだ。

バリケードを避け、警官隊と住民が衝突していない小路を選んでエル・アルト空港の北側を迂回する道を、アメ車はひた走った。
時折、薄汚れたシャツとズボンでライフル銃を構えた労働者とすれ違う事もあったが、彼らは政宗たちの乗る車に不信げな眼差しを投げやって来る他は近寄りもしなかった。
道を曲がる度、徐行になった車中で運転席のボリビア人が訛りの酷いスペイン語で小十郎に何事か語りかけていた。不安げに、不満げに。それに対し男は右腕に嵌めた時計を気にしつつごく短い返事をするだけだ。
政宗は、車中に転がっていた空き缶を両手に挟み持って、それを車の揺れに紛れさせながらごそごそと動かし続けていた。その左目は油断なく車窓を流れ去る景色を見守っている。
街外れよりずっと立派な住宅が軒を連ね、道幅も片側三車線はありそうなものに変わっている。その埃塗れの国道をアメ車は行く。
スピードを緩め、カーブする度に車内の何処かでガタンゴトンと何かに引っ掛かるような音がするオンボロ車だ。何時エンストしてもおかしくはない。
空中では、ボリビア軍用ヘリが住民の偵察の為に飛び回っていた。
警官隊もそうだが、軍人と言えどボリビアではその目的の達成の為に必要最低限の人数を揃えられていなかった。空軍で言うなら公式発表の数で6000人超。日本の自衛官で空軍に当たる人員が47000人程だから、どれくらい少ないのかが分かる。国家警察はボリビアでは31000人。日本の警官及び刑事を含めた警察職員総数が28万人超となる所からも、その不備が窺える。
狭い通りからやたらと広い通りに出た時、「シートに伏せて」と言う小十郎の注意が飛んだ。
その言葉に従わず、首を伸ばして窓の外を窺おうとした政道の首根っこを掴んで伏せさせる。政宗と反対側の母にも手振りだけで黙って頭を低くするように促した。
政宗は手にしていた空き缶の口で両手を縛り付ける布切れを、力任せに引っ掛けて断ち切ろうとしていた。
勿論、プルタブを抜き取ったままの切り口では擦りもしないからベルトの金具を引っ掛けてそこを切り裂いてある。お陰で手首に多数の切り傷が付いたが気にしている場合ではなかった。隣に伏せた政道がそれに気付き、シーツを切り裂いただけの布切れを引っ張って切れやすくしてくれた。
車の外から騒めきが聞こえて来た。
パンパン、と言う間抜けな発砲音もごく近く、ガガガガガ、と言う映画でしか聞いた事のない轟音―――タンクのキャタピラがアスファルトを踏み付ける音だ―――も否応なく近付いて来る。それに車中に響くエンジン音に紛れて人々の歓声も、打ち寄せる波のように高く低く忍び寄って来る。
民衆が抗議活動をしているごく近くまで迫っていた。
運転席で恐怖に駆られた原住民の男が、早口に何かを捲し立てた。
小十郎はそれに対して落ち着け、などと応えたようだ。そして助手席から彼が背後を振り返った時、道路脇の店舗の影からライフル銃や火炎瓶などを構えた労働者らの群れが飛び出して来た。そして、視線を戻せば目の前の交差点にボリビア陸軍のSK105キュラシェーア軽戦車が進入して来た所だった。
戦車は住民に対して砲撃を行なうものではない。示威行為として集った民衆を蹴散らす為にあるものだが、車体長だけでも5.5メートルもあり、高さが2.5メートルを越す鉄の塊を間近に見るとその迫力に圧倒される。
しかも戦車の前後には兵士を乗せた装甲車両が複数台、付いて走っていた。それが、政宗たちを乗せたアメ車を見るなり車載歩兵砲であるコッカリル90ミリ低圧砲をぐるりと向けて来た。
運転席の男が支離滅裂なスペイン語でがなり立てる。
小十郎はそれに向かって首を振ったが、耐えるべき所が臨界点を突破したのか、男はドアを開けて外に飛び出してしまった。
ドアが開けられた事で車中に本物の喧騒が飛び込んで来た。
男たちの怒鳴り声、ライフルの銃声、それらを圧倒して踏みつぶさんとする戦車の地を噛むキャタピラ音。
アメ車の後方から走り寄って来た住民らが、アメ車を盾にして装甲車に乗る軍人を狙い撃ち始めたなど、傍迷惑も良い所だ。
小十郎は、車外へ出て街角へ逃げ去って行った仲間を見送りもせずに運転席に移動すると、ギアをバックに入れて労働者たちを先ず蹴散らかした。
義乃が悲鳴を上げて座席からずり落ち、それに引っ張られた政道の手元が狂う。
政宗の手首の拘束は引き千切る事が出来たが、その弾みに手首の肉を抉られ、政道も指先を深々と切っていた。
車は次に前方へ急発進した。
運転席で男が慌ただしくギアを入れ替えているのに連れて、3人は後部座席で派手にシェイクされる。情け容赦もない。
エル・アルト市民と軍隊が銃撃戦をおっ始めた間を縫って、車は脇道に逸れた。装甲車の一台が追撃に出るが、長くは追い掛けずに済んだようだ。
アメ車が飛び込んだ横道からも住人たちがわらわらと湧いて出て来て、一台だけ群れから外れた装甲車を取り囲んだのだ。
その後は砲台に乗っていた軍人が袋叩きに合うと言うお定まりのコース。興奮した労働者は、鬱屈した思いのはけ口をここぞとばかりにその行為へ注ぎ込んだ。
そうした中でアメ車もまた住人たちに取り囲まれ、揺さぶられた。
何処からか鉄の棒を持ち出した男たちがボンネットや天井を力任せに叩き付ける。
運転席で小十郎がクラクションを鳴らしアクセルを踏み込んだが、団子状に固まって押し包む労働者を2、3人轢いたきりでアメ車はエンコしてしまった。
助手席の窓が割られた。
政宗は、弟と母の手足を縛っていた紐を解いた所で、後は自分の足首に手を伸ばす所だった。後部ガラスが続いてカチ割られ、労働者が2、3人、車内に転がり込んで来た。政道は堪らず母を抱きかかえサイドドアを開け放って外に飛び出していた。
顔を上げた政宗の背後でも勝手に扉が開き、その体は引きずり出された。
興奮して暴徒と化した群衆は手の付けようがなかった。
ラテン・アメリカの血と言うものなのか、普段は大人しく真面目で多少いい加減な所もある労働者たちは、貧困と言う底辺で喘ぐうちに、民主主義体勢もどきによる自治共同体の解体を余儀なくされ、何処へ向けて良いか分からぬ情熱を肉体の赴くままに暴力へと振り向けた。
足枷が外れないまま政宗は、人々に引きずり回され、その途中で殴るの蹴るのと散々痛めつけられた。両腕で抵抗出来るだけ抵抗すれば、それに倍するぐらい堅いゲンコツで顔や腹を殴られる。堪ったものではなかった。
はぐれてしまった政道や義乃がどうなったのか。
自分と違って暴力や本物の悪意に晒された事のない2人には、この騒動は身体的な苦痛もさる事ながら精神的にも大打撃を与えるだろう。
人は、他のどんな動物よりも時として残酷になれる生き物なのだ。
足の枷を掴まれて振り回される。
地面に顔面を擦り付けて投げ捨てられた。そこへ飛んで来た蹴りが、ちょうど顎にヒットして目が回った。
気が遠退く。
ここで気を失ったりしたら人間たちに踏みつぶされる。その危惧にしがみついて歯を食い縛っていた所へ、ざあ、と物凄い勢いで水が叩き付けられた。
ボリビア軍の隊列には放水車が混じっていて、今正に、ぽんこつ車を囲んで暴れ回る群衆に向かってホースが伸ばされた所だった。
冷水を浴びせ掛けられた労働者たちはそれでも尚、抵抗を示そうとしていたが、ピンポイントで何トンもの勢いの水塊を叩き付けられ1人、また1人と立ち去って行った。
軍隊に助けを求めてこの巫山戯た人質状態から脱するのだ。
そう思っていても身体が言う事を聞いてくれなかった。
無力だった。
己は大事な家族も守れない。
抵抗の1つすら、出来なかった。
「……くっ…」
「兄貴!!」と水浸しの中を転げるようにして走り寄って来たのは政道だ。
「母さんがあいつに連れてかれた!」言いながら、政宗の足の戒めを解く。
「どうしよう…畜生…あいつ…こいつらもやりたい放題しやがって…っ」
見回せば、辺りにはまだ軍部隊と銃撃戦を繰り返す労働者たちが物陰に隠れながら応戦し合っていた。
「どっちだ…」
「こっち!」
先に走り出す弟を追って、政宗はガタ付く身体に鞭打って路地から路地へと駆けた。




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