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―記念文倉庫―

「あんたは、どうしてボリビアに住むようになったんだ?」
その問いに小十郎の頬に初めて苦笑のようなものが浮かんで、男は言った。
「私はボリビア生まれの日本人です。1900年代に当時起きていたゴム景気に引き寄せられて移住して来た流れで、1950年代頃からサンタクルス県に日本人移住区が開拓されました。私はそこからの出稼ぎです」
「へえ、その移住区じゃ暮らして行けなかったのか」
「ボリビアは未だ日本と経済的結び付きが弱いので、原住民たちと同じくらい貧しいですよ。今回、政宗さんのお父上を初めとして、日本の鉄鋼業を営む会社とこうして話し合いを深める事が出来るまでになって喜ばしい事だと思っています」
「でも、ボリビア国民はコングロマリット(複合企業体)に反対して鉱山会社の国営化を強く望んでいる、って話も聞くけどな」
「…収益率と水や電気の供給が問題になるからです」
「現地への収益還元率が20%に満たない事や工場運営のせいで電気・水道代が2倍にも跳ね上がるって、あれか」
「よくご存知ですね」
小十郎の声は終始淡々としていた。
別に敵対している訳でもないが、男の態度に政宗は正体不明の焦燥を覚えた。苛立ち、と言っても良い。
「ボリビアは自分の所だけじゃ鉱山採掘の技術を開発し切れていない。だから海外資本と技術を国内に招き入れて、その高水準のテクノロジーをおおいに振るってもらおうとする。ところがだ、海外は安い賃金で原住民を雇って大量の地下資源を手に入れようって腹だ。技術・資金を提供してるんだから収益の50%以上貰っても罰は当たらねえって思うよな、そりゃ。慈善事業じゃねえんだから。それでせっかく外資を誘致しても、国民は海外に対する不満と不信から国営化させろって事になる。―――一体何処に問題の根本はあると思う?」
「難しいですね…」
政宗のその問いには、さすがに小十郎も応えられなかった。
応えられていたら、諸外国に政府が借りた外国間債務を返上して、黄金の玉座の乞食も乞食ではなくなる筈だった。

2人の間に沈黙が降りて、車は伊達家の家の前に停まった。
家には明かりが灯っている。アイリュが彼らの帰宅を待っているのだろう。しかし、外門は、家人がいようといまいと厳重に閉じられている。
それを、先に降り立った政宗がポケットから鍵を取り出して開けようとした。
その時、
道の暗がりからざざ、と複数の人間の足音が迫って来て、横合いから政宗を突き飛ばした。手にしていた鍵が路上をすっ飛び、政宗自身は2、3人の男に門の壁に押し付けられ後ろ手に両腕を捻り上げられた。
更には車中から母義乃と弟政道も引き立てられたと見え、2人の上げる苦痛の声や異常事態に対する抗議の言葉が聞こえて来る。
その中で小十郎のものらしいスペイン語の叱責が走った。
相手も同じくスペイン語で応える。
政宗は、自分を押さえ付ける男の手に抵抗するのに死に物狂いだったが、言葉の断片だけをようやくの事で聞き取った。
それは「日本の会社」とか「交渉」がどうのとか「人質」だとか。
何となくそれだけで事態が読めてしまった政宗は、小十郎もこいつらの仲間だったのか、と言う非常にありがちで拍子抜けするような予測に抵抗する意志を失った。
―――親父の野郎、日本人だからって安易に信用しやがって…。
バタバタと引っ立てられ、別の小型バスに詰め込まれる最中、彼が思っていたのはそんな事だった。

小型バスは狭い路地を這い登って行って、ラパス市内でも貧困層が暮らす高所の地区へと移動したようだ。
バスの中で目隠しをされ、椅子ではなく通路に座らせられたままでは何処をどう通ったのかは分からない。坂を上って行く感覚と、明らかに空気が薄くなり街灯の減った薄暗い雰囲気でそう判断したまでだ。
手足をしっかり縛られた政宗は、母と弟とは離れた通路に踞っていた。それへ、母のか細い声が聞こえて来る。
「すみません…この子、本当に気分が悪いみたいで…私のバッグの中に高山病の薬があるの。それを飲ませてちょうだい」
政宗は思わず舌打ちを打った。
言わない事じゃない。あれだけ大食いして、車の中で昼寝して、今また市内の低い所から高い所へ向かう車中で高山病の症状を発生しているのだろう。自業自得だ、と思いつつもそのまま放っておくのでは、母が可哀相だった。
「小十郎、いるんだろ。母さんのバッグから薬」とだけ言ってやった。
暫く、目隠しの向こうでぼそぼそ喋るスペイン語が聞こえていたが、母が黙り込み、政道が「兄さん、ありがとう」と小声で呟いて来たのを聞いて薬は与えられたのだと知る。
さて、これからどうなるのか。
朝には父輝宗に連絡が行くだろう。それとも、日本の共同出資会社連盟か。いずれにせよ、交渉と言うからにはあちら側に人が立って自分たちを何とかしてくれるのを待つしかない。
ボリビアのラパス市内で発生する犯罪は、強盗・置き引き・スリなどが主で、誘拐されるとなるとクレジットカードを奪われ暗証番号を吐いた後に金を引き下ろしたのを確認して解放される、と言った事件が多発しているそうだ。
陰惨な殺人やレイプなどと言った、発展した都市にありがちなものではなく、貧困層が金に困って不用心な観光客を襲うと言った類いのものだ。
海外資本会社への不満から日本人を誘拐したからと言って、ボリビア人側に貧しさ故の要求があるのなら、そう滅多に生命が危険に晒される事はないだろう。
そこまで判断した政宗は、ミニバスの通路の隅っこで大胆にも眠りに就いた。
今自分に出来る事がないなら疲れた体を休めるに限る、そう言う態度を隠しもせずに。

30分程して、有無も言わさず引き起こされた。
ミニバスは明かりの乏しい町角で停車しており、そこから降り立った時に、上空を過る飛行機の爆音が場を満たしていた。どうやら空港のあるエル・アルト市に連れて来られたらしい。
富裕層が山手に住むと言うのはここでは通じず、酸素の濃い谷底を彼らが占め、より高い所にこそ貧しい原住民は追い立てられた。標高4000メートルを超すエル・アルト市はだから、貧困層が多く住む街で、今日見て回ったような立派なビル群、道路、店舗、施設などは見当たらない。あばら屋ばかりが建ち並ぶ。
その中で目隠しをされた政宗たちは、使われていない廃墟のような民家に連れ込まれた。
「ああ、お願い。家族を引き離さないで」
そう言う義乃の願いも虚しく、彼らは一人一人別々の部屋に手足を縛られたまま、閉じ込められる事になりそうだ。
「兄貴、俺死にそう」などと政道が震えた声で訴え掛けて来るが、どうしようもない。
「頭が割れそうなぐらい痛い、薬なんか効きゃしないよ…」
「大人しくして深呼吸でもしてろ。死にゃしねえ」
「ミチ、ミチ、大丈夫なの?」
そうした会話も部屋の扉を閉められ分断される。

政宗は、部屋の中にあった椅子に座らされ目隠しを外された。
当たりはしかし、同じ闇。
皹割れた壁面に家具調度の類いは一切なく、壊れかけた椅子が他に幾つか、床には割れたガラスの破片や朽ち果てた衣類や何かのパッケージの残骸などのゴミが転がるばかり。天井の照明はその痕跡が残されるだけで、電気も通っていないようだ。
体を捩じ曲げて背後を見ると、鉄格子を嵌められた小さな窓の前に体躯の逞しい男のシルエットが微かに見分けられた。
「…家族に手ェ出したら、ただじゃおかねえぞ」
何をどうただじゃおかないのか自分でも良く分からないが、政宗はぼそりとそんな事を吐き捨てた。
それに対して、完全な影になっている男、小十郎は身じろぎ1つしない。ただ、車も通らない街の静けさに紛れて溜め息のようなものが零れ、言った。
「残念な事です」
何が残念だ。日本人家族を攫っておいて、日本企業の誘致が失敗しようと日本国との関係が拗れようと、知った事ではない。当然の報いではないか。
応えずに前に向き直り、埃っぽい壁の皹割れを闇に慣れ始めた左目で追う。粗末な壁はコンクリなどではなく、泥でも塗り重ねているようだった。
「何処に問題の根本はあるか、とあなたは仰られた」
背後の闇の中から男は言った。
「インカ帝国の一部として、それなりにこの国の前身が栄えていた時は良かった。ペルーに戦争で敗れて、それまでの国土のほぼ半分に減った時ですらまだ未来への可能性があった…。政宗さんはよく調べられているからご存知だとは思いますが、1825年の独立以来、100年間でこの国は凡そ180回以上のクーデターによって政権が変わっています。長くまともに政策が実行された試しがない、非常に不安定な国家なのです」
「日本の内閣だって2年と続いた試しがねえよ」
「日本と言う国が幸福な所は」と小十郎は政宗の言葉を受けて言を続けた。
「狭い国土にほぼ単一の民族しか暮らしていず、そしてその土地に埋蔵された資源を持たないからです」
「―――…」
「このボリビアには唸る程の地下資源が眠っている」
「それを活用し、莫大な富を作り出す能力を持っているのは他所の国ばかり。国民の半分以上は未だリャマのミイラを家を建てる時の基礎に埋めて魔術を掛けたりするインディヘナ」
「共同体社会のならわしは関係ありません。日本人も仏壇に線香を供えたりしますよね?初詣が宗教儀式ではないとは誰も言わないでしょう?インディヘナは様々な風習を持ち、長く続いた昔ながらの共同体です。家族、と言って良い。それを無視した民主主義と言う政策が彼らの根幹を揺るがしている。政治的指導者はその事を知っていながら具体的な事を何一つ出来ずにいる―――これらが根本的な問題の数々だと、私は思っています」
「………」
「あなたの母上は先程、"家族を引き離さないで"と仰った。それと同じ叫びをボリビアのインディヘナは胸の裡に抱えているのです」
「あんたは―――」
立ち去りかけた男の足が政宗の傍らで止まった。
目の前で振り向き、見下ろす小十郎の姿は、鉄格子越しから忍び入る仄かな明かりで辛うじて目鼻立ちが判別出来るぐらいだ。それを見上げつつ政宗は、言った。
「あんたは日本から切り離されて、完全にこっちの人間になっちまったって言うのか」
その問いをもう一度繰り返す間があって、男は小首を傾げてみせた。
「どうでしょうね。私は日本の国土を踏んだ事がない。子供の頃は日本からの移住者が未だ数多く生き残っていたので話を聞いたりする事もありましたが、私にとってはお伽噺のようなものでした」
浅黒い肌の中、真っ白な白目と漆黒の瞳が、何の感情も現さず政宗を見下ろしている。この得体の知れなさはやはり、人間血筋よりも国土の子となる事を示しているのだろう。
日本語を話し、日本名を持ちながら酷く遠い存在だった。
それが政宗の苛立ちを駆り立てる。



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