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―記念文倉庫―

政宗は物心つく前に病で右目の視力を失っている。
それまで何の特徴もなかった(?)普通の父と母が激変したきっかけでもある。
思春期の頃、政宗は両親をしてこう評している「極悪非道の父と、菩薩とマリー・アントワネットを足して2で割ったような母」と。
白濁して醜く変形してしまった右目を気にした政宗が、学校でいじめられて泣いて帰ろうものなら父輝宗は家に入る事を許さず、いじめた奴らをぶん殴って来い、などと怒鳴り散らし、母が玄関で泣いて踞ったままの政宗をこっそり家に入れて「でもその瞳も綺麗よ、マスカットみたいで」などと良く分からない慰めの言葉をくれたりする。
政宗の右目は白内障にも似た症状の現れで、開き切った瞳孔が真っ白になっていて、どう贔屓目に見たとしてもホラー映画並みに気味が悪かった。更に引き攣った瞼がその表情を薮睨みの太々しいものに変えてしまっている。
父に叱られ母に綺麗と言われる度に、むしろ自分を蔑み、怯える学校のクラスメイトに同情したくらいだ。
何処か開き直って、むしろ人相の悪さを利用し始めたのはかなり早い時期からだったと思う。
何か1つ特技を身に付ければ自信を持つだろう、と父の弟である政景叔父さんに英会話を叩き込まれたのも功を奏した。
近所では並ぶ者のいないガキ大将(体が余り大きくなかったから「影の黒幕」などと仲間内で囁かれた)となり、中学では先生には受けの良い優秀な生徒会長でありながら、生徒たちの間では何事にも動じないその有様を恐れられ「氷の微笑」などと影で噂されたりもした。
高校時代はアメリカに留学して、可能な限り体験出来る危険な遊びをわんさか楽しんだ。銃社会であるそこで射撃を経験しない手はなかったし、ドラッグ・パーティやカジノなどにも出入りした。肝試しと称してスラム街を夜通し歩き回ったり、ヒッチハイクだけでアメリカ横断旅行をしてみたり。
ともあれ、父親に「安全地帯に逃げ込むな」と言う教育を受けたお陰かどうかは知らないが、留学から帰ってみたら滅法肝の据わった若者が1人、出来上がっていた訳だ。
そう言う事から、父が用意したと言うボリビア在住の日本人が四六時中付いて回る事に、一方ならぬ不満が政宗にあった事だけは隠しようもない。

朝、目覚めてカーテンを開け放つと、すり鉢の底の街は薄っすらとした朝靄に包まれていた。
それも10分程で晴れ、朝日が徐々に谷底まで照らすようになると人々の動きは忽ち活発になる。あれは多分靄ではなく雲が発生していたのだろう。ここにいると標高3600メートルの高みにある事を忘れがちだ。
自分の部屋を出て1階のリビングに顔を出すと、キッチンから賑やかな喋り声が聞こえて来た。
まだスウェット姿の政宗を見つけると母が「おはよう、コーヒー入れてあるわよ」とにっこり笑いかけてくれる。
彼女の隣でキッチンに立つのはインディヘナ(原住民)のアイリュだ。昨日と全く同じ山高帽に毛質の粗くて太い三つ編みおさげの浅黒い顔が、こちらを振り向いて真っ白い歯を覗かせた。
「Buenos dias, Tu as bien dormi?」
何故だか今日は彼女のスペイン語が聞き取れた。「おはよう、良く眠れた?」と聞かれたので「Oui.(はい)」と応えておく。
「もう少しで朝ご飯出来るから待っててね」と義乃は政宗に背を向けたまま言う。
「あっアイル!お鍋が噴いてる!!フタ、フタ!」
「Perdon!!」
「いいのよ、それよりパンは焼けた?何だか火の回りが悪いのよね。標高が高いせいかしら」
「Mante quilla a la sarten? O, mani crema?」
「やっぱりお味噌、持って来るんだったわ…。ソパって…スープよね?」
「Las personas que comen came son buenos, Hai un pollo.」
「あら、意外と美味しい」
余り広くもないキッチンで、母と使用人の交わすやり取りを聞きながら、政宗はコーヒーポットからコーヒーを注いでリビングに戻った。
どうしてアイリュのスペイン語が聞き取れるようになったか分かった気がする。
彼女たちの会話は噛み合っていない。アイリュの事を母はアイルと呼んでいるし、アイリュがパンに何を付けるかと尋ねれば義乃はスープを心配し、その一方でアイリュはチキンも出したらどうだと言っている。
義乃がマイペースに日本語を話し続け、アイリュの言葉を適当に聞き流しているものだから、アイリュはゆっくりはっきりスペイン語を発音して何とか理解してもらおうとしているのだ。義乃はスペイン語がさっぱりなので、そうしても無駄なのだが。
それでも朝食は出揃った。丸っこいトーストとビスケットにバターとジャムが添えてあり、ソパと言うピーナッツのスープにチキンが結局入っていて。後はコーヒーとフルーツサラダだ。サラダにはサボテンの実が入っていて上からヨーグルトを掛ける。グラスに入れてあるので見た目がフルーツパフェだ。
これがラパスでの平凡で質素な朝食らしい。香辛料の効いたソースなどがけっこう旨い。
政宗が弟を蹴り起こし、何とも言えず穏やかな朝食を済ませて暫くすると、昨日のボリビア在住日本人がやって来た。
表の通りに昨日と同じ中古の日本車も停めてある。
男が家族に朝の挨拶を告げているのを見やりながら、食後のコーヒーを楽しんでいたら電話が鳴った。アイリュが出る。
暫く2、3の言葉を交わしていたと思えば義乃を「Senora!」と呼んだ。
義乃が電話口に出れば、思った通り相手は父輝宗だったようだ。
「あなた!何ですの、家族を放ったらかして。仕事?!仕事は空けておくって仰ったじゃない…。え?問題?…ええ、…ええ―――」
彼女が電話を切った時には、その表情は珍しく深刻なものになっていた。
「親父、何だって?」と欠伸を噛み殺しながら政道が尋ねる。
「…何か、現地の人たちと上手く行ってないみたい…」
言いながら義乃が小十郎の方を顧みた。彼女にとって身近になった原住民とは、アイリュではなくこの男の方らしい。
「…賃金交渉で会社の鉱夫と上の人間との間でたびたび揉め事が発生します」
語り出した小十郎の声は淡々としていて、切迫した様子は窺えなかった。
「会社の顧客である外資系会社にも窮状を訴えたいと言う気持ちが、輝宗社長にも御迷惑を掛けているのでしょう。政府が何とかしてくれると思いますので、大丈夫ですよ」
大丈夫だと言いながらその底冷えするような眼差しは何だ、と政宗は思った。
正直、得体の知れないと思わせるのは、親切な態度や丁寧な口調より、感情を表に出して来ないその眼にある。味方であるならこれ以上頼もしい存在はない小十郎と言う男は、逆に言うなら敵に回せばこれ以上厄介なものはないと言ったものだった。
いずれにせよ15分後、着替えを済ませた政宗たちは男の運転する車に乗ってラパス市内を観光して回った。

政宗たちの暮らす東南の谷底がセントロ地区で、そこは高級住宅地に当たり、お洒落な店舗が建ち並びホテルやレストラン、オフィスビルが林立する。
そこから西へ数分移動した所にサンフランシスコ寺院があり、市内のランドマークの1つであるサガルナガ通りや市場など賑やかなエリアが続く。また、サガルナガ通りから横に伸びた通りへ入ると、通称"魔女の市場"と呼ばれるショッピング街に入る。細々とした小物やカラフルな民族衣装を扱う傍らで、リャマの胎児のミイラや蛙の干物など、怪しげなものも売られている所からこの名が付けられたらしい。
如何にも観光客然として、そうしたポイントを一通り流した後、次にムリーリョ広場へと赴いた。
そこは街の中心となる広場で、ここを取り囲むようにしてカテドラルや国会議事堂、大統領官邸などがある。この付近一帯がコロニアル様式の落ち着いた街並で彩られいていた。石造りのファサード、繊細なテラス、そこに猥雑な看板やフラッグなどが交差する。
特に国会議事堂は、白亜と明るいクリームイエローの組み合わせがお菓子の城のようで美しく華やかだ。それがラパスの街中に燦々と降り注ぐ乾いた陽光にからっと照らし出されて、青空の中に一際明るく浮き立って見える。
議事堂前の広場も観光客だけでなく、付近の住民が思い思いに過ごす憩いの場として解放されている。人だけでもなく、エサを求めて群がる鳩の多さにも、ここを流し歩く際には辟易したが。
他にも幾つか名所を回り、午後2時過ぎに、現地の人間に人気のレストランと言う所に入り、昼食を摂った。
ボリビアでは朝夜は軽く済ませ、昼食を遅めにボリュームたっぷり食べるのが通例らしい。セットメニューが殆どで、スープとメインディッシュにサラダとパンなどが付いていた。
ラパスの伝統料理であるサフタはチキンに黄色唐辛子ソースが乗っているもので、酸味が利いていてとにかく旨い。他に、チキン・ビーフ・ソーセージの肉三種が一度に楽しめるステーキ盛り合わせや、パイリータスと言うご飯とおかずが一緒になったプレート料理、アルムエルソはマカロニの上に野菜と揚げ卵を乗せこれまた甘辛いソースの掛かったものなどがあった。日本でも有名な所ではチェエリソーもある。どれも1食日本円で100円以下だった。
「食べ過ぎるな」と言ってあったのに、弟の政道が調子に乗ってボリューミーなメインを平らげた上に、義乃の残した分まで手を出していた。低酸素のこの土地じゃ消化不良起こすぞ、と脅してやったら、小十郎が人数分のコカ茶を注文してくれた。
コカ茶やコカ飴は高山病予防や、高山病による怠さや息切れ、目眩などに効くのだそうだ。コカは勿論コカインのコカ、だ。
食後のコカ茶を楽しんだ後、新興住宅地などをそぞろ歩いている内に陽が傾いて来た。
谷底に町があるので陽が暮れるのはあっという間だと言うので、4時前に帰途に就いた。
母義乃はちゃっかりアルパカの毛織りのマフラーを購入していた。政宗と政道、それと夫へのお土産だそうだ。本人が現地にいるのだから必要なさそうだ、とは思ったものの有難く頂いておく。母本人は、民族衣装を着た人形のブローチを自分の為に買っていた。大層気に入ったようだ。この滞在中に義乃までアイリュと同じチョリータに変身してしまうんじゃないか、とふと不安が過る。
政道は後部座席で爆睡中だ。
マジで後で高山病に苦しんでも知らねえぞ、と政宗は思う。呼吸が浅くなる睡眠は余り取らないに越した事はないし、時差ボケを修正しないとこの後の生活が厳しくなるばかりだ。
車を1時間程走らせていると、深い夜の訪れを告げる藍色の空に街の灯が点って、黄金色の絨毯が谷底に敷き詰められたようになった。
何処の都市でも夜景は美しいが、東京、NY、上海にも負けず劣らず、ラパスのそれも美しい。
その流れ行く景色を眺めていた政宗は、視線を感じて運転席に目をやった。
今は珍しいマニュアル車のギアを切り替える男は、車間距離を取る目で前に向き直り、その無表情な横顔に変化はない。視線の意味を政宗の疲れを気遣うもの、と見て取った青年は、何ともない事を示すように男に尋ねた。
「明日はあんたン所の鉱山会社に行くんだよな。確か、コルキリ鉱山とか」
「ええ、ここラパスから南へ250キロほどの所にあります。政府は外国資本を誘致するのに積極的ですから、各地の鉱山には様々な国の鉄鋼会社が入って来ています。その中でもコルキリ鉱山は、以前からボリビアで最も多く産出される錫・亜鉛の主要産出鉱山として有名で、日本の企業と上手くやって行く事を政府だけでなく我々も望んでいます」
絵に描いたような模範解答だ。
ふと、この男のアイデンティティは一体、ボリビアと日本のどちらに根ざしているのだろう、と言う疑問が湧いた。




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