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―記念文倉庫―

『Crisis del LaPaz―ラパス動乱―』
富士山頂付近に巨大な市街地が広がっている。
富士山頂よりずっと高い所に広大な空港がだらりと横たわっている。
そう考えると、人間どんな飛んでもない所ででも暮らせるものなのだとつくづく思い知らされる。
「空中の楼閣」と呼ばれるマチュピチュでさえ、標高2430メートルの高さであるのに対し、南米ボリビアの実質的な首都であるラパスは、最も低い所で3600メートル、近郊のエル・アルト市にあるエル・アルト空港は4000メートルを超える高さに位置する。
そこのすり鉢状の地形の中に、ラパスは人口100万人を擁する大都市を形成していた。しかも、ここには国会議事堂をはじめ、政府機関の多くが集中している、ボリビアと言う国の最も栄えた都なのだ。
標高4000メートルの空港は当然、酸素濃度が薄く、エンジンの燃焼効率や翼の揚力発生能力が低下するため、大型機でも離着陸に十分な加速が得られ、着陸時も安全な速度が維持出来るようボリビア国内で唯一4000メートルの滑走路が用意されている。これは、成田空港で2012年から、3250メートルに制限されていた4000メートル滑走路が全面運用を始めたばかりである事からしても、画期的と言って良い。
天に突き立つ空港は、その機能性からしても高度なものだった。

日本からはアメリカ・マイアミ経由で24時間の空の旅になる。
エル・アルト空港に到着したのは夕方だった。
南半球に位置するので季節は夏の筈だったが、冷んやりを通り越して凍える寒さだ。その上、予想通り空気が薄く、体がやけに怠く感じた。
あらかじめ高山病の危険が予想されていたのでダイアモックスと言う高山病の薬を数時間前、機内で服用していたが、それにしても飛行機から降りてターミナルに徒歩で向かうだけでも息が上がって来るのは、如何ともし難かった。
「…怠い、頭痛い、ふらふらする…」
自分の手荷物をキャスターで転がして歩きつつ、唸るようにぶつぶつ零しているのは、政宗の4つ年下の政道だ。新学期が始まったと言うのに、長男の稼業後継修行にわざわざ付き合ってくっ付いて来た。1週間も授業がサボれると内心喜んでいるのだろう。
「本当にねえ…。お父さんたら、こんな所であちこち飛び回ってよく怒鳴り散らしたり出来るものだわぁ。あ、ちょっと喋っただけでも息苦しい…」
こちらは、長男の生活の為に自分が行かなくてどうする、とやたら張り切っておめかしも十全に整えて来た政宗の母親、義乃だ。
先頭を歩いていた政宗が、2人を振り返りつつ立ち止まった。
旅行鞄1つに必要最低限のものだけ詰めて、後は現地で調達すれば良いと思っているから身軽なものだ。それに、今回のボリビア行きは自分一人で結構だ、と宣言してある。
その政宗の無言の視線を受け止めて母も弟も気まずげに口を閉ざし、眼を反らした。
「………」
「や!すっげえ景色いいね兄貴!!あの山、何てんだろ?!アンデス山脈???」
沈黙を恐れて弟は、目の上に手を翳しつつ、平べったい滑走路から見える白雪を頂いた峻厳な山を見やって言い放った。
政宗は溜め息を1つ吐くと、母の手からキャスター付きのスーツケースを受け取った。
「イリマニ山…アンデス山脈の最高峰の1つだ」
「わお…適当に言ったら当たった…」
引き攣った笑みを見せる弟の頭を、空いている方の手でひっぱたく。
「ぃてっ!!!!」
政道の両手が自分の頭を抑える為に離れたハンドルを、これまた掴んで引き寄せた。
政宗は左肩に自分の旅行鞄を、両手に10日分以上の荷物が入っていそうなキャリーケースを2つ引っ提げて1人黙々と歩き始めた。
「さすが、まーくんは長男ねえ、頼りになるわ〜。それに比べて、ミチ、お前は何なの?身軽になったんだから先に行って入管で手続きしてらっしゃい!」
「えー」
「お夕飯抜き」
「わ〜!わかった!わかりましたっての!!」
母に脅された政道は、身軽なステップで前を行く兄を追い越し―――その場に踞った。
急激な動作のせいで目眩を起こしたのだ。その脇を政宗は黙って通り過ぎる。

エル・アルト空港のターミナルで入国手続きを済ませ、チェックインカウンターなどが立ち並ぶフロアへ降りて行く。閑散とした有様だが、近代的な建物も施設も国際空港として申し分ない。2階にはバーガーキングも営業していたりするのだ。
ここに父輝宗が迎えに来ている筈だったが、広いロビーを隅から隅まで見て回ってもそれらしき姿は見当たらなかった。
腕時計を見てみれば、到着予定時刻から優に30分は過ぎている。
その前にぬっと現れる影。
政宗は顔を上げると同時に脇に提げていた荷物をぎゅっと抑えた。
「伊達政宗さんですね」
良く陽に焼けた男だった。
背が高く、ガタイも良い。彫りの深い顔に漆黒の前髪を掻き上げて更に目鼻立ちをくっきりさせている。頬の傷もその精悍さを際立たせていた。
他の乗客がちらほらいる中で引ったくりなど出来るとも思われなかったが、そうした事が日常茶飯事に頻発する海外では用心に越した事はない。
「あんたは?」
日本語が通じる事を訝しみつつ尋ね返した。
すると男は、黒ジャケットのポケットから名札のようなものを取り出しつつ言った。
「片倉小十郎と申します。輝宗社長の申し付けにより、お迎えに上がりました」
政宗は、前髪に隠されていない片眉を上げつつ、その名札を受け取った。
写真付きのそれは、父の会社と提携している鉱山会社のもので、スペイン語表記の傍らに小さく英語も書き添えられていた。
Kojuro Katakura, A field Overseerとあった。現場監督らしい。写真も目の前の男と同一人物で間違いなさそうだ。
それにしても、南米ボリビアの鉱山会社で日本人が働いているとは意外だった。
「そこのベンチに母と弟が休んでる。悪いが、荷物運んでくれるか?」
「承知致しました」
にこりともせず男、片倉小十郎は頷いた。
鉱山の現場監督なら、その女の太腿くらいありそうな二の腕も納得行く。彼が、ターミナル内を歩き回ってよれよれになった母と弟の分の荷物を、駐車場に停めてあった中古の日本車に運び入れ、ラパス市内にある父輝宗が所有していると言う一軒家に向かった。
すり鉢の縁から螺旋状に下る高速道路を通って、およそ30分程でラパス市内の中心部に辿り着いた。
もうその頃には空は真っ暗だったが、高層ビルや街灯、店舗などの上げる明かりが眩いくらいで、周囲に遠く見えるのは、すり鉢の側面にへばりつくようにしてある街並の遠い灯火だ。
飛行機から見下ろした時ラパスは、アンデスの大平原であるアルティプラーノにぽっかり開いた巨大な穴の中に作られた街だと分かる。今、その穴の底に立って辺りを見渡せば周囲をなだらかな坂に囲まれて、そこを満遍なく住宅地が埋め尽くし、まるで規模の違い過ぎる巨大な円形劇場の直中に立たされているようだった。
ラパス滞在中、彼ら伊達家の住居となる一軒家は高層ビルの足下に建つ立派なものだ。すぐそこを高速道路が走っていて、目の前には公園もある。
車から降り立ち、またしても小十郎に荷物を運び入れるのを手伝ってもらっていたら、家の中から原住民の衣装を纏ったガタイの良い女が出て来た。三つ編みおさげもずいぶん逞しい。
それを見て固まってしまった日本人家族に、小十郎は説明した。
「この家の使用人です。社長がしっかりした身許の者を選んで雇っておりますのでご安心下さい。名前はアイリュ…スペイン語かケチュア語しか話せませんが」
それから小十郎は、家の中でも山高帽を被っているらしい浅黒く日焼けした女に、早口のスペイン語で何事か語りかけた。それを聞いたアイリュが政宗たちを見渡し、自分の胸に手を当てて、やはり早口のスペイン語(かなり訛っているようだが)で何事か言う。
「うへぇ〜、使用人がいるってのもびっくりだけど、全然言葉分かんないんじゃいても意味ないじゃん」
政道がそう漏らしたのも仕方ない。が、弟は自分の事は自分でやれば良いのだと思っている政宗は何も言わなかった。問題は母と上手くやって欲しい所だ。だがまあ、このおっとりとしてマイペースな人は余り物事にこだわらないので、言葉が通じなくとも何とかやってくれるだろう。
自分はと言えば、大学での専攻が経済学部だった事もあって、スペイン語はほんの少し齧ったぐらいだった。英語は父親の弟から叩き込まれたのもあって、ネイティブと会話するのも苦にならないが。
「皆さんの滞在中は私が出来る限りのサポートを致します」
政宗の懸念が通じたかのように男は最後にそう言って、母と弟の荷物を片手にひょいと持ち上げてとっとと中へ踏み込んで行ってしまった。
「あんたも仕事あるんだろう?1週間も現場、離れてて良いのか?」
その背を追ってリビングへと入りながら政宗が問うと、男は振り向きもせずに応えた。
「主任と監督補に任せてありますので」
「ふーん…」
「明日は一日市内の観光をご案内致します。明後日には私の所の鉱山会社と実際の現場を見て頂く予定に。その翌日からボリビア鉱山公社主催の国際会議に出席して頂いて、現状、外資系会社が今後の取り決めを交わす過程を、その目で見て聞いて学んで欲しいとの事でした。ちなみに会議は全て英語で行なわれますし、英語が喋れないボリビア現地の者には通訳が付きますのでご安心下さい」
「良かったじゃん、兄貴」
などと政道は言うが、あのワンマン社長の輝宗が現地の会社に我が侭を言って困らせている図式が政宗の脳裏には浮かんでいた。
確かに現地に詳しい日本人が傍らにいてくれるのは有難いが、異邦の地での苦労もまた、会社を運営して行くには必要な経験なのではないか。
そんな事を考えながら、弟の上機嫌な様子はすっかり無視していた。
「キッチンは何処かしら?お夕飯、作らなきゃ」
母はそんな事に気付きもせずに、暖房の効いた部屋で上着を脱ぐなりそう呟いた。それに対しても小十郎が丁寧にエスコートし、傍らを派手な民族衣装を纏ったアイリュがくっ付いて回った。彼女のような伝統的な衣装を身に付けている女性をチョリータと言うのだとは後で知った。
リビングは派手なソファセットがでんと据えられ、薄型液晶テレビも鎮座している。ボリビアのアンデスに来たと言うより、アメリカの中流家庭を思わせる有様だ。
ラテン・アメリカでも最も開発水準が低い国の1つであり、人口の6割が原住民と言う人々の国内総生産はUSD79億円(日本は480兆円・2010年現在)だ。天然資源が豊富であるにも関わらず、多額の多国間債務を抱えて「黄金の玉座に座す乞食」とまで称されるような借金塗れの国で、だ。
―――俺は殿様行列をしに来たんじゃねえ…。
そうした思いが、腹の底からそこはかとなく立ち上がって来る。




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