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―記念文倉庫―
12
これを見た佐竹は、近侍に周囲を守られた状態で鬼瓦のような忿怒の表情を刻んで歯咬みした。そうしては近侍たちを押し退けて自らの馬を前に進める。
近侍の静止の声は聞こえぬ振りをした。
ああまで勇猛苛烈な様を見せつけられて、女のように人の盾の影に隠れていては武士の名折れ。いや、武者震いに総身総毛立って、じっとなどしていられなかったのだ。
佐竹義重は片鎌槍を小脇に挟んで突出した。
それを見つけた政宗の独眼がギラリ、と輝く。
「佐竹義重、手前も年貢の納め時だぜ、くたばりやがれ!!」
「小倅め、今度こそその素っ首頂くぞ!伊達政宗!!」
2人は雄叫びを上げ合って、真っ向から走り来った。
そしてすれ違い様の一撃に爆炎が上がって、

ゴォン…


周囲の騎馬が前脚を振り上げ、鋭く嘶いた。その弾みで落馬する者もいた。
景綱は、飛び散る瓦礫を避けてその勝敗の結果を見極めようと一足早く馬を進めた。
土埃が立って、彼らのいた辺りは視界が利かないのだ。
佐竹の近侍やその重臣も、主の無事を確かめようと渦中に馬を進めて行った。
そうして土煙が風に吹き払われると、そこには、馬上の人を失った馬が二頭佇んでおり、地に落ちた2人の武将が今正に立ち上がらんと地で足掻いていて。
「義重様!!」
「政宗様!!」
各々の主の名を呼んで、その家臣らがわっと駆け寄る。
景綱は他より一馬身先んじていた。
だが、跪いた政宗の向こうで忍び寄る足軽の姿を視界に捉えた刹那、さっと血の気が引くのを感じた。
歯を食い縛って、叫び声を上げるのを堪えた。
その名を呼んでは彼がこちらを振り向いた途端、飛び去ってしまいそうだったから。
馳せた。
馬を急き立てた。
馬上から身を倒し、鞍輪に左手を引っ掛けて右手を伸ばした。
足軽が迫る人馬に気付いた。
槍の穂先を景綱に転じる。
その気配に気付いた政宗が、跪いたまま足軽を、続いてそれの切っ先が向けられた先を振り向いた。
凍り付く。

斬、

馬が地を蹴り、槍の柄がへし折られた。
膝立ちの政宗の身体が、その腕に流れるように掻っ攫われて。
血飛沫が飛び散った。
一呼吸の間に起こった事だ。
景綱に付いて来た若武者たちが機転を利かせた。
景綱の向かう先に突っ立っていた騎馬隊に横から突っ込む者。景綱の騎馬を追撃せんと、駆け出していた佐竹の近侍の前に通せんぼをして立ちはだかった者。それぞれに別れた。
座り込んでいた佐竹は兜のすっ飛んだ頭を軽く振ってから、走り去る人馬を見送った。
その顔が煤けて真っ黒だ。
ぷは、と開いた口の中からは真っ黒な煙が吐き出された。
周囲をキナ臭い黒煙が漂い続けた。
そこへ、伊達軍を纏めて来た成実の一隊が駆け付けた。
慌てた近侍に引っ立てられ、佐竹義重は前に進み出て来た歩兵の中へと後退した。
佐竹本隊の騎馬と、景綱に付く若武者たちが討ち合っている所へ成実が突っ込んだ時には、佐竹の姿も旗印も見当たらなくなっていた。

馬上に引き上げられた政宗は、景綱の腰にしがみ付きながら叫んだ。
「小十郎、手前その首…!」
後ろから覗き込んだ青年は顔から首筋にかけてを血でべったりと濡らしていて、未だにそれが溢れ出しているのが政宗にも分かった。
だが、景綱はギリギリと歯を食い縛ったまま応えない。
政宗は彼の陣羽織を掴んだ手にこれ以上ないと言う程、力を籠めた。丈夫な綿織りのそれが皺くちゃになるのも構わずに。
そうでもしなければ震える手を抑えられなかったからだ。
2人が佐竹の軍勢を離れて郡山の平原を抜け、黒々とした阿武隈川に添って馬を駆けさせて行くと、先に本宮に軍勢を退避させて来た綱元が400騎程を引き連れて戻って来た。
「政宗様!!」
綱元と数騎が先ず駆け寄って来て政宗に一頭の馬を譲り、他の者たちが馬上から景綱を引き摺り下ろした。
残る騎馬隊が佐竹の追撃に備えて辺りを囲んだ。
「綱元!!ただちに兵を整えて佐竹の野郎をぶっ潰すぞ!」
「政宗様!」
鋭い一喝が上がって、頭首は口を噤んだ。
「徳川どのとの盟約による会津攻めは佐竹の裏切りによって失敗に終わりました…。この報を受けて他の軍勢も早や、引き上げに掛かっております―――!」
「………」
ギリ、と鋭い犬歯で歯咬みした政宗だったが、やがて般若のような形相をすう、と納めた。
佐竹とはそれこそ先祖からの深い深い縁によって、返す借りは山ほどあった。だが、血縁による因果で斬った張ったの勝負を仕掛ける時代は終わったのだ。


成実の500騎が本宮城に帰って来るのに従って、景綱に引き連れられていた5人の若武者たちも無事戻って来た。皆、怪我の多少こそあれ、息を切らして頬に血を上らせつつ慣れぬ戦に興奮した面持ちだ。
佐竹との一騎打ちで落とした政宗の六爪も、成実が己が手で掬い取って来た。
政宗は本宮城に入ると、景綱が手当を受けている長屋門に駆け込んだ。しかし彼は思いの他しっかりとした有様で、戦直垂の上を脱いで普通に座す様子は何ともないようだった。
お陰で拍子抜けした。
傍らで手当の様子を見ていた綱元が具足を鳴らしてさっと会釈した。
「頬を突き破って顎の骨を削る勢いでしたが、命に別状はございません」
「頬―――…」
「ええ、今少しずれていたら首を落とされる所でしたが」
「………」
本当に運の良い男です、義兄にそう言われて景綱は主君を前に座したまま頭を下げた。
夥しく流れていた血は諸肌脱ぎにした腰まで滴り落ちていた。治療の為に拭われた傷口からは未だ、だらだらと鮮血を流しているのだ。
その、顔面蒼白な割りに苦痛の色1つ見せない景綱がやけに憎らしかった。
政宗は具足を鳴らしてその端近くまで歩み寄り、彼の直前に膝を折った。主の気配に応えて、たかだか17歳の青年とは思われない武将が顔を上げる。
何時の間にこれ程逞しい武者に育ったのだろうか。自分の背の高さを軽く抜き、今こうして間近に見る剥き出しの上半身は隆々として、頼もしいばかりだった。それに、走る馬上から政宗を掻っ攫って行った膂力だ。
どれだけ人の知らぬ所で鍛錬を積んだのだろうか。
見返す青年の真っ直ぐな眼差しを、政宗は左の独眼で少し斜に構えた形で凝視した。
「名誉の負傷、って奴だ」
言いつつ、ぬるりとした液体を垂れ流す傷口に触れた。
さすがにこれには景綱は肩を竦め、痛みに顔を歪めたが、声は出さなかった。
「…貴方がそう仰るのなら」とただ、平常の声と顔色で言い返す。
「名誉に決まってんだろ。あの時お前が突っ込んで来なきゃ、俺は足軽如きに討ち取られてた…」
「貴方を失う事など考えられません」
ああ―――…。
今よりずっと幼かった頃、ただ一度だけ感極まってこの小姓が漏らした言葉が蘇る。
―――愛しております、この世の誰よりも…。
本気、だったのかとこの時政宗は初めて気付いた。
そうして、篭手に覆われた両の手で青年の頭を掴むと、それへ唇を寄せた。
傍らで控えていた綱元が軽く目を見張る。
他の軍医や兵卒が見守る中で、領主の唇は景綱の頬の傷に重ねられた。
この中で誰より驚愕に打ちのめされていたのは、その景綱本人だった。政宗の行為の真意に見当がつかず、だが、その舌が傷口をぺろりと舐めやって来るのに背筋をぞくりと震わせて。
それは身に過ぎた思い、届かぬものへの飽くなき渇望だった。
「俺からの褒美だ」
その主と言う人は唇を離すなり言って、にやり、と笑った。まるで悪戯が成功した小童のように。
それは堪らなく景綱を切なくさせた。

会津の上杉は今の所無傷だったが、佐竹と通じていた事を罰されてその領地を幾つか召し上げられた。そして佐竹義重は改易を受けて子の義宣に家督を譲って隠居し、更には人質を差し出す事になった。
全ての差配を振るったのは盟主、徳川家康だった。
その家康の労いと侘びの書状を受け取った政宗は、本営城を引き上げ、米沢城に戻った。



会津強襲の全てが終わって、米沢は秋の紅葉に染まっていた。
これ程鮮やかに燃え上がった後を白く塗り潰すようにして、雪は降り出す。それまでの僅かな間の絢爛豪華な極彩色の世界だ。
それが夕陽の中に沈んで行こうとしていた。
政宗は城中に辿り着くや馬を乗り捨て、馬屋に向かった。
そこには、常時20頭近く行儀良く繋がれ、世話をされている頭首の持つ名馬が揃っていた。今回の戦で政宗の気に入っていた黒毛の黒芙蓉と言う2歳の雌馬を失った。
お転婆だが、いざと言う時は落ち着き払って頼りになる相棒だった。
けれど、もしかしたら"あいつ"の代わりに持って行かれたのかも知れない。そう考えれば、神前に捧げた尊い犠牲であると言えなくはなかった。
馬舎長屋に入ると、中は馬たちの体温でむっとする程温かい。
普段ならこの長屋の端にある小部屋や、その表の井戸端に馬役などがたむろして茶などしばいたりしている筈だが、軍勢が戻って来たばかりからか、その気配はなかった。
ゆったりと馬たちを眺めて見て回った。
一頭一頭、柵に入って桶の中の飼葉を食んでいる。その柵の中の地面には、馬が蹄を落とさないようにほぼ中央に穴が開けてあって、そこから馬たちが垂れ流した糞尿を排出する仕組みになっている。
馬屋の中の湿った空気にはその臭気も混じっていた。だが、それは不快ではない。
ふと振り向くと、馬屋の開けっ放しの戸口に男のシルエットが立っていた。
その向こう、櫓門の角の辺りに落ちる赤光は、橙から真紅、そして蒼い蒼い闇へと沈んで行く所だった。
「政宗様…具足も解かずにこんな所で、何をなさってるんですか?」
そう言って進み入る景綱は、陣羽織を脱いで平素の小袖小袴姿だ。傷を縫って、頬に軟膏を塗った油紙を貼付けていると言う情けない姿で。
それを薄闇に透かし見やった政宗は皮肉に口元を歪めつつ、眼を反らした。その傍らに立った景綱は、ひっそりと主の耳の後ろ辺りを見つめつつ尚も問う。
「お怪我はございませんか?」
「何が欲しい」と帰って来た声は、目の前の馬の鼻面を撫でながらのものだ。
「主君を窮地から救ったんだ。馬でも刀でも、何でも欲しいもんくれてやるぜ」
本宮城での事はなかったかのように政宗は言う。
「……何も」
「何も?欲がねえな」
なあ?とその独眼が覗き込んだのは、やっぱり馬の大きな瞳の方で。
その鹿毛の艶やかな毛並みを持った雌馬は、訳も分からず長い睫毛をしばたくだけだ。
「…欲なら、あります」
「Ah?」
何となく振り向いた目の前に、己の小姓が立っていた。その様に剣呑なものを感じた政宗は一歩、身を引いた。




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