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―記念文倉庫―
11●(政宗×小十郎)
「そうかい…俺に抱かれんのは、もうイヤか…?」
「…そのような……あっ」
「だが…俺は俺に刃を向けた事を許した覚えはないぜ?」
「あ…」
そうか、これはもはや一時の快楽を貪る行為ではなく、不敬にも主君に刃を向けた者に服従を強いる儀式なのか、と景綱はこの時、悟った。
男の征服欲は、愛だ忠義だなどと言った建前を飛び越した、原始の海の中にある。それは、小姓に背後から斬り付けられた伊達の頭首の怒りによって引き上げられて今、景綱の全身を覆い尽くしてしまっている。
酷い事をする、酷い事を。
―――ああ、けれど。
愛姫の代わりと言って、己に屈服しろと言って、こうして踊らされる事は。
女の身体を知って、その肉に包まれる喜びを知った今になっても、これは苦痛ではないのだ、と景綱は思い知った。
罰ではない。
男としての屈辱ですらない。
主と自分とのイカヅチを撚り合わせて深く繋がる事はやはり、この世の何よりも愛おしいものだった。
愛おしくて、切なさに掻き乱される。
主がその傷ついた身体を庇いながらの行為であった為か、ただ静かに穏やかに揺さぶられる中で景綱が思っていたのは、そんな事だった。
罰だと言うのなら、泣き叫んで許しを請いたくなるぐらい、滅茶苦茶にしてくれたら良かったのに、と。


豊橋から一路、奥州を目指して馬を走らせた。
6月の梅雨の最中であったから、幾度も豪雨に降られた。
途中、密かに馬を進めていた300の騎馬隊とは焼津の宿場町で合流し、そこから一気に駆け上がって行った。
豊臣方に与している領地を突っ切る時は、その300の手勢で戦のような様相を呈した事も幾度かあった。
だが、7千の兵で3万の連合軍とほぼ互角に渡り合い、700の騎馬武者で4000の攻め手を防ぎ切った事のある伊達の騎馬軍団は、たった300騎で1000程度の武者が守る拠点や砦を落とす事など、造作もない事だった。
米沢に帰り着いたのは、7月を目前に控えた頃だ。
そこから政宗は、徳川家康との同盟によりあらかじめ約定した通り、大阪を攻めるつもりの徳川勢の背後を突かんとする勢力への戦を仕掛けに奔走した。
伊達が徳川に付いた、と知った小さな勢力は攻めるまでもなく徳川や伊達に帰順したが、東北に対する楔として豊臣に打ち込まれた会津の上杉はここは退けぬと言う風に強硬に抗って来た。
一時、薄暗い程に沈んでいた伊達家筆頭政宗も、これに向かって獰猛に突き進んだ。
会津より北は、その頃にはもう殆ど全ての領主らが伊達に下り、あるいは後に東軍と呼ばれる徳川に付いていたから、敵は会津より南方のみとして後顧の憂いなく進軍することが出来た。

その時は、会津を取り囲んで伊達の他、最上・南部・戸沢などが北方のそれぞれの拠点に、一方、南方には佐竹の他に堀や溝口・村上などが兵を立てて並べて会津上杉に一斉に攻め込む手筈を整えていた。
そこには既に、血縁や肉親の情に左右されるしがらみはなく、豊臣政権に付随する石田を中心とする勢力に付くか、それともそこから離叛し独特の信念に支えられた徳川が蓄えて行った軍勢に付くか、の純粋な国取り合戦の模様しかなかった。
政宗は会津の西、二本松城に本陣を持って総攻撃の合図を待っていた。
臨戦態勢だったから、居館に詰めている間も鎧具足のままの姿だ。
誰もいない(小姓たちは控えの間に下がらせた)大広間に床几を置いてそれに腰掛け、半跏趺坐の姿勢だ。その片足だけを組んだ腿の上で彼の右手が何やら小さなものを転がしている。
今年もほおずきの季節が巡って来ていた。
家督を継いでから9年と言う歳月が流れていた。
それを長いと見るか短いと見るか人それぞれではあろうが、政宗はただ変わってしまった、と言う感慨だけを抱いていた。
27で老け込むのは早かろう、とは思う。
ただこの9年、自分が血縁と言う淵に囲まれた狭い世界でもがき続けて来た事を思う。南奥のほぼ全てを掌握した直後に襲い来た豊臣との大戦と、その敗退、秀吉や石田への怨執、そして徳川家康の天下取りを睨んだその大胆な大攻勢を、思う。
―――何処へ行ってやろうか。
伊達・田村両家の安泰とその繁栄だけに心血を注いでいた頃が、甘苦く思い起こされる。
家康が天下を目指すなら、俺は天上を目指してやろうか、と―――。
何時しか独眼竜と言って恐れられ、敬われるようになっていた政宗は、そのような自分の夢想に口元を歪めた。
そこへ、具足姿の近侍の者が取り次ぎに現れ、一通の文を齎した。
―――愛姫だった。
政宗は昂る熱を全て奪い取られてしまったように、その文を開いて読んだ。
彼女がこうして寄越して来る文を、周囲の者は政宗の身を案じ、愛の言葉を綴るものだと思って疑わなかった。
しかし、そうではなかった。
ただ愛しい恋しいと言ってくれるのであればどんなに嬉しい事かと思っただろう。だが、正直今は、またか…と言う落胆に繋がるばかりだ。
彼女は1人何処かに取り残されたかのように孤独だった。その孤独は昔の政宗であれば、両手にくるんで大事にしたいと思う類いのものではあったが、今はただただ哀れな女、と言う感慨しか抱かせなかった。
哀れで、変わる事が出来ない女。
政宗は文を書院棚の引き出しの中に放り込むと、まんじりとしないまま大広間を出た。
二本松城は安達の原の西に立つ平山城だ。
山下・山上と郭が別れていて、梯郭で繋がれた形だ。麓の居館と田地ヶ岡の上に聳え立つ本丸城郭の高低差は120メートル程。2つの郭は1.5キロも離れていた。天主閣の置かれた山上は四方から尾根が伸びていて、そのうち東と南には曲輪が築かれた。唯一、他の山に繋がっている北西の尾根は堀切で遮断されていて、この尾根伝いに敵が侵入するのを防いでいる。篭城するにはこの二重構造の城の有様は有利だったろうが、統治をするには本丸と居館がこれ程離れているので不便以外の何ものでもない。本丸は後世、使われなくなった。
政宗の居室も麓の居館にあって、城の南に広がる城下町を見はるかせる位置にあった。
曲輪を囲む石垣は高く立派で、山下の入り口である箕輪御門は二層の屋根を持って、それは壮麗だった。
政宗はそれの脇の石垣の上に立ち、直下の千人溜広場を、その先の城下町を眺めやった。
夏空が日差しに白茶けて、町は靄に霞んで見えた。
ここに執念深く幾度も攻め入ったかつての記憶が蘇り、苦い思いが去来する。

一斉攻撃は午過ぎに開始された。
強烈な夏の日差しの為に、乾いた草原で陽炎がゆらゆら立ち登る中を、それぞれの陣営から兵卒たちが出立する。
いくら会津にいる上杉が広大な領地を持った勇猛果敢な軍勢であろうと、周囲をぐるりと多勢力に囲まれて、これに挟撃されればひとたまりもあるまい。
誰もが思うように、負け色など全く見えない戦に思われた。
だが、そうした所にこそ落とし穴は隠されていた。
郡山を挟んで北方からは二本松城を出た伊達勢が、南方からは矢吹の拠点から出立した佐竹が、猪苗代湖近辺で合流して会津に入る手筈だった。これが、互いの軍勢が巻き起こす土埃の中に見え始めた時、佐竹の陣形がざざ、と具足を打ち鳴らす音を立てて2つに割れた。
何だ、と見やった政宗が隊列の先頭で目を見開く。
2つに割れた佐竹の兵は猪苗代湖を目指すのではなく、真っ直ぐ伊達軍に向かって伸びて来たのだ。その隊列を左右から挟み込む形でもって―――。
この戦の後に分かった事だが、徳川に対する態度を曖昧にしていた佐竹は、実は裏で会津の上杉と既に同盟を結んでいたと言う。これは、上杉を滅ぼす為に東北に攻め入って来るであろう家康を、後ろから佐竹が追撃して討ち滅ぼそうと言う戦略だった。
だが、案に相違して家康は姿を見せず、その代わり近隣諸国に囲まれる事となった会津を、佐竹が徳川の味方と見せかけて叛旗を翻す策に転じた事になる。
加えて佐竹は、伊達には度々煮え湯を呑まされている。
その代表的なものが、二本松城を巡って3万もの連合軍を形成して後一歩と言う所まで伊達を追い詰めておきながら、自領地を他所から掠め取られそうになって撤退した、と言う醜態だ。
余りにタイミングが良すぎるその侵攻を、佐竹は伊達の策略と見て地団駄踏んだものだ。
その雪辱を晴らす好機が巡って来た、そう言う事だ。

突然の襲撃に伊達軍はその隊列の一部が崩れた。
これは一度、二本松城の手前、以前の政宗の拠点であった本宮城に退いて体勢を整えなくてはまともに戦う事も出来そうにない。
退却の合図を打ち鳴らす陣太鼓が轟いた。
政宗のいる本隊を先に逃がす動きだった。
しかし佐竹はそれを目敏く見つけ、自ら馬を駆って追い縋って来た。
これに政宗も恨みがあったから雌雄を決してやろうと、後退を始めた本隊から馬を取って返した。
「政宗様!!」
「政宗様、お留まりを!」
近侍や重臣らが声を張り上げた。
こんな時に限って綱元や成実は、潰走を始めた部隊を整える為に本隊から離れていた。
代わりに、単騎飛び出して行った政宗を追って無名の数騎が馳せ出した。
景綱と、彼に付き従う若武者の一軍だった。
それが5騎、政宗の騎馬に追い付いた。
政宗の左に並んだ景綱を、若い頭首が首を巡らせて顧みた。
「佐竹を討てばこの奇襲は失敗に終わります」と景綱は言った。
「All right!! わかってんじゃねえか!」
そうして、2人して馬腹を蹴った。
向かう先にいるのは、佐竹の本隊50騎余りの騎馬隊と、その後から掛けて来る歩兵が100か200か。ともあれ、群れいる足軽たちが旗指物を背に立てて、長槍を手挟んで迫り来る。
景綱は腰の刀を抜いた。
喜多が直そうとして結局直らなかった左利きの手で。
その右で、政宗も六爪を一気に抜いた。
常に寡兵で大軍と戦って来た伊達の漢たちだ。真っ向からぶつかる事を物怖じもせず突っ込んだ。
すれ違い様に幾つもの刃が噛み合い、火花を散らし、鎌切り声を上げた。
そのまま少数の騎馬を押し包まんと、佐竹の本陣が大きく広がる。
そうはさせてなるものかと、政宗たちは馬を翻した。
横へと突っ込み、包囲を破ると佐竹の旗印目掛けて突撃する。
この時、景綱の連れた5騎は1人として欠けず、その代わりに佐竹の本隊からは1騎また1騎と主を失った軍馬だけが隊列を離れて行った。
揉み合う騎馬隊は、駆けながら少しずつ移動する。
それへ馳せ参じた歩兵は辺りを取り囲み、敵である伊達の騎馬が飛び出して来たらその槍で一突きしてやろうと待ち構えた。
駆けると言うより馬体を回し、右に左に伊達の武者らは刃を叩き込んだ。
その中で迸るイカヅチ。
政宗の六爪が振り下ろされる度に、空気を焼き焦がして人体を引き裂く。軍馬を打ち据える。
そして今1人、景綱の左手で華麗にだが鋭く舞う刃にも、その蒼白い雷光は絡み付いて、それが空を切り上げる度に佐竹の騎兵を吹っ飛ばした。




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