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―記念文倉庫―
10●(政宗×小十郎)
豊橋の中心地は吉田、もしくは三州吉田と呼ばれ、東三河の中心地だった。
三河港と豊川用水を擁し、貿易港と農業を主軸として、徳川家康の居城の1つである吉田城が建築されて以来、後世に続く繁栄を見せていた。
豊橋の地名は、吉田川に架けられた立派な吉田大橋他、多く建設された橋梁の多さからの通称だ。
大阪の内海を出て紀伊半島をぐるりと巡ったその貨物船は、三河港に寄せられる多くの貿易船に紛れて無事着岸した。
その時には伊達の300の騎兵は馬を運んで来た人足と、仕事を求めて西国からやって来た農民とに化けていたので、三成の追っ手が掛かっても、そうおいそれとは目につかない有様だった。
その中で政宗と成実、景綱は、戦装束のままで家康の寄越した迎えに引き連れられて、吉田城へと招かれた。
軽速足の馬上から流し見た城下の有様は、海沿いから豊川水運を使って荷を運ぶ港町、後に東海道五十三次の1つとなる吉田の宿場町、そして吉田城城下町へと、彩り豊かにその様相を転じた。
それらは、長雨の名残を見せる水たまりを避けて人々や荷馬車などが行き交う活気を見せていた。
奥州にあるより空の蒼は淡く、陽の光は強く、そして地底からの熱に陽炎を立ち登らせる陽気さに満ち満ちていた。
吉田城は今川氏から離叛した家康が攻略したもので、今の城主は家康の家臣の1人、池田輝政だ。家康本人はあちこちの拠点や、勢力の間を精力的に飛び回って1つ処に落ち着かないようだった。
政宗たちは、北側に川を背にして立つ城主の御座所御殿に通された。

政宗は気を取り戻した時から般若のような顔をしていた。
自分の小姓に背後から斬り付けられたなど憤死に値する程口惜しい事であったろうし、自分の知らない所で徳川とのやり取りが進められていた事は伊達家筆頭として立つ瀬がない。その上、石田三成との決闘にはほぼ敗退したと言っても過言ではないのだ。
地団駄踏んで悔しがりたい所だろうが、子供でもないのでそんな事は出来ない。
むしろ、ここには最も身近な重臣中の重臣である成実と、謀事をやって退けた景綱しかいないのだ。他の者には知られずに事態を丸く納めるのは十分可能だった。
そんな風な自分の中の駆け引きが、政宗の理性を辛うじて繋ぎ止めていた。
ともすればビリビリとイカヅチを放ちそうな政宗の前に現れた家康は、相変わらずあっけらかんとした表情でその対面に座した。
この地の領主として上座である床の間ではなく、客人らが円座を敷いて腰を下ろす板間に直接に、だ。
そうしては「まず、済まん、独眼竜」と、そのあっけらかんとした面を伏せた。
「お前の襲撃に水を差す形で乱入してしまった。申し訳ないと思っている。この通りだ、許してくれ」
景綱と家康との間に交わされた約束の事は聞いていたから、政宗は自分が瓦礫に埋もれた後に家康が乱入して来た事は知っていた。だが、今この場で頭を下げられてもバカにされている、としか思えなかった。
そもそも、景綱が邪魔に入らなければ三成の抜刀術は己の首を獲っていただろう。無論その時は、同時に三成の全身を六爪がバラバラに切り裂いていた筈だが。
「三成は儂が秀吉様を討ってから後、儂に対する怨執だけで動いているようなものだ…」と家康は、蒼白い怒りに包まれた独眼竜を見つめながら言葉を継いだ。
「儂は儂の成した事を後悔していない。だとしたら、儂と三成が衝突するのは自然の理だろう。三成と決着をつけるのは、儂だ」
小気味良く己の信念を言い切った青年から、政宗は視線を外した。盛大な舌打ちを零しつつ。
「だから頼む、儂に協力してくれ。奥州筆頭伊達政宗の力が必要なんだ」
ずい、と膝を進めて来た家康が、政宗の肩を掴んだ。
2人は同年代だったが、抑え付けるものを跳ね退けて育ったかのような家康は、縦も横も政宗より大きく逞しかった。肩に手を乗せられただけで政宗の上身が揺れたぐらいだ。
しかし政宗は家康のその手を払った。
「表出ろ、家康」
「ん?」
家康が疑問に思っている間に、政宗はざっと立ち上がって、とっとと広間を横切って庭に降り立ってしまった。
それを見送った成実が、よいしょとばかりに立ち上がった家康を仰ぎ見た。
「成実どの、そう心配そうな顔をするな。独眼竜の腹の虫が納まってくれるのなら幾らでも付き合おう。―――おい、決して手を出すなよ」
最後に家康が声を放ったのは、己の近侍たちに対してのものだった。
ああもう、と言うように己が頭をガリガリと掻いて、成実は呻いた。
「背骨と肋骨がまだ折れたまんまだ。手加減してくれ…つったって、政宗の奴が納得行かねえだろうなあ…」
「承知している」
はっきりと頷いてやって、家康も庭へと降り立った。

吉田城の御殿がよくぞ全壊しなかったものだ、と誰もが思った事だろう。
男の拳と拳で語り合う喧嘩などではなく、政宗は腰の六爪を抜いて必殺の一撃を幾度となく繰り出したし、家康はナックルサックと己の身体を武器にして飛び散る雷電を器用に避けては、容赦のない打撃を放って来た。
そして、政宗が望む通りに手加減なしの全力の攻撃を、それは楽しそうに繰り返すのだ。
結局、政宗は再び立ち上がれない程の大怪我を負った。
御殿の客間に一室を与えられ、殴打されて腫れた顔を晒して政宗が休んでいる間に、成実は石田三成の動静を家康の家臣から聞いた。
他の諸国に目立った動きはなかった。
どうやら伊達勢と徳川勢が同盟を結ぶかどうか、様子見を決め込んでいるらしい。
「それと、こちらを政宗どのに、と」
最後に家康の家臣が成実に渡して来たのは、一通の書状、いや文だった。
「これってもしかして」と受け取った成実は言葉を呑んだ。
文から立ち登る凛として上品な香は、愛姫が好んで使った白檀の香り。大阪・界の地に匿われた彼女が、家康の手の者に託して政宗へと寄越して来たものだった。
すぐ側にいながら、会えずに離れて来てしまった。
政宗がこれを見て、徳川との同盟に諾うてくれれば良いが。
成実は愛姫の文を丁寧に押し頂き、それを懐に仕舞った。

客間で眠る政宗はまた骨が何本か行ったらしく、脂汗を流しながら魘されていた。それを、枕元に侍った景綱が濡れ手拭いで丁寧に拭う。
素肌に巻いた晒しが痛々しくその体を締め付けている。
怪我の為と言うより、折れた骨が動かぬようにぎっちり固定してあるだけだ。それが呼吸を妨げるのか政宗は時折、掠れた呻き声を上げた。
額に張り付く髪の束を退けて、ダラダラ流れる汗を拭う事暫し、汗で温んだ手拭いを傍らの桶の中の水で濯いだ。
その水音が耳についたのか、政宗がぱっかりと左目を開けた。
右目の眼帯は失礼して取り去らせてもらっていた。
その彼の唇が動いて、呻き声以外のものを吐き出す。だがそれは、苦痛に塗れてなかなか言葉にならないようだ。
景綱は手拭いを水の中に浸けておいて、その口元に耳を寄せた。
「……あ…の野郎…て、かげ…なしで…や、りや…った…」
途切れがちのその恨み言に、景綱も苦笑を禁じ得なかった。
手加減されたらされたで逆上するクセに、完膚なきまでに打ちのめされれば怪我を笠に着て不平を述べる。天の邪鬼なお方だ。
「それだけ政宗様の思いを汲みたいと言う、あの男の精一杯でございましょう。火傷や刀傷を負って、家臣に子供のように叱られていましたよ」
「―――…」
幾呼吸か、政宗は苦しげに息を継いだ。
そうして、震える唇が微かな言葉を細く、だがはっきりと紡いだ。
「…同盟を承知、した…と」
「―――承りました」

政宗が起き上がれるようになるまで半月かかった。
床の上で愛姫からの文を読んだ政宗はしかし、喜ぶどころか音もなく表情を消すように生気を失った。
―――何故か。
そう訝るのは家康や成実だけではない。景綱も、彼が抜け殻のようになってしまった理由に思い当たる節がなかった。
愛姫は豊臣勢から逃れ得て今は未だ大阪に留まっているが、奥州までの街道を制圧する事が出来れば駕篭で迎えに行ってやれる筈だった。赤子連れだから荒事には連れて行けまい、と界の屋敷を用意してくれた家康の気遣いを有難く思うばかりだ。

それが何故。

馬に乗って移動出来るようになるまで更に半月が経った。
その間に政宗は、ゆるゆると景綱の身体を求めた。
徳川家康の居城、その御殿の内の閨で人目を憚る事は難しかったから、多分番徒や侍女らには悟られたと思う。
成実などは気を遣ってわざと席を外し、閨には近付かぬよう二の丸にある稽古場で徳川の家臣と組み手などして汗を流していた。
景綱が13の時に始まった本格的な房事は、15の時、愛姫が懐妊して以降止んでいた。それが、17の今になって徐ろに再び求められるようになってしまった事に、景綱は正直戸惑った。
「……お体に障ります…」
そう言って、己の身体に絡む政宗の腕をやんわりと押し戻そうとしても、戦で鍛えた彼の手は蛇のように纏わり付いて離れない。それ所か、背後から景綱の耳朶を玩んでいた唇が、底意地の悪い台詞を吐く。
「いいんだよ…お前は愛の代わりなんだから…」
それが如何に青年の胸を深く、鋭く抉ったか。彼の若い頭首は知りもしない。
それがどれ程青年の中に降り積もっていたものを掻き乱したか。
景綱はただ、熱いような凍えたような溜め息を長々と吐いた。
褥の周囲を取り囲んだ屏風の向こうから、しとしとと降り続く長雨の音が忍び込んでいた。
まだ正午を回ったばかりの頃合いだろうが、客間の隅でこうして屏風の影に隠れてしまうと薄暗く、水底にいるかのような錯覚に陥る。
高められて、後ろから突き上げられると、その雨音も薄暗がりも遠離った。
「…あっ、もう…」と、景綱はそれが溢れ出しそうになって許しを請う。
繋がった2人の体の中に遠雷が響き渡って、彼らの身体そのものが雷雲でもあるかのように、内から、雷光を瞬かせた。
初めてそうなった時のような激しさは、ない。
正しく、何処か遠くの空で雷神の太鼓が打ち鳴らされているのを胎内で聞くようなものだ。
「…お前、女は」とその嵐のような息を吐く唇が問う。
「抱きました…。先輩小姓にそう言った店に連れて…行ってもらって…」
ドロドロドロ…
地響きのように身の内の雷が走り回る。
「は、通りで…ここも色が変わって来やがった」
「……ん、う…っ」
ここも、と言って細い稲妻を纏い付かせた掌が、少し乱暴なぐらいに下腹部のものを掴み込んだ。
立ち上がって、先端から雫を零すものはすっかり大人のものに近付いてエラが張り、太く逞しく育っていたし、色も黒ずんで大きな皺や筋に覆われている。
「も…貴方のお相手出来るような…童では……っ」
皆まで言わせず、後ろから髪振り乱した頭首が激しく突き上げて来た。
腰と尻の間で蕩けた"ねりぎ"の幾足りかが零れ落ちて、卑猥な音を立てる。
本物の雨雲の一角で崩れ落ちるような轟きが、上がったような気がした。




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