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―記念文倉庫―
9
「石田三成!」
叫んで、濡れ縁を渡り奥座敷の襖をバンと言って開け放てば、探すまでもなく三成はそこにいた。
刀の手入れに余念がなく、その薄い唇に懐紙を咥えていて、ちら、と酷薄な瞳が政宗を顧みた。
具足を脱いだ直垂姿に怪我の名残は見出せない。
情報は誤ったものだったか。
それを確かめる隙もなく、落ち着いた三成の横顔が淡々と刀の輝きを見つめる。
「客を招んだ覚えはない」
彼は鋭利な瞳を投げやる事もせずに懐紙で刃を拭いつつ言った。
「招かれざる客…って奴だ。手前に話が通じねえのは百も承知だ。こっちも勝手させてもらうぜ」
好戦的に独眼をぎらつかせて吐き捨てる政宗の言に、思った通り、三成は鼻先1つで笑った。
「くだらん」そうした呟きさえ零して。
拭った刃の刃紋を見聞する三成へと向かって六爪を抜き放ったままの政宗が突進した。
「政宗様!!」
叫んだのは景綱だ。
端正な姿勢で座していた三成が、抜き手も見せずもう一振りの刀を抜刀したのが見えた。
鞘走る抜刀術は、納めた状態から抜く事によって初速が眼にも止まらぬ早さとなる。それは景綱が会得した剣術でもあったので刃の描く軌跡が見えた。
ビュッ
空を切り裂いて踊った白刃が、脇から突き退けられた政宗の右腕を掠めた。
代わりに前へ踏み出した景綱が刃を振り切った三成のこめかみ目掛けて抜き打ち様の一刀を叩き込んだ。更には、刀よりリーチの長い成実の長刀が翻って、三成の脇腹へ食らい付く。
ほぼ同時に繰り出された2つの刃はしかし、ざざっと畳の上を後退った三成の髪一筋とて掠りもしなかった。
むしろ、景綱に突き退けられなければ政宗の右腕が斬り落とされていた所だ。
凄まじい使い手であり、神速の動きだった。
屋敷の裏手でわあ、と男たちの声が上がったのはその時だ。そちらに回った伊達の手勢が三成の伏兵とかち合ったと見られる。
「敵襲、敵襲―――!!」
出合えとばかりに歓声が沸き上がった。
「貴様らには斬滅が相応しい」
夜の闇よりも冷たく、水底よりも昏い声で三成は告げた。
それが合図のように、豪雨に水煙る庭へ斬り結ぶ武者たちの姿が傾れ込み、奥座敷の控えの間からも別の伏兵が具足誂えも済ませて駆け付ける。
「政宗、襲撃は失敗だ!」と成実が叫んだ。
尚も食い下がろうとしていた政宗は、従兄弟の手にがっしと肩を掴まれ歯咬みする。
ここまで来て、またしてもおめおめと逃げ帰れと言うのか。ここで引き返しては聚楽第にいる愛姫と五郎八の命もないではないか。
政宗は成実の手を振り払った。
焦燥が胸を焦がす。
それは雷光の迸りとなって、三成の手勢らの目を焼いて、

ドガン、

竜の爪、六爪が閃いた。
後退した三成が続きの間の襖を吹っ飛ばした。
政宗が三成を追って縦横無尽に振るう六爪は、辺りを取り囲む伏兵たちを薙ぎ倒して行った。
目も当てられない惨状となった。
景綱は政宗の後に続いた。
成実は政宗のイカヅチに耐性がない。だから庭に出て、300の自らの兵たちをまとめ上げる方へ回った。
自屋敷の壁をぶち抜いて飛び退った三成が、身体を低くして抜刀の構えを取った。政宗はそれを真正面から切り裂く心積もりで突っ込んで行った。
米沢城下と奥州全土の民より、16代続いた伊達の血筋より、政宗は、儚くて大事なものをその手に抱いてしまった。愚かな襲撃をしたと後になって後悔するぐらいなら、今ここで、三成と相討ち果ててしまった方がマシだった。そう思った。
政宗は頭首として最も愚かな選択をしてしまったのだ。
ぎりぎりまで引き付けて姿勢を崩さない三成の目は、何よりも澄んでいて、そしてまた同時に、闇の深淵をも孕んで最後の瞬間を待っていた。
―――儂がそうと言ったら政宗様を誅せよ。
景綱の脳裏に遠藤の声が蘇った。
目の前に政宗の蒼い陣羽織が翻る。
その一刹那、



と言って決戦の舞台に水を差したのは、他ならぬ景綱だった。
青年の峰打ちを受けた政宗が横にすっ飛び、屋敷の塗り籠めを破壊して落ちた。
頭首の代わりに前へ突出した景綱は、雄叫びを上げながら下段から上段へとその刃を跳ね上げた。
三成の瞳に僅かな動揺が流れた。
畳を引き裂き、天井をぶち抜いて迸る稲妻が彼へと襲い掛かる。

ギイィィィィン

光のスピードで牙を剥く景綱の攻撃を鋼の刃で切り裂いたのはさすがと言うより他はない。
だが景綱に第二陣を放つ余裕はなかった。
目の前に闇色の光を宿した凶王が迫る。
そこへ、
ドン
と重々しい音を立てて間に割り込んだ者があった。
ずぶ濡れのフードを目深に被った逞しい体躯の青年。その姿を一目見て、露わな驚愕を示したのは三成の方だった。
「貴様、家康ゥ!!!!!」
血を吐くような絶叫が上がる。
それを受けて平然と立つのは、かつて奥州筆頭伊達政宗に同盟を申し込んで来た徳川家康、その人だった。
「三成、ここでお前たちを討たせる訳には行かないんだ」
自信に満ちた真っ直ぐな瞳が三成のそれを捉え、屈折した所もなく強く言い放つ。
この場に乱入して来たのは家康の手勢だった。
それも伊達・石田両軍勢を併せた以上の大軍が、余り広くもない屋敷のそこここを埋め尽くさんとばかりに傾れ込む。
「三成様、この周辺一帯が徳川の手の者に取り囲まれております!!」
庭から駆け上がって来た武者がずぶ濡れのまま瓦礫の中で悲鳴のような報告を上げた。
「姑息な真似を…この場で斬滅してやる!!」
頭に血が昇った三成を、家康は軽くいなして後退した。
景綱の隣に立つ。
「政宗を連れて落ち延びろ、景綱。同盟の条件は今この場で呑んだ!」
「かたじけない」
景綱は短く応え、破壊された塗り籠めの中に崩れた己が主を引き上げた。
土砂降りの庭に飛び出し、味方の体勢を整えていた成実に撤退を告げて、先へと駆け出す。
長屋門の中間を切り伏せた場所に馬は待機していた。
引く景綱の代わりに屋敷を取り囲んで雨の中、槍を構える徳川の手勢は多数。
成実は刹那、奥座敷で睨み合う家康と三成の姿を顧みた。
だが、ここは逃げるが勝ち、とばかりに「引け引け!!」と声を大にして叫んだ。


福嶋の三成の屋敷から下がった景綱は、気を失った主を自分の馬の鞍に乗せたまま、堂島川に添って西行した。
叩き付ける雨粒の中、かねてから取り決めていた大阪の町を離れて豊中・箕面方面へ撤退する手筈とは違っていたが、行く宛があるような景綱の走り方に成実は黙って付き従った。
この小姓上がりの青二才は恐ろしく頭が切れる、と、この時成実は野生の勘に近いもので嗅ぎ取っていたからだ。

伊達の騎馬隊は阿波座に張り巡らされた水路に架かった橋を幾つも越え、渡し船が発着する渡し場の1つに辿り着いた。
小さな手漕ぎの小舟が雨に濡れて揺れる中で、一際大きな商船に明かりが灯っていた。
それに向かって、景綱が馬の振り分け荷から引っ張り出した伊達の旗印を雨に負けないように振ると、商船の船腹からは橋桁が渡されて来た。
これへ景綱は躊躇なく馬ごと乗り込んだ。
成実も問いたい所は山ほどあったがそれに続き、300の手勢が付き従った。
船上では既に下馬していた景綱が、船の人足頭らしい男に懐から出した一通の書状を見せていた所だった。
雨風が強く、その会話は聞き取れない。
船は音もなく静かに、雨を縫って木津川へと滑り出した。
商船の荷物室に馬と共に隠れてから、成実はようやく「一体どう言う事だ」と景綱に尋ねる事が出来た。
伏した政宗の傷の具合を確かめていた景綱は、その場に片膝突いたまま主の従兄弟を振り返る。
「以前から続いていた徳川どのとのやり取りで、今回の襲撃の件を報せておりました」
「何だって?!」
「石田どのの怪我の件はどうも偽の情報であるらしい、とその時徳川どのに伺っていたのですが、端役にもならない私の言い分が通るとも思えず、また情報源である徳川どのの事は内密故、お伝えする事が出来ずにいました」
「…いや、俺とか綱元とかに耳打ちするだけでも…」
「これはまた好機でもあったのです」
「……何で」
「徳川どのにはこう、申し上げました。…もし今も尚、同盟を望まれるのであれば、蒼き竜の一番の泣き所、愛姫様救出に手を貸して欲しい、と。それが成った暁には徳川どのとの同盟を私の一命を賭してお約束する、と伝え申しも致しました」
「………」
「徳川どのはその襲撃は見過ごす事は出来ぬ、邪魔しに入る、と仰られておりましたので、あのような有様に」
「当たり前だ!家康と三成は不倶戴天の宿敵……って、あっ!お前!三成の追撃を阻むのに徳川家康を利用したのか?!」
「結果的には」
「な………」
結果的にはって、明らかにそれを予測して襲撃の件を家康に告げたんだろうが、と成実は景綱に詰め寄りたかった。
「愛姫様の件については承諾した、と先程ご返答を頂きました。こちらが、徳川どのの約定を記した書状です」
差し出されたそれを成実は黙って受け取った。先程、人足頭に見せていた書状の代わりに渡されていたものだ。
中を見るまでもない。
三成の屋敷で家康が「同盟の条件は今この場で呑んだ」と叫んだのを成実も聞いていたのだ。
そもそも、政宗の襲撃に私情で横やりを入れた家康が、その詫びとして愛姫救出を買って出て、それを手土産に同盟を再び持ちかけて来るなど、如何にも謀られた計画ではないか。
もし何事もない状態で家康が、頼まれてもいないのに勝手に気を効かせて愛姫を豊臣から救い出し、これを盾に同盟を迫っていたなら、二度と再び徳川と伊達との間に同盟はならなかっただろう。愛姫を人質に取った者が豊臣から徳川に変わっただけだ。しかしこれなら、一度は家康との同盟を突っ撥ねた政宗も断るに断り切れなくなる筈だ。
―――なんちゅー迂遠な策略だよ…。しかも、がっちり嵌ってやがる。
絶句していた成実は長い事沈黙し続けたが、やがて、それに倍するぐらいの長い溜め息を吐いた。
「……政宗が三成に適わないって、端から見てたのか?」
その成実の問いには、景綱は僅かに間を置いてから応えた。
「いえ、相討ちには持って行けるかと…。けれど、それは認めがたかった」
「そりゃまあなぁ…」
呟いて、成実は景綱と同じように政宗の傍らに膝を突き、その陣羽織の背に付いた刃傷をそろりと確認した。陣羽織の下の西洋具足には影響はないようだったが、刃が背に当たった衝撃は政宗を未だ目覚めさせる気配がない。
「この傷、左利きのお前の仕業だよな。峰打ちで陣羽織切り裂くとかって有り得ねえけど…どう言うつもりだ?」
「政宗様には奥州の王として立って頂かなくてはなりません」
迷いも躊躇もない一言だった。
「………わかった」
たっぷり溜めてから、成実は景綱の主張を呑んだ。
この先どう転ぶにせよ政宗には生きててもらわなきゃ困る、とでも言うように。
「で…愛姫様救出の方はどうなってんだ」
「先程この船の船長に尋ねた所、愛姫様は今、界の港町に既に匿われているとの事です。私たちは一足先に奥州へ戻る為このまま大阪の内海を出て豊橋へ、そこから陸路を使います」
抜かりはねえってか、と成実は声には出さず、景綱の根回しの良さに密かに舌を巻いた。




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