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―記念文倉庫―
3
年が明けて晩春。
待っていた報せが舞い込んだ。
蘆名氏の重臣の1人である猪苗代盛国が伊達の要請に応え、協力を申し出て来たのだ。
蘆名氏の内情は実際、一枚岩ではない。
先代蘆名盛氏が亡くなって頭首を継いだ義広は、本来の後継者である亀王丸が夭折した後に、婿として蘆名氏に入った佐竹腹の者だ。12歳の若さでは蘆名の家臣団を掌握出来ずにいる。
ちなみに、義広は政宗の従兄弟に当たる。
猪苗代盛国は、このような蘆名氏に愛想を尽かし、伊達に内応して来たのだ。
会津への足がかりを得た政宗は本宮城から猪苗代城へ入り、蘆名に備えた。
その猪苗代盛国自身、長男は蘆名軍の先鋒として出陣する事になっており、盛国は後妻の生んだ次男と共に伊達方に付いた。
親子、兄弟、親類の因果関係の中での摺上原の戦となった。
同じ年の7月の事だ。
戦力はほぼ互角。日差しの照りつける磐梯山麓での激しい戦だった。
この時敗退した蘆名義広は、本拠地である黒川城を捨てて実家である佐竹へ逃げ帰り、蘆名氏は断絶。続いて伊達軍は須賀川にも進んで二階堂氏をも滅ぼした。
この二階堂氏は、伊達植宗の頃は伊達方に付いていたが、蘆名氏から再三攻め立てられて息子を人質に差し出し、これと講和している。
摺上原の戦の折りには、政宗の叔母に当たる人が頭首を継いでおり、政宗はこれを滅ぼした事になる。
同年、10月末の事だった。
蘆名氏の滅亡によって、南奥の広大な領土を得た伊達政宗は、全国でも屈指の大大名となった。

政宗は迅速に黒川城へ移った。
伊達氏の拠点の1つである本宮城からこれまで数多くの戦に出陣していたから、兵を整えるのは比較的楽だった。これに政する役人や、奥向きの女中らまで総出で米沢から移動させ、年内にはそれが完了する。
猪苗代湖の西に位置する"会津だいら"と呼ばれる盆地は、米沢に負けず劣らず豪雪地帯だ。雪に道が遮断される前に転居がほぼ終わって良かったと、城で立ち働く誰もが思っただろう。
そして、伊達政宗の南奥州制覇と言う快挙に、慌ただしくも賑々しく、家臣一堂の心は浮き立っていた。これでお世継ぎが生まれれば、と贅沢とは分かっていながら、それでも望まずにはいられないのだった。
政宗の小姓である景綱たちに至っては、黒川城に入城した政宗に不便がないよう、身の回りの事共を手落ちなく整えなければならなかったので目が回るような忙しさだった。
そんな折りだった、愛姫からの遣いがやって来て招ばれたのは。
黒川城には本丸天守閣の他に立派な御殿が築かれていて、そこに政宗は居室を構えた。
その広い御殿の中の奥向きは、雪を被って真っ白に染め上げられた天守閣が見えない位置にあり、そして、城中の忙しさを他所に静まり返っていた。
愛姫の衣裳や身の回りの道具はちゃんと整えられたのだろうか、と心配になった。
だが、愛姫は相変わらず広い居間に一人きりで、火桶と煙草盆を傍らにして静かに佇んでいた。しかも寒くないのか、何時かの夏の日のように縁側から庭に渡された小路に積もった雪を眺めていて。
寒そうだ、と言うより、雪が良く似合う、と言った感慨を抱いた。
彼女の打掛は、それこそ雪のように白い綴れ織りに薄紅色の牡丹や小菊があしらわれた華やかなものだ。それが、雪景色の庭を背にして景綱を見やって来る。その手には何時もの煙管。
それを振る仕草で手招かれて景綱は、袴の裾を捌きつつ歩み寄り、少し離れた所に平伏した。
「もっと寄ってらっしゃいな、寒いでしょう」
言われて、拳1つ2つ分にじり寄る。
それ以上近付かないと見るや、愛姫は伏せた瞳を僅かに揺らし、それから火桶の方を景綱の端近くに押しやった。
そうして、白く染められた庭を見やりつつ、言う。
「美しいですね、この黒川城は…。ここに入る前、天守をちらと見ましたが、雪で出来た細工物のよう…」
「…左様でございますね」
会話が途切れる。
景綱は早く用事を済ませて先輩小姓の手伝いをしたかったし、愛姫は一人きりで退屈していた。
「…冷たいのね。私は嫌われたのかしら?」
「愛姫様…ご不便をなさってはおられませんか?」
気遣いの言葉を吐いた景綱を、愛姫はようやく笑顔で顧みた。
「大丈夫よ。もともと私の持ち物は少ないですし…そうそう、私の嫁入り道具の中に、こんなものを見つけました」
そう言って彼女は、景綱からは見えない物陰から袱紗に包まれた細長いものを取り上げた。それの飾り緒をくるくると紐解けば、中からは丹念に磨かれた横笛、朱漆の"能管"が出て来た。
能楽で音取りに使われるものだ。能楽が好きな武将は自らこれを良く嗜んだ。
雅楽の竜笛より丸みのある音色、尺八より小振りで、戦場の伴に持って行くのにも便利だったものだ。
「景綱、あなたも一人前の武将になりたかったら、このくらい出来なければね」
そう言って、愛姫は片手に袱紗を添えて"能管"を差し出して来た。
「これを…私に…?」
「そうよ。政宗様は一通りの楽に精通してらっしゃるの。一番のお得意は小鼓です。それに応えられるような能管なら楽合わせも出来るでしょう?それに、能管はもともと音が壊れているから扱い方も人それぞれ」
「…音が壊れてる?」
「そう、能の唄いと衝突しないように、始めから割れた音しか出ないように作られている。そう言うものなの。でもね、それは実は人の声にとても近いのです。何かを語るように奏するものなのです、能管は」
「…愛姫様はかなりの使い手でいらっしゃる…」
景綱の呟きに、はっとした愛姫はころころと弾けるように笑った。
「琴などと同じで一通りは習いました。でも、笛は私には合わなかったみたい。だから景綱にあげます」
「しかし…私は楽器の類いは全くの不得手で…」
「手を付ける前に不得手と言うのは、余り褒められない断り方ですね」
「はあ…」
「唱歌を少し教えてあげるわ。ひしぎが吹ければ一人前です」
「……はあ…」
この忙しい時にいきなり笛の練習か、と景綱はお姫様の暢気さに呆れ返る気持ちだった。
自分の知らない舞台裏で黒子たちがバタバタと慌ただしく走り回っているのを、彼女は夢にも思った事がないのだろう。児小姓になりたての頃の"小十郎"のように。
ゆるゆると戸惑いがちに笛を受け取った景綱は、そうやって愛姫を師匠にして能管の手習いを小一刻、二刻程、施された。
先輩小姓たちに後で恨み言を言われやしないかと気も漫ろで集中も出来ず、楽譜として愛姫が口で唄って聞かせる"唱歌"を何度も聞き逃す有様だった。
ちなみに"ひしぎ"とは能管の最高音域の音で、鋭く天へと突き立つような音色だ。神事で穴の開いた石笛を吹き、神を招び奉ったその音が元になっていると言う。
その切り裂くような音が出せれば一人前だと言うのだ。

「をひゃアーアーアー、をひゃいひょををイ、ひゃアアリウヒ」
愛姫の唱歌を綱元も口で繰り返す。その後、能管にそれを託して吹いた。
そんな事を繰り返していたら正室の居間に政宗が現れた。
ニヤニヤ笑いながら2人の前に現れた頭首に、2人はすぐ側に来るまで気付かなかった。だから景綱と愛姫は慌てて畳に手を突いて、2人同時に平伏した。
「すっげえズタボロの音が聞こえて来ると思ったら…」
そう言って政宗は景綱の手からひょいと能管を取り上げた。それを何ともなしに口に咥え、息を吹き込む。
キン、
その音色に体の芯を貫かれたようにびくんと肩が跳ねた。
"ひしぎ"だ。
壮絶な音色だった。
この広い居間を瞬時に満たし、御殿の天井すらぶち抜いて雲の上にまで届きそうな。
それが、ふ、と消えた。
政宗は能管を景綱の膝の上に放ると、愛姫の隣に腰を下ろした。片手は火桶の上に翳され、もう片方の手は己が妻の肩をしっかりと抱き寄せて。
「こっからは俺たちだけの時間だ」
そう言って政宗は、しっしと景綱を追い払った。
少年は有難く平伏していそいそと居間を辞した。
庭に面した廊下を渡って行けば、そこはもう気の早い黄昏で蒼白い影の中に沈んでいた。



年が明けて5月。
政宗が齢23、景綱13の時に起こった事共を、景綱は一生忘れる事が出来ない。いや、それが重い楔となって彼らのその後に延々と影を落としたと言っても良い。
中央では豊臣勢力が威を振るい、富国強兵の覇を唱え、東へ西へと勢力を拡大していた。
関東が今正にその脅威に晒され、名門北条氏の本拠地・小田原が危機に晒されていた。
東北の地は、中央から離れていた為その余波はゆるやかではあったが、確実に影響は見られた。惣無事令と言う禁令が正にそれで、蘆名氏などは豊臣の属国に近い立場であったから、伊達勢と対立する度、その禁令に触れて豊臣の鉄槌が下されるのではないかと内心ヒヤヒヤしていたものだ。
惣無事令―――私戦を禁じ、勝手に領地を増やしてはならない。
この事は政宗も良く知っていた。
再三再四、忠告の文を受け取っていて、握り潰して来た。
阿呆らしい、何様のつもりだ、そう言う気概だった。
だから豊臣が小田原攻略を目論み、それ以北の諸国に参陣を促す旨の通達を発した時も、鼻先で笑って相手にしなかった。
だが、伊達氏以外の勢力は、豊臣の覇を恐れて戦々恐々となった。伊達氏に下った筈の結城、石川などが相次いで小田原に参陣して行った。
そんな中で政宗が取った行動は、それまで東北の各地に攻め立てて行ったものと同じ類いだった。
つまり、遅れて参陣すると見せかけ、豊臣軍に奇襲を仕掛けたのだ。
結果は惨敗。
返り討ちにあった政宗は豊臣秀吉自らの攻撃によって瀕死の重傷を負った。伊達軍は追われ、黒川城に逃げ帰った。殲滅されてもおかしくはなかったが、東北の地を遠く離れた京の都から支配するには、伊達氏の存在は不可欠、と見た豊臣の軍師・竹中半兵衛の策略によって滅亡だけは逃れた。
ただし、惨敗した伊達軍を追って、同じく豊臣の子飼いである石田三成が更に完膚なきまでにその兵らを叩きのめした後に、だが。
政宗が生死の境を彷徨っている間に豊臣からの使者がやって来て、それまで苦労して獲得して来た領地の半分を没収して行った。
そして政宗自身からは、その後継となる子が未だなかったので正室愛姫を人質に差し出せ、と言って来た。
その頃、京の都には、聚楽第と言う豊臣秀吉の居館があった。
本丸は天守を備え、二の丸三の丸と言った政および戦に必要な設備を整え、堀を巡らし、その周囲を豊臣勢力の有力家臣たちの武家屋敷に囲わせている。
豊臣政権の"都"だ。
そこに伊達屋敷を加え、愛姫を預かると言うのだ。
政宗の意識が戻らないまま、それを受諾する事を決定したのは他ならぬ、愛姫自身だった。
「敵の内情を知るのは戦では不可欠。私は都にあって当代随一と言われる豊臣の内部をつぶさに観察して参りましょう。各々方、これよりも倦まずたゆまず伊達家の繁栄の為に心して努めて下さい」
いずれ巻き返しのチャンスは巡って来る、それに一役買って出よう、と言うのだ。
彼女を深窓の姫君だとばかり思っていた伊達の家臣らは、涙を呑んでこれに応えた。




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