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―記念文倉庫―

見れば、ずいぶん古風だが上質な正絹の童水干を纏って、その上食いっぱぐれている様子もない。
どうやら、向こう気の強さが徒になっているようだ。
「……なあ、小十郎。お前の着付けは誰がやってくれてる?」
「?…一番若い奴がいやいややってる…俺の顔を見もしないで」
「じゃあ、朝晩の食膳は?」
「小姓部屋の隅っこに、冷めた粟飯と吸い物と香の物が置いてあるだけだ」
「お前なあ…」
小十郎は何で義兄が頭を抱えているのか分からなかった。
武家の家に身を寄せ、家には喜多と言う、恐ろしくはすっぱだが面倒見の良い女がいた故に、世話をされる事が当たり前になっている子供の有様に、綱元は今更ながら頭痛を起こしていたのだ。
「小十郎」
「何だ、あに者」
「その高価そうな"おべべ"を見繕ってるのは小姓の、それも頭取と言ったくらいの年季の入ってる者たちだ。政宗様のお眼鏡に叶う程の仕立ての良さ、色合い、風流なんぞを全部考慮して選りすぐられてる。季節や日によって薫き染める香もだ。政宗様ご自身のお見立てもあるだろうが、毎日とは行かないだろう?」
「……うん」
「それを上げ下げしてくれてんのは女中たちで、彼女らは針と糸を持って反物から縫い上げたり、綻びがあれば繕って倉に出し入れしてくれる」
「………」
「それから飯。盤台所から上げられたもんは、小姓自ら取りに行く。特に政宗様がお召しになるものは毒が入れられたりしないか、作ってる最中からずっと様子を見て、自分たちのは後回しにして運ぶんだ。御座所まで…。お前、盤台所から御座所までどのくらい距離があると思ってんだ?それに小姓たちが政宗様の膳のお毒味を終えるまで、あるいは政宗様が召し上がるまで、普通お前たちは政宗様のお側に控えているだろう。そしたら膳のものは冷めていて当たり前だ。それに食し終わったあと、お前一度だって盤台所に膳を片付けたか?ないだろ?全部他の小姓か女中がやってくれてたんだ」
綱元の丁寧な説明に、途中から小十郎はぽかんと口を開けたままになった。
「やっぱり話が急過ぎたよな。"生き人形"なんて扱いもふざけてる。全てお前の落ち度だとは言えないが、先輩小姓に学びたいって思うんなら、まずその誠意を見せなくちゃならん―――分かるか、小十郎」
「………」
小十郎は黙ったままこっくり頷いた。
「小姓ってのは主の衣食住全般と政における雑務を引き受ける、非常に大変で気を遣う仕事だ。お前そうやって突っ張ってちゃ、何時まで経ったって仕事も礼儀作法も身に付かないぞ?」
重ねて、優しく含めるように言われた台詞には、うー、と唸るばかりだ。
そんな子供の有様にぽんぽんと軽く頭を叩いてやった綱元は、ここいらが潮時ではないかと更に口を継ぐ。
「どうだ、小十郎。後ろ盾であった遠藤様が亡くなられてしまったこの機を見計らって、宿下がりを願い出ちゃ…」
「イヤだ!逃げ出すなんてゼッタイ、イヤだ!!!」
今度は綱元がぽかんと口を開ける番だった。
遠藤がこの子供に何を吹き込んだのか、正直なところ綱元は知らなかった。だが自らの意志で小姓を続ける事を望んでいるのなら、義兄としても嬉しい限りだ。行く行くは己と並び立って伊達家を盛り立てて行く心強い臣に育ってくれれば良いと思う。
「それじゃあ、頑張って他の小姓の信を得るんだ」
優しい兄は形良く口の端を上げつつそう言い放った。
「政宗様は、小姓たちの中でのお前の立場をも見極められる眼力をお持ちだ。今は"生き人形"とか言う奇矯な有様を面白がられているだけだが、そのままずっと、と言う訳にも行かん。切り捨てられるなんてお前なら我慢ならんだろう?」
政宗本人と同じ事を言われた。
やっぱり本気だったのか、と思うと身の引き締まる思いがした。
主を指差して食って掛かった事はなかった事にされた。
思い違いだったんだろう、と今は思う。思わなければここではやって行けない、と思っていた。
「わかった、ありがとう、あに者」
「ああ、そうじゃないだろ?」と、礼を言うだけ言って立ち去ろうとした子供の腕を、綱元は引っ掴んだ。
「ご教示痛み入ります、兄上。ご忠告の義、謹んで承ります、だ」
「―――…」
「身内だからって油断はするな。常日頃、気を遣っていないといざと言う時ボロが出る」
何とも微妙な表情が幼い顔貌に現れた。だが、小十郎は徐ろに座り直し、見よう見真似で拳を床に突いて見せた。
「ご…ご忠告の義…義…」
「謹んで」
「謹んでう、うけたまま…たまわります」
「よし、良く出来た!」


冬の戦はままならぬ筈だったが、二本松とそれに援軍を要請された佐竹、のみならず蘆名と岩城までもが兵を出した。それに対して伊達勢は、二本松城の南方一、二里の間に拠点を幾つも置いてこれに備えた。
味方が7千に対して、敵の連合軍は3万。これが郡山から安達の原に至る各所で戦火を上げる事になった。
多勢を敵に回して、伊達軍は苛烈な戦振りを見せたと言う。
刻々と移り変わる趨勢、押しては退いて、攻めては返して、凍り付いた根雪を蹴散らして軍馬を奔らせた。鉄砲を撃ち放ち、手挟んだ槍を立て並べて突進して行った。
数十騎単位の身軽な騎馬隊で馳せ回る伊達軍に、数押しで押して来る連合軍は散々掻き回された。
伊達軍筆頭伊達政宗の獰猛さは小手森城での撫で斬りの件で奥羽の土地に轟き渡っていたが、それの率いる軍勢も、血気盛んな武将が名を馳せていた。
中でも、政宗の従兄弟である伊達成実の猛進は目を見張るものがあった。
伊達の守りの軍勢から突出して、何時しか3万の軍勢の中に取り残された成実の率いる一軍は、押し寄せる群雲のような敵勢を掻い潜り、斬って伏せ、斬って伏せ、一歩たりとも引く事はなかった。
これを見て正念場と決断した政宗が、鬼庭良直、留守景政などの手勢を連れて斬り込んで行った。
取り囲まれた兵どもの中で政宗が六爪を抜き放つと、冬晴れの日差しが降り注ぐ雪原にイカヅチが落ちた。
そうして鬼神の如く雄叫びを上げ、自在に駆け回る政宗に、群がる敵の一角が蜘蛛の子を散らすように吹っ飛んで行く。
だが、そうは言っても多勢に無勢。
伊達軍は次第に劣勢となり、日没間近に敗走を始め、それに追っ手が掛かった。
この時、殿に名乗りを上げたのが良直だった。
それの時間稼ぎのお陰で政宗は本陣に引き上げる事が出来た。
そしてその夜、攻め手側の佐竹の元に凶報が舞い込んだ。「佐竹義重の留守を狙い、江戸氏と里見氏が常陸(佐竹の領土)に侵攻し始めた」と言うものだ。
佐竹はこの戦にかなりの兵力を割いていた為、夜明け前に自分の軍勢を纏め、早々に常陸に撤退してしまった。連合軍は盟主である佐竹を失って統率を欠き、解散。それぞれに引き上げて行った。
伊達の命運ここに尽きた、と思われたのが正に九死に一生を得た。
その後、二本松の為に各氏族が援軍を出す事はなかった。
だが、孤立した二本松ももう後には引き下がれない。
先主君輝宗の事もある。政宗が中途半端に済ませる訳がないと思っていたのだ。
二本松城を舞台に、またしても篭城、城攻めの戦が繰り返され、数ヶ月に渡る兵糧攻めの後に二本松城は陥落した。
二本松の未だ12歳と言う幼い頭首と主立った重臣らは会津へ落ち延び、政宗の刃から辛くも逃れた。
11月に米沢を出て、舞い戻ったのは、年を越して既に晩春となっていた。



小十郎は養父、鬼庭良直を失っていた。
先般の戦で3万の連合軍に押し包まれ、敗走を始めた政宗の本隊を逃がす殿となって、討ち死にしたのだ。
家督は綱元が継いだ。その為の計らいを政宗は手厚く行なった。
そしてその翌月、今度は愛姫の父、田村清顕も数日の病を得て呆気なくこの世を去った。彼には愛姫以外子供がいなかったから、田村の家中は佐竹派(清顕の正室の実家)と伊達派(愛姫が嫁いだ先)とに二分して紛争を始めた。
とかく人の去就の目まぐるしい戦国の世ではあった。
しかし、この数ヶ月の間、小十郎は相談する相手もないまま、家中や近隣諸国の情勢を義兄・綱元に教わる中で学んだ事がある。
自分が今までどれ程恵まれた立場にいたか。
そして、今正に取り立てて大きな後ろ盾のない自分が、どれ程危うく頼りなげな所に位置しているかが、身に迫って感じられた。
味方についたり、敵に翻ったり、何処の武将も身の処し方をその時その場で容易に変えている。領地争いで輝宗とあれ程夥しく戦火を交えた相馬だとて、今回の対佐竹連合軍戦では、伊達側に付いたのだ。
これは確かに、大内定綱が取った行動も理解出来ると言うものだ。
その上で、自分に選択肢がない事も学び取っていた。
伊達政宗の児小姓となった以上、そこから家老職を目指すか、失脚して全てを失うか、2つに1つだ。
他家に士官を申し出る?それには先ず、"ここ"で目立った武勲を上げなくてはならない。
出陣前に政宗が彼に言った「お前の主は俺1人になった」とはこの事なのだ。
そして今1つ、輝宗の後を追って自害した遠藤の残した言葉が、小十郎に楔を残して行った。

「儂が先立つ事があってもこの命は生き続けていると思え。伊達家の在る限り―――」

小十郎は主君に仕えた時から二心を持つ臣だったのだ。




小十郎が児小姓となって3年の歳月が流れた。
8歳の幼な子は11歳の少年に育っていた。
その間にすくすく背は伸び、剣や弓馬の稽古も欠かさなかったから、同い年の少年と比べても一回り大きな体躯に恵まれた。
童水干の可愛らしい衣裳が窮屈にも、面映くも感じられる事もあったから、その年の初めに元服して名を景綱と改め、直垂に袖を通した。
「小十郎」と呼ぶのは主君政宗だけとなった。
雪の中に梅の花木の蕾が見られる時節だった。
枝に積もった白い雪の中には、ほつりほつりと、可愛らしい梅の花が幾つも花開いていた。色彩を一切持たない沈黙の冬から、唯一の色を持ち始める健気な紅色だ。
そんな夜の晩酌の事だ。
大概この頃には、数ある小姓の中で夜遅くまで付き合わせるのは景綱1人となっていたので、主の居室には政宗と2人きりになる事が重なった。
そこに、城の庭から手折って来たらしい梅が生けられ、穏やかで優しい香りを仄かに放っている。
盃を差し出され、それに酒を注ぎ足そうとしたら「違う」と言われてしまった。
「俺からの元服祝いは何が良い?」
問われて、小首を傾げる。
名のある武将の子なら、その諱名に主の一文字を拝領する所だが、生憎、"景綱"と言う兄からの一文字を頂いての名が既にある。
「そのお気持ちだけで、この身に余る光栄でございます」
話し振り、立ち居振る舞いなど、他の小姓を見習って板に付いたものだ。
そんな返しにだが、政宗は鼻で笑った。
「あの、こまっしゃくれたガキが、よくも化けたもんだ」
「………」
時折、政宗はかつての無礼を引き合いに出してこんなことを言う。
そうして、重ねて盃を突き出されるものだから、それを受け取って主と言う人の酌を畏まって受けた。
それも一気に煽る。
酒の飲量を鍛えてくれたのも、他の先輩小姓だった。
度が過ぎて酔い潰れる、と言った事を何度も繰り返したが、今はそれもつくづく年長者は敬うべきだと実感する材料に過ぎない。




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