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―記念文倉庫―
6●(政宗×愛姫)
口付けはどちらからともなく。
互いの唇を吸って、吸われて、時に食み、時に啄み、柔らかで温かくて湿った感触を楽しんだ。
11の時に伊達に嫁いで来た愛姫は、片目が潰れている以外殆ど見目麗しいとさえ言える政宗と兄妹のように育った。けれど本物の兄妹ではない。仲睦まじく手を繋いだり抱き締め合ったり。そうした事をしている内に恋をした、と言う自覚もないまま相手の体に興味を持つようになった。
触れる事、触れられる事を繰り返している内に、男と女の身体の反応が、その神秘が、幼い2人を魅了したと言っても不思議ではなかった。
2人は大人たちの知らない所で、生まれたままの姿で抱き合い、その神秘の中で堅く堅く、結ばれて行った。
歪な、形で。
褥の上に向かい合って座り込んだまま相手の唇を貪っていた2人が体を離せば、2人ともがほぼ同時に熱い溜め息を吐いた。
そうして、ちらと下へ目をやった愛姫は、手慣れた様子で良人の帯の結び目を、その細い指先で解きに掛かる。
ゆったりとした袴の下では既に青年の股間のものが布を押し上げていて、熱を解放されるのを今か今かと待ちわびていた。それを、腰紐を解いた所で忍び込んで来た愛姫の指先が捉える。
「………」
言葉にもならない愉悦の溜め息が、青年の薄い唇から吐き出された。
昂らせる、と言うより宥めるような手付きでの愛撫に、それでも政宗の息は乱れて行った。
少しでも長く、この幻のような時間が長引くように、少しずつ少女の手がその形を覚え、相手に女の手の形を覚えさせるように、高められて行く。
こうして自分が施している間、苛まれたように柳眉を潜め、口元を歪ませる良人の顔を、愛姫は眺めるのが好きだった。
―――何て美しい、何て愛おしい…。
悩ましげな表情に欲情している、のとは少し違った。
確かに愛姫の心臓も激しく脈打ち、締め上げられるように苦しくはなるのだが、実の所彼女の体が女としての反応を見せる事は殆どなかったのだ。ただ美しい、気高い人を征服している、その高揚だけがあった。
「あ…もっと、強く…」
蕩けた表情を伏せ、燭台の僅かな光に照らされたかんばせが朱に染まりながら強請るのに、愛姫の奥から湧き出すのは汚れなき歓喜の情。それは母性愛にも似て。
愛姫は輪にした指の形をぐっと引き締めながら掌を上下させた。
「……ん、あっ…ぁ…」
舌足らずな嬌声、艶を含んで媚を売るような甘い声。
もっと、もっともっと与えてやろう、と思う。
甘美な毒を少しずつ含ませて、全身を満たしてしまうように。
青年の内側を全て自分一色に染め上げて、他所を顧みられないように。
自分だけを見て、自分だけを愛して、自分から離れられなくなるように。
「…は、あ…ぁ…、めご、めご…っ」
幼な子が母を呼ぶような稚い声が、他の名を呼ばぬように。
「政宗様…!」
片腕で逞しい青年を抱き寄せ、愛しい声を吸い尽くしてしまうように深く、唇を重ね合わせた。
その傍らで、最後の頂きを登り詰めるよう彼を追い立て、激しく愛撫し、
そしてその迸りを受け止めた。


一刻程そうして政宗の欲を満たし、もう一刻程1つの褥で2人夜着に包まって身を寄せ合った。だが、愛姫は朝まで頭首の寝所にいる訳ではない。
政宗の寝息が安定したものに変わったのを見届けた愛姫は、そっと褥を抜け出し寝所を後にした。
その時、廂の間から廊下へは出ず、先程見やった隣の間の襖を開け放ったのは、かねてより心に決めていた事だった。
そこには、寒さに震えながら踞る小さな姿があり、それをそうと見やるや、愛姫の手が少年の握り締められた冷たい拳を掴まえて引き立てて行った。
廊下へ出て、幾つかの角を曲がり、小姓部屋や女中部屋も通り過ぎて冷え切った夜中を行く間、2人の間に一言も交わされる言葉はなかった。

やがて、使われていない一間へ小十郎を引き入れ、その戸口をぴったり閉ざした愛姫は、美しく打ち掛けの裾を捌きながら一間の中央に座した。
それの前へ、童水干の有様の少年はすごそごと腰を下ろす。
「もう、横座りはしなくとも良いのですね」と頭首の正室は至って穏やかに言った。
その言葉通り、今の小十郎は水干袴で安座の姿勢だ。
「全く…本当に房事まであの遠藤に握られる事になるとは…」
違うそんなつもりじゃなかった、たまたまあの場にいただけで、そうした言い訳は頭に登ったが言葉にならなかった。喉の奥にものが詰まったみたいで苦しさに内心、身悶えていた。
「何か言う事があるのではないですか?」
やんわりと嗜められて小十郎の肩が震えた。喜多にしょっちゅう怒鳴られていると言うのに、こうして冷やかな怒りに晒されるのは慣れていないのだ。
「も、申し訳、ございません…っ」
ようやくの事でそれだけを告げて、がばりと身を伏せる。
そんな子供の気配を闇の中、透かし見て愛姫は口を噤んだ。
彼女も、小手森城から帰った政宗の暴走をこの年端も行かぬ子供が留めた事を知っていた。他ならぬ、あの馬溜まりが見下ろせる石垣の端に立って、彼女自身が目撃していたからだ。
あの時愛姫は、猛々しくも神々しい政宗の有様に総身雷に打たれたかのように立ち尽くして、指一本動かせなくなった。そして、口惜しくも政宗を正気に立ち戻らせたのは、正室である自身ではなく、今目の前で怯える小童だった。
―――自分は指一本動かせず。
手探りで膝を進め、平伏したまま面を上げない少年の肩に手をやって、愛姫はそっと囁いた。
「あの方のお声を聞きましたか?」
鼻の先まで濃厚に埋めた闇の中、添えた掌に子供の体が震えたのを感じた。
「あの方が私の手で―――」言いつつ、強張った小十郎の体を引き寄せてしまう。
「私のこの手で感じられていたお声…」
温かで柔らかい胸と腕とにすっぽり包まれてしまった小十郎は固まったまま、すぐ近くにある筈の愛姫の顔を振り仰いだ。
けれど、そこに在るのは漆黒の闇ばかり。
その闇の中から声は降る。
「私たちは深い深い絆で結ばれているのです…余人の入り込む余地など一寸とてなく……。誰にも切り離せない、強い絆」
「…きずな……」
「そう…私たちはたった二人きりの同志なのです」
「―――…」
「男と女などと言った世間一般の関わりをも越えた、同志」
顔を上げた子供が、静かに語る愛姫の顔をまじまじと見つめている気配があった。それが何時まで経っても続き、愛姫がもどかしくなって来る頃になって、ようやく小十郎は身じろいだ。
そうして囁き返して来る。

「だから…かなしいの…?」

「―――…!」
思わず愛姫は腕の中の子供を抱き締めていた。
闇の中、探るように投げ掛けられる視線を恐れるように、遮るように。
それは1つの答えだった。
震えながら惑うように小十郎の小さな背を掻き抱く腕は、凍り付く夜に温もりを分けてくれとでも言わんばかりで、何もかも奪い尽くそうとしているようでもあった。
「私たちは同志なのよ…哀しくなんかない……哀しくなど」
何時もの威厳を取り去った、乱れた声で繰り返される譫言を、小十郎は何度も聞いていた。
更けゆく夜にたった2人、置き去りにされたまま。



数日後、小十郎は年の瀬に忙しく諸臣が立ち働く二の丸御書院にある遠藤の執務室を訪れた。
取り次ぎの者が対応に出て、遠藤はまだ出仕していないと告げると、控えの間で取り敢えず待たせてもらう事にした。
「生き人形」のままでは捨てられるのであれば、自身に出来る事はただ1つだ。他の小姓と同じように行儀作法を身に付け教養を積む、その為の取り計らいを遠藤に頼もうと思っていたのだ。
そこへ、1つの報せが齎された。
―――遠藤基信、自害。
俄かに大騒ぎになった。
何でも、遠藤は輝宗の月命日である今朝早く、輝宗の菩提寺である資福寺の墓の前で雪と血に塗れつつ果てていたのだと言う。
小十郎は雷に打たれたかのように愕然となった。

その知らせが城中を一巡りする間に、何処をどう通って来たのか分からぬまま、本丸御座所に舞い戻って来ていた。そのまま政宗の居室にふらふら現れた。
政宗はこんな時に出陣でもするのか、小姓たちによって戦装束を着付けられ、厳しい眼差しをただ凝っと前方に据えていた。
その眼前に立ち尽くした小十郎を、色のない左目が見やる。
「…二本松が佐竹と手を組んだ。今度こそぶっ潰してくれる」
静かに、だが鬼火のように燃える瞳は黄金に輝いて、その瞳孔が縦に鋭く割れていた。
それを瞬きも忘れて見返していた小十郎は、口から飛び出る言葉を抑え切れなかった。
「…遠藤様をやったのか?!しょうこりもなく俺をよこして来た遠藤様"も"目ざわりになってやったんだろう!…そうだろう!!」
面と向かって頭首を弾劾するのもさる事ながら、内容が内容なだけに辺りの側小姓たちが一様に青ざめ、小十郎を下がらせようと足を踏み出した。
「何の事だか分からねえが」
主君の声にその足がぴたりと止まった。
「これで名実共に、お前の主は俺1人になった…そうだよな?」
「………」
「…いや?あともう一人、いるんだっけか?」
独り言のような恐ろしい台詞を置き土産に、装備を整えた政宗は颯爽と立ち去って行った。
御座所大広間には既に城中城下の家臣が漏れなく集って、伊達家頭首の出現を今か今かと待ちわびている。
亡き先主君、輝宗を追って忠臣の誉れ高い遠藤が殉死した。それは今正に輝宗の弔い合戦として二本松・佐竹両軍との決戦に挑もうとしている諸臣らの闘争心に火を点けた。


城中の主立った家臣らが戦に出て行ったのに合わせて、政宗の小姓らも戦に付き従い、本丸御座所は殆ど人気がなくなった。
小十郎は8つと言う幼少だったから未だ戦に連れて行ってもらえず、宿下がりを請う事も出来たのだがそうはしなかった。
二の丸は、城中城下を主の留守中も守り、動かす為に仕える諸臣と役人が立ち働いていたから、童水干の姿のままでそこを訪れた。
とは言え、誰に何と言えば希望を叶えられるのか、が未だ分かっていない頃だったから、あちこち歩き回っては「児小姓如きがうろちょろするな」と散々叱られてしまった。
そんな中で、義兄綱元を見つけられたのは僥倖だった。
彼は戦に参陣せず、城中の守りを任されて司る任に当たっていたのだ。
「小十郎!お前どうしてこんな所に…」
心細くなっていた所に、元から幼い小十郎には甘かった義兄を見つけて半ベソを掻いてしまったのは、喜多には内緒だった。

二の丸で政する役人らが休憩する裏方の一間に連れて行かれて、茶ときな粉をまぶした餅まで出してもらった。子供はやっぱり甘いものが好物で、久方ぶりにありつけた甘味に小十郎は真っ先に飛びついた。
遠藤の後ろ盾を失ってさぞ心細い思いをしているだろう、と言う気遣いが綱元にはあったから、小十郎のこの無邪気な様子にはほっこり微笑まずにはいられなかった。
けれど、餅で腹が膨らんで満足した子供が言い放った言葉には目を丸くした。
「あに者、俺はもっと教養を積んで、武士の心得ってのをまなびたい」
喜多が、何処に出しても恥ずかしくないようにそれを叩き込もうとしていた時は、隙あらば逃げ出していた子供の言だ。暫く姿を見ない間に見違える程成長したらしい。当然、遠藤の死がそこに影を落としているのは言うまでもないだろう。
「しかし…俺に言われてもなあ…」と綱元は後ろ頭を掻いた。
「普通、先輩小姓がそう言った礼儀作法については教鞭してくれるもんだが」
「あいつら、俺をまるきり無視してやがる!俺がいないもんとしてふるまうから俺だって無視だ!」
これには空いた口が塞がらなくなった。




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