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―記念文倉庫―

喉が渇いたと思って、枕元に置かれている筈の湯飲みを探した。
けれど、少し席を外すと言って屋敷を出て行った喜多が下げてしまったようで見当たらない。仕方なく、手を使わずに何とか起き上がって台所に行こうとした。
その足が止まったのは、途中通りがかった表座敷の裏手だ。
話し声が聞こえる。
こそこそと逃げ回ったり隠れたりが得手だった小十郎は、何気なく立ち止まり、耳をそばだててみた。
「…何をお考えになっておられると思う」
問う声は遠藤のものだった。
時折茶を啜る音が混じり、静かに控え目に語らう声はくぐこもって聞き取りにくいが、小十郎は廊下に突っ立ったまま目を閉じて己の気配を消した。
「輝宗様のお口添えが疎ましかった、としか…」
応える良直は、苦しそうだ。
先頃、持病の腰痛がぶり返して馬に乗るのも一苦労だと言っていたが、原因はそれではないだろう。
「やはり、お前もそう考えるか」
「血は争えぬ、とも違う」
この頃、血の繋がった父子の間に争い事が立ち上がるのは珍しくなかった。
輝宗自身、その父晴宗と直接にではないが、晴宗の重臣を謀反の疑い有りとして攻め落とし、追放しているし、また輝宗の正室義姫の実家でも最上義守とその子義光との間で度々衝突が起こっていた。
だが、まさか実の父を殺めるなどと、と言うのが多勢の意見だ。
「血よりももっと濃いものを、あの方は抱えていらっしゃるように思えます」
「それは何だ…」
静かに問われて、応えるのに良直は躊躇した。
「喜多と綱元から又聞きした、それがしの浅慮とは思われますが…」
「構わん、言うてみよ」
「……齢4つにして病を得られしより、家中のあの方に対する風当たりは、それは冷たく酷でござったと聞き及んでおります。小次郎君に与して頭首に祭り上げる、そうした動きが隠される事もなく。当然、輝宗様は徹頭徹尾、政宗様をお世継ぎとして扱われ、折りに触れそのように差配なさってござったが。家督を継がれた今も尚、あの方に対する不信感は色濃く残っております…」
「そうだとしても、殆ど唯一と言って良い理解者であらせられた輝宗様を失う事は、あの方にとっても痛手であろう」
「それがもはや、痛手ではなかったら?」
「………」
正式に家督を継いだ政宗に正面切って反抗しよう、などと誰もが思うまい、と良直は言っているのだった。それよりも、隠居した年寄りが横から嘴を突っ込んで来る事に不快を覚えて排除した、そう見るのが自然ではないかと。
「それでも、輝宗様の寵愛振りは、それは目に入れても痛くない、と言った程だったぞ」
「その肉親の情、と言うものを病後の境遇で捨ててしまわれたとしたら…」
遠藤の言葉尻に被せて、良直は低く唸るように言い放った。
「遠藤様は小手森城での出来事をご覧になっておられない故、想像も付きにくかろうと存じますが、あの時、あの方は正に鬼、でござった…」
政宗が小手森城で女子供もろとも撫で斬りにしたその様を思うと今でも背筋が凍るようだ、と良直は思っていた。
血に狂った鬼は、その仕儀を終え、米沢城に辿り着いてもその牙を納めず。
このまま放っておくと米沢城をも二の舞を踏みかねない、良直はあの時そう危惧していたのだ。
「それを…お前の所の小童が止めた、か…」
「あそこまで愚か者だとは思いませんでしたが」
可愛さ故の痛罵には、遠藤も笑気を禁じ得なかった。
「いずれにせよ、もう暫く様子を見よう。二本松やその周辺への弔い合戦をお考えのようだからな」
「左様でございますな…。それにしても、儂のような年寄りより先にお若い輝宗様が逝ってしまわれるとは―――」
「何が起こるか分からぬが世の常よ。今宵は密かに偲ぼうぞ」
「は……」

―――何が愚か者だ…。
目を閉じ、壁の一部になったつもりのままで小十郎はその場をそろそろと退いた。
風になったつもり木になったつもり、そのように自分に言い聞かせて気配を消すと、あの敏感な喜多でさえも逃げ隠れした小十郎をそうおいそれとは見つけられないのだ。そのまま台所まで行き、水瓶から柄杓で水を汲み取ろうとして、言う事を聞かない両手に癇癪を起こす。
「……ちくしょう!」
何だと言うのだ。
あの2人の話し振りでは、政宗が父輝宗を殺したようではないか。そんな事をするようなお方ではない、と少年は強く思った。だって、あの時、政宗はちゃんと力加減をして自分の手を握り返してくれたのだから。
小十郎が事の委細を知るのは、更に3月後に城に上がってからだった。


その3ヶ月の間に起こった事と言えば。
二本松義継を失った二本松の遺臣らが、その後継である12歳の光景を盛り立てて伊達に対する徹底抗戦の構えを見せていた。政宗率いる軍勢が二本松城を押し包み、その城を落とそうと寄せては返す働きを見せたが、相手も必死、城は落ちずに時間だけが過ぎて行った。
生命を謳歌する夏が終わり、短い秋が駆け足で通り過ぎて、初雪が積もった。
これでは戦もままならぬ、と言った所に小十郎は戻って来たのだった。
以前の通り、白妙と浅葱の童水干を身に纏い、政宗の居室で「生き人形」の為に用意されたお手玉を手に、ぽかん、としていた。
そこへ、朝議を終わらせて来た政宗が足音高く戻って来た。
部屋の隅で魂の抜けた人間のように虚空を眺める子供の姿を見つけてふと、足を止める。
刹那、某かの感情に揺れた左目が直ぐにきゅっと引き締められた。自分の雷に直撃されて、生きていられるとは思っていなかったようだ。
その後に、ざくざくと歩み寄り少年の前にしゃがみ込む。
小十郎の黒目がちな両目が政宗を捉えた。
何かを問いたそうに、けれど問うてはならないのだと理解して、揺れる。
その負けん気の強い眼差しを見返しつつ、政宗は子供の頬を抓った。
「また上がって来たのか。懲りて逃げ出したかと思ったぞ」
「………」
小十郎は黙ってかむりを振り、その手を振り払った。
もう一度抓った。
首を振る。
もう一度。
ぶん、
またしても。
頬を摘まれながらギロリ、と子供が睨んで来た。
それはもう、大きな瞳を三白眼にして、まだ艶艶しい眉間に皺を寄せて。
ぷ、と政宗は吹き出していた。
「…全く、遠藤め…。しつっこい野郎だよ…」
くつくつと喉の奥で嗤った後、言い放たれた台詞。
それに、小十郎はこの若い頭首が自分ではなく、自分の背後にいる遠藤と言う男を常に見ている事に気付いた。
「俺は遠藤様のやっこじゃねえ!」
カッとなった時に口を突いてそんな台詞が飛び出していた。
政宗は唯一の左目を真ん丸に見開いた。今その瞳は、多少色素の薄さこそあったが瞳孔は縦に割れていず、白金色に輝いてもいなかった。
「初めてまともに喋ったな…」と呟いた時には、不適に微笑んで。
「躾がなってねえって自覚はあったのか。"生き人形"は飽きたら捨てるつもりだったが、捨てられたくなきゃ、礼儀作法や一通りの教養を積んでみせろ。俺は玩具なんざに用はねえ……いいな?」
仕舞いには優しげな声と優しげな手付きで頭を撫でられ、そうして両手でまろい頬をすっぽり包んでしまう。
軽く片手で岩を握り潰したその手、美しい長い指先がするすると子供の肌を滑って、
―――唇を寄せられた。
滑らかな子供の額に。


夜、夕餉を終えた政宗が1人で晩酌を嗜むのに、常の通り他の小姓と共に侍っていた小十郎だったが、酒の匂いが胸の中でムカついて、気分が悪くなった。
本調子じゃないんだろう、と小姓部屋に下がる事を許されたが、小十郎は意地を張って隣室で気分が落ち着くのを待った。
子供扱いされるのも、バカにされるのも、我慢ならなかった。
「生き人形」の名目で児小姓として取り上げられたが、本来小十郎はそうした己の意志を持たないものとして扱われるのが耐えられなかったのだ。
喜多が師として立ち、読み書きを教え、難しい兵書などを学ばせた時にも、分からない出来ないと告白するのは死んでも厭だと思っていた。
その上で、今日の昼間に言われた言葉だ。
―――俺は玩具なんざに用はねえ。
このまま、何もせず、子供として扱われていたら捨てられてしまう。
遠藤の命を果たせず、親類に累が及ぶ事を恐れる気持ちは少なからずあった。ただ、それとは全く関係ない所で、捨てられる事を恐れる気持ちが大半を占めていた。
火鉢もない昏い隣室で、寒さに震えながらどうすれば良いかを考えた。
米沢の城は、今年幾度目かの降雪で一面真っ白な雪に包まれていた。今夜は闇の中を舞い散るものはなかったようだが風が強く、ひとしお寒さが堪えた。

そうしていると、人払いの為に最後まで頭首の側に侍っていた小姓が全て退いたようだ。
その後に間もなく渡って来た人の気配は、さらさらと清かな衣擦れの音を立て、政宗のいる奥の間へ身を滑り込ませた。
静かに政宗と語らう声は女のもの―――渡って来たのは愛姫だった。
「あなたのお命を狙って、城内に忍んでいた間者が今日も1人、捕らえられて首を刎ねられましたよ…」
政宗からの酌を受けた、1つ年下の正室が静かに告げる。
「こっちだって二本松城に手の者忍ばせてんだ。おあいこって奴だろうよ」
「それにしても憎い…大内定綱…」
女だてらに、盃に満たされた酒をくい、と一気に飲み干した愛姫が恨み言を呟く。
「二本松や蘆名だけでなく、相馬や佐竹にまで援軍を請うとは…」
「それが弱小大名の処世術、って事だろ。こっちの情勢を読んで、巧い事立ち回ってやがる。恥も名聞も、大内は元から持っちゃいねえ。成り振り構わねえやり方はいっそ小気味良いぐれえだ」
「政宗様は大内の味方をなさるおつもりですか?」
愛姫の剣幕を若い頭首は余裕で笑い飛ばした。
「心配するな、愛。目障りな奴らは全部俺が叩き潰す」
「…本当ですよ、政宗様」
「本当さ」
呟いて政宗は、大きな火桶を挟んで座す己が正室を凝っと見つめる。
「伊達、田村、両家を守って盛り立ててく。それが俺たちの目的だ、忘れちゃいねえ…だから、なあ…」
最後は甘えるような声で告げて、差し出された若い男の手を愛姫は冷めた横目で見やった。
細っそりとして骨の形ですら美しいそれを。
きっとこの方は死して朽ちても尚、洗い晒された真っ白な骨を残して行かれるのだ、と陶酔に浸るような気持ちで眺めた。
そうして盃を膳に置いた愛姫は、長い打掛の袖を左手で押さえつつ、伸ばした右手に彼の人の手を取った。
ゆっくりと立ち上がり、酒膳を後にして、奥の間へと手を取り合ったまま歩を進める。
その時に、政宗の左目がちらと隣の部屋を隔てる襖に投げやられたのに、愛姫は気付いた。
気付いていながら素知らぬ振りを通し、屏風で囲まれ角火鉢で既に暖められた褥に2人揃って腰を下ろした。




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