[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―

「成る程、話は分かった」
と、話を聞くだけ聞いて、政宗は家臣らを下がらせた。
そうして暫く思慮深げに黙り込んでいたが、ふと気配に気付いて傍らを顧みれば、児小姓が自分の手元を覗き込んでいて。
政宗の右手には橙色の実が2つ転がっている。それはすっかり実の中身を解され柔くなったもので、人肌の体温に温もっていた。
小十郎はそれが、会談の最中、袖の中に仕舞われていた政宗の手の中でひっきりなしに転がされていたのに気付いていた。
苛立ちが募り、頭に血が昇りそうになる度に、その柔らかさが弱々しさが、彼の平常心を引き戻していたのだと。
暫時、児小姓と視線を絡め合った後に政宗は口の端を歪めて笑った。
一拍の後、ざっと立ち上がった彼が書院の障子を開け放ちつつ声を上げた。
「誰かある!鬼庭良直を呼べ!!」
そうして勢い良く彼は立ち去ってしまった。

大内定綱と言うのは、田村氏、つまり政宗の正室愛姫の実家の家臣であった。だが、政宗の父輝宗の傘下に入り対相馬戦に従軍したり、二本松義継の子に自分の娘を嫁がせたり、更には田村氏と対立していた蘆名盛隆にも支援を受けて田村氏の元からの独立を目論んでいた。これが代替わりした政宗にも引き続き伊達への奉公を続けたい、と奏上して来たのが先の会談の内容だった。
幾ら二君に仕えず、などと綺麗事を言えるような時代ではなかったからとは言え、大内があちこちの有力勢力に同時に愛想を振り蒔いているのは非常識と取られても仕方ない事と言えた。
だが、この時政宗は既に別の考えを持って動いていた。
夏の盛りに乗っかる形で伊達の軍勢を大内領に進め、その居城である小浜城、およびその支城である小手森城を攻め落とした。田村氏への反目は許さない、と言うのがその名目だった。
それのみならず、小手森城にいた者ども全て、兵卒から女子供に至るまでを皆殺しにしてしまったのだ。
見せしめの為だった。
大内定綱はそそくさと城を落ち延び、二本松に身を寄せた。

小十郎は政宗付の児小姓であるにも関わらず、電光石火の早業で行なわれた戦に気が付かなかった。
尤も、他の古参の小姓たちが「生き人形」である少年を話し相手とは捉えず、よってあらゆる情報が遮断された城の最奥にぽつんと放っておかれていたのだ。仕方ない事ではあった。
戦から戻った政宗とその軍勢は城門を潜り、城内三の丸に至った。が、どうにも様子がおかしかった。
留守居と言って城に留まっていた家臣のみならず、奥女中までもが何やらひそひそと言葉を交わしながら各々の居室を出て、足早に表へと出て行くのだ。
その会話の端々を小姓部屋で微睡みながら小耳に挟んだ小十郎が、三の丸の馬溜まりに駆け付けたのは殆ど最後だと言って良い。
陽は傾いて、カラスが巣に帰る刻限頃だった。
数日前に朝起きたら政宗が出立した後で、その後を手持ち無沙汰に過ごしていた小十郎だ。遠藤も綱元も忙しいらしく、一向に姿を見せなかった。だから、他の小姓が政宗に付いて戦に出ているのに気付かず、むしろそれを良い事に城内をあちこち探索などして過ごしていた。
お陰ですっかり城内には詳しくなり、子供だから通れる抜け道なども幾つか確保していた。
そこに集められたのは伊達直属の騎兵だけで、参戦した綱元や政宗の従兄弟である成実らの手勢は、それぞれの拠点や出城に引き取った後だった。それでも数百と言う騎馬の群れが騒々しいのは分かる。
だが、妙な気配がすると思ったのは、見上げれば夕焼けが奇麗に映えるすっきりとした様を見せる空の下、何故か雷鳴のようなものを耳にしたからだ。
―――晴れてんのにかみなり様なんて…。
馬溜まりを囲う石垣の上には大勢の大人たちが詰め寄せ、眼下にある様子を覗けない。それを早くも察知した小十郎は細道を抜け、下の段へと駆け下りて行った。
そこで少年が見たものは、想像もしていなかった有様だった。
広場の中央に若い頭首が立つ。その周囲を遠巻きに見守る騎兵らは下馬していて、怯え、嘶く自分の馬を宥めすかしているのだ。
政宗は勿論、家督を譲られて後に拵えられた弦月の前立ての付いた兜に、西洋具足を模した黒鎧と蒼い陣羽織姿だ。
だが、何故、抜刀しているのか。
そして何故、その身体にその刀身に、イカヅチを纏い付かせているのか。
そこへ、群がる騎馬群の中から進み出て来たのは、鬼庭良直だった。
彼も又老体に鞭打って参戦したと見られ、黒鋼の胴巻きに当世具足の出で立ち。その兜廂の下から、鋭い眼光を投げやる様は、正直、小十郎も初めて目にした。
「政宗様、刀をお納め下さい」
声を張り上げた訳でもないのに良直の声は良く響いた。
政宗は、馬番屋の影に隠れた小十郎からは背を向けているのでその表情は分からない。そして応えはなかった。
「大内領からここまで。撫で斬りの興奮冷めやらぬまま、剥き身の六爪を携え、勝鬨を上げられるのは致し方ないと思っておりました。ですが、ここはもう城内ですぞ」
「………」
「政宗様」
六爪と言うものを初めて目にした小十郎は、政宗の真の握力の恐ろしさに息を呑んでいた所だ。
拳に握った指の股から生えた左右六振りもの刀。それは竜の爪、と恐れられるに足るもので、ましてや雷まで纏ってそれを迸らせる。
だが、頭首から返事をもらえない、と悟った良直が一度その目を閉じ、再び見開いた時にそれどころではない、と悟った。
良直は「ご無礼仕る」と言うと、腰の刀を抜いたのだ。
他ならぬ、主君である政宗に向かって。

―――誅。

これ程突然に、そしてこれ程大っぴらにその時が訪れるとは思っていなかった小十郎は仰天して、我を忘れた。
「父上!父上!!」
そう叫びながら物陰から飛び出したのは、殆ど無意識だ。
刀を中段に、真っ直ぐ構えた良直はそちらをちらと見ただけで、そよとも揺るがなかった。その眼前に転がるようにして滑り込んで来た小十郎は、ただゼエゼエと喉を鳴らすだけで「お止め下さい」とも何とも言う事が出来ない。
走って来た為ではない、極度の緊張が心の臓と肺腑を絞り上げる。
そこへ、

バチバチバチ、

と稲妻の弾ける音がして、小十郎は初めて背後を振り返った。
義父良直と対峙した政宗、その人の有様を目の当たりにした。
青ざめた頬に返り血らしきものをべったり浴びたまま、蒼白い光の中に包まれた黒ずくめの西洋具足に、傷1つ見当たらない。にも関わらず、見開かれた唯一の左目のその異様は、何処か切羽詰まったものを子供に感じさせた。
瞳孔が鋭い一線を刻んで、底光りする黄金の瞳を更に強調していたのだ。近所の猫が、良く獲物に襲いかかろうとしている時にこう言う眼をしていた。
乾き切った喉が、自然と動いて1つ息を呑んだ。
す、とその瞳が動いて、小十郎を眺め下ろして来た。
黄金、と言っても稲光を宿すその瞳は殆ど真っ白に近いフラッシュ状態だ。それが、爬虫類の冷たさと無表情でもって見つめ返して来た。
瞬きもせず、揺れもせず。
―――守らねば。
そう思ったのは果たして片倉・鬼庭両家だったか。今は自身の主となった政宗その人だったか。
小十郎はばっと立ち上がるなり、広場の中央に仁王立ちしている頭首の下へ駆け寄って行った。
「ま、待て、小十郎!!」と言う慌てきった良直の声すら耳に届かない。

バシン、

と言う轟音が上がって、少年が駆け抜けた脇の地面が落雷によって大きく抉られた。
それにも構わず、逆鱗に触れられた竜の如く稲光を逆立たせる政宗の腰に少年は取り縋った。
それを、イカヅチが打ち据える。

ドォン、

一際大きな爆音と、馬溜まりに集った者たちの目を潰す閃光。
稲妻に打たれた子供は、その長い袖を、美しい絹の童水干を焼き焦がしながらゆっくりと、崩れ落ちて行く。
ゆっくりと。
はっし、とその腕を掴んで引き止めたのはしかし、イカヅチを放った政宗本人だった。
ガラン、ガチャリ、と言って両手の六爪が地に投げ出されるのも構わず。
そうして静かに児小姓を抱き上げた政宗が、呆然と突っ立ったままの良直を顧みて、ふと老いたな、と言った感慨を抱いたのは真実奇跡と言って良かった。
子供を抱き上げた政宗の右手には、小さな橙色の実が握られていた。
あの一瞬で小十郎が政宗の掌に受け取らせようとしたものだ。
その実は、政宗が何時でも新たなものを手に出来るように、常に小十郎の袖に忍ばされていたものだった。
それが、彼を、救った。
「良直」と老臣を見つめたまま、政宗が呼び掛ける。
「は―――」
「そいつは不問にしてやる」
「……は」
そいつと言って、眼差しで示された抜き身の刃。
それを視界の片隅に捉えたまま、良直は深々と頭を下げた。
立ち去る主君を大勢の目が見送っていた。
ただ呆然と、そして訳の分からぬ震えを持って、後に残るのは畏れ敬い、心酔した面持ちで。
その中で良直だけは、臓腑を締め上げられるような不吉に身を強張らせていた。


小十郎が雷に打たれた怪我の為、宿下がりしている間に良直の不吉な予感は形になってしまった。
攻め落とした小浜城主大内定綱は、数十騎の供を連れて落ち延び、自分の娘を嫁してよしみを通じていた二本松城主二本松義継を頼って身を寄せた。
小手森城での撫で斬りの一件は二本松氏を震え上がらせ、政宗に和睦を申し入れるまでに至ったのだが、政宗はこれを受け入れず、苛烈な沙汰を下さんとしていた。そこへ、政宗の父輝宗が取りなしに入り、何とか二本松の領地5ヵ村の安堵で決着を見た。
その二本松が凶行をしでかした。
取りなしに対する礼を述べに、輝宗の隠居城である小松城に二本松義継がやって来た。それも、二度も。
その二度目の時に政宗は折り悪く鷹狩りに出ており、輝宗が敢えなく義継の手勢に拉致されるに至った。
それを追って駆け付けた政宗の手勢によって、義継もろとも輝宗が凶弾に倒れるのはやむを得なかったとは言え、これは伊達家中では相当の大打撃となったのは間違いない。



小十郎はその時意識を回復していたが、焼け爛れた両手と、電撃によるショックで未だ立ち居振る舞いがはかばかしくなかった。
まんじりともしない寝床で考えていたのは、"誅"の一文字が踊ったあの馬溜まりでの一場面ばかりだった。
あのように人外の能力を持ったお方であるのなら、義父良直と遠藤が誅をもって義を貫き通そうとする気持ちが、幼いながらに理解出来るような気がした。
あの暴れ竜は内から伊達家を破壊しかねないのだ。
だが、今は感覚のない左手が覚えていた。
とっさにほおずきを渡せば、平常の通りに戻ってくれると根拠のない確信を持って、政宗の握り締められた拳に握らせようとした。
その子供の手を、あの方は確かに握り返したのだ。
それも、六爪を振るう岩をも砕く強力ではなく、子供の手に小気味良い程の力強さでもって。
―――わからねえ…。
どんなに考えても、あの方の心中を推し量る事は無理そうだった。



[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!