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―記念文倉庫―

城へ上がる、と言って、小さな子供に新たに新調された直垂が宛てがわれた。
緑の新緑が眩しい頃で、相馬との領地争いが一段落付き、奥州各勢力が一応の均衡を持って刃を納めたのを見計らったタイミングだと言えた。
数日前に伊達輝宗は、嫡男政宗に家督を譲る旨、諸臣を集えた面前で公表し、己はもっぱら外敵である越後への介入に専念しようとしていた。
輝宗一代でそれまでに失った領土をほぼ全て回復し、南奥羽で多大な影響力を行使するに至った伊達家をそのままそっくり政宗に譲り渡したのは、それは筆舌に尽くし難い父親としての愛情と、その才能に対する絶大な期待があったからだ、と言える。
政宗の家督相続を諸臣が祝いに訪れたり、あるいは祝賀の品々が届けられる慌ただしい中で、義姉の喜多に手を引かれて登城して来た小十郎は、最初こそ暴れて逃げ出し取っ捕まえる、を繰り返していたが、真新しい浅葱色の直垂を着付けられると大人しくなった。
水干(神主の平服)に似て非なる直垂と言う武士の正装が、子供に何かを感じ取らせたのかもしれなかった。
喜多は、久々に上がった城中に感慨深いものを感じつつ、本丸へは直接上がらず、家臣らが政務を行なったりする御書院や御広間などのある二の丸へ立ち寄り、そこで先ず遠藤基信に面通った。
遠藤1人が使う書院の更に奥の間だ。内密の話がある時などに彼がここを使っていた事を知る喜多は、そこで子供と2人待たされながら、何となく落ち着かない気分になった。
そこへやって来た遠藤は平素の装いで、気負った所もなく上座に腰を下ろした。
だが、開口一番告げられた言葉に、喜多は口を噤むのに苦労した。
男はこう言ったのだ。
「ここから先は儂が案内する」
「―――」
差し出口を挟まない喜多を、やはり遠藤は賢しい女よ、と思った事だろう。続いて、家族に対する情を慮って、やはり穏やかな声で告げた。
「儂が後見人となり悪いようにはせん。宿下がりの折りには儂の手の者を付けよう―――。それ故、今ここで別れの挨拶を済ませておくと良い」
喜多は、十代半ばで政宗の乳母にと城に召された時から、伊達家の内情と、それに接して細心の注意を払って立ち居振る舞っていた遠藤の人と成りを知っていた。だから、全て任せよう、とこの時には腹を括っていた。
そうして、遠藤に対座して凛とした眼差しを真っ直ぐ向けたまま、微かに首を振る。
「私も綱元も、お役目のある間一度たりとて宿下がりを致しませんでした。伊達家に仕え、これのお側に侍る事を誉れと言わずして何と申しましょう。この片倉小十郎、如何にも若輩者ではございますが、城に上がったからには一人前の男として厳しく扱って頂きたく存じます」
この義姉の言葉にぎょっとなった子供は、まじまじとその横顔を凝視した。
だが、彼女は終ぞ振り返る事はなかった。
「…委細、承知した」
その言葉を退出の刻と心得、喜多は一度平伏すると、後ろも振り返らず書院から出て行ってしまった。
彼女の立てる衣擦れの音が遠離る。
沈黙が降りて、外に人の気配が全くない事を思い知らされた。
そして、庭に植えられた大きな樫の木の葉が立てる騒めきだ。一瞬にして子供の胸中に不安が兆した。
「さて―――」と遠藤が呟き、少し姿勢を崩しながら脇息に凭れた。
「ここからは、男同士の話をしよう」
「…男どうし?」
「どうした小童、怖じ気づいたか?」
図星を指され、子供はカッとなって顔を背けた。
「俺はこわっぱじゃねえ!」
威勢の良い遠吠えに熟練の臣は一頻り笑い、何から話そうか、と呟いた。
「大義名分も、武士の誉れも、家名の是非も、…今のお前に説いても始まらぬな…。ただ一つ、これだけは覚えていて欲しい。儂らは政宗様を憎んでいる訳ではない。むしろ敬服し奉ってさえいる、と言う事を」
「…どういうことだよ…」
「良いか、小十郎」
ふと、初めて名を呼ばれた、と気付いた子供は、慣れぬ正座をさせられたまま何となく姿勢を正した。
「儂がそうと言ったら政宗様を誅せよ」

―――誅、

その文字を知っていたと言うのは子供の反応で分かった。
小十郎は遠藤の顔を穴が開く程見つめていながら、その表情を消したのだ。
今、伊達家の心臓とも言える米沢城その二の丸で、主君殺しの謀事が巡らされている。それが、この8歳と言うただ幼いばかりの少年の中に滲み渡って行ったのを見届けて、遠藤は更に続けた。
「儂が先立つ事があってもこの命は生き続けていると思え。伊達家の在る限り―――いや、"伊達家"が政宗様に裁可を下すと、そう心得よ」
ざあ、と外の樫の木が一際いたくさやいだ。
少年の胸の奥から沸き起こるもののように、それは不吉の二文字をくっきりと浮き立たせていたが、障子窓から漏れ射る光は至って穏やかだった。
少年と相対して座し、ゆったりと脇息に寄り掛かるその面も内心も、静かに、小波1つ立てぬように。
「その上でだ、このような脅し紛いの事を申したくはないのだが、仕儀の内容が内容だけに、これも胸の裡に書き留めておくと良い。―――お前がこの事を他言したり、あるいは逃げ出したり、為損じた時には、お前の血縁に類が及ぶ、とな」
「…な、んだよ、それっ!」
「それが武士の本分だ」
「ば…っ、ばかじゃねえのか?!なんにも知らねえてて御や、あに者あね者になんで…っ!」
「何も知らぬ、と本気でそう申すか?」
「―――は?」
「あの3人がどれだけ側近くで政宗様に仕えて来たか、お前は未だ知るまい」
「おい…なんだよ、これって、てて御どのも知ってるってのかよ……」
遠藤は否でも応でもなかった。
ただ不意と少年から視線を外すと、何処か遠くを見るように顔を上げ「誰かある」と声を張り上げた。
間もなく局の侍女が1人、漆塗りの乱籠箱を捧げ持って静々とやって来た。それが子供の傍らで遠藤に平伏して見せる。
箱の中身をちょっと覗き見たら、蝶や花をあしらった豪勢な打掛のようだった。
「当てて見せてくれ」と遠藤がそう言えば、侍女はその衣裳を丁寧に広げて子供の片肌に流し掛けてやると言った案配で。
「……ちょっ…何で女物の着物なんか…」
抵抗の声は弱々しく、遠藤が片手を挙げただけで制されてしまった。
「今は未だ、児小姓として雑用を申し付けられるだけであろう。儂も政宗様には"生き人形"をお側に侍らせてみては、と進言してあるだけだ。だが、その内"お手付き"となる…儂の言う意味が分かるな?」
子供とは言え、読み書きを手習いしながら兵書や論語など難しい文献を読み習うのが名のある武家の常識だった。10歳前後になれば形ばかりとは言えども婚儀の話が持ち上がる嫡子も少なくない。だから"お手付き"と言うのが閨での伽うんぬんを指すのにも子供は、小十郎は思い至った。
その上で―――、
房事での誅殺、と遠藤は暗に示したのだ。
小十郎は空いた口が塞がらなくなった。
だから侍女に引っ立てられ、隣の控えの間で女物の打掛を着せられ、髪を振り分けに下ろされ、白粉などを叩かれてもただ呆然としていた。

浮かれ事とは無縁そうな遠藤の口から「生き人形」と言われて、姿形までそのように誂えられた小十郎だったが、二の丸から本丸居館へ向かって駕篭に揺られて行く間に、むくむくと従来の向こう見ずな性格が頭を擡げて来た。
主君を誅さねばならないその時とは何時だ。
何か大きな過ちをしでかしてしまった時に違いない、とそう小十郎は考えた。自分が喜多に折檻される時も大概自分が飛んでもない事をしでかした時だったからだ。
だとしたら、これから主となる政宗にそのような過ちを犯させず、遠藤をその気にさせなければ良いのだ、と。
子供ながらに考えて結論付けたものだ。
そうして事なきを得れば、自分もこの任から解放され、姉たちに類が及ぶ事もない。―――何だ、簡単な話じゃないか。
我が身が突然置かれたこの状況を嘆く事はなかった。それより、そこでの身の処し方を考える癖が付いたのは、義姉の強さと、そして父母を亡くして鬼庭の家に身を寄せる事となった小十郎が、最初に得た処世術と言えるだろう。
それが吉と出るか凶と出るか未だ判然とせぬまま、小十郎は遠藤の後に従って居館の敷居を跨いだ。
やたらと重くて長い打掛を引き摺って、倒れないように、踏んずけないように、それだけに気を配りつつ―――。

伊達家頭首、政宗の御座所では、頭首その人が午前の着物から午後の着物へと衣替えをされている時だった。
それには構わず、遠藤は小十郎を従えて主君の端近くまで寄って腰を下ろした。
この頃は武家の作法として正座は確立されていず安座(胡座)で、その膝の中央に肩幅に合わせて拳を突くのが礼儀であったから自然遠藤はそのようにした。
小十郎も、だから同じように安座しようとしたら軽く膝を叩かれてしまった。
―――んだよ…立ち居振る舞いまで女らしくしろってのか…?
心中ぶつくさ零しつつ、頭の中に浮かんだ喜多の座り方―――横座りに足を直した。
それを、幾人もの小姓に着付けを施されていた頭首が横目で見ていたのか、クスクスと笑い声を上げた。
「基信、ダルマ起こしでも持って来たのか?」
「…は?」
若い頭首の声は独特の抑揚でもって唸るように響き、それに顔を上げた遠藤が背後を顧みた。
そこには、慣れぬ座り方に膝の関節が悲鳴を上げ、今にも横転しようとしている少年の姿があった。思わず遠藤はこめかみを抑えた。
「このまんま見物してんのも面白そうだが、崩しても構わねえぜ」
頭首の許しを得て、男は渋面を作り背後に向かって「膝立ちで良い」と小さく呟いた。
それでもやっぱり座りにくい事には変わりがなかったが、ともあれ膝を捩じ曲げなくて済んだだけでも良かったと、小十郎は安堵の溜め息を吐いた。
尚も頭首は喉の奥でくつくつ笑いを零していたが、やがて、美しい縹の直垂をふんわりと着終えた。
小姓たちが下がり、自ら進み出て来た頭首が、ぐらぐら揺れてる振り分け髪の子供の前にしゃがみ込んだ。
「お前、名は?」
問われて、その黒目がちの瞳がちらと遠藤の横顔を盗み見る。
遠藤は政宗に対して軽く頭を下げたまま、こちらを顧みようともしなかった。
―――ちくしょう、知らん顔かよ!
喚き出したいのをぐっと堪え「小十郎」とだけ応えた。
「こじゅうろう、か。ALL RIGHT. 気に入った、基信。この生き人形貰ってくぜ」
「御意」
くるり、拳を床に突いて体を回した遠藤がその場で平伏する。
それを見やりもせず、この若い頭首は貰ってくぜ、と言うなり、打掛の上から少年の二の腕を引っ掴んで引き摺って行ってしまった。

見送る遠藤の内心は、その表情からは読み取れない。
非常に気紛れで、気難しく、ひねくれ者の彼の人の眼鏡に叶うには、一筋縄では行かない事をただ知っていた。
だからこの時政宗は、まんまとその術中に嵌った、と言えるのだが―――。
遠藤は静かに立ち上がり、襖の影で様子を窺う小姓たちの視線も気付かぬ振りで退室した。



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