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―記念文倉庫―
13

エピローグ

ブラインドの隙間から差し込む日差しが眩しくて寝返りを打った。
その時、どうも嗅ぎ慣れない布団の匂いに、泥のように眠っていた頭がのろのろと思考を始める。
えーと、今日は休みで良いんだよな…。
そうしながら薄目を開けて、ベッドサイドにある筈の置き時計を探して彷徨った目が、見知らぬ風景を捉えた。
がばり、
そんな勢いでベッドから身を起こしたのは生まれて初めてだった。
ロフトの天井に頭をぶつけずに済んだのは、上身を起こしたぐらいじゃ届かなかったからだが、立ち上がっていたら確実にぶつけていた。文字通り飛び起きる程、仰天していた。
そして、剥き出しの肌に忍び寄る冷気に一気に目が覚める。
―――ここ、何処だ?!
俺は確か、店の厨房で伊達氏と一緒にブランデーとチキンをやっていて…、
それから?
家に帰った記憶がまるでない。
部屋の様子などよくよく見るまでもない。木目の壁など俺の部屋にはなかったし、何よりもロフトなんて構造じゃない。
ベッドの縁に身を乗り出して、恐る恐る階下を除き見ると、ウエスタン調の家具や間取りに眩暈が起きそうだった。そしてその隅のキッチンから上がる、ものをフライパンで炒める音や、食器の触れ合う音、棚が開閉される音などに、終に悟った。
―――やっちまった………。
「Good morning, 小十郎」と、やはり伊達氏の声がそのキッチンの奥から上がる。
「悪いけどあんたの服、今クリーニングに出してあるから、仕上がりは夕方な。食事は今そっちに持ってく」
毛布の中を見るまでもなく俺は素っ裸―――一体何処の新入社員かってぐらい恥ずかしい真似をしちまったんだ…。
寒いのもあったがベッドから出るに出られず、俺は暫くその場に突っ伏していた。
やがて物音は、皿に料理を盛る音を響かせて終了し、それを運んで来る伊達氏の足音が近付いて来た。
穴があったら入りたいって気分は正にこの事だ。
そう思っていると、梯子を上って来た彼と目が合った。
「良く眠れたか?」にっと笑うその笑顔がとても眩しい。
「……それはもう…」
「まあ、相当疲れてたみたいだったからな、正直ここまで運んで来るの苦労したけど、貸しはなしにしといてやるよ」
そう言って、トレイに乗せたものを俺の膝の上に置いてくれる。
スクランブルエッグにハム、チーズ、ハッシュドポテト、コールスローサラダにヨーグルトとコーヒー付き、と来たもんだ。しかも凄まじい量だ。アメリカン・サイズって奴だろうか。4分の1斤ぐらいありそうなトーストが2枚も付いている。つまり、半斤だ。
「すみません…何から何まで」
いいよ、と呟いて、伊達氏はロフトの手摺に凭れつつラグランマットの上に腰を下ろした。
「あんた、頑張ったろ?ご褒美だ」
「………」
言って、悪餓鬼のようにあられもなく笑う青年につられて、俺も苦笑せずにはいられなかった。
その、ちょっとした沈黙の隙間に、聞き慣れた旋律がゆったりと流れ込んで来た。少し割れた音質と、ゆったり散歩でもするような特徴的なトランペットの調べ―――。
有名なエディット・ピアフのオリジナルではなく、ルイ・アームストロングのアレンジだった。
多分、タイトルを知らなくても曲を聴けば誰もが"ああ"と思い当たるメロディ。古き良き、アメリカの舞台や映画を思わせるそれを、ブロードウェイ育ちの彼が持っているのは不思議ではない。
それに耳を傾けていたら、彼も又それを口ずさんでいて。
短い曲だ、数分で終わって他の知らない曲に切り替わった。
「食べないのか?」
モノクルをしていない方の片目が俺を見やって、そう尋ねて来る。
じゃあ、遠慮なく、と呟いてフォークを取り上げた。
味はちょっと濃いめだったが、料理のウンチクを垂れるだけあって売り物になりそうなぐらい旨かった。見た目も奇麗な彩りだし、調理師免許を持ってるってのも伊達じゃないようだ。
その伊達氏は、流れる曲に耳を傾けて虚空に何となく視線を彷徨わせていたが、不意に「クリーニングが出来たら…」と呟いた。
「はい?」
「いや…。結局、悪戯書きも大した事なかったんだな…と思って」
その台詞に、俺はコーヒーで口の中のものを流し込んで、応えた。
「これは邪推かも知れません」と前置きをしつつ。
「イベントの誘いが掛かった時、おかしいなと思ったんです。あの店が建築デザインで有名でも、俺自身は殆ど無名、と言って良いパティシエだ。それを"東京中の名店が集まったクリスマス・イヴ特別のスイーツ即売展"の1つとして名指しされるなんて、とね。そしたら次々と問題が起こる。あの手この手で俺を、俺たちを凹ませようって意図が見え見えでした」
「………」
俺の語る所に、伊達氏はぽかんと口を開けた。
―――俺の代わりに有名パティシエを迎え入れる、イベントブースが間に合わない、スタッフが引き抜かれて行く。何だか、良くカモフラージュされた兵士が匍匐前進するようなやり方だ、と思っていた。
だが、終わってみればそれらは全て良い方向に転がっていた。邪魔をしてくれて有り難う、とでも言いたくなる。
言わないが。
「これからはちょっと身を入れてコンクールにも参加しようと思ってます」
「あんた…飛んだタヌキだな…」
伊達氏の評に俺は思わず破顔した。
「好きで乗っかった訳じゃありませんよ…ただもう必死だった。これからは"ラ・ヴィアン・ローズ"も完成した事だし、名実共に名店になってやろうってね。もう二度と店に手出しが出来ないように…」
ひゅう、と粋な口笛が飛ぶ。
「本気出したらおっかなそうだ」
「ええ、おっかないですよ」
クスクス、2人の笑い声が古いジャズの音楽に乗って部屋中を満たした。
それが消えない内に「後で、買い物に付き合ってくれますか?」と俺は言った。
「買い物?」
「"ラ・ヴィアン・ローズ"の材料を買いに。―――それとも」
俺を眺め上げる青年の左目を、俺は顧みた。
「もう用意してある、とか?」
この言葉に、彼の細っそりした頬に僅かに朱が登ったのは気のせいだったろうか。
「I'm no match for you….」
伊達氏はそう呟きつつ項垂れて、笑気を零した。

近所のクリーニング店で仕上がった俺のスーツを伊達氏が取りに行ってくれた後、階下のキッチンに用意されてた材料を見せてもらった。
1つ2つ、足りないものがやっぱりあったので、近所のスーパーに2人揃って出掛ける事にした。
形になる前の材料を目にしていても、さすがに隠し味のビスタチオの粉末は分からなかったのだろう。
外は日暮れて、首を竦めたくなる程寒かったが、その後彼の為だけに作った"ラ・ヴィアン・ローズ"は最高の出来だった。

薔薇色の。

その言葉にぴったりな情熱の赤が実際、俺自身の人生にふわりと舞い降りて来るとは思ってもいなかった頃の出来事だった。




『La vie en Rose』

Hold me close and hold me fast
The magic spell you cast
This is la vie en rose
When you kiss me heaven sighs
And tho' I close my eyes
I see la vie en rose

When you press me to your heart
I’m in a world apart
A world where roses bloom

And when you speak...angels sing from above
Everyday words seem...to turn into love songs

Give your heart and soul to me
And life will always be
La vie en rose



20121218
  SSSSpecial Thanks!!




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