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―記念文倉庫―
11
店所有のライトバンの中、俺が運転する後部座席で、ケーキの材料や道具の間にぎゅうぎゅう詰めにされた彼女たちは、鶴姫の説明を受けていた。
イベントの主旨、会場に着いたら何をするか、イベントが開始されたらどう動くか、が、ざっとだが的確に指示される。
イベント会場は1階のイベントスペースだったが、そこまでは重い荷物を運ばねばならない。カートを借りても何往復かしなければならないだろう。
そして、ブース内への商品のセッティング。
ブースの立面図を見る限り、うちの店のイメージに合わせて、白と茶とグリーンのコンセプトカラーを遵守しながら、クリスマスらしい華やかな意匠で作られている。そこに、レジ脇に小さなツリーを、あと天井から吊るすイミテーションの宝石も鶴姫は持って来ているようだ。それも飾り付ける。
それから、アイスボックスに詰めて持って来た23種類、各10個ずつのプチ・ガトーをショーケースに並べる。これは手慣れた鶴姫がやるのが一番早いだろう。
他の出店舗は前日夜にそれらの作業を終えている筈だ。
こんな急ごしらえのブースで、碌に検証する間もない慌ただしい仕事に、彼女たちを巻き込んでしまって申し訳なかった。
けれど―――。
背後で、ああしようこうしようと語り合う彼女らはとても楽しそうで、その事でとても勇気づけられた。

一回に運べるだけの荷物をカートに載せ、あるいは手に携えてイベント会場に到着すると、その会場全体を覆う華やかな雰囲気に呑まれそうになった。
ワインレッドの壁を基調として、金色の飾りがそこかしこで輝き、各店舗のブースがそれぞれ1つの生花でもあるように眩い照明で照らされ、手の込んだツリーやリース、造花かも知れないが豪華な花束で飾られていて、それは眼が眩みそうになった。
「片倉!」
その中を一本貫く、凛とした声に我に返る。
「遅い、他に未だ荷物はあるのか?」
「あ、ああ」
俺を見つけて歩み寄って来たのは、俺の店をデザイン・設計・建築した事務所の社長、雑賀孫市だった。彼女がちらと背後に目をやると、お揃いのジャンパーを羽織った若い男が3人、駆け出していた。
駐車場にある店のバンは分かるだろうが、
「おい!鍵!!」
俺はそう叫んで、振り向いた1人に向かって車のキーを投げ渡した。
「孫市…」
「今回は高く見積もらせてもらうぞ」
俺が何か言う前に、男前な女社長が先手を打って来た。
俺は口元を歪めるしかない。
ブースの前に辿り着けば「キャー!ステキ☆」とか「すごい綺麗!!」とか言う鶴姫たちの黄色い声が飛んだ。
一日仕事とは思えない出来だった。
立面図で見たのとイメージは近いが、現実に見るとそれ以上の清潔感と華やかさを感じさせた。
イメージカラーは白・茶・グリーンだが、店名の"La vie en Rose"だけはワインレッドと言うファサードに、白い蘭の花弁を思わせる照明が踊っている。白い壁・天井・床は真っ白と言うより大理石のようなオフホワイトで、淡いグリーンのストライプが所々走る壁面を、チョコレート色に近い茶色の建て具が印象をぐっと引き締めている。
「…さすがだよ、孫市」
「当然だ、我ら雑賀衆の仕事に抜かりはない。…今、内装の担当が戻って来たら調理器具の説明をしてやる。店舗のものとなるべく近付けるよう、工夫してある筈だ」
「何から何まで済まん」
「…私の店が潰されるなど我慢ならんからな」
「………」
ああ、金吾の奴、もしかしてこっちにまで根回ししてくれたのか。例の"勝負"の件に関しては彼女には説明していなかったので、その事が思い浮かばれた。
感傷に浸りそうになるのを振り払って、俺は腕時計をチラと見た。
イベントのオープンは、この複合商業施設の開店時間に合わせて10時だ。その前のレセプションとして9時半から挨拶やスピーチなんかが始まる。
今は8時半ちょっと前。1時間あれば店舗らしい体勢にまで持って行けるだろう。

イベント会場がオープンすると、月曜日の午前中だと言うのに物凄い数の客が流れ込んで来た。
宣伝効果はバッチリだったのだろう。何せ、テレビ・雑誌などで話題に上る有名パティシエ店が一堂に介しているのだ。
そんな中で俺の所もなかなか好調な出だしを見せていた。
ただ、鶴姫がそっと耳打ちをして来た感じからすると、本当に繁盛している店の"おこぼれ"のような売れ行きらしい。
口惜しいがやはり、何処ぞのコンクールで優勝した誰それの店、に客は群がる傾向があった。
現役モデルの2人が呼び込みを始めたのは、昼過ぎを回った辺りからだった。
洋菓子と言う商品の特徴上、食事時は客足が鈍る。
俺の店もぱたりと売れ行きが止まった。
それに対して他の店は、コンスタントに購入して行く客が、鈍ってはいても途切れる事がなかったから対抗意識を燃やしたのだろう。
彼女たちは銀トレイに彩り良く商品を並べ、鶴姫から聞きかじった商品知識を巧く宣伝して店の前に立った。
さすがだと思ったのは、その本番に強い度胸と、呼び込みと言っても下品にならない、いや、むしろ上品な物腰だ。
彼女たちは、ファッションショーのランウェイを歩くように優雅に歩を進め、ビシッと決まったポーズで立ち止まり、バニラエッセンスの効いたイチゴショートや、チーズの香ばしさ香るフロマージュや、黒糖のジュレとマロンクリームが絡み合うモンブランを宣伝して歩いた。
正に、歩く広告塔だった。
俺は、ふと思い付いて通常のプチ・ガトーを作る傍ら、あるグラン・ガトーを作り始めた。
俺のアシスタントを勤めるリサがちょっと俺の方を窺い見たが、何も聞かず、先んじて自分に割り当てられた作業を黙々とこなした。
「鶴」と、俺は厨房から離れてレジ前に立っていた少女の背に声を掛けた。
「試食とか、やって良いんだよな?」
「え?ええ、ブース前に限ってOKですよ」
振り向いた彼女の目の前に、たった今完成させた新商品を差し出した。しかも、9号の1ホールだ。
「小十郎さん…これ…」
「"ラ・ヴィアン・ローズ"、薔薇色の人生だ。新商品のお披露目と行こうぜ」
「―――はい!」
鶴姫は、輝くような笑顔で大きく頷いた。
彼女にレシピの走り書きを手渡して、俺は厨房に戻った。
鶴姫は2人のモデルを呼び寄せ、そのルビーのように鮮やかなグラン・ガトーを紹介してやった。それに、その名前の謂れも。
そうして鶴姫がケーキナイフを暖める間に、モデルたちが行き交う人々に向かって、今日と言う日に満を持して発表する新商品、を高らかに謳ってみせた。
勿論、このイベントに合わせて試作していた訳ではない。それを、誇張も織り交ぜて人の耳目を引く彼女たちの弁舌の逞しさには、俺も内心、舌を巻いていた。
それが、転機だったのだろう。

ルビーのように。

確かにそれだけの鮮明さと深い赤ではあったが、シルクのような透明感があり、更には優しく包み込むような繊細さをも持ち合わせた"ラ・ヴィアン・ローズ"に客の女性たちは目を輝かせた。
人生を変えてしまうようなたったひとひらの花弁―――そのような商品を常に提供し続けたいと願って付けた店の名前は実の所、このガトーが先ずありき、だったのだ。
「薔薇色の人生をあなたに」その願いを胸にガトーは生まれた。その筈だ。
集った客たちの目の前で、デモンストレーションのように鶴姫がケーキカットを行なった。
ショコラブランのムースとカシスジャムのソースの味わいに、満足げに頷き合った女性客らが我先にと他のプチ・ガトーを買い求め、この場で発表された"ラ・ヴィアン・ローズ"を求めて今度店に来たいと口々に告げた。
これ以上ない程の大盛況だった。
ブースの奥でプチ・ガトーと"ラ・ヴィアン・ローズ"をほぼ平行作業で作り続けながら、俺は、これまで感じた事のない高揚感に満たされていた。
その時には"勝負"の事も頭の中からすっ飛び、ただ身の内から灼き尽くさんとするような熱に浮かされていた。
ああ、どうして忘れてしまっていたんだろう、この喜びを。
どうして俺の中で錆び付いてしまったんだろう、これ程までの情熱が。
一心不乱に手を動かし続けながら、目を閉じていても見える客たちの笑顔に、俺は心の中でひっそりと涙を噛み締めた。
この仕事をやっていて良かったと、およそ自分の店を持って初めて、心からそう思った。



夜8時に、イベント会場は閉じられた。
その後、主催者や後援者などがイベントが大盛況に終わった事に感謝の言葉を捧げ、イベントは無事終了した。
携帯から店に電話をかけると、鶴姫の同級生の1人が出た。
クリスマスケーキは予約分も店頭分も完売、プチ・ガトーも飛ぶように売れて皆へとへとだと言う。
俺は彼女に労いの言葉を掛け、こちらも大成功だったと告げた。
「それでは、気を付けてお帰り下さい。他のスタッフたちにもお疲れさま、と」
最後にそう言い、電話を切る。
一気に肩の荷が降りた気分だった。
「お疲れさまです☆」
へたり込みそうになっていた所へ、鶴姫が缶コーヒーを差し出して来た。リサや、2人のモデル、杏奈と香織にも、同じものを配って回る。
そうして俺たちは、顔を見合わせ疲れ果てた顔つきでくすくすと笑い合った。

会場はその夜のうちに全て解体して撤収するのだと言う。
業者が入ってブースをぶち壊し始める前に、俺たちも素早く荷物をまとめて引き上げた。
あんな素晴らしいブースがたった一日の命だと言うのは勿体ない気がしたが、それが即売会の運命だと言えばそれまでだ。
表参道のケヤキ並木の店に到着したのは、9時過ぎだ。
明日は前もって今日の代休としてあったから、鶴姫もリサたちにもお疲れさまと言って帰宅させた。
水曜日の仕込みは終えたらしく、店内に2人のスタッフも見当たらない。
俺は一人厨房に残って、小気味良く疲れた体にブランデーのご褒美を与えた。
ああ、本当に心地良い酩酊感だった。
―――例えこれでここを追い出される事になっても、何の未練も悔いも、ねえな…。
そうして、アイスティーグラスを捧げ持ち、今は亡き俺の師匠に向かって「乾杯」と心の中で呟いた。

ガンガンガン、

と、今にも寝入りそうになっていた頭を殴りつけるような騒音が響いた。
俺はグラスを落っことしかけながら飛び上がり、振り向いた視線の先に予想通りのニヒルな笑顔を見つけて苦笑した。




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