[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―
9
それからクリスマス・イヴまでの一週間、他のスタッフにも新しいレシピを覚え込ませつつ、天海にも厨房に入ってもらって、店のやり方に慣れてもらった。
うちはケーキの他に焼き菓子も並べているし、ショーケースにプチ・ガトーを展開させるだけじゃなく店内でドリンクと合わせて食事してもらうから、商品の提供の仕方などを理解してもらわなくちゃいけない。他のスタッフとの連携も必須だ。
鶴姫も言っていたが、店の方はクリスマスケーキを用意し終えたら天海に任せ、俺はイベントに出た方が良いだろう。そうしたら、他のスタッフと協力して一年の中で最も忙しい時期を彼がトップに立って乗り切ってもらわなきゃならない。
だが天海の奴、ちょっと見直したと思ったのだがやっぱり妙な奴だった。
生クリームの出来に身悶え(理由は角が立ち過ぎだとか)フルーツタルトの盛り方に身悶え(美しいとか美しくないとか)ショートケーキの切り口の断面を見ては身悶え(イチゴの断面が生々しいとか何とか)、それはもう、思いっ切りスタッフたちに引かれていたのだ。
「うるせえ、黙って仕事ができねえのか?!」
俺がそうやって怒鳴りつけてやると「ああっ!」と訳の分からん感嘆の声を上げる始末だ。
「良いですね…叱られながらケーキを作る、これぞ職人の醍醐味です…!」
意味不明だ…いや、単に気色悪ィ。
そこへ飛び込む「天海様ぁ!!」と言う弾んだ声だ。
ついでに床の上で金吾の丸まっちい身体も跳ねた。びたぁん、と派手な音を立てて。
「まあ、金吾さん…今日はまた一段と良く跳ねて…」
レジの前に突っ立った鶴姫が呆れたように呟いて首を振る。
その傍らから店内に進み出て来た天海は、シェフ帽に大きなマスク、シリコン製の手袋と言う、菓子職人なのか、手術中の外科医なのか良く分からない見てくれだ。それが何処か可虐的な色を浮かべた瞳のまま、金吾の前にしゃがみ込む。
「金吾さん…お行儀が悪いですね……帰ったらおしおきですよ…」
「…だって、天海様がここでケーキ作ってるって思うと、居ても立ってもいられなくなって〜。おしおきなんて勘弁してよ、僕もう子供じゃないんだから!」
泣きつかれて、天海はただ、ふふふ、と微笑んだ。
もたもたと立ち上がった金吾がタータンチェックのマフラーを取り、走って来て暑くなったのかダッフルコートのボタンを外しながらショーケースの前に立った。どれが天海様の作ったケーキかな、そんな心の声が聞こえて来るようなウキウキとした表情だった。
「金吾」と俺はショーケース越しにその旋毛に向かって声を掛けた。
「あっ、小十郎さん!相談しなきゃいけない事があったんだ!!」
天海の事で礼を言おうとした出鼻を挫かれた。
今度は何だ…。

俺と金吾は又しても控え室に引き蘢って、その相談事を受けた。
「は?どう言う事だ、そりゃ」
思わずドスを効かせた声で、俺は唸るように問い返していた。
余計な感想が多い金吾の話を要約すると、こうだ。
例のミッドタウンでのクリスマス・イベントで用意された会場は、店舗毎にコマ割りされていて、そこに出店する各々の洋菓子店の為に、ブースの設置は主催者側が用意してくれる手筈になっていた。
俺たちは材料と使い慣れた小道具だけを持ち込んで会場に赴けば良いって運びだ。
それが、イベント直前の今になって俺の所だけブースの設置が間に合わない、とか言い出したらしい。
まあ、半分は俺が当初断っておきながらそれを翻したせいでもあるんだが。
それで金吾は父親に相談したんだが、そこまで面倒見切れん、元々あの店舗をデザイン設計した事務所に頼んだら良いだろう、と言う返事が返って来た、と言う訳だ。
イベントまで後5日しかない。ムチャ振りもムチャ振りだ。
だが、確かに頼れる所と言ったらあそこしかなかった。
俺は、長い長い溜め息を吐きながら、俺を縋るように見つめている金吾を振り向いた。
「分かった…頼んでみる。―――が、期待するなよ。いざとなったら手書き看板と手書きPOPで何とか乗り切る」
「……うっ…小十郎さぁんっ…」
「いちいち泣くな、男だろ」
「だってぇ…」
何時までもウジウジぐずる金吾に向かってばっと左手を振り翳してやった。ずさっと身を仰け反らせた丸まっちい身体が椅子から転げ落ちそうになる。
そこへ、コンコン、と言うノックの音。
俺の「どうぞ」と言う声に応じて控え室の扉を開けたのは、スタッフの1人だった。
シェフ帽を両手に握り込んで、どうもおどおどした態度だった。
ピンと来た。
「どうした?」と俺はなるべく穏やかに問い掛けた。
「あの…すみません…その…」
専門学校を卒業後、そこそこ名のあるパティシエの元で修行した事のある、スタッフの中でも最も頼りになる若者だった。
「お忙しい時期だってのは分かってるんですが…実は…」
「どっかから引き抜きの誘いでもあったか?」
常と変わらない口調で先回りして言ってやると、俺の目を見られないらしく俯いたまま、彼は頷いた。
「…せめて、クリスマスが終わるまで待ってくれないか?」
「それがその…他にも声かけてて、遅くなればそっちを採用するって…」
それが本当の事なのか確かめる術はないが、キャッチセールスみたいにイヤラシイやり口だった。あんまり褒められたやり方じゃないのに堂々と持ちかけるのは、日本じゃそう言った事がこっそり横行している証拠だった。
引き抜き先は敢えて聞かなかった。いつまで?と尋ねると3日後の金曜日まで、との返答があった。
「分かった…でも金曜まで考えてみてくれ。他の店からこんな忙しい時に人を引き抜こうって相手先が、今後、お前にとってプラスの存在になるかどうか…」
「……すみません…っ」
彼は、大きく頭を下げてそそくさと控え室を出て行ってしまった。
急に実家の親が倒れて、とかそう言った類いのすぐ分かる嘘を吐く事も出来た筈だ。それを正直に引き抜きがあった、と認めた彼はやっぱり惜しい人材だった。
―――これも、俺にネームバリューがないせいで、人材の吸引力が足りなかった、と言う事だろうか。
「…こ、小十郎さぁんっ!!」
うるせえ、泣きたいのはこっちだ、そう怒鳴り返したのをぐっと呑み込んで、俺は席を立った。



「ふーん、そりゃ災難続きだなあ」
今夜の"ラ・ヴィアン・ローズ"はアレンジを変えて、ショコラブランのムースではなく、バニラエッセンスが香るミルクプディングにイチゴジャムのソースを振り掛けたものにしてみた。
透明感のあるプティングがラム酒を垂らしたソースと絡んで、子供っぽい味わいに大人の風味を加えている。
そいつを5皿、ぺろりと平らげちまった伊達氏がそんな風に同情してくれるのに、俺は苦笑を振り向けた。
「まあ、身から出た錆、とも言えますんで、自分で何とかするしかないでしょうね」
「デザイン事務所の方には掛け合ってみたのか?」
「ええ…。話にならん、と一刀両断されましたが…」
「代わりの人手は?」
「鶴姫の学校で料理クラブに所属してる子たちに声を掛けてみると言ってくれてますが、どうでしょうねえ…。学生ですから。私の知り合いのパティシエたちは当然それぞれのお店がありますし」
「八方手詰まりじゃねえか」
俺が厨房の片付けを終えるのを見計らって伊達氏は「飯食いに行かねえか?」と誘ってくれた。
俺は彼のランドクルーザーに乗せてもらって、冷え切った町中を走り抜けた。
冷たい雨が降ったり、乾燥した晴天が続いたりして、確実に寒さは深まる。そして、矢のように時間は過ぎ去って行くのだ。
「俺が暇だったら手伝ってやれるんだがな…」
ステアリングを握りながら伊達氏がぽつりと呟いたので、俺は思わず振り向いた。
「ああ…俺、一応調理師免許持ってるし、アシスタントぐれえ出来るんだぜ?…でも、24日の夜までみっちり仕事だからなあ」
「飛んでもない、そう仰って下さるだけで」
殊勝にそう告げて首を振って見せるが、内心げんなりするぐらい焦っていた。
その反動か、今夜まではのんびり伊達氏との遅い夕食を楽しんでやる、と半ばヤケクソのように思っていたのだ。



そこからの3日間はそりゃもう書いて字の如く「必死」だった。
馴染みの建築事務所に何度も顔を出して平身低頭でブース作成を頼み込んだり、以前世話になった無農薬野菜のビュッフェ料理店に助っ人を頼みに行ったり。果ては学生時代の、今は別の仕事に就いている連中に伝手がないか聞いて回ったり。
店での仕事の傍ら、ちょっとした時間を見つけては電話を掛け、時には自ら足を運んだり、とそれはもう常のクリスマス時期に輪を掛けて忙殺されていた。
そんな時に厨房から上がる天海の「ああっ、良いですね…サイコウです…っ」とか「ふふふ…そのように赤いものを滴らせて…私をこれ以上悦ばせてどうするんです…?」とか言う芝居がかった台詞だ。
頭痛がして来た…。
金吾の方でも使える菓子職人を捜してくれているそうだが、元々弁当屋から始まった事業の中で菓子職人に特化したシェフが見当たらないのも仕方なかった。丼店やラーメン店などでは更に縁遠いのもむべなるかな。せめてショコラティエがいてくれたら、とは思うが、それも高望みだった。
初心者でも出来るような皿洗い、フルーツのカット、計量や持ち帰り用の化粧箱の組み立てなどを手伝ってくれる人が数人見つかれば良い方だろう。
俺は、休憩時間に控え室に籠もって手帳と睨めっこをしていた。
誰か他に頼れそうな人物がいないか、かつて貰った名刺なども捲った。が、人探し2日目にして既に心当たりが尽きそうだった。
そこへ「ぁああぁあぁぁぁっ」とか言う、背筋に怖気が走るような声が上がった。
厨房へ駆け込むと天海と、金曜日には辞める予定のスタッフとが厨房の真ん中で向き合って突っ立っており、彼らの足下にはベリータルト用のカシスの実を煮込んでいたと見られる手鍋が、中身を辺りにぶちまけて転がっていた。
人の気配に背を向けていた天海が俺を振り向いた。
その白いコック服の胸元に、スタッフとぶつかった時に浴びたと思われるカシスの実とゲル状の液体をべっとりと張り付けて。
カシスの実は殆ど黒に近いワインレッドだ。ジャムにしてみてもブルーベリー以上に濃い色は、赤味など殆ど見えないのだが、白いコック服にごく薄く伸びたその色は、喩えようもない程鮮烈な赤、いや真紅…。いやいや、明るく混じり気のない正に情熱の赤、だった。
―――天啓が降りた。
そう思った。
何度作っても何となく違和感ばかりが残って仕方なかった"ラ・ヴィアン・ローズ"の薔薇色はこの色だったんだ、とほぼ確信に近いものを得て、俺は頭の中でカチカチとレシピを書き換えていた。




[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!