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―記念文倉庫―
8
その次の日は日曜日だった。
クリスマスケーキの予約も、終了してみれば去年の倍以上の数に昇った。手堅い人気がある生デコを筆頭に、他の商品にも満遍なく予約が入っている。
よし、と気合いを入れ、ショーケースの中で品薄になって来ていた幾つかのプチ・ガトーを作り始めようと厨房に足を踏み込む。
そこに、すらりとした見知らぬ後ろ姿が立っていた。
店のスタッフたちが焼いたり切ったり掻き混ぜたりしている作業風景をその髪の長い人は眺めていて、俺はいつの間にと首を傾げた。
店から厨房に入るにはレジ横を通らなければならない。関係者以外がそこを通り過ぎようとすれば鶴姫が気付かない訳がないのだ。
不審者を追い出そうと手を伸ばし、息を吸い込んだ所で、その人物が声を上げた。
「ああ…良いですねえ。甘くて香ばしくてフルーティで…鮮血が飛び交っているようだ…」
最後の台詞にぎょっとなったのは俺だけではなく、スタッフたちもだ。白いシェフ帽とマスクの間の両目を怯えたようにその男に向けている。
白い長髪の後ろ姿は男だった。
「あ〜!天海様、控え室で待っててって言ったのに!!」
その控え室から、トイレにでも入っていたのか、ハンカチで手を拭き拭き顔を出した金吾が喚いた。
何時の間に。
今日は店舗の出入り口からじゃなく、裏の通用口から入って来たのか。
しかし何だって?それにこいつは?
幾つもの疑問符を浮かべた俺を見つけて、金吾が満面の笑みを浮かべた。
「小十郎さん、天海様は僕の専属シェフで、お菓子作りも得意なんだ。今回は小十郎さんの助手としてここで働いてくれるよう頼んだんだよ!」
日曜の午前中から途切れる事なく店内を埋める客たちが立てる騒めきの中で、金吾のその嬉しげな声は自慢げに晴れやかに、そして情熱を籠めて響いた。
それを俺は眩しい思いを抱きながら眺めやった。
「金吾さん、お父様を説得出来たんですね?」
俺の傍らに立った鶴姫が、やっぱり瞳を輝かせつつ言った。
「うん、そりゃもうね!必死に掻き口説いたよ!…でもさ、1つ条件出されちゃって…」
「条件…?ってあの方…?」
あの方、と言って鶴姫が指差した方向で、天海と呼ばれた人物が厨房の中をうろうろと歩き回りながら、スタッフの手元や作り掛けのプチ・ガトーを覗き込んだりしている。
「イベントに参加してもお店の方を疎かにするなって…。クリスマス・イヴだもんね…クリスマスケーキの予約もいっぱい入ってて、常連のお客さんをイベントごときでがっかりさせたらただじゃおかないぞって、逆に脅されちゃったよ。でも、確かに、イベントであのお店より1つでも多く売ったら、引き続き小十郎さんにお店を任せるって約束してくれたんだ!だからさ」
だから、天海とか言う知り合いのシェフを招いて商品作りの即戦力とし、例えばイベントの方に俺が出向いても店が回るように手配した、と言う事か。
「金吾…けどな、店の味は早々変えられるもんじゃあ…」
「おや…、あなたの味はとってもまろやかですね…」
俺の台詞の途中に被ったのは、その天海とか言うシェフの甘ったるい声だ。
「優しく、尖った所が1つもない…その割りに大きな1つの流れがあって、それが小さな流れをくるみ込んでいる…」
見れば、天海は無造作に泡立てられた生クリームを指先で掬い取ってそれを口に含んでおり―――おいおい、そんな事したら商品に出来ねえじゃねえか。
俺はカッとなって大股に歩み寄った先で、その男の手首を捻り上げた。
「……ふ、」されるがままの天海は、声もなく喉の奥で嗤っただけだ。
その意味に気付いて俺は瞠目した。
こいつは…こいつの女みたいに細っそりした手には、手術にでも使うような薄いシリコン製の手袋に包まれていて、まるで精緻に造られたマネキンのようだったのだ。用意が良過ぎる…。
その手が、俺の拳を静かに振り払った。
「ご安心下さい…あなたの味を再現するのは2、3日で事足りますから…」
得体の知れない奴(いや、金吾の専属シェフなんだが)にその程度朝飯前だ、と言う感じで言われて俺は思わずむっとした。
そりゃそうだろう。自分の味を確立するにゃ、師匠の所で学んでから独り立ちした後も様々な他店の味を実際味わい、自分のイメージするそれと比べ様々な試行錯誤を繰り返さなきゃならない。そうしてコツコツ積み上げて来たもんを手軽に真似されてたまるか、と言う思いが頭の中を過るのは致し方ないだろう。
「でも…ちょっと冴えが足りませんね…。最近、研究を怠ってらっしゃるのでは?」
「………っ」
尚も生クリームの付いた自分の指を舐る天海に流し見られて、俺は内心の動揺を包み隠した。
それを知ってか知らずか、白い男は傍らに歩み寄って来た金吾に視線を落とす。
「天海様!お菓子を食べたいならちゃんとテーブルに着いてよ!」
「金吾さん…このお店は明日、定休日でしたね…?」
「うん…そうだけど?」
「では、明日中にやってしまいましょうか?」
「本当?!すごいや!普通のケーキでも20種類以上あるのに!」
「他ならぬ、金吾さんのお願いですからね…ふふふふ」
妙な凸凹コンビだ、と思った。
ふと気付くと、俺の隣に立った鶴姫も同じような事を考えているようだったので、つい顔を見合わせてしまった。尤も彼女の方は、レジ前に食事を終えた客が立っていたのでそそくさと立ち去って行ったが。

その後、土曜の昼過ぎから閉店の8時まで、金吾と天海は1つのテーブルに陣取って、全てのプチ・ガトーを完食した。
と言っても、途中でさすがの金吾もギブアップし、変わらぬペースでゆったりと、一口一口味わうようにフォークを動かし続けた天海を、ぽかんと大口開けて眺めていたのだが。
本当に、あの細っこい身体の何処に23種類ものケーキが入って行ったのかと俺も呆れてものが言えなかった。
腹が膨れる訳でもないし、甘味ばかりが続く食事に倦む様子もなく、ティーポットで入れたジャスミンティーで口直しをしつつ、天海は綺麗に最後の1つを食べ終えた。

翌日は月曜日。
金吾は学校があるので、定休日の札が掛かった店内にやって来たのは天海一人きりだった。他に姿を見せた者と言えば、アシスタントとして計量や皿の上げ下げを手伝ってくれると言う鶴姫が、わざわざ学校を休んで来てくれただけだ。
俺は、昨日と違って長い白髪をアップにしてシェフ帽にたくし込んだ天海に挑み掛かるような心持ちで相対しつつ、俺なりにアレンジしてあるプチ・ガトーの製作に取り掛かった。
材料、手順、タイミング、全て意味があって俺が組み立てて行ったものだ。
本来なら逆転している手順も、経験によってそちらの方が素材を生かすと言う確信を持ってそうしている。
先日、伊達氏に言われて改めて自覚したが、俺と言う人間は知らずの間に自分自身のやり方に誇り―――いや、固執と言って良い程のこだわりを持っていたのをつくづく感じた。
例えば、
「…フロマージュはふんわりとしたチーズの香りが素敵ですが、パートプリゼの生地の薄力粉が少し邪魔に感じられます。これを焼く時にエダムソースなどを乗せた方が、チーズの香味が増すのではないでしょうか?」
などと天海に言われると、途端にぴくぴくとこめかみがひくついて来る。
俺がその言葉を無視してそのまま作業を続けていたら、天海の奴は何時の間にか自分で言ったものを作り上げていて、無言でそのプチ・ガトーの乗った小皿を差し出して来た。ついでに鶴姫にも同じものを出すのを忘れない。
「如何です?」
「………」
俺は黙ってそれをさくりと一欠片、掬い取って口に運んだ。
成る程、パートプリゼ(甘くないタルト生地)がエダムソースのお陰で、それ自体香味の違うチーズケーキそのものになっている。全体的にはアパレイユ(流動状の生地)のクリームチーズと合わさって、複雑だが第一に香ばしいと感じ取れるものに仕上がっていた。
「だが、これじゃ堅すぎる。うちのはスフレ・タイプのフロマージュが売りなんだ」
味には合格点が付けられるが食感はイマイチ。
そう告げると、今度は良い事を思い付いた、と言うように両手を合わせた。
「でしたら、パートプリゼではなくスポンジにしては如何でしょう?」
「見た目が大幅に変わっちまう」と俺は首を振り振り応えた。
「成る程」
一度頷いていながら、天海は傍らで2つのフロマージュを食べ比べている鶴姫を振り向いて「如何です?」と尋ねた。
「はい、やっぱり小十郎さんの作られた真っ白で柔らかな方が馴染みもあるし私は好きですね☆でも、天海さんの作ったフロマージュの香ばしさも加わると、はっとさせられるかも。嬉しくなっちゃうくらいに☆」
「………」
巧みな評価の下し方だ。
いや、女の子はあれもこれもと欲しがるぐらいに贅沢なのか。そうは言っても、鶴姫の意見には俺も頷けた。
そうやって、その日は天海に店の味の再現を叩き込む筈だったのが、季節外れの商品改良の作業になっていた。
何時も季節の変わり目には出回るフルーツや素材の質、バターやチーズなどの風味も変わる為、季節限定ガトーを作るのと同時に、他の定番商品の味を整える事はして来たのだ。
それを、この最も忙しくなる時期にやる事になるとは―――。

深夜に全てのプチ・ガトーの生まれ変わった姿が出揃った。
かなりアレンジを加えたものから元のままのものまで様々だったが、天海や鶴姫と共に検証を加えつつ製作したそれらは、一段と洗練さが加えられたものになった。
俺も非常に満足の行く結果になったと思っている。
「では、これらは12月23日から店頭に並べる事に致しましょう…」
天海は手袋を外し、長い髪を解きながらそう告げた。
後は片付けだけ、と言う厨房は雑然としていたが、俺だけでなく天海の薄ら笑いの貼付けられた顔面もすっきり、と言った面持ちだった。
俺は、彼の前に立って左手を差し出した。
それをちょっと見やって天海は小首を傾げる。
「天海さんの言う通り、ここの所手を抜いてたようだ…。ありがとう」
俺の心からの感謝の言葉に、天海はふふ、と笑って軽く俺の手を握り返して来た。
気付くと、その手には何故か未だシリコン製の手袋が嵌められていて、俺の手を解いた天海は、カウンターに並べられたプチ・ガトーたちを振り向いた。
「まるきり同じ味を再現するのが難しい商品ばかりでしたのでね…」
実質的な敗北宣言とも取れる天海の台詞に、俺は僅かに瞠目した。
「…さすがに、金吾さんが惚れ込むだけの事はあります」
それでは、と言って天海は軽く会釈をして控え室へと立ち去って行った。
その背を見送り、ふと視線を落とすと、鶴姫がカウンターの前に立って凝っとプチ・ガトーたちを見つめていた。
それがさっと振り返る。
「素敵です小十郎さん!私これ全部持って帰りたいくらいですよ!」
その輝く笑顔が見たかったのだと、俺はこの時確かに思った。




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