[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―
7
ぐずぐずと泣き続ける少年の傍らに椅子を寄せて、仕方なく、その丸まっちい背中を軽く叩き、撫で摩ってやった。
「ここを出てっても菓子作りはやめる訳じゃねえ、どっかで小さな店でも開けたら食いに来いよ」
「うっ…うっ…小十郎さんのバカぁ〜〜〜〜っ!」
バカと来たか。
俺は天井を振り仰いで溜め息を1つ零した。
その時バン、と言って控え室の扉が開け放たれた。そこに立っていたのは鶴姫で、何だか決死の捜索隊みたいな形相で俺たちを一瞥するなり叫んだ。
「金吾さん!そのお相手のパティシエの方は何と仰るんですか!」
その剣幕に目を白黒させながら金吾が応えると、彼女は手にした紙切れをざっと見やり、それを突き付けながら更に高らかに宣言した。
「このイベントでその方より多くのケーキを売ったらそのお話はなし!そうお父様に談判して来て下さい!!良いですね?!!!!!」
言うなり、バンと机の上に紙切れを叩き付け、鶴姫は颯爽と立ち去って行った。扉の向こうで聞き耳立てていたらしい。
金吾がその紙切れをおずおずと取り上げて、文面に目を通した。
こいつには内緒で断ろうと思ってた、クリスマス・イベントの概要が記されたものだった。そこには招待予定の店舗名とチーフ・パティシエの名前が記載されていた。
ガ、と椅子を蹴倒して金吾が立ち上がった。
俺は何事かと見上げる。
「…僕が…僕が、このお店を潰させたりしない…。小十郎さん!!」
「はいっ!」
「もっと自分の作ったケーキに誇りを持ってよね!!!!!」
くわっ、とか言う擬音が聞こえて来そうな剣幕だった。
返す言葉も思い付かない俺を他所に、金吾はその紙切れを握り締めたまま、鶴姫と同じように控え室を飛び出していた。
その直後「まあ金吾さん、こんな狭い所で倒れないで下さい!」などと言う鶴姫の痛恨の一撃も聞こえて来た。この控え室はレジの斜め後ろに扉があるから、危うく激突し掛かったんだろう。
金吾は鶴姫に二、三言謝りを入れていたようだが、俺に泣きつく事なく店を飛び出して行った。

一人、静まり返った控え室に取り残された俺は、扉のガラス越しに見える店内の明かりを暫くぼう、としたまま眺めていた。



くくくく、と俺の話を一通り聞き終えた伊達氏が、喉の奥で低く笑っていた。
閉店後の厨房での事だ。
落書きを心配して見に来てくれた彼を、俺は再び店内に招じ入れ、こうして煌々と明かりの灯った厨房でパイプ椅子に並んで腰掛けながら、2人してブランデーをちびちびやっていたりする。
そのブランデーの入ったティーグラスをくい、と傾け中身を干した青年が、ゆらりと立ち上がった。
「俺の愛しいHoneyがいなくなっちまうのは、一重にあんたのせいみたいだな、小十郎…?」
鶴姫や金吾が俺を「小十郎さん」と呼ぶのを聞いていたからか、彼は何時の間にか俺をその名で、しかも呼び捨てするようになっていた。
その俺の名を呼ぶ声に不穏なものを感じて、俺は伊達氏を振り仰いだ。
「聞きゃどうも、金吾や鶴の言い分の方が筋が通ってる…でも、あんたは早速諦めちまって、早々に舞台から降りようとしてる―――そうだよな?」
キラリ、照明を反射して、前髪の下に半ば隠されたモノクルの深い青が煌めいた。
「いえ…ですから…」
俺は、金吾にも話した理由をもう一度繰り返そうとした。
「Shut up!!」
「………」
「向こうのパティシエが作ったもん、食った事あんのか?」
「…いえ」
「俺はあるぜ。田園調布にある有名な洋菓子店のシェフ・パティシエだ。若いが幾人もいるパティシエを束ねる立場に就けるぐらい実力がある。確かにセンスも良いし実直だし、俺も嫌いじゃねえぜ?でもな…」
伊達氏はぐい、と腰を屈めて座ったままの俺の目を覗き込んで来た。
「俺はここのスイーツが奴に劣るとは思っちゃいねえし、ここに来てる客たちも同じ意見だって自信がある」
食い入るように凝視する瞳が、その青みがかった唯一の左目がめらり、と燃え上がったような気がした。
ただ、何故それ程までに、と訳が分からなかった俺は、吸い寄せられるような瞳から無理やり目を背けた。
「そう言って頂けるのは本当に有難いのですが…」
言い掛けた所でぐらり、と視界が揺れた。
何事かと思えば、俺は伊達氏に胸ぐらを引っ掴まれて椅子から引き上げられていた。
否応無しに真正面から睨み合う事になるが、彼は俺がきちんと二本足で立てば10センチ程背が低く、その腕も肩も俺より一回りくらい細い。その身体の何処にそれ程の力が、と思えるような強力で押さえ付けられ、かと思うと彼は空いていた右手を拳の形に握り締めて後ろに引いた。

ガツン

と言う、堅い音と共に目の前に星が散った。
俺は2つのパイプ椅子を蹴散らしながら厨房の床に伸びており、その口の中に鉄錆びた臭いと味が広がる。
「Oh my honey!!!!!」
頬を抑えつつ上身を起こすと、その向こうで彼は天井を仰いで、オーバーリアクション付きの嘆きの声を上げた。
「お前たちを作ってんのがこんな情けねえ奴だったとはよ!有り得ねえ、何の間違いだよ、どうやったらこんな奴からあんなBeautyたちが生まれるんだ?!」
ハニーだのビューティだの、やけにネイティブな発音で言ってくれるが、要はケーキの事だろうに。まるで愛しい恋人に訴え掛けるような調子だ。
俺は頬の内側を切った痛さも忘れて、ただ呆然とするばかり。
すると、やがて我に返ったのか、ぴた、と動きを止めた伊達氏が俺を顧みてしゃがみ込んだ。
「なあ、小十郎」と、今度はやけに物静かに語りかけて来る。
「あんたは自分の作ったもんが愛されて、嬉しくねえのか?」
「…嬉しいですよ、勿論」
「他人と張り合うのが、バカらしいか?」
「………」
鶴姫と同じ事を問われて、俺は応えられなくなる。
「張り合って負けるのが恐ろしいか?」
「…勝ち負けの、問題じゃないでしょう…」
「評価を下されて、ランク付けされんのが鼻持ちならねえか?無意味な事だと思ってんのか?」
「―――ええ」と終に俺は頷いた。
頷きながら彼の視線を避けるように俯く。
「美味しい、と言う表現に点数や優劣など付けて、非常にバカバカしい…」
「自分の作るもんは最高だって思えねえのかよ」
「最高かどうかはともかく、美味しいと思ってなきゃ作って売ったりしませんよ…。それに、お客様には常に美味しく召し上がって頂きたいと思っていますが、…この間のモンブランみたいな事は往々にしてあるでしょう?」
「―――…」
「100人食べて100人が美味しいと感じる、それはどうあったって不可能です。80人、70人でも、同じぐらい美味しいものを比べるのであれば後は好みの問題ですから、そればかりはどうしようもない。だとしたら、自分が美味いと感じるものを信じて作り続けるしかない…そうじゃありませんか?」
「Oh my….」
やがて、伊達氏は呆れたようにそう呟いて立ち上がった。そうして、目の前に差し伸べられる彼の右手。
器用そうな長い指先と、女性の肌に直接触れる為綺麗に整えられた爪など、彼が彼の仕事の為に十全の気を配っているのが感じられる。
それを取って、俺も立ち上がった。
「…プライドも意地も何にもねえのかと思ったが、逆だったな」
「逆…?」
「他人の評価を気にせず、自分だけを信じるってのは、実は一番難しい…だろ?」
「ああ―――…」
そうか、見直してくれたのか、今の俺の発言で。
だが、俺がそうした"張り合い"に積極的になれないのには別の理由があるのだ。それを今、言うべきかどうか迷って
―――やはり、やめた。

今夜も"ラ・ヴィアン・ローズ"を試作する事は出来なさそうだ。



翌日、金吾は学校帰りに店に立ち寄らなかった。
雨が降ろうと槍が降ろうと、オープン以来一日たりとも欠かさず通い続け、一回たりともコケずに入店する事がなかったってのに…。
病気知らずのいじめられっ子体質の金吾が、風邪でも引いて寝込んでいるのか。今年のインフルエンザは例年に漏れずタチが悪いと言うし。
鶴姫も何だか俺に対してツンケンしているし、その上店の外は凍るような冷たい雨がしとしとと降り続けていて、俺の気持ちを何処までも滅入らせた。




[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!