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―記念文倉庫―
6
彼の車はトヨタのランドクルーザーだった。
四駆で4ドアで、大柄の車体を持つステーションワゴン。後部座席の半分を仕事道具の詰まった大型の鞄2つとジャケットなどが埋めていて、その足下には着替えを詰めているらしいクリアボックス。そして歯ブラシ、
歯磨き、髭剃りなどの洗面用具一式もバスケットに詰め込まれていた。
車の中で寝泊まりしているらしい様子が窺えた。
ドンキに行く前に、何処かで夕飯でも食って行こうと言う話になって連れて行かれたのは、東京駅のキッチンストリート内にあるステーキ&ハンバーグ店だった。ラストオーダーが10時半だったからギリギリ、と言った所だ。
これ又普通過ぎて、緩んだ頬が何時まで経っても締まらない。
よっぽど阿呆っぽい顔してたんだろう。それぞれ注文し終わった後に彼は、ソファーに身を凭れ掛け、腕組みに足まで組んで、俺の顔をそれはもう穴が開く程見つめていた。
その挙げ句、吐かれた台詞はこんなものだった。
「あんた、無邪気に笑うんだな」ちょっと呆れた感じで。
飲みかけた水を思わず吹きそうになった。
そしたら今度は伊達氏の方がニヤニヤ笑いだ。
「ギッて、いっつも眉間に力入れて口元引き締めてるから、おっかない顔になるんだぜ。その上その頬傷だ、ヤクザみてえ…。でも、そうして笑ってると、さっきの悪戯書きも大した事ねえって思えて来るから不思議だよな」
「それは…褒められてるのかけなされてるのか、分かりませんね」
「褒めてるんだよ、当然」
「ありがとうございます」
「………」
カラン、と伊達氏の取り上げたグラスの中で透き通った氷が音を立てた。
「…ホンット、タチ悪ィな」
「何がです…?」
「あのな、この間連れて来た女、唯って奴、あんたにメロメロだったぜ」
「は?だって…伊達さんの彼女じゃ」
ぶ、今度こそ本当に伊達氏が水を吐き出した。
「アホ抜かせ!唯はNYで同じスタジオに所属してただけだ。この間、一時帰国したからちょっと美味いスイーツ食わせてやるって連れて来ただけだよ!!」
「はあ…じゃあ―――他の女性も…」
「―――――」
本気で呆れられてしまった。
「……その時々の仕事仲間…。だいいち、彼女を連れてくんのならレストランやバーのがそれっぽいだろうが…」
「はあ…すみません……」
「あんたの中で俺は飛んだチャラ男だった訳だ…」
「いや、それはそれでカッコいいと思いましたよ。伊達さん、帰国子女ですよね」
俺の台詞の何処が気に食わなかったのか、伊達氏は何とも微妙に口元を歪めて藪睨みの目線を流しやって来た。
そうして、遅めのディナーで意外にも知らなかった互いの身の上を色々語り合った。
彼にNYでの修業時代があるように、俺にもフランスで現地の菓子職人に師事して学んだ時期があった。彼はアメリカに次いでヨーロッパを転々と渡り歩いて来たが、俺は独り立ちした時に日本に戻ってあくせく働きながら自分の店を建てる資金を集めたりしていた。
修業時代は似たような境遇だった。似ていながら決定的に違う事もあった。特にやっかみや嫉妬から来る「厭がらせ」に対する態度だ。
俺は修行している間、師匠であった人には大層可愛がってもらったが、弟子の中で唯一のアジア人でもあったので、バカにされたり暴力を振るわれたり、結構そう言う事は良くあった。
けど、若い頃から"見掛けに寄らず"達観していた部分もあって、己の身を守る以上に攻撃的になる事はなかった。
伊達氏はその逆で、厭がらせを受けようものなら血を見るまで喧嘩をする事を厭わなかったと言うし、相手が「参りました」と土下座するまで技術を競い合い、ぐうの音が出ないくらい腕を磨いたのだそうだ。
「ブロードウェイなんて実力がものを言う世界だ。それは役者も、俺みたいな舞台裏も同じってコトさ」
そんな事をさらりと言って退ける伊達氏は、俺より10歳は年下だと言うのに眩しいくらい恰好が良かった。これは本当に世辞抜きで思ったのだが、先程俺にカッコいいと言われて思い切り顔を歪ませていたから口にはしなかった。
「んで、さっきの厭がらせ、本当に大丈夫なんだろうな?」
食事を進めながら問われた台詞に、俺はやんわりと微笑んだ。
「日本人にそこまでの"熱意"はありませんよ」
ふーん、とやはり未だ納得していないような感嘆符を述べて、彼はピ、と俺に向けてフォークを突き付けて来た。
「何かあったら俺に言えよ。そいつにぎゃふんと言わせてやる」
俺は、彼の手首に手をやってフォークを反らしながら乾いた笑いを漏らした。
冗談抜きで本気でやりかねない、と思ったからだ。

帰り道でドンキに寄って、スプレーペイント用のリムーバーを買った。
そいつでざっと通用扉の落書きを奇麗に消し去る。アルコールの臭いが気になったが、明日になったら消えているだろう、と思い定めて俺も帰宅する事にした。
その頃には、冷たい風の吹き抜ける街はしんと静まり返り、日付を跨いでいた事もあって伊達氏に家の近所まで送ってもらった。



街の各所にクリスマスのイルミネーションが増えて来た。
寒さに肩を竦ませ道を歩く人々も、街路樹に灯る暖かくて賑やかな色彩を目にする度にほっと白い息を吐くだろう。
ブティックでもデパートでもそこかしこでクリスマスソングが流れ、サンタやトナカイの飾り付けが踊る。
イヴもクリスマス当日も仕事だって言う大人でも、浮かれずにはいられない時期だ。
俺の店も、鶴姫が近所の雑貨屋で仕入れて来た飾り付けがキラキラ瞬いていた。
細くて上品な金色のモールやら、窓ガラスに貼られた白いサンタとトナカイとソリのシルエット。天井から吊り下げられたイミテーションの宝石は多分、スタッフの誰かに頼んだのだろうが、レジ脇の人の背丈程のツリーを彩る人形やガラス玉なんかは相当張り切ったと見られる。
俺は、仕事の合間にクリスマスケーキの予約表をちょっと眺めた。
去年より確実に増えてる。
イヴの前々日の晩からの仕込みと前日丸一日を使っての作業、それに普段のプチ・ガトー作りの合間合間に入れる作業時間を考えに入れても、かなり厳しいスケジュールになりそうだ。
用意してあるクリスマスケーキは、生デコ、生チョコデコ、ブッシュ・ド・ノエル、タルト・フリュイ、シャンティ・フロマージュの5種類だ。そして多分、店頭売り含め予約分と合わせて今年は200台は作らなきゃならねえ。
―――また徹夜だな。
クリスマス・イヴの前日から鶴姫の同級生を入れて細々した事を手伝ってもらっても、店内で食事してってくれる客もさばきながらでは当然か。
人を増やそうか、などと考えるのはこんな時だが、何せいっときのイベント事だ。とにかく、二晩不眠不休のつもりで乗り切ろう。
そう腹を括って顔を上げた所で、開いた自動ドアから飛び込んで来た人影がやっぱりコケた。
あーあぁ…。
「こ、小十郎さぁん〜」
今日は、鶴の一声の前に泣きついて来やがった。しかも、地べたから上げられた顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

要領を得ない金吾を控え室に連れて行って顔を洗わせ、鼻をかませた。
そうして断片的に語った少年の訴え事をまとめてみると、こうだ。
金吾の父親―――小早川フーズ・ホールディングス社長が、俺の店をある有名パティシエに任せようか考えているのだが、正直迷っているのだと言う。
相手のパティシエは有名レストランやホテルでチーフ・パティシエなどをした経歴を積んで、仏大使館主催の仏菓子コンクールで優勝した事もある。
対してこの俺はと言えば、独り立ちした後、師匠の古い友人で無農薬野菜を使った料理がビュッフェ方式で食べられる無名の店をやってた人の所で菓子作りをしながら、傍らで建築事務所の手伝いをしていた、と言う体たらくだ。
唯一、人に自慢出来る事と言えば、俺の師匠がルレ・デセールと言う、パティシエやショコラティエが組織する協会の会員だった、って事だけだ。菓子職人たちの名門クラブと言った所か。
だが、そんなのは俺の腕前を証明するには至らないし、俺自身、その事実を喧伝して回るつもりはない。
で、金吾の父親は、俺が無名でも商売が順調に行っている所でパティシエを入れ替える、と言う事に迷っているのだと言う。話のニュアンスでは、他所からその有名パティシエを紹介されたようだ。
「潰されちゃうよ〜、小十郎さんのお店がなくなっちゃう〜」
さっきから金吾はこればっかりだ。
金持ちの一人息子の道楽も、生き馬の目を抜く商売の算盤勘定の前じゃ呆気なく潰えると言う訳か。
このシャレた街に洋菓子店を出店したのが初めてだった小早川氏が欲を出し始めたのだ、とも言える。もっと有名なパティシエを雇って、もっと人を増やせば、もっと売り上げが上がってチェーン展開も夢じゃない、と言う風に。
ま、それが商売人の考え方だ。
「小十郎さんてば、どうしてそんなに落ち着いてるのさ〜?!」
今度はこっちに矛先が向けられた。
「…仕方ねえだろ、お前の親父さんには色々世話になってる。資金もそうだが、材料の仕入れ先なんか都合付けてくれて、おまけに社長自らの紹介ってんで破格の割引価格だ。俺に文句言えた義理はねえ」
「でも、だってぇ〜小十郎さんのお店だよ?!」
「ああ…」
俺は、スタッフオンリーのドアの向こうにある店内や厨房を思い描いた。
―――俺の店。
修業時代は夢にまで見た、俺が作り出した菓子が並ぶ俺の店。だが、金吾を見ていると薄情なくらい動揺はなかった。仕方ないか、そんな胸中の声を他人事のように聞いている。
あくせくコンクールに参加しなかったのも予想がついていた、と言うより無意識に"こうなる事"を望んでいたのかもしれない。
まるで、俺を潰してくれ、とでも言わんばかりに。
「こじゅ〜ろ〜さぁ〜〜んっ」
ぶわ、と目と鼻からいっぺんに水を垂れ流しながら金吾が喚いた。
「僕、いやだよ、小十郎さんのケーキが食べられなくなるなんて…。そりゃ他にも甘くて美味しいケーキ屋さんは一杯あるけど、小十郎さんの作るケーキは特別なんだからぁ〜」
「…特別…?」
俺は、新しい箱ティッシュをケース棚から引っ張り出して、金吾の前に差し出しつつ尋ねた。
「そうだよ!食べるとね、ほんわりするんだ。お腹じゃないよ!気持ちが!何だか、小麦粉もバターもクリームも、みんなケーキになってくれてありがとうって思えるんだ。そんなの、小十郎さんのケーキが初めてだったんだ…」
そう言ってもらえるのはパティシエとして最高に有難い。本当に良き理解者に恵まれたもんだ。だが、ちょっと早過ぎたんだろう。金吾が自分の手で事業を切り盛り出来るようになってから、俺に目をつけて欲しかった。




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