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―記念文倉庫―
5
洋菓子屋が、一年の中で最も掻き入れ時となる時期を見計らって面倒事が舞い込んだのは、その翌日だった。
「え、ミッドタウンでクリスマス・イベントですか?!」
閉店後の仕込みの最中だ。
今日、昼時に約束があって向かった先がミッドタウンて複合商業施設だった。そこで、クリスマス・イヴのイベントとして都内の洋菓子店を一箇所に集め、クリスマスケーキ他スイーツの即売会を開催するのだと言う。
鶴姫は、そこで渡されたイベント内容や主旨などがプリントアウトされた紙切れを俺から受け取って、隅から隅まで目を通した。
「断るぞ、勿論」
ポツリと零した俺の台詞に、彼女はばっと顔を上げるなり「どうしてですか?!」と来たもんだ。
「どうしてって…毎年クリスマスはすげえ混むじゃねえか。そんな時に別の場所に人を割けるか。俺ン所はただでさえスタッフが少ねえし…鶴の同級生に助っ人頼んだりもしてたろ」
「これはチャンスですよ、小十郎さん!」
「…チャンス…?」
「これだけ良い場所にお店を出してるんですもの、もっと売れても良いと思ってたんです。スタッフさんや私のようなアルバイトも増やして、都内や近県に2号店3号店って増やして行ったり。…私、ずっと前からこのお店のお菓子をもっと多くの人たちに知って欲しいって思ってました。テレビや雑誌なんかにもっと取り上げられて…だから」
「ああ、そう言う方法もあるよな」
「小十郎さん」
「そう言うのやると質が落ちるだろ。商売広げるのももっと後で良い。例えば、あいつらの誰かが独り立ち出来た時にでも」
あいつら、と言って俺が親指を向けた先、厨房で黙々と生地を練ったり、ドライフルーツを刻んだりしている3人のスタッフを鶴姫は見やった。
その表情が不服そうに曇る。
俺が奴らに少しずつでもちゃんとパティシエとしての技術を叩き込んでるのは、ずっと側にいた彼女も知っている筈だが。
「コンクールとかも、そう言って参加されないですよね、小十郎さん」
「ん?ああ」
「他のパティシエの方と競ったりするの、嫌いですか?」
「好きとか嫌いとかじゃねえ。コンクールで優勝するより…そうだな、金吾や伊達さんに喜んでもらいたい、それだけだ」
「…………」
黙り込んだ少女は不服を通り越した、何処か淋しげな憂い顔を俯けた。俺は、そんな鶴姫の艶やかな髪に手をやって軽くポンポンと叩いてやる。
「ちょっと、不安なんです…」と彼女はそれまでと打って変わって小さな声で囁いた。
「不安?」
「ほら、ここ最近、お店の窓ガラスに石か何かで傷が付けられてたり、自動ドアの前に汚物が捨ててあったり…。一度なんか、この共同ビルの郵便受けの中身が荒らされてた時もありました…」
「イタズラだろ。心配するな、何も起きない」
そう言ってやっても、ぜんぜん納得行っていないようで。
「今はこの店をしっかりやって行こうぜ。協力してくれよ?鶴姫」
「……分かってます!」
彼女は頭の上の俺の手を振り払った。
「もう!本当に天然のタラシですね、小十郎さんてば!!」
「おい…そりゃ聞き捨てならねえな、俺が何時…」
「ホラ、お弟子さんたちが待ってますよ!とっとと行っちゃって下さいっ」
「―――?」
ぐいぐい、と言うよりバシバシと半ば叩かれつつレジ前から追いやられた。厨房に戻ると見せかけてくるっと振り返ってやれば、ばっと拳を振り上げられちまう。
タラシって、俺が一体何時誰をタラシ込んだんだ。


鶴姫やスタッフが帰った後、俺は何時ものように1人店内に残って"ラ・ヴィアン・ローズ"の材料を前に、ブランデーをアイスティーのグラスに注いだ。
外の歩道を帰宅を急ぐサラリーマンやOLなどが通り過ぎ、冷たい空っ風に巻き上げられた枯れ葉がその足下でカサカサと踊る。
BGMも落とした店内は、そんな冬の表とは切り離されたかのように静かだ。耳で表の音を拾い、目では調理台に用意した材料を見つめながら、懐かしい味わいのブランデーをちびちびとやった。
ふと気付くと、1杯目のグラスが空になっていた。
重厚なボトルから2杯目を注ぎ足し、それも又舐めるようにやっていたのだが、何時まで経っても作業を開始する気が起きなかった。
あのクリスマス・イベントに乗り気じゃない理由の1つに"これ"があった。
伊達氏には試作品と説明したが、それは半分は合っているが半分は嘘だ。
かつて、たった一度だけ、この目で見た事があったあの輝くようなスイーツ。それを、見た目と香りを頼りに記憶から引っ張り出して来て同じものが作れないか、なんて事に俺は時間と労力を割いている。それがちょっとでも邪魔されるのが厭だったのだ。
コンクールに出品するとなると、かなり長い時間そちらの構想に取られてしまう。どちらに価値があるか、と問われたら、今の作業が俺にとっては遥かに重要な意味があった。
けれど、今夜の鶴姫の様子を思い出すにつけ、これは飽くまで自分勝手な思い込みなのではないか、と思えて来たのだ。
この付近の他の洋菓子店の中でも、立地条件が良く、しかも名のあるデザイン事務所に設計・建築された俺の所に対して、ライバル心を燃やす者がいるのは知っていた。
他の店では宣伝活動に力を入れ、コンクールで入賞して知名度を上げ、集客に役立てているのにも関わらず、それをしていない俺の店に客が入っているのにやっかんでいる者がいる事も。
影で、俺の作るスイーツは大した事ない、師匠の七光りだ、などと業界内で言い触らしている連中がいるって事もだ。
正直、そんなのに付き合うのは時間の無駄だし、虚しいので右から左に聞き流している。
けど、それが鶴姫に不安を感じさせているのであれば、申し訳ない気持ちにもなる。
今夜は、作業など出来なさそうだ。
3杯目のブランデーも残り僅かとなって、俺は溜め息を吐いた。そこへ、

ガンガンガン、

何時かの夜のように、表の防犯シャッターが叩かれた。
顔を上げて窓ガラスの向こうの夜の街へ目をやると、思った通り、シャッター越しに伊達氏が悪戯げな笑みを浮かべて片手を振っていた。
半年程前に一度、拒食症のモデルを連れて来て以来、一度も閉店後には現れなかったのに。又何か問題でも抱えて来たのか、と首を捻りつつ控え室のスタッフ専用出入り口へ回ってその扉を開けた。
「こんばんは」と俺は挨拶をしながら彼の背後に目をやった。
珍しい、一人きりのようだ。
「小十郎、あんたこれ、気付いているのか?」
不意に返って来た台詞は、その表情と共に真剣そのもので。
俺は伊達氏が目線で示している場所、つまり、通用口の扉を表に回って見た。
「………」
赤いスプレーペイントで「死ね」と言うあまりに直裁的な罵倒の文字。
この通用口は店舗の入ってるテナントビル共用のエレベータ・ホールの、更に奥手に位置する。普通なら関係者以外通りがかる事はないが、逆に言うなら通路には鍵など掛かっていないのだから入ろうと思えば誰でも入れる。
スタッフたちが帰る際にあったのなら気付いている筈だから、彼らが立ち去った後に書かれたのだろう。
明日の朝、彼らが出勤して来る前に消せるだろうか。
「こんな事、良くあるのか?」と伊達氏が冷やかな目でその落書きを見やりながら尋ねて来た。
「いえ、初めてですね…こんな子供じみた事をされるのは…」
応えながら腕時計を見やったら10時を過ぎてた。ホームセンターの類いは既に閉まってる時間だ。さて、どうしたものか。
「警察に通報は?」
「警察?!」
今度こそ素っ頓狂な声を上げてしまった。
「こういうの放っとくと後で痛い目見るぜ」
「大丈夫ですよ、そんな度胸もないでしょうし」
何気なく応えながら伊達氏を招じ入れようとしたら、腕を掴まれた。
「相手に心当たり、あるんだな」
「………」
立ち止まって見返す伊達氏の、モノクルで隠されていない方の瞳が俺を真っ直ぐと貫いている。それは何時になく底冷えがするような冷たい炎を纏っていて、青みがかった美しい光彩に吸い込まれそうだった。
「…お恥ずかしい話ですが、身内の不始末なので犯罪行為にならない限り警察に通報する事はないでしょうね」
「…身内?」
「証拠も何もありません。…ですが恐らく、商売敵の厭がらせでしょう…。エスカレートして、と言う心配なら不要です。彼らも自分の身が可愛いですからね」
ち、と青年は盛大な舌打ちを零しつつ、俺の腕を解放した。通路の向こうに覗く夜の町並みを見やり、何事か口の中でぶつぶつと呟きながら落ち着かなげにその場でうろうろ歩き回る。挙げ句、
「俺、そう言うの、虫酸が走るぐれえ、嫌いだ」
そう吐き捨てられた台詞に、俺は思わず破顔していた。
「伊達さんらしいですね…。所で、こいつを落とす方法はないでしょうか?」
「―――…」
尋ねる俺を、彼は奇妙な表情でちらと見やってから、コートのポケットに手を突っ込みながら苦笑を漏らした。
「You'll never see his like for credulousness….(天然記念物並みのお人好し)」
「は?」
「いや、いい…。24時間営業のドンキでペンキ落とし買うしかねえな」
「ドンキですか―――この近くに…ある訳ないですよねえ」
表参道のケヤキ並木通りにそんな庶民的な店があるとも思えない。
「赤坂にその系列の店があるけど、小ジャレた感じになってるからな、DIY用具なんてねえだろ…。良かったら、俺の行きつけのドンキに連れてってやるけど」
「行きつけのドンキ…」
「何だよ」
「いえ…ちょっと意外だったもので」
「日本は物価がやたらと高えだんだよ。それに、あそこに行きゃ生活に必要なもんは大概揃うし、何より24時間営業だ」
如何にも庶民的な考えに、俺は声を立てて笑っていた。
ハイソな町並みを流し歩けば、それだけで絵になる青年が実はドンキのお得意様、と言うのが何故かとても嬉しかったのだ。




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