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―記念文倉庫―
4
俺と共に(何故か)店内に戻って来た伊達氏は、平らげられた2つの皿を暫く見つめていた。
何が起こったのか皆目見当も付かない俺は、レジ脇に寄り掛かって溜め息を吐くしかない。尋ねて良いものなのか迷ったが、何かの片棒を担がされたような気もするので聞く権利はあるだろう、と腹を括った。
「…何があったんです?」
俺の声に振り向いた彼は、椅子の上で体ごとこちらを振り向いて足を組んだ。
「モデルの見た目が細いと、服が映えて美しく見えるって思い込みがこの業界にはある」
薄暗がりの中、そう語る伊達氏自身がモデルに見えて、長い前髪の下でモノクルがキラリと輝いた。
「最近はそれじゃいけないってんで痩せ過ぎのモデルは使わないようにしてる所も増えたが、デザイナーの描くイメージってこう、10頭身美人ですらっと細いんだよな。んで、モデルはそのイメージに近付こうって無理なダイエットやら運動やらする」
その言葉の内容を俺が呑み込む間があって、彼は続けた。
「人間には適切な身長・体重、それに体脂肪率ってのがあるんだ。全く無用のものじゃないからこそ、ある程度の贅肉は付いてる。女の胸だって元を質せばただの贅肉の固まりだしな。その必要なもんまで落とすと、どうなるか想像つくよな」
「体調を崩しますね…。足腰も弱る。肌や髪も栄養が行き届かなくなってパサパサ、ガサガサに…」
俺の言葉に頷いて、伊達氏は続けて言った。
「ランウェイを歩く彼女たちは、10センチ以上ものピンヒール履きながらカッコ悪いから足下なんざ見やしねえ。そこへ来て細っそい足でガツガツ歩く」
「…躓いたり、落ちたり?」
「目眩起こしてぶっ倒れたりな。そう言う事故はしょっちゅうだ」
「成る程…」
「んで、リサはそっから更に悪い方に進んで、ものが食えなくなっちまった」
拒食症、と言う奴か。
尤も、一口に拒食症と言っても個人個人で様々な症状の現れ方があるので「食べられない」イコール「拒食症」とは言い切れないだろうが、精神的なプレッシャーが食事を摂る事に悪影響を及ぼす、と言うのは俺にも想像出来た。
「なら、さっきのでちょっとでも食べられるようになったんですね」
「モデル生命も終わったかもしれねえけどな」
「何故」思わず聞き返していた。
「栄養剤飲んで、点滴も打って、水やドライフルーツなんかで辛うじて食い繋ぎながら彼女、一年半も続けて来た。それが支えてた、とも言えるな。ムチャクチャだけど、これもプロ根性だ」
「―――…」
「それを俺はぽっきり折っちまった」
「…………」
「どう見ても限界だった」
そうして言葉を切った伊達氏は、唯一の左目の視線も俺から外した。
暫時、沈黙が落ちた。
店の外を時折通り過ぎる車の騒音と、規則正しく響く靴音を幾つかやり過ごす程の間があった。
モデルだけが仕事じゃないし、本当に取り返しがつかない事態になる前に立ち止まらせることが出来たじゃないか、そうしたありきたりな言葉がふと俺の胸中に湧いては消えたが、そのどれも口にしなかった。
「メイクと言うのは不思議ですね」
その代わり、明後日の方向の話題が口から滑り出て来た。
「この間の雑誌の撮影の時も思いましたが、メイク1つであんなに変わるなんて」
「…そうだな。でも、メイクは手助けの1つに過ぎねえよ」
「手助け?」
「輝きたい、と思ってるその気持ちのさ」
「ああ、でしたら…」
ふと思い付いて俺はレジから離れて彼の側に歩み寄った。
「さっきの彼女はもう、輝いてましたよ」
薄暗がりの中から見上げて来る瞳が僅かに見開かれた。キラリと輝くその光彩が、微かに青味がかっているのにはその時気付いた。
そして、やがて伊達氏は肩を震わせながら俯いた。
「?…伊達さん?」
「Ok, Ok…. あんた、人を口説くのが巧いな…」
肩を震わせていたのは笑いを堪える為か。
聞き捨てならない冗談を聞いたような気もするが、からかわれたと思ってむっとすると、今度はやけに意地悪げなニヤニヤ笑いで俺の顔を覗き込んで来た。
「リサにそう言ってやったら、コロリとあんたに落ちると思うぜ。賭けてみるか?」
「ご冗談を…」
年上をからかうんじゃねえ、と言ってやりたいのをぐっと堪えて、俺は踵を返した。
厨房には完成した"ラ・ヴィアン・ローズ"がまだ3つ残っており、作った道具や材料などが散らかっている。こいつを片付けちまわないと。
「なあ、あんた」
と店内から彼の声が上がった。
「さっきの、もう一個貰って良いか?」
は?と思って顔を上げると、ショーケースに凭れ掛かった伊達氏が俺の手元を覗き込んでいて、残り3つの"ラ・ヴィアン・ローズ"を見つけて目を輝かせた所だった。
彼は軽くそれらを平らげ、至極満足した様子で帰って行った。

やけに甘党で、心優しいメーキャップ・アーティストとの長い付き合いは、こうして多分、この時始まった。



グリーン系のタータンチェックのマフラーを翻して、店の窓の外を過った人影が、自動ドアを潜り抜けて店内に踏み込んだ途端―――コケた。
あーあぁ、玄関マット派手に引っくり返しやがって…と俺は、厨房の中から床で顔面を打ち付けてぴくぴくしている小さな影を睨みつけてやった。
「Hey, Kingo! You are silly arse!!」
流暢な英語が飛んで来て、金吾はのろのろと顔を上げる。
「…なんて言ってるのか分からないけど、ひどいよ、政宗く〜んっ!」
酷いと称するのは、伊達氏が声を張り上げた後に傍らのテーブルで腹を抱えて笑い続けているからだろう。この場面も何時しか馴染みの風景になってしまって、俺はやれやれと思いつつ手元に目をやった。
あっと言う間に夏が過ぎ、秋は何処かと探していたら、連日一桁台の気温が続く冬真っ盛りになっていた。
夏に秋冬コレクションの大きな仕事を終えると伊達氏は、仕事の合間を縫ってちょくちょく俺の店にやって来るようになった。
とっかえひっかえ…と言うのも口が悪いが、連れの女性を変えて。
大概はモデルのようだったから、背が高くて美人で個性的な人が多かったが、今日はそのどれも当てはまらないようなぱっとしない女性と同席していた。そして、午後4時5時にここに駆け込んで来る金吾の事をこうやって笑い飛ばす。
「もうっ!金吾さん!埃が立つから駆け込んで来ちゃ駄目ですって何度言ったら分かって下さるんですか?!」
これ又、ショーケースの裏にいて客の対応をしている鶴姫に大声で詰られるのも何時もの事だった。彼女はレジ脇から出て来ると金吾には脇目も振らずに玄関マットを直しに掛かる。
「うう…鶴ちゃんもひどいよ…。ちょっとは心配してくれたっていいじゃないか…」
「金吾さんは大丈夫です」
「何で分かるのさ…」
「そのぷよぷよのお肉がクッションになってくれてるじゃありませんか☆」
「………うっ、うっ、…小十郎さぁん!」
いや、だからどうしてそこで俺に泣きつく。
相手をするのも面倒臭くなって来た俺は、厨房から持って来た三つの小皿を伊達氏のテーブルの上にささっと置いた。
「ほら…今日の試作だ。モンブランに黒糖を入れてみた…野菜は使ってねえぞ」
俺の言葉に金吾の奴がぴょん、と跳ね起きた。いそいそと腰掛けるのは伊達氏の隣だ。
金吾の日課を知った彼も又、毎日作る俺の試作品を味わわせてくれと言って来たのだ。まあどうせ、3つから5つは試作品を作るのだから(材料が最低その程度使うからだ)試食する人が増えたって構わないが、これ又伊達氏も意外にスイーツに口うるさい人だった。
「やっぱ黒糖使うと香ばしいな」と俺の出したモンブランを一口、口にした伊達氏が呟いた。
「上に掛かってる生クリームが甘さ控え目なのもマロンペーストと合ってる。でも、栗の風味が少し弱え。栗の種類変えるか、栗ともっと相性の良い黒糖にした方が良いんじゃねえか?」
そら来た。
どれどれ、と呟きながら金吾も、こんもり盛り上がったマロンペーストと生クリームを格子状に重ね掛けした山を一口掬い取った。
ぱくり、
「んーーー…!」
これぞ至福の時、と言った顔をして感嘆の声を上げた後、しげしげと掬い取った後の断面を見やる。
「黒糖を混ぜ合わせちゃうんじゃなくて、ジュレにしたら良かったんじゃないかなあ?そしたら栗の風味も残るし、黒糖と混じり合った味も楽しめるし!」
「Oh, 確かにな。そりゃGood ideaだ。どうだ、小十郎?」
そうして、2人揃って期待に満ちた、キラキラ輝く瞳で俺を見上げて来るのだ。
くすくすくす、と言った声に振り向けば、伊達氏の連れの女性が口元に拳を当てながら笑いを堪えている所だった。
「あ…ごめんなさい。…伊達くんて相変わらずだなあと思って…」
「相変わらずってのは何だよ、唯」と伊達氏が唇を尖らせた。
「だって、NY時代だって、ピザで夕飯済ませようとしたら"毎晩それなんだろ、俺がいる時ぐらいHandmadeのもん、食おうぜ"って、お料理のウンチク垂れながら料理したりして…」
「それの何処が悪ィんだよ」
「悪くないよ、相変わらずだから嬉しくて」
「………」
元彼女か?と思いつつ、そんな事はおくびにも出さず、俺はその唯と呼ばれた女性にニッコリ笑い掛けつつ尋ねた。
「女性のご意見も聞かせて頂きたいですね」
「はい、是非」
彼女も思い切り嬉しそうに笑みながらフォークを取り上げた。そして一口味わった後に思わず、と言った風に左手で口元を抑える。
「あの…私、実はあんまりモンブランて好きじゃなかったんです」
「あ…これは大変失礼致しました」
素で慌てた俺に向かって、しかし彼女はその左手をぶんぶん振った。
「違うんです。そんな私でも全然抵抗なく美味しく食べられて…これって黒糖の風味がふんわり和らげてくれるからなんでしょうね。とっても美味しいです。ここのなら私、買って帰りたいぐらい」
成る程。
金吾と伊達氏が顔を見合わせた。
モンブランの独特で濃厚な甘さを少々苦手がる人も少なくない。そうした傾向を持つ人には受けるが、甘いものなら何でもござれの伊達氏と金吾のような人たちには物足りないと思う訳だ。面白い、ちょっと突き詰めて考えてみるか。
そう瞬時に判断した俺は、唯に丁寧に頭を下げた。
「参考になりました、ありがとうございます」
そう言う俺の顔を彼女は凝っと見つめて来る。何だろう、未だ言いたい事が?と思って少しの間待っていたが、特に言葉はないようなので「じゃあ、失礼します」と告げて厨房に戻った。
そのレジ脇で、鶴姫の後ろを通り過ぎる際、ちらと俺を見た彼女がぽつりと驚くべき事を言った。
「人様の彼女を盗っちゃダメですよ☆」
「……は?」
「無自覚な所がタチ悪いですね、小十郎さんは」
「え?…あ、ちょっと、タチ悪いって、何が?」
「いらっしゃいませー☆」
2、3人の持ち帰り客がレジの前に立って、結局俺はその事について彼女にきちんと尋ねる事が出来なかった。




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