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―記念文倉庫―
10
ざっと襖を開け放った梵天丸が途端に顔を歪めた。
「…酒くさいぞ、小十郎…」
「は…申し訳ありません」と賦役は平身低頭で平謝りだ。
「その…藤次郎と別れの盃を交わしておりまして、つい話し込み、酒も進んで」
疾しい心が吐かせる長台詞だ。
その途中から梵天丸はあから様に唇を尖らせて不機嫌そのものだった。大人ばっかりずるい、と言った有様だが、畳の目を数えていた男に分かろう筈もない。
「大人には大人のつきあいがあるのはわかった。梵は厠にいきたい」
「は、案内致します」
「早う」
「はは」
そうして、10年前の主従は部屋を出て行った。
政宗は、火鉢の熾き火の届かない隅に身を寄せたまま、くつくつと溢れる笑いを堪えていた。あのシャチホコ張った態度が何時一変するんだか、と思うと我が事ながら笑えて仕方ない。
そうしてようやく乱れた一重を整える。
明日は出立。
恐らく、遠藤の手の者が密かに守りに付いて彼らは無事米沢城に帰り着くだろう。
首から提げた鏡を手に取る。
これ以上、ここにいる必要もない。

朝、目覚めた梵天丸が見るからにしょぼんとしたのは仕方ない事とは言え、それに付き従う賦役までもが溜め息を吐いていたりするのは、幼い主も与り知らぬ事だった。


しんと静まり返った本堂に、2人の男が相対して座す。
どちらも何も言わず、すっと背筋を伸ばす様は静謐そのものだったが、彼らの間に見えない火花が散る程に空気はキン、と張り詰めいていた。
いや、実際男の内の1人はその身を仄かに蒼白く燃え立たせていて、更にはピリピリと言った細い雷電を纏い付かせている。
そんな中、僧形の男がうんざりと言った胸中を隠す事なく大仰な溜め息を吐いた。
「あのですね、片倉ど」
「虎哉和尚」
腹の底から言い放たれた台詞に、虎哉の言葉は宙に浮いた。
「…政宗様は一体どちらに行かれて何時お戻りになるのか…そろそろ白状して頂きましょうか―――」
一見、丁寧な物腰に静かな物言いではあったが、今にも爆発しそうな危機をあから様に孕んでいた。
だがそれにも関わらず、この年齢不詳の僧侶は何時もの飄々とした態度を崩しはしない。
「ですから…、ちょっとそこまで。お戻りになるのが何時かなんて分かりかねます」
「そのような世迷い言を…。何時まで吐き続ければ気が済むと思ってやがる、この腐れ坊主が!!!!!」
ダン、と言って、踏み出した足が床を鳴らし、抜き手も見せずに抜刀した小十郎の黒竜が、虎哉の眼前に突き付けられた。
はらり、と言って乱れた男の前髪が落ちる。
戦装束に陣羽織を纏ったままのこの男は、政宗が寺に入り浸っていた頃からその有様で、出奔したと思われた主を探し求めていた。更に髭も当たっていない辺り、凄惨な容姿に一層磨きが掛かっている。
そして、通い詰めたこの資福寺でようやく虎哉がその行き先を知っている、と白状させたは良いものの、その具体的な行き先については先のようにのらりくらりと躱される。
堪忍袋の緒も切れようと言うものだ。
「腐れ…坊主……と来ましたか…」
のっぺり顔に笑顔を貼付けたままで虎哉は呟く。
「ああ?…やろうってのか坊主のクセに」
歯を剥き出して凶悪に笑む男は、もはや常時の冷静沈着さを失していた。刃を返し、目の前の坊主の腕の一本や二本、斬り落としてでも白状させてやろうと言う心積もりになっていた。
「宜しい。あなたがそれ程聞き分けのない御仁であっては、あの方を任せておけません…」
微笑んだまま語られるのは実は、切り札だ。
「もう二度と戻って来られぬ場所へ、政宗様をやってしまいます」
言って、すっくと立ち上がった僧侶を唖然としながら小十郎は見上げた。
「そちらできっと良き臣を得られる事でしょう…いえ、恋う人、でも結構ですが」
「なっ…!」
何かを喚きかけた男を無視して、さっさと身を翻すや虎哉はスタスタと本堂を横切って表へと出て行ってしまった。
それを、小十郎は総身に冷水を浴びせられたような感覚で見送っていたが、はっと我に返ると飛び跳ねるようにして後を追った。
本堂を出、講堂の前も五重塔の前も通り過ぎ、庫裏脇の裏門から寺の外へ出た虎哉は、それはもう恐るべき健脚で裏山の薮も道なき道もさっさと渡って行ってしまった。
武人である小十郎が小走りになっていると言うのに追い付けないのはどう言う事だ、と焦る。
狐狸の類いにでも合っているんじゃないかと冷や汗が流れる―――。

やがて辿り着いたのは、小さな滝の前だ。
その滝壺の前に立った虎哉が不意に「おや」と声を上げる。
そして、背後に息を切らしつつも追い付いた武人を顧みては、その曖昧な表情を苦笑の形に歪ませて。
「本当に…運の良いお方だ」などと嘯いたりする。
滝裏の洞窟からこの寒い山中へ、粗末な長衣一枚纏っただけの政宗が現れるのは間もなくの事だ。全身をぐっしょり濡らしてガタガタと震える様に、小十郎は前後の見境を見失った。
「政宗様!!」
呼び掛けられてぎょっとなり立ち竦む主の異変に気付く事なく、自らの陣羽織をその肩に掛けてやる。
滝壺の脇の薮を通って、そうやって戻って来た若い頭首を虎哉はにこやかに出迎えた。
「如何でしたか?」
「Mmm…, It's okay?(まあまあってとこ?)」
「二本松氏を討ち取らなかったのですか?」
逆に尋ね返され、政宗は震えるのも忘れてぽかんと口を開いた。
「………」
「あの頃でしたら未だ油断も隙も沢山あったでしょうに、残念でしたね。まあ、次なる機会は再び与えられる事でしょう」
「Holy shiiiiiiiiiiiiiiiiiit!!!!!!!!!!!!!」
傍らの竜の右目が後退る勢いで絶叫を上げていた。
「Damn it! Jeez!! What a hell…!」
延々繰り返される呪いの言葉のような異国語に、小十郎は戸惑うばかり、虎哉の鉄壁の微笑はチリとも崩れない。
そうかその手があったかと思い返すも、己の無策振りが腹立たしい政宗は周りが見えていないのでそんな彼らなど知った事ではなかった。
輝宗に、二本松氏は後々謀反を企てると言って正式に討伐に向かわせる事だってもしかしたら出来たかもしれないのだ。
そうすれば今、父は死なずに済んで、未だ生きて。こんな口惜しい思いも味わわずに済んだかもしれないと言うのに―――。

「ただ、時と言うのは不思議なもので、もし二本松氏を討ち取ったとしても他の誰かがその役割を担わされる、と言う事も良くある事なのです。あるいは、幾つも連なった輪のように、あらゆる可能性を顕現させた未来が無数に枝分かれして行ったり。そう言うもの全てが同時に矛盾なく存在する―――時間とはそのようなものなのです」

僧侶の静かな声が熱くなった政宗の思考にするりと入り込んで、彼は、ふとその顔を顧みた。
「…来し方も行く末も…1つじゃないって?」
「その通りです」
頷きつつ、長年政宗の師を勤め上げて来た男の微笑が深まった。
「私はむしろ、その事を夢にも思われなかった政宗様を誇らしく思います。…切に希望される過去のどなたかとの邂逅…、満足の行かれるものを得ましたか?」
「…全く、タチが悪ィぜ虎哉」
「おや、何の事でしょう?」
それ以上は突き詰めず、降って湧いたくしゃみで我に返った政宗は、ぶるぶる震えながら右目と共に立ち去って行った。
二本松氏をお一人で討ちに行くなど無謀過ぎます、とか何とか続く男の小言を右から左に聞き流しつつ―――。



一人、その場に残った僧侶は滝裏の洞窟に踏み込んでいた。
その突き当たりに出来た、清澄な水を讃えた水溜まり。そこに沈んでいる筈のものを見極めようとして、ふと目が止まった。
水際にしゃがみ込み、僧衣の袖を抑えつつ手を伸ばせば、指先に紫紺の紐を絡めて掬い上げる。
大人の掌程のサイズの鏡、それの紐通しに見慣れぬ紐が通されていたのだ。
「おやおや、過去のものを持ち帰るのは法度、と言い添えるのを忘れていましたね…」
飛んでもない事をこの怪僧はしれと呟き、軽く水を切るとそれを懐の内に仕舞った。
「…隠しておかないとあの方は再びかの時代へ行きたがるかも知れません、封じておきましょうか」
そう口中に呟いて、虎哉は寺へと引き返した。

この鏡が後にもう1つの騒動を引き起こすのは又、別の話―――。


20121208
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