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―記念文倉庫―

「やはり、他人のようには思えぬ」
その中でポツリと落ちた声を耳にして、政宗は闇の中の幼な子の横顔を見やった。
「政宗も、小十郎も…。これを"身内"と言うのだろうな」
政宗は応えず、その頭を抱き込んでぷっくりとした頬に唇を落としてやった。
ちゅ、と言う可愛らしい音が上がって、幼な子が慌てて身を離そうとする。
「な、なんだ…?」
「おやすみのキス。異国の風習だ」
「……そうか」
異国かぶれに火が点き始めたこの幼な子は、見よう見真似で今された事を政宗にやり返した。
所謂"口吸い"と言う大人の閨での行為とは違ったそれを、梵天丸は素直に親愛の情、と読み取ったらしい。
首を返して、もう一方の隣に横たわる賦役にも同じように唇を寄せれば、凡そ照れなどとは縁遠い男がばっとばかりに身を起こし掛けた。
その反応は又しても2人の主に失笑を浮かばせたようだ。
「…んじゃ、俺も―――」
その声と共に、目を白黒させる小十郎に向かって手が伸びて来た。
非道く、切ないぐらいにひどく柔らかいものが男の唇を掠めるように触れた。
「おやすみ」
それが小さく呟く。

笑い疲れた梵天丸は速やかに眠りの淵に吸い込まれて行った。
それが自分の胸元で穏やかな寝息を落とすのに耳を傾けていた政宗は、小さな身体の向こうで賦役が身じろいだのに目を上げた。
火鉢の中の熾き火だけでは全くの闇に近しいが、政宗の左目は彼のシルエットを捉えていた。
彼は、小十郎はこちらを見ているようだった。それが、小さく咳払いをして呟く。
「…酒を、用意してあったんだがな…」
「Oh, 勿体ねえな」
ここから先は大人だけのお愉しみ、と言う事かと政宗は口角を上げた。

最初の晩と同じように、梵天丸を衝立て襖に囲まれた奥の間に1人寝かせた2人の男は、襖障子に仕切られたもう1つの続きの間に小振りの火鉢を挟んで腰を下ろした。
行李の影に隠してあった酒瓶を乗せた盆を、2人の膝の間に引っ張り寄せる。
適当にそれを取り上げ手酌で1、2杯盃を空ければ、途端に灯る酒精の炎が心地良い。
「肩の具合はどうだ」と賦役が尋ね、くい、と一息に酒を呷る。
「ああ、固定してあるから痛みもねえ」
「そうか」
ぽつり、ぽつり、続かない会話はそれでも穏やかに闇の中浮かんでは消えた。
その内、若い賦役が尋ねて来たのはこんな事だ。
「10年後の俺は、その、何をしている」
「何って?」
何でも無い事のように問い返されて、男は居心地でも悪いように上身を揺らした。
「賦役、ではないだろう」
「ああ…頼りになる軍師だ。俺の、竜の右目で、父であり兄であり…一番身近な存在だ。―――何だ、10年後の事信じてくれたのか?」
バカな事を、と小十郎は吐き捨てた。
「事細かに聞けば嘘が露見するだろうと思ったまでだ。―――輝宗様は隠居されたのか、未だお若いだろうに」
「………」
黙り込んだ青年の姿を、火鉢の熾き火に翳して見やった。
政宗は口元に盃を持って行ったまま固まっており、なかなか返事をしようとはしなかった。訝しげ、と言うより、そこまで作り話を用意してなかったかと小十郎はほくそ笑み、今はそんな事はどうでも良いのだと言ってやろうとした。
そこに、政宗はぼそりと応えた。
「俺が殺した」
「―――…」
「二本松の野郎に拉致されて…全部、俺のした事だ」
言い切って、さっと酒杯を干した。
「親父の葬式が終わった翌日に遠藤も追い腹を切ったな…。あれはさすがにショックだった。残った家臣たちは伊達頭首である俺を支えて弔い合戦に皆赴いてくれんだろう、って思ってたし」
新たに注ぐ透明な液体は揺れて、盃を満たす。
「俺は頭首として失格だって事なのかな」
満たされた盃からそれが溢れ、思わず政宗は己の口元を抑えた。
それまで泣きたくとも一向に涙が出て来なかったと言うのに、この時この場になって突然それが襲い来る。
この世界では輝宗も遠藤も存命しているのだ。そしてそれが細やかに梵天丸を気遣い、見守っている。そう思うだけで熱いものが込み上げて来て視界が歪んだ。

鷹狩りの狩装束のまま追っ付け追い縋った政宗は、阿武隈川を渡る高田と言う渡し場で二本松の手勢に追い付いた。
輝宗を人質に取った二本松義継らは、追い付いたが何も手出しが出来ないでいる政宗たちを振り返り、時折嘲笑った。そうして悠々として川縁から渡しの船へ乗り込もうとしていた。
川を渡られてしまうと川向こうは敵領地だ。そんな今際の際に、政宗も父輝宗も立たされた。
その時の、後ろ手に縛られ、周囲を白刃を振り翳した徒士らに二重三重に押し包まれた父輝宗の姿が蘇った。馬上にて、臆する事なく背筋を伸ばし、身じろぎもせず前方を見据える男は、その鬢に白いものが目立つようになり、襟足には衰えの気色を隠しようもなく。
心の底から震えが起こった。
明るい秋の飴色の日差しが一瞬にして陰ったような気がした。
政宗は傍らで鉄砲を構えたまま固まってしまった兵からそれを取り上げ、一歩二歩、と進み出た。
「伊達家の為、ひいては父上の名誉の為、死んで頂く!」
叫んで、引き金を引いた。
それは輝宗を外したが、俄かの銃声に敵は色めき立った。
政宗は「撃て、撃て!」と叫びつつ馬に乗り上がり、自らその渦中に突っ込んで行った。
彼の行動に呆気に取られていた兵卒にも、火が点いた。頭首が狂ったように雄叫びを上げ、撃て、逃すな蹴散らせ、と繰り返すのに応えるように、鬨の声を上げ、鉄砲を撃ち放ち、白刃を抜いて河原を駆け下って行く。
恩を仇で返した二本松も憎い。敵に人質として取られて行く事を輝宗は潔しとはしなかっただろう。何より、政宗の家督相続以後、その激しい攻勢によって奥州の勢力図は揺らぎつつあった。
そんな事がちらと脳裏を過ったが、政宗が忿怒の形相で敵勢に討ち掛かりながら思い出していたのは、柔らかな父の顔や声、触れる暖かい手だった。

嗚咽を噛み殺して己が腕で自分の身体を抱き締めていた。
溢れた酒精も倒れた酒瓶もそのままに、ただパチパチと爆ぜる熾き火と、微かに荒いだ息を継ぐ政宗の圧迫死しそうな悲しみだけが場を満たす。
それを、そっとくるんだものがある。
強い腕が首の後ろに回されて、顔を覆った手ごとその胸に押し付けられて、思わずしがみついた。
「父は…親父はまだ42だった」
その胸元に全ての蟠りを吐き捨てるように政宗は呻いた。
「越後の上杉と睨み合って…そっちに駒を進めようとしてた…!」
痛みに煩悶する身をより強く掻き抱かれて、
「それを俺は…」
尚も嘯くその唇を柔らかいもので塞がれて途端、頭の中が真っ白になる。
「…ん…こ、じゅ…う…」
何かを言い掛けた所を更に深く貪られ、全ての悲しみが吸い取られて行く。闇の中、着物の上から体を撫で摩る手が温かくてもっと泣けて来た。
ただ抱き寄せる腕に素直になって身を任せていれば、色の熱を持っていたその掌が宥めるような仕草になって行って。
唇を解かれ、今と言う時にこんな事になるなんて、と少しばかり呆れながらその逞しい肩口に顔を伏せる。そうして、怪我を慮って抱き寄せる両手は本人が口下手な割に慈愛に満ちているのが、やっぱり嬉しかった。
不意に、男の口から溜め息が溢れた。
「10年後の俺はまだお前と一緒に泣いてやれないのか…?」
合わせた胸を通して響く声色に悔恨の様を見て、政宗は顔を上げた。暗中に見返す瞳がキラリと光る。
「今はあのように梵天丸様は俺を警戒されてしまって…。でも、時が経てば誰よりも身近な存在になるのだろう?」
「…違う、俺が…俺がやっぱり突っ撥ねてるから…」

「だったら一緒に泣いてくれ」

「―――…」
応える事はせず、政宗は動く左腕だけで男の首っ玉にしがみつき、その唇を唇で弄った。
盲目な暗がりで惑うように青年の唇は賦役の顎先や頬を彷徨って、やがては相手から塞がれる。
濃厚な口付けはもはや慰めの領域を越えていた。合わせた襟元から忍び入った熱い掌が、晒しを避けて素肌の上を滑って行くのに堪えきれない熱が昂る。
―――こいつ…梵天がいるってのに…。
不思議な羞恥心と嫉妬、のようなものに身を焦がされた。そしてそれは、器用に帯を解かれてしまってしどけなく羽織るだけの姿になると、一気に頂点にまで噴き上がった。
「ちょ…っ、お前…、梵天にこんな事しようとか思ってんのかよ…っ!」
微かな抵抗を見せて、けれどなるべく声を荒立てないように言ってやれば、ぴたりと動きを止めた賦役が言い返して来る。
「お前は梵天丸様じゃない」
「な……」
「お前が誘ったんだろう、俺は途中で止めた」
「…………っ」
余りに手前勝手な言い草に、それまでのしめやかな雰囲気が吹っ飛んだ。その上そんな詭弁で押し切ろうとする態度にさすがの政宗も青ざめた。
―――やっぱりこいつこの頃から下心持ってやがったんだ!
ささやかな攻防が暗闇の一間で繰り広げられ、果ては、殆ど半裸の状態で畳に組み敷かれてしまった、その時。

もそり、

夜着を掻き退ける音に続いて「小十郎?」と言う寝惚けた幼い声が上がる。
襖一枚隔てた先の、思ったより大きな物音に2人ははっと我に返って慌てて身を起こした。

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