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―記念文倉庫―

神社の鳥居を潜ってから本殿までの参道脇には商人などの姿もない。ただ直立する杉林がひっそりと雪の中佇んでいた。
温泉宿のある山腹とは少し離れた山中にある神社からは、上山のお椀を伏せたようなまろい稜線の向こうに、蔵王の峻厳な峰峯が白く遠く霞んで臨まれた。
それを背に進む参道の雪は、社務の者の手によって丁寧に掃かれており、そこを梵天丸は政宗の手に繋がれて弾むように歩いた。
「ツリー!」だの「スノー!」だの、「バード!」だのと言った意味不明な事を時折口走りながら。
不意に、賦役の男がその少年の肩を引きながら小走りに前に進み出て来た。政宗もそれに気付いてとっさに梵天丸を背後に庇う。
彼らの眼前に、樹上から降り立った黒ずくめの男が1人、距離を置いてその場に跪いた。
「遠藤様より命を受けている者でございます」
その男は頭を下げたままそう言った。
「…遠藤基信、か」呟いた幼な子が、その声に振り返った政宗と小十郎の顔を振り仰いだ。
続けて男は言う。
「ご無事で何よりでした。どうか、お早いお戻りを」
「親父の宰臣はやたら出来の良いのがいたな…」
如何にも尤もな事を言われ、政宗も苦々しく顔を歪めるばかりだ。
遠藤基信。
政宗の烏帽子親にまでなった男だ。元は政宗の父輝宗と敵対していた中野宗時の家来だったのを翻意して、輝宗配下の宿老に付いた。輝宗もその才能を高く買って己の右腕の如く信頼を寄せていた。
それが梵天丸の捜索に一役買わない訳がなかった、と臍を噛む思いだ。
「…城では騒ぎになっているのか?」
2人の間から顔を出した梵天丸が問えば、その男は更に頭を下げて応える。
「お父上輝宗公のご心痛、如何ばかりか」
「………」
意気消沈、しそうになるのをぐっと堪え、懐の中に入れていた買ったばかりのカルタの上に手をやる。
「あいわかった。明日戻ると父上に伝えてほしい」
「…明日、ですか…」
「明日だ」
きっぱり言い切った幼い伊達の跡継ぎを、男はチラとだけ見やった。そして今一度深々と頭を下げると、参道脇の杉林の中に忽ち姿を消してしまった。
残された彼らは三者三様の表情でもって互いの顔を見交わすしかない。
そして、最初に踵を返したのは梵天丸だった。
「見つかってしまったな、お前たちのもくろみより遠藤のほうが一枚うわてだった、ということだ」
年に似合わぬ老長けた物言いをする小さな背に、2人も苦笑するより他なかった。


宿へ戻ると、その梵天丸は政宗に対してカルタの文言を異国語に訳せとせっついて来た。明日戻ると言った猶予はその為だったのだと気付く。
「そんなに急がせんなよ。日本語の言い回しは独特なんだからよぅ…。訳すの大変なんだ」
弱音を吐く青年に対して時間がないと焦る子供は無下にも言い放ったものだ「では、終わるまで寝るな」とか。
「ひでえ言いようだ」とか何とかぶつくさ言いながら、政宗はそれでも五七五の韻を踏むカルタの文言をそれらしく英訳するのに努めた。
その傍らで帰り支度の為、下男として政宗が背負って来た荷物を改めていた小十郎の手が止まった。行李の中から何やら小さな包みを取り出す。
「藤次郎、これは?」と言って見せられたものを顧みて、ああ、と政宗は呟いた。
「俺が元の時代に帰る為の小道具」
大人の掌程のサイズの漆黒の鏡だ。
それをためつすがめつしげしげと眺めやっていた賦役は、そんな大事なものを無くしたらどうするのだ、と思って、自分の袖の括り緒を一本抜き取って紐通しに通した。
「これで首から提げておけ」
そうして差し出された鏡を見て政宗は「Nice idea!」などと言って喜んだ。すぐ様首から掛け、鏡を一重の懐の中に仕舞う。
「終わりそうなのか?」
「んー、何とか」
「そうか…」
「取り敢えず、俺の役目もここまでだな」
「―――何故だ」
思わず問い返していた。
小卓を借りて、そこに向かってカルタの訳を書き付けていた政宗が顔を上げて賦役を顧みた。
自分でも迂闊な事を口にした、と気付いたのか、小十郎はそっぽ向いたままだ。それを眺めやりつつ政宗は意地悪そうに口元を歪めた。
「別れを惜しんでくれんのか」
「…理由を聞いただけだ」
男の素っ気ない返答に、青年ははは、と軽快に笑った。
「お前だけじゃない、父や、その周辺がちゃんとあいつを見守ってくれてたって分かっただけでも御の字だ。それに、元の時代のあれこれを放ったらかしにしてあるしな」
「あれこれって…」
「勿論、伊達家頭首としての勤めやらなんやら…」
「お前―――…」
呆れたように言い返されて政宗は肩を竦めて見せた。
「この頃のお前にまで説教されたくないぜ?それに、今のお前には未だ分かんない事や知らない事が山程あるんだから」
そうして作業に戻る。
「色々あんだよ、頭首になるとな…」
そう呟きながら政宗は手を動かし続けた。

そうした2人を他所に、梵天丸は濡れ縁の端に腰掛けて1人ぽつんと佇んでいた。
昼下がりの日だまりは暖かそうだが、その口元に吐き溢れる吐息は真っ白だ。
子供は子供なりに気を遣って、していい我が侭とそうではない我が侭とをちゃんと理解していた。そうは言っても淋しさは募る。それを堪える為にも1人唇を噛んでいなければならなかった。
それを政宗に顎で指し示されて、小十郎は不精不精ながらも立ち上がってその傍らに歩み寄って行った。
無骨な賦役に母親の代わりは出来ない。柔らかな言葉と物腰で子供をふんわりと押し包んで慰める、と言った事がこの世の何より苦手な男が、不器用なりに塞ぎ込みがちな少年の為に何事か短い言葉を掛けてやる事に心を砕いた。
彼らの姿を少し見やっていた政宗は、再び手元に目を落とす。
―――突っ張ってねえで多少は駄々捏ねりゃ良いのに…。
自分の事は棚に上げてそう思う。
そうしてからふと、あちらの世界でもやはり自分はそう思われているのかなどと気付いたりもする。
―――今の俺は子供じゃねえんだ。
結局はそのような台詞でそんな思いは打ち消してしまうが。

日暮れ前に、カルタの翻訳が終わり、それを胸に抱きかかえて梵天丸が微笑んだ所で政宗は、元の時代に帰る旨を伝えた。
そうすると忽ち強張る幼な子の表情に、賦役などは泣き出すのではないかとヒヤヒヤしたが、この大小の主は揃って"筋金入りの"強情っ張りだった。
暫時、睨み合ったかと思うと不意と顔を反らす。
その後の夕餉も風呂も、殆ど口をきかず目もあわせず、と言った有様だ。別れの為の予行演習でもしているのかと、賦役は本気で呆れた。
昨夜と同じように褥を3つ並べた所でしかし、梵天丸がある事を提案して来た―――自分と添い寝をしないか、と。
「梵が淋しい訳ではないからな。こよいは冷える。お前たちが寒いだろうと思ったから…」
「OK, OK….」参りましたとばかりに政宗は両手を上げて応えた。
燭台を下げられて殆ど漆黒と言って良い闇の仲、這い進んで隣の幼な子の夜着を手探りで探った。
「あ〜ぬくいな、お前」
そうして小さな身体を抱き寄せれば、そんな事を嘯く。
「小十郎」とせっついたのは、2つの声だ。
「え、いや、しかし、私は…」
「良いから入れ、せっかくの梵天丸様のお召しだぜ」
そう言う政宗の声はもはや楽しげ、と言って良い。舌打ちしたいのを何とか堪え、この真面目が服着て歩いている若い賦役は「御免」などと言ってギクシャクと進み出て来た。
梵天丸が幾ら小さいとは言え、3人が納まるには1つの褥は如何にも狭い。何とも収まりが悪く、小十郎が何時までももそもそしていたら、その内ゴチン、とか言う鈍い音がした。
「いってえ…小十郎!何やってんだよ!」と政宗が怒鳴り声を張り上げた。
どうやら梵天丸の頭越しに額をぶっつけたらしい。
「いや…だから、すまん…」
「ちゃんと寄れよ、隙間から寒いのが入って来ちまうだろ!!」
「いやしかし…梵天丸様のお体に触れるなど」
「バッカ、添い寝になんねーだろうが!」
「も、申し訳…っ」
頭上で交わされるそんな言い合いに、終に梵天丸が吹き出した。
ケラケラ笑いながら2人の襟首を掴んで揺さぶったり、蹴飛ばしたり。余りに暴れるものだから政宗がその体を抑え付けてやれば、それがくすぐったかったのか子供らしい叫び声を上げて余計に喜ぶ始末だ。
褥の上ですったもんだをし始めた2人を他所に、賦役は初め呆然とし、やがて呆れるを通り越して眦を吊り上げた。
むんず、と2人の着物を掴むなり褥に押し付けて唸るように言ってやった。
「他の客の迷惑になりますので、お静かにお休み下さいませ」
ぷっ、くくく、とか言う笑い声がそれでも漏れたが、凡そ大人しくなった。改めて夜着を被り身を寄せ合えば、何とか3人の身体は納まった。
ようやく静寂が満ち、それの代わりに3人分の体温は酷く暖かかった。


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