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―記念文倉庫―

開き直り、と言うより、隠されていた本性がちらと足を出した、そんな感じだったか。
政宗は腹の中にひやりとしたものを感じながら面には出さず、真っ向から見返す鋭い眼光を見つめていた。
「遠藤様にご相談申し上げた所で証拠はないと言われ…。薬師から様々な解毒薬を手に入れて用心は怠りなくしている。…これ以上、俺に何が出来る」
感情を押し殺した声音に、偽りを跳ね返す程の真摯な眼差し。
終に、政宗の方から視線を外し、口の端を歪めた。
「No problem….」
「は?」
「お前は最善の事をした、している、と言ったんだ」
そうして、手水の置いてある濡れ縁まで出て、昏い静かな庭を見やる。
雪に閉ざされたそこは、子供の遊び易いように広い白州があり、盛り土で出来た築山があり、また水の流れていない川に小さな橋も架かっていた。
父の差配でそのように造ったと記憶している政宗は、懐手に目を細めた。
「ちょっとでも周りの者が騒ぎ立てしたら俺の立場が増々危うくなる。もしかしたら、頭丸めて寺送りにされてたかも知れねえ…そう言う事だ」
青年の後ろ姿がひっそりと語るのは賦役に対してと言うより、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。
「あの頃の俺はもしかしたら…とは思ってたが、お前が何も言わないし、まさか叔父貴や実の母がそんな事をするとは夢にも思っちゃいなかったからな。…信じてた、特にお前を」
「………」
「でも、そうやってお前にゃ世話かけてたんだな…」
最後にはそう呟いて、言葉を失った賦役を振り向く。
そうやって、陰となり日向となって支えてくれた人々のお陰で、今の自分はあるのだと改めて知る。
父をその手で屠った政宗を、だからハラハラしながら見守っているのは小十郎だけではない。従兄弟の成実も、乳母だった喜多も、政宗が自身で抜擢した良直ら若手の家臣たちも、皆心配している。
彼らを本当の意味で安心させてやるにはどうしたら良いのか。
自分がもう子供でもなく、身も心も強くなった立派な頭首だと振る舞っても、強がっている、としか取られないのでは話にならない。
そう見られてしまうのは、小さな頃からそうして来た習いのせいではあるものの、正直悩ましい問題だった。
特に目の前のこの男は、こうして幼い主が服毒されるのを知っていながら知らん振りをする、と言う強固な意志の持ち主だ。
この頃は賦役になり立てで、お役目に忠実に誠実に勤め上げていただけなのだとしても、見上げた忠誠心はやはり余人を遥かに凌駕する。
それは今も昔も変わらない。それが何故なのかも、政宗は知っていた。
例えば彼が、未来の小十郎がもう少し鈍感な男であれば、少しは俺の気持ちを労れ、などと言って笑い話に出来るのだが、忠誠心が育てた細やかな気遣いは却って政宗に行き詰まりを感じさせた。
ち、と1つ舌打ちを零して、懐手で己が顎を撫で摩る。
―――先ず俺がこんな10年前で油売ってるのがいけねえってか…。
思わず眼を反らしたい現実に気付いて、苦々しい思いが込み上げて来た。
そうして、寒さに肩を竦めて足を踏み出した、が。
ふわり、とまるで雲の上を歩いたような感覚に足から力が抜けた。
倒れかけたその体をとっさに掬い上げたのは若い賦役だ。
一重の上に袷を重ね着しているが、既に武人として鍛え上げられた膂力はその衣を通しても感じられた。そして軽々と政宗を支えてくれる。
そうやって、脇を通って背を抱きかかえられたままで凝っと、瞳を覗き込まれる。
若い小十郎の両目はそれまでの厳しさを保ちつつも、何か問いたげに青年の唯一の左目を凝視し続け、
そして不意と反らされた。
「明日は熱があっても徒歩で行ってもらう」
ぶっきら棒に言い放たれた内容には、政宗は引き摺られながら「Shit!」などと小さく嘯くだけだった。


翌日、早朝からの出立に先立って、梵天丸の所に母・義姫から使いの者がやって来た。
その用件はと言えば、新調した着物を賜るとか言う事ではなく、長兄であるなら凛々しく馬上の人と成りなさい、詰まる所、そう言う事だ。
壁に耳あり障子に目あり、とは良く言ったもので、この米沢城離れの居室に義姫の息の掛かった者がいて、梵天丸の様子を逐一彼の女に奏上していた、と察せられた。
使いの者の前で幼い子は「あいわかった」と平然として応え、傍らに付き従う賦役も眉一筋動かさなかった。
だが、使いの者が立ち去り、政宗が隠れていた奥の間から顔を出すと、梵天丸は気怠げに角火鉢に凭れ掛かってしまった。
「駕篭の中で、膝に火鉢抱えてぬくぬく行けると思うなってか?」
そう嘯きつつ、ついでに自分も大きな角火鉢に張り付いた。
「梵天丸様、大丈夫ですか?」
「うん…」
賦役に問われて頷いたものの、少年の顔色は悪い。
気持ちが悪いと言って結局朝餉も口にしていない。空の胃の腑が発熱によってせり上がって来る感じはするのだが、吐くものもない為嘔吐くばかりだ。
「そんな時こそ胸張れ、何ともありませんってツラ見せてやんな」
「わかっておる!」
政宗に喝を入れられ怒鳴り返しはしたが、やはり辛そうだ。
実際の所、政宗自身も昨日池の水に浸かっていたのが祟って熱は続いている。咳こそ出ないが悪寒と目眩がして横になっていたい所だった。
だが、この小さな自分は言われた通り、意地でも馬上の人と成る事だろう。放っておける訳がなかった。
「…小十郎…、お前が口縄を取ってくれるのだろうな」
「無論です。ですから梵天丸様は鞍上にて力を抜いていて宜しいのですよ」
「わかった…行こう」

米沢から山形まで。
馬で早駆けすれば二刻とかからない距離だった。そこを、伊達輝宗の妻女・義姫と次男竺丸の乗った駕篭と、近侍や中間などの行列が付き従う一行は半日かけてゆっくり進む。
伊達の立派な武将として騎乗した姿を見せておくれ、などと尤もらしい事を言伝て来た義姫など、行列の先頭あたりで早々に駕篭に乗り込み、殿に近い梵天丸がちょこんと尻を乗せた馬が葦毛なのか鹿毛なのかも知りもしない。
馬の右手でその口縄を取る賦役は若侍らしい、紋の入っていない檜皮色の直垂に冠と威儀を正し、同じ直垂ではあるが綺羅びやかな錦織に朱紐が目にも綾な幼い主人の脇に付き従う。
右目を覆う布があるにしても、美々しい"若様"がこうして馬上にあるのはやはり見栄えが良かった。
翻って政宗は、奉公人の身分だから四幅袴と言って、袖も裾も短い、如何にも寒々しい恰好だ。幾ら脚絆や篭手を身に付けたからと言って雪道を徒歩で行くには余りにも辛すぎる。
が、そこはそれ、馬上の梵天丸と同じように周囲に付き従う中間奴などに後ろ指を指されないようしゃんと胸を張った。

道は一本道、山間にしっかりと引かれた街道なのだから積雪があると言ってもカンジキを履く程でもない。
それでもやはり熱のある政宗にとっては辛い、辛いが労ってくれる竜の右目は今ここにはいない。戦でもないのに怠い身体に鞭打って雪道を行軍している己が一体何をやってるんだか分からなくなりそうだ。
―――ああ、だが、
気遣いが鬱陶しいと思った自分への、これはある意味天罰なのかも知れない、と思った。
人を気遣うと言うのは、ある意味その痛みを分け合う事なのだろう。
寒くて、体中がギシギシ痛んで、頭痛もして、ぼうとして来た思考の片隅でそんな事を思う。この辛さを汲んで暖かい手を差し伸べてくれる筈の男の顔を、やっぱり思い出さずにはいられなかった。
そんな風に回りに目も行かず、ただ前を行く馬の尻を追って歩いていた。
その政宗の耳を凄まじい馬の嘶きが切り裂いた。はっと顔を上げた所で、栗毛の馬がじったばったと飛び跳ねている。
耳にヤブ蚊でも飛び込んで来たか?と思い掛け、この雪の季節にそれは有り得ないと打ち消す。
ともかく馬の蹄を避けて後退しようとしたが、この時になって怠さが最高点に達して足が縺れてしまった。よろめいて、無防備に尻餅を突いた所で、雪を掻き乱した蹄と馬体が迫る。
ガスン、とそれが肩口に振り下ろされ、政宗は雪の上を転げた。
「おい、藤次郎!」
そう言う賦役の声を聞いたが、とっさに返したのは別の事だ。
「梵天を助けろ!!」
突如として踊り狂った栗毛の馬は、その背にしがみつく梵天丸を乗せたまま、傍らの杉林に駆け込んで行ってしまった。
それと、地面に踞った政宗とを見比べていた小十郎は、当然、馬を追って駆け去る。
辺りの者たちが訳も分からず右往左往する中、政宗は自力で立ち上がった。そして、白い雪の上、馬の蹄で乱されたそこに点々と散る赤いものを左目が認める―――。
恐らく、前を往く何者かがこの雪道の上に撒菱のようなものを目立たぬように捨て置いた。
道幅はそこそこある。
中間奴や侍従の徒士らは二列横隊、二基の駕篭と梵天丸の馬は他の者の足跡で乱される事のない中央を往く。
全て呑み込めた気がした。
政宗は風邪のせいか、それとも馬に蹴られたせいか、もはや判別の付かない痛む身体でもって2人の後を追って杉林の中に飛び込んだ。


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